「あの…冨岡さん、私の声聞こえてます…?」


遡る事約2時間前。仕事を終えて帰宅途中に高校時代からの親友である胡蝶カナエから一通のメッセージが届いた。『暇をしているなら此処に来ない?』と簡潔な文の下に、とあるお店のURLが貼り付けてあった。女子会ですね!?と意気込んでお店に訪れたら見知らぬ人達のオンパレードで正直今かなり焦っている。その中でも特にこの人、冨岡義勇という男は群を抜いて意味が分からない。ガヤガヤと騒がしい店内には似合わないローテンションで、何故か1人だけ礼儀正しく正座をして、淡々と食に手をつけている。

「あのぉー…冨岡さ、」

「聞こえている」

「あ、良かった。安心しました」

てっきり幻でも見てるのかと思いましたよ!そう返事を返して乾いた笑いを浮かべる私に冨岡さんはチラリと私に目をやって再び目の前の魚を箸で丁寧にほぐしだした。カナエが勤務するこのキメツ学園の教師人達は何かこう…皆んなビックリするぐらい癖が強い。私を呼びだしたカナエはもっぱら隣に座っている不死川さんにちょっかいを出して揶揄っているし、その向かい側に座っている煉獄さんはひたすら生徒達への熱い気持ちをプレゼンしているし、一番女の子にモテそうなルックスの宇髄さんは酒が足りねぇ!と終始叫んでいる。他にも色々と学校関係者の人達が勢揃いではあるが、その中でも1人だけ。浮いているというか何というか、独特の雰囲気を持ったこの冨岡さんという人と向かい合わせに座っている私は今非常に困っていた。

「あの、冨岡さんは何の教科担当なんですか?」

「体育教師だ…」

「へぇ、そうなんですね。じゃあ運動神経がめちゃくちゃ良いんだろうなぁ。羨ましいです」

「別に。専門の大学を卒業をすれば誰でもなれる」

「はぁ、いや…まぁそうかもしれないですけど…」

絶望的に話が続かない。そして死ぬ程気不味い。最早何かの罰ゲームですか?と誰かに問いたい程だ。会話が一向に持たないので手持ち無沙汰に目の前のだし巻き卵に箸を付けた。しゅうゆが掛かった大根おろしをちょんと上に乗せて、そのまま口に含み咀嚼をする。ただの居酒屋のチェーン店の筈なのに意外と美味しいそれに目を見開いて心の中で悪くないな!と叫んだ。

「お待たせ致しました。ご注文の鮭大根です」

相変わらず私達の個室だけやたらと騒がしい中、ガラっ!と店員さんが横に戸を開けてテーブルの端に置かれたお皿がコトンと質素な音を立てた。誰が頼んだ物なのかは知らないけれど、ここは空気を読んで皆んなに問いかけるべきだろうと意気込んだ私が叫ぶ。

「あのっ!どなたか鮭大根を注文された方とかいま、」

「俺だ」

「…………えっ!?」

わざわざ声を張り上げたというのに、全て言い終わる前に前方に座っている冨岡さんが、小声で自分が注文をしたのだと応えた。彼はさっきも違う魚を食べていたし、まさか次も魚縛りだとは思いもよらなくて正直拍子抜けである。呆然としている私をスルーして、端に置かれていたお皿を淡々と自分の席の前に配置した冨岡さんは一瞬だけ目を輝かせた。ような気がした。……あれ、幻か?何度かゴシゴシと目を擦ってみたけれど、次に見た時の冨岡さんは相変わらず無表情でやっぱりあれは幻だったのだと自分に言い聞かせた。

「あの、」

「……………」

「あ、あの!冨岡さ、」

「なんだ」

「あ、やっぱり聞こえてるんですね。なら無視はやめてくださいよ」

「俺は今食事を嗜んでいる。そんな時に無駄な会話は無用だろう」

そう言って、目の前の鮭大根に箸をつけた冨岡さんを前からバレない程度に軽く睨みつけた。ご最もな意見ではあるが、食事というものは誰かと一緒に会話をしながら食べるのが楽しいし、何よりの醍醐味だと私は思う。そもそもこう言っては何だが、私は本日急遽招集されたゲスト側の筈。なのに何故今日初めて出逢った男にここまで蔑ろに扱われなくちゃならないのだ。もうすぐそこまでぐっと迫り上がってきた自分の言い分を何とか堪えて、手前に置いてあるカクテルを勢いよく喉に流し込んだ。

「おいおい、いきなり飛ばしすぎじゃね?ナマエちゃんとやら」

「うむ、酒は飲んでも飲まれるなとよく言うな!」

「おい胡蝶ォ、てめェがあの女を呼んだからには最後まで面倒見ろよォ」

「あらあら、ナマエったら。そんなに仕事のストレスが溜まっていたのかしら」

まるでお風呂上がりの一杯のように、ゴッゴッと喉を鳴らせてカクテルを一気飲みをする私の横でカナエ達が何かぎゃあぎゃあと騒いでいる。それはさておき、無事に全てのアルコールを飲み終えた私は、はぁ、と深い息を吐いておしぼりで口元を拭った。そしてすぐにお店の専用タブレットを手にして、同じものをもう一杯注文をする。

「おい、ちっとペースが早いって……あ?」

「最悪の流れだな!」

「ほら見ろォ!言わんこっちゃねェ!」

「あらあら、そうだ忘れていたわ。ナマエってもの凄くお酒が弱いのよ」

「……………」

タブレットを元の位置に戻した瞬間、頭の中と視界がやけにグルグルとしてきて目眩さえもしてきた。そして次の瞬間光の速さで畳の上に倒れた。いよいよ本格的に調子が悪くなり胃の中でお酒がぐるぐると回って気持ちが悪い。薄れていく記憶の中、誰かがペチペチと私の頬を叩いてるような気がした。が、かと言ってそれに応答する余裕は一切無かったので、そのまま静かに瞼を伏せては意識を手放した。




「ん…」

「起きたのか」

前髪がサラサラと夜の風に靡いている。そのままパチっ!と目を見開いてきょろきょろと周囲を見渡した。街灯の灯る公園のベンチに横たわっている私を心配そうに右から声を掛けてきた男の声に、肩が竦んで反射的に飛び起きた。体制を整えて軽く乱れていた髪を手櫛で直しながらも盗み見るようにちらっと横に視線を流しては息を呑む。

「と、冨岡さん…」

「随分と酒が弱いな」

「はい、すみません…ご迷惑をお掛けして…」

いやでも、こうなってしまったのはあなたが原因なのもあるんですけどね。そう口に仕掛けて、膝の上に乗せている拳にぎゅっと力を込めては言葉を飲み込んだ。けれどもここまで私を運んできてくれたのはきっと冨岡さんなのだろう。そう考えたら、案外この人は優しい人なのかもしれない。そんな事を脳裏でぼんやりと考えてはふと前を見据えた。そのまま暫くの間沈黙が続き、公園内に配置されてある背の高い時計を意味もなく見つめていた。…あれ、てかもうこんな時間?私どれだけお酒にやられていたんだろう。明日も仕事なのにこんな所で呑気に座っている場合じゃなくない?

「よし、じゃあー…私帰りますね!」

「……………」

「冨岡さん、今日は本当にありがとうございました。いつかまた逢う事があったらその時は宜しくです」

「……………」

最後まで無視を貫く冨岡さんに深い溜息が漏れた。もう良い、諦めた。そう思い直しベンチから勢いよく立ち上がる。んー!と最後に背伸びをして息を吐き出した瞬間、視界がぐにゃりと左右に揺れ動いた。あれ?と思ったのも束の間、そのまま地面に頭をつく勢いで後ろ方向に身体が倒れていく。

「……平気か」

「は、はい…」

間一髪といった所でベンチからすかさず立ち上がって助けてくれたであろう冨岡さんに、背後から身体を抱きとめられて間抜けな声が漏れた。背後から必然的に抱きしめられているこの状態に、ドクン!と心臓が飛び跳ねる。首周りに絡みついている太い腕にやけに男を感じてしまって、顔に熱が籠り変に意識をしてしまう。

「危なっかしい女だ」

「す、すみません…」

「一人で帰れるのか」

「よ、余裕ですよ!よゆう〜…」

「……………」

人差し指を夜空に翳して、へらへらと愛想笑いを浮かべる私に冨岡さんはまたもや無言となり何の反応も示してはくれなかった。いい加減気不味いので何とかしたいと思い、そのまま顔を上にあげると自分より遥かに背の高い冨岡さんが頭上から私を見下ろす形でじぃっと見つめていた。その端正な顔と思ったよりも近かったその距離に胸が高鳴った。眉を下げて、心配そうに私に視線を落としてくれている冨岡さんに危うく心を持っていかれそうになる。

「あの、冨岡さん…」

「なんだ…」

「鮭大根、好きなんですか?」

「…………」

急に何の話をし始めたのかと、心なしか呆れた表情で小さく息を吐いた冨岡さんの腕に自分の手を重ねてぎゅっと控えめに掴んだ。そのまま視線を下げて頭の中で本当に何の質問をしているんだと自分にツッコんだ。でも何でか急にもっともっと冨岡さんの事が知りたいと思ってしまって。自分でもよく分からないこの感情をセーブするには、まだもう少しアルコールが抜けないと駄目なようだ。

「好きだ」

耳が垂れた子犬のように、そこにシュンと肩を落としていた私の身体をぐっと引き寄せて、耳元で囁かれたその発言に目を見開いた。あくまでもその『好き』は鮭大根に対してなのに、自分に向けて注がれた発言かとうっかり勘違いをしそうになってしまった。そのまま「ナマエ」と名前を呼ばれて輪をかけて驚いては、いつの間に私の名前を覚えていたんだろうか。物覚え良いな。とか、どうでも良い事を脳裏で考える。

「行くぞ」

「……え?きゃっ…!」

腰と膝裏に手が回って、横抱きにされた私は冨岡さんの腕の中に抱えられていた。所謂お姫様抱っこって奴である。重いので降ろしてください!とか、顔近いです!とかぎゃあぎゃあ不満を叫ぶ私を無視して、冨岡さんはスタスタと公園の出入り口付近へと歩を進めていく。

「…何かもう、色んな意味で恥ずかしくて私今死にそうです…」

「家は右と左、どっちだ」

「右です…」

「そうか」

余りにも恥ずかしくて両手で顔を覆っていた私に冨岡さんは至って普通に家は何処だと聞いてきた。片手で進路方向を指差す私に冨岡さんは真っ直ぐとそちらに視線を向けて言われた通りに歩みを進めていく。どうやらこのまま私を一人で帰らすのは危ないと判断してくれたようだ。ふわふわと冨岡さんの大きな腕の中で揺れる身体が不思議と心地が良くて、次第に羞恥心も消えていき、顔を覆っていた手を退けては下から冨岡さんの端正な顔をそっと見つめていた。それにしても綺麗な顔だ…

「冨岡さん、」

「なんだ…」

「ありがとう…」

「……………」

お礼を伝えたと同時にピタリと冨岡さんの動きが止まった。え、何で急に止まったの?と不思議に思った私が前に視線を流すと、丁度信号が赤に変わった所で成る程なと納得した。そのままそっと冨岡さんに視線を戻すと、私の視線に気付いた冨岡さんと目が合った。眉を下げて、穏やかに微笑んでくれた彼のその表情に再び馬鹿みたいに心臓がドクリと飛び跳ねる。

「やっと笑ってくれましたね…冨岡さん、絶対笑ってた方が良いですよ」

「あぁ、お前もな」

「え?」

パー!と車のクラクションが車道に響く。華やかな夜の街には沢山のネオンのライトが輝いていて、まるで何かの映画のワンシーンのようにも思えた。笑った方が良いと、そう私に微笑んで褒めてくれた冨岡さんは、今度ははっきりと優しい人なんだと確信した。じゃなきゃ出逢って早々、こんなはた迷惑な女を腕に抱えて家まで送ってくれたりなんかしない筈だ。

「俺は、お前の事をもっとよく知りたい」

そう言って、最後に交わった私の想いに応えるかのように冨岡さんは柔らかく笑った。あの信号が青に変わったら、私も伝えよう。

「私も、もっともっと冨岡さんの事が知りたいです」


夜に溶ける

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