03.風が攫うその瞬間まで


「俺が来るまでよく堪えた」


そう言って、目の前に腰を降ろして私の手を握り、労りの声を掛けた1人の男に涙が溢れた。地面に横たわるようにして倒れている私を抱き起こし、やんわりと体制を整えてくれた男は冨岡義勇だと小さく名乗った。半半羽織に人よりも長めの髪を一つに束ねて、伏し目がちに私に跪く冨岡さんの手には今しがた目の前の鬼の頸を掻っ切ったキラリと光る刀が握られている。それ、何ですか?と震える声で問い掛ければ「鬼の頸を切る日輪刀だ」と教えてくれた。

「立てるか」

「…は、はいっ、」

「思ったよりも傷が深いな。胡蝶に診てもらうと良い」

「胡蝶…?」

脈絡のない話に淡々と今後の流れを口にする冨岡さんに対して横に首を傾げた。どうやら胡蝶というのは冨岡さんの仲間らしい。暫くして此方に辿り着いた女性の髪飾りは名前に因んだ蝶の形をしていた。整った顔に落ち着いた口調、「もう大丈夫ですよ」と優しく微笑んでくれた胡蝶さんと冨岡さんの2人に鬼と遭遇して忘れ掛けていた人の温もりに心が暖かくなった。

「名は何と言う」

「ミョウジナマエです…」

「そうか…ミョウジ、前だけを見て生きろ」

「…?」

「鬼は必ず俺達鬼殺隊が滅殺する。だからお前はもう何も心配しなくて良い」

「……………」

「ただ、がむしゃらに生きろ。生き続けていれば、その先にある困難な道も必ず乗り越えられる」

そうとだけ言い残して、握っていた手を離し、冨岡さんはこの場所から去って行った。周囲にはついさっきまで一緒に笑い合っていた筈の私の家族達の亡骸が散らばっている。それに目を背けて、地面に頭を伏せた私の前から「鬼が憎いですか?」という穏やかな声が耳に響いた。

「…………憎いです。憎い以外の感情が思い浮かびません」

「そうですか。分かりますよ、私もあなたと同じ気持ちを胸に抱いていますから」

「え…?」

その掛け声に思わず頭を上げると、目の前に佇む胡蝶さんは何処か物哀しそうな表情で笑っていた。目を丸くして、そこに呆然と立っている私の肩に手を掛けてポンと優しく撫でられる。そうしてにっこりと微笑んで「鬼が憎いのなら、あなたも鬼殺隊に入りますか?」と勧誘されたのをきっかけに、あの日から鬼を滅殺する事だけを目標にしてこれまで生きてきたけれど。

「あ…!」

洗濯物の竿に掛けようとした布が、突如吹いた強風に負けてヒラヒラと舞い飛んでいった。大きめのサイズなのでギリギリ手が届くかと思ったけれど、それは叶わない動きとなってしまった。野良猫を追い掛けるように、布の後を追って地面に横たわっている端をぎゅっと掴む。泥に塗れてしまった結果に、また一からやり直しかと肩を落とした。

「惜しかったな」

「冨岡さん…!見てたんなら助けてくださいよ」

「いや…一人遊びでもしているのかと思った」

「そんな訳ないでしょ。どんだけ私は暇人ですか」

少し離れた場所で、秋の紅葉を眺めていたであろう冨岡さんがいつも通り天然な発言を口にしながらも背後からぬっと現れた。今日は昨日よりとても風が強い。夏の名残が残るこの場所で短い生涯を終えた枯葉が幾多も散っていく。そろそろ本格的な秋が到来するのだなと肌で感じ取れる程に。

「冨岡さん、今日は町に行きたいです」

「?何故だ」

「昨日隣に住むお爺さんから聞いたんです。そこには西洋から伝わってきた、すいーとぽていとという菓子が売られているらしいので」

「また菓子か。よく飽きないな、お前も」

「飽きる訳ないです。女子は甘い物に目がないですから」

「この前は俺と共に食べるから美味しいと言って…、」

「さぁさ!さっさとこの布を洗い直してとっとと町に繰り出しましょう!」

冨岡さんの話を横から遮って踵を返し、手にしている布を抱きしめるかのように抱えて歩を進めた。前回、思わずその場のノリで中々小っ恥ずかしい事を口にした私の発言はないものとしたかったからだ。桶に満杯に入っている水に布を浸けて洗濯板にそれを被せる。ゴシゴシと石鹸で汚れを落としている私の横に音もなく近付いてきた冨岡さんに少し驚いたが、かと言って彼は何にも言葉を発さなかったのでそのまま入念に洗濯に集中し続けていた。

「甘っ…!これ死ぬ程美味しいですね冨岡さん!」

「……………」

あれから洗濯を無事に終えて、宣言通り町までやって来た私と冨岡さんの2人は話題のお店の椅子に腰掛けて、例のすいーとぽていとを口に含んでいた。リスのように頬を膨らませて手が止まらない私の勢いに冨岡さんは無言のまま何故か冷ややかな目で此方を見ている。多分訳すと「よくそんなに食べられるな。俺には考えられん」とかそんな所だろう。

「此処に甘露寺さんと煉獄さんの2人がいたら歓喜に湧くでしょうね。煉獄さんなんてわっしょい!って叫びそう」

「あぁ…叫ぶだろうな。目に浮かぶ」

「ですよね!だってそれほどまでこの芋凄く美味しいですもん」

ニコニコと心から嬉しさを顔に表した私に冨岡さんは眉を下げて穏やかに笑っていた。「俺のも食べて良い」と言って、私のお皿に最後の一個を分け与えてくれたそれを口に含み味を噛み締める。少し肌寒い風が頬を撫でていき、通り過ぎていく通行人達が「寒い」と呟いていた。

「新しい家、とても良い立地に見つかって良かったですね」

「あぁ…人里離れてはいるがこうしてたまに町まで来れる程の程良い場所で俺も気に入っている」

そう言って、冨岡さんはお茶を啜った。少し口の中に甘さが残っていたのか喉にお茶を流し込み、その甘みは上手いこと相殺されたようでほっと一息つけたようだ。冨岡さんと2人で屋敷を離れて旅に出たあの日から一月半が経過していた。山を越えて、海を超えて、城下町を通り過ぎた先の何の変哲もない土地に今、私と冨岡さんの2人は住んでいる。腰を据えて古くからそこに住んでいる人達も皆んな驚く程良い人で親切な人達ばかりだ。

「……あ、そうだ。さっき洗濯物を干しながら冨岡さんに初めて出会った時の事を思い出していたんですよ、私」

「………あぁ、お前が泣きべそをかいていたあの日の事か」

「ちょっ…!まぁ、そうですけど」

「よく考えてみれば、お前は昔から俺の話に聞く耳を持たないな」

「えっ、そんな事ないですよ」

「ある。俺はあの時お前に前を向いて生きろと言ったが…何故かお前は2月後に鬼殺隊として俺の目の前に現れた」

「またぁ、嬉しかったくせに」

「……………」

明後日の方向に目を向けて、私の発言に無反応な冨岡さんの頬をツンと軽く突く。この行動はよく胡蝶さんもしていたけれど、今となってはその気持ちがよく分かる。普段から無口な冨岡さんがどういう反応をするのか、その先を見たくなってしまうからだ。まぁ、毎回何の反応もないけれど。

「ナマエ、」

「はい、何ですか?冨岡さん」

「俺と約束をして欲しい」

「約束?」

何の約束ですか?そう口にして、完食し終えたお皿を横に置いてまじまじと冨岡さんの端正な横顔を見つめた。私が問いかけたのにも関わらず、冨岡さんは少しだけ眉を寄せて難しそうな表情で真っ直ぐと目の前に広がる大勢の人混みに目を向けていた。

「俺が居なくなったその後も…たまにで良い。俺の事を思い出して欲しい」

「……………」

「元々お前は俺に出逢わなければ、普通の女として生きていた筈だ。だが何の因果か、お前は俺の背中を追って鬼殺隊として共に使命を果たしてきた」

「……………」

「次第にお前に絆されて、恋仲になって、今こうして共に過ごしているこの時間が俺は多分きっと、最期にとても惜しいと思うだろう」

「……………」

そこまで口にして、冨岡さんはようやく此方に振り向いてくれた。切なさそうに眉を下げて、私の頬に触れたその左手はとても優しかった。優しすぎて、涙が溢れてくる程に。

「だからたまにで良い…お前のこれから長い生涯の中で俺の事を忘れずに思い出して欲しいと願う」

「……………」

「ナマエ?」

心配そうに下から私の顔を覗き込んだ冨岡さんに横に顔を背けた。ずっと鼻水を啜って涙を拭う私に、きっと冨岡さんは頭に疑問符を並べている事だろう。けれども冨岡さんが口にしたその願いと約束事は私にとってはとても寂しく、そしてそれ以上にとても苦しかった。まるで避けられない未来を早送りをして、そこに自分は居ないのだと念押しされているようにも思えたからだ。

「……分かりました、約束します。…っ、任せてくださいよ。そんなのお茶の子さいさいです」

「………ありがとう」

精一杯の強がりで、冨岡さんの約束に応えた私に彼はとても嬉しそうに笑っていた。その笑顔により一層心が苦しくなる。いてもたってもいられなくなって、思わず抱きついた冨岡さんの背中に廻した腕の力を強く込めた。泣いている子供を慰めるように、優しく私の頭を撫でる冨岡さんに「たまにじゃなくて、毎日思い出しますよ」と最後に補足を付け加えておいた。

「よく泣くな、お前は」

「感情表現が豊かだって言ってください…」

「俺はお前を泣かしてばかりだな」

「良いんですよそれは…ただ私が勝手に泣いてるだけなんですから」

冨岡さんの事を想えば想う程、溢れる想いが邪魔をして涙に変わっていくのだから仕方ない。大好きな人と過ごすこの何気ない日常は、これまで気付けなかった幸せがそこら中に転がっていて毎日毎日驚きの連続だ。鮭大根を食べている顔、疲れに負けてあどけない表情で瞼を伏せる寝顔に、ナマエと優しく私の名前を呼ぶ冨岡さんの穏やかな表情。その一つ一つが全て大好きだから。涙が出たとしても多分それは、結果幸せに代わるから気にしないで欲しいと小さく訴えた。

「風が冷たくなってきたな。そろそろ家に戻るか」

「ですね。……あ、でも冨岡さん大変!私達、まだ一枚の布団しかありません。もう一枚買いに行かなきゃ!」

「?そんな物必要ないだろう」

「えっ、何でですか。私にこれから凍死しろって遠回しに言ってます?」

「違う」

間髪入れずに否定した冨岡さんの長い左腕が伸びてきて、私の身体を包み込むかのようにそっと抱き寄せられた。コツン、と私の頭に自分の頭を乗せて私の名前を呼んだ冨岡さんに、はい、と小さく応える。

「これから訪れる寒い冬も、互いに寄り添い、抱き合えば布団一枚でも乗り越えられる」

「………冨岡さ、」

何か返事を返そうとしたその瞬間、冨岡さんにぐいっと顔を引き寄せられて一気に唇を塞がれた。突然の出来事に熱い声が漏れて、恥ずかしい気持ちがどっと込み上げてくる。けれどそれ以上に目の前の口付けが気持ちが良くて、次第に理性が追い払われた。人目も気にせず、唇を重ね合う私達の横から「熱いね!」とか「若いって良いわねぇ!」とか、色んな声が降り注いだ。徐々に現実に戻った私が慌てて冨岡さんから離れると、その行動が気に食わなかったのか口をへの字に噤んだ冨岡さんにじとっと睨まれる。いやいやいや、睨んでも無駄ですから。流石に恥ずかしいですから。

「寒っ…!」

その時、隙間を埋めるように横切った秋の風に身震いをして素直な感想を叫んだ。寒い寒いと不満を口にしている私に冨岡さんが口の端を上げて「帰るぞ」とそこに腰を上げた。歩幅を合わせてゆっくりと家までの道のりを引き返す中、徐々に人混みは減っていき、そろそろ良いかなと考えを改めた私の腕が冨岡さんの腕に絡みつく。「都合が良いな」と呆れた表情で私に目をやる冨岡さんに「でもそんな私が好きでしょう?」と屁理屈で返したら「そうかもしれないな」と、冨岡さんは穏やかに笑っていた。




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