「もう良いっ!別れる!」
安っぽいドラマのような台詞を最後に、家を飛び出して約10分。勢い余って別れを告げた自分の言動と行動に早くも後悔し始めていた。でもここで引く訳にはいかない。私にも女のプライドくらい持ち合わせている。
「……あ、電話」
華やかな国道沿いの大通りを1人肩を落として歩いていると、バッグの中のスマホが小刻みに震えた。まさか…と渦中の人物を頭に思い浮かべたけれど、いやいや。あの男に限ってそれはない。
「蜜璃ィイっ!もう今度こそ駄目かもしんないー!」
もしもしも無く、学生時代からの親友である甘露寺蜜璃に電話越しに泣きついた。とはいえ、これも毎度の事なので流石の蜜璃も「えっ!また!?」と少し呆れ気味だ。嗚咽を含んで泣き叫んでいる今の私は、この華やかな大通りの景色には相応しくないと分かっているけれど。
「私って…ほんっと面倒な女だよォオっ…!」
おいそれと泣き叫ぶ私に、電話越しに「落ち着いてっ!」と宥められた。いや、落ち着いてって言われても…もう何か自分が情けなくて恥ずかしくて色んな意味で落ち着けない感じだ。目尻に溜まった涙を指で拭っていると、ふと脳裏に大好きな彼を思い浮かんだ。結局私はどうやっても、あの男の事が好きで好きで堪らないみたいだ。
「仕方ない。今夜はネカフェか…」
あれから暫くの間、近くのカフェでキャラメルマキアートを飲みながら蜜璃に事細かく詳細を説明して、気付けばあっという間に閉店時間が訪れた。勿論そのまま留まる事は出来やしないので重たい腰を上げ、店を後にしてブラブラとその辺を1人で放浪している。因みに別れる宣言をしてしまった手前、最早帰る場所さえ無い状況だ。地元もここから遠いし、実家にも帰れない。
「えーっと、確かこの辺にあったような……あ。あったあった…!」
少し狭い道の端に、24時間営業のネカフェを発見。少々料金は高めだけれど、背に腹はかえられぬ。という訳で足を一歩踏み出したその時、再び手にしていたスマホが小刻みに揺れた。どうやら今度は電話ではなく、LINEの通知のようだ。
「………で、でたっ」
何となく見る前から嫌な予感はしていた。差出人は事の発端である奴からで、画面上には「おはぎ」とだけ表示されている。……お、おはぎ。買って来いってか!?いやでもコンビニに行けば売ってるか。でもその前にさっき別れる宣言してきたのに、このままノコノコおはぎを買って帰るのもどうなんだろう。流石にダサすぎない?
「よし。ここは見なかった事にし、」
「おい」
人通りが少なくなった時間帯だからか、背後から聞こえてきた声がやけに響いて驚いた。声の主からして、もう誰かは充分分かっているのだけれど、敢えて恐る恐るそこに振り返る。
「さ、実弥…」
「てめェ…そこで何してんだァ」
予想通り、そこに立っていたのは数時間前まで自分の彼氏だった実弥で。登場して早々額にぶっとい青筋を立てて此方を睨んでくる実弥にひっ!と肩を震わせた。こわっ!何処のヤクザ…!?
「て、あれ。何でここにいるの?実弥」
「…………いちゃ悪ぃかァ」
「いやいや、そーいう意味で聞いた訳じゃなくて…」
「…………」
実弥の姿をよく見てみれば、彼はお風呂から上がったままのようだった。いつもは髪を立てているけれど、今は全体的に髪が下がっていていつもより幼い顔付きだし、上は白のシャツに下は簡単なスラックス。スウェットみたいな完全なパジャマスタイルではないとはいえ、実弥にしてはかなり手抜きの服装だ。
「もしかして…私の事迎えに来てくれた、とか?」
「あぁ?」
「あっ、嘘です…すみません、調子に乗りました」
「……………」
平謝りを何度か繰り返して、さっさとこの場を立ち去ろうと踵を返しネカフェの自動扉へと向かう。中へ入ろうとしたその時、ガッ!と強い力で背後から肩を抱き寄せられて、そのままズルズルと実弥の腕の中に捕獲されてしまった。
「何処に行く気だ、てめェ」
「ど、何処って…行く所ないからこのネカフェに」
「ざけんな。誰が行かせるかァ」
肩を抱かれたまま、実弥は心底面倒臭そうに舌打ちをして自分が歩いてきた方向へと進路変更をした。途中、コンビニでしっかりと本来の目的であるおはぎの買い溜めまで済ませて、ついでに私の分のスイーツまで買ってくれた。そのまま家に戻って来て早々、実弥は不機嫌そうに眉を寄せて、ハァと重苦しい溜息をそこに吐き捨てた。
「………腹でも減ってんなら食え、それ」
「うん…」
「……………」
結局、元の場所に戻って来てしまった。いやあのまま本当に出て行ってしまったとしても、どっちみち一回はここに荷物を取りに来なきゃいけなかったから、避けては通れない道だったけれども。
「食べる?おはぎ」
「いらねェ」
「えっ、こんなに買い溜めしたのに?」
「……………」
じゃあ代わりに私が食べてあげるね。そう言い残して、ゴソゴソとコンビニ袋の中からおはぎを取り出してソファーの前のテーブルに置く。実は帰ってきて早々ちゃっかりお湯も作っていたので、熱々のお茶も準備出来た。一応2つ分お茶を用意して、背後のソファーに寝っ転がっている実弥の分もそっとテーブルの上に置く。
「ナマエ、」
「ん?」
「…………」
「えっ、なにさ。だんまりしちゃって…」
変なの。いや、一番変なのは私か。ついさっき別れる宣言をしてこの家を飛び出して行ったのに、今呑気におはぎを食べてるのって我ながら一体どういう状況だ。手にしているおはぎに齧りつこうと大きく口を開いた所で、背後から伸びてきた実弥の手によって動きを阻止されてしまった。
「え、なに。やっぱ食べる?」
「いらねェ」
「じゃあ離してよ、この手」
「やなこった」
「はー?」
何の嫌がらせ!?と声にしようとした瞬間、顔を反転させられて、ふっと目の前に影がさした。そのままいつもより倍の荒々しさで一気にキスをされて手にしていたおはぎがボトっと床に落ちる。
「んっ…ふ…、!」
息継ぐ暇もないまま、口内に実弥の長い舌がぬるっと侵入してきて舌先を絡め取られる。そのまま徐々にキスは深くなっていって不覚にも甘い声が出た。背中に廻った実弥の腕が上手い事私の身体を支えながら、ゆっくりと床に押し倒される。キスはまだ続いていて、2人だけの室内に、クチュクチュっと厭らしい水音が響き渡った。
「っ、急になにっ…!」
一瞬だけ緩んだ隙を見て、実弥の身体を押し返すように胸に手を当てては涙目で下から睨んだ。はぁ、と荒い息を吐きながらも無言のまま見つめ合う。実弥はケロっとした表情で上から私の事を見下ろしていて、毎度ながら読めない表情に正直少しだけ怒りが湧いた。
「もう…、何でいっつも私ばっかり…」
「…あ?」
「私ばっかり実弥にドキドキして…何かばっかみたい…!」
まるで独り言のように呟いて、よく分かんないけどそのまま涙が溢れ出た。要は私は実弥の事が好きすぎるのだ。独占欲だって人より倍以上だし、最早ヤキモチとかそんな可愛いもんじゃない。病に近いレベルと例えた方が良い。今日の喧嘩の原因だって、実弥の携帯に他の女の子からのLINEの通知が多すぎてイライラしすぎてこうなった訳だし。面倒で重い女以外の何者でもないのだ。
「じゃあお前が俺と別れる理由はねぇなァ」
「……うっ、」
「ナマエ、」
普段ぶっきらぼうな性格のくせに、実弥はこういう時だけ本当に狡い。いつもより何倍も甘い声で私の名前を呼ぶからだ。床に倒れていた私の身体をひょいっと抱き上げて自分の膝の上に座らせた実弥と、さっきより更に近い距離で向き合う。視線が重なりあった瞬間、実弥は眉を下げて、少し困ったような顔でふわりと柔らかく微笑んだ。
「本当、可愛いなァ。お前」
頬に手を添えて、私の事を愛でてくれた実弥の前でまたしても涙が溢れ出た。歳も何歳か離れているせいもあるのか、実弥の前では少し子供っぽくなってしまう。ひっくひっくと鼻を鳴らして、これ以上泣かないように我慢をして口を窄ませていると、それに気付いた実弥が「好きだ」と私を安心させるような低い声で耳元で囁いた。
「ほ、ほんと…?」
「本当」
「い、いい加減…っ、私に疲れてない…?」
「疲れてねぇわ。寧ろ毎日一緒に居て飽きねェ」
「…っ、じ、じゃあ…私の事……好き…?」
「あぁ、好きだ。今言ったろォ」
「……っ、実弥ぃ!」
我慢していた意味もなく、また一気に涙が零れ落ちてそのまま目の前に居る実弥に飛びつくように抱きついた。私も大好きだよ!と口にする私に、実弥は特にそれ以上何も言わなかったけれど、ヨシヨシと優しく頭を撫でてくれた。そのままお返しと言わんばかりの程良い腕の強さでギューっと抱きしめてくれて、それだけで私の機嫌はみるみるうちに治っていく。
「もう二度と、簡単に別れるなんざ言うんじゃねぇぞォ」
「……うん。ごめんなさい…」
「まぁ、」
「え?…っ、!」
そこで一旦会話が途切れて、再び実弥に一気に唇を奪われた。いつの間に行動に移していたのか、服の隙間から指を滑らせていた実弥にブラのホックをいとも簡単に外されてしまう。
「えっ、ゃっ…、」
締め付けが急になくなって、一人動揺をしていると実弥に顎を持ち上げられて「こっち向け」と指示された。言われるがまま実弥に視線を向けると、あのいつもの獣じみた表情にすっかり戻っていて、ニタリと口の端をあげている。
「もう二度と、別れるなんざ言わせねぇがなァ」
「!」
その言葉の意味を理解し、次の実弥の行動を読んだ私はスススと体勢を後ろに傾けて逃げようとしたけれど、そんな行動は無意味で後はもう想像通りの展開って奴だった。まぁ何はともあれ、なんだかんだ世のカップルって奴はこんな感じの痴話喧嘩を繰り返して愛を育んでいるものなのかも。
「実弥、ずーっとずーっと一生一緒にいようね!」
「重…」
「やっぱ面倒なんじゃん!」
なんて、そんな悟りを開くのは、まだ私には早過ぎるかな。
痴話喧嘩の攻防
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