※現パロ



初めてのキスは、ロマンチックなのが良い。

夕暮れの海をバックにさざ波とか聞いちゃって、そんでもって浜辺には2人しかいなくて、まるでこの世には彼と私しか存在してないかのような絶妙なシチュエーションで、そうして私はこう彼に告げるの。


『好きです。はじめて会った時から…ずっと、ずっと…!』


潤んだ瞳を彼に向けながら、きっと次に訪れるのは互いの重なり合った想い、視線。2人は徐々に距離を縮めていって遂に…!って、これよこれ。私が思い描いていた初キスって奴は。


「お前、本当間抜けな面してやがるな」


だから、ねぇ。誰か嘘だと言って。


「残念だったな。相手があいつじゃなくて」


ていうか、誰か時間巻き戻して。




未来予想図




「はぁっ!?キス!?」

「皆まで言うな!嫌!聞きたくない!耳塞ぐこれ!」

出たこれ!現実逃避案件!盛大に叫んで、バタっ!とその場に倒れ込んだ。青白い顔をして覇気のない顔を地べたに擦り合わせている私、ナマエ。花のJK。登場して早々瀕死状態なのには海よりも谷よりも深い訳がある。




「やっぱさぁ、初めてのキスは雰囲気が大事だと思うワケ。私」

「……………」

ドヤァ…!とでも顔に書いてあるようなふんぞり返った体制で、目の前の男に熱い演説を繰り広げる事約10分。それまでシレっと明後日の方向を見つめていた人相の悪いこの男は、次の瞬間、とんでもなく悪い顔をして私の発言に鼻で笑った。

「どこの少女漫画の主人公だ、てめぇ」

脳みそ底辺か。そう言って、手にしていたスマホに視線を下げて、冒頭から私の話に全く興味を示さないこの男にイラっとした。名前はトラファルガー・ロー。歳は私の二つ上。大学の講義終わりに道でバッタリ会ったローに、暇だからだと強制的にその辺の小洒落たカフェに連れられてきたのは、かれこれ1時間前の事だ。そして特にこれと言って話題もないので、仕方ないから私の恋愛の定義について熱く語ってやっているというのに、奴は何故か終始不機嫌なのだ。

だが残念ながら、この話にはまだ続きがある。

「話にならねぇな。帰る」

「ちょ!ちょーーっと待ったァア!だっ、だったらさぁ、ローはどうなの!?」

「あぁ?」

もの凄い勢いで踵を返したローのコートの裾を引っ掴んで盛大に叫ぶ。奴の獣のような鋭く強い眼力に一瞬怯んだが、それでも負けじとそのまま話を続けた。

「だ!だから…キス!ローは!?どうだったの…!?」

「………………」

「そうは言ってもアレでしょ!流石にローだって、初めてのキスは大好きな人とだったでしょ!?」

「………………」

「きょ、協力してよ…!私、今どうしていいか分かんなくて必死なの!」

初恋なの!(多分)

ゼェゼェ、ハァハァと矢継ぎ早に捲し立てて沈黙の時が訪れる。そもそも私は、真昼間から何故こんなお洒落なお店の中心で恥を晒しているのだろうか。……いや、敢えて今そこは触れるまい。

「やっぱ、サボ兄って彼女とか…いるのかな」

「……………」

「ねぇ、ロー。サボ兄について何か知らない…?」

「…………知らねぇ」

「そ、そっか。そうだよね!ごめん、急に…」

「………………」

自分でも分かる程の大きな大きな溜息をついて肩を落とした。サボ兄とは私の長い間恋をしている相手だ。歳はローより一つ上で、彼はローと同じ大学に通っている。同級生のルフィのお兄ちゃんと言う事で、自然な流れで出逢って秒で恋に落ちたものの、それから特にこれといった進展はなく今に至る。因みについでと言っては何だが、ローともその時たまたま出逢った。

「おい」

「え?」

引っ掴んでいた指を払い退けられて、その場で体勢が前にズレた。コケる!と思ったのも束の間、今度は腰に腕が廻って顎をクイっと持ち上げられる。は?とか思う暇もなく、次の瞬間、何故だか目の前には人相の悪いローの超ドアップと唇に謎の暖かい感触。パチパチ、と二回瞬きを繰り返して見上げたその先にあったのは、ゆっくりと顔を離して至極冷静な顔をしたローが立っていた。


「お前、本当間抜けな面してやがるな」


暫く店内は数秒間の沈黙が訪れた。そしてその1秒後、恐らく一部始終を見ていたであろう他の女性客達の悲鳴にも近い、ギャァァアっ!という黄色い声が店内全域に響き渡った。




「てな訳で、殺っていい?あいつを」

「ダメ。人としてそれはアウトでしょ」

「何故!てか!なーにが残念だったな!よ!あんの鬼畜野郎ぉぉお…!私の初キスを返せ!」

「まぁまぁ、そこはあれじゃない?仮にもあいつはイケメンだし良かったじゃない」

「良くない!全っ然良くない…!!」

嗚呼…っ!と、またもやそこで悔し涙が溢れ出た。なんっなのあの男!?何であんな邪魔するわけ!?もーヤだ。もー無理。絶望感に打ちひしがれている私を横目に、親友のナミは至極冷静に呑気にアールグレイを啜っていた。

「嘆いてる所悪いけど、あんた携帯鳴ってるわよ。さっきから」

「良い…無視する…」

「あっそ。折角大好きなサボからの電話だってのに?」

「もしもし!サボ兄!?急にどうしたの!」

2オクターブ声を上げて、速攻で電話に出た。恋する乙女なら当然のシフトチェンジだろう。落ち込んでいたのなんて何のその。さっきとは打って変わって正にテンションはうなぎ登りである。

「ナマエお前、来週末時間あるか?もし暇だったら来週うちの大学学祭があるんだけど良かったら遊びに、」

「行く!!!」

「はやっ!!」

即答した私の返事に、サボ兄はケラケラと楽しそうに笑っていた。つられて自然と私も笑顔になる。サボ兄の声、電話越しだと更にイケボで萌えるんだもん。はーっ、好き。

「んじゃ、チケットはトラファルガーに渡しておくから。あいつから受け取って来てくれ!」

「………………えっ!?」

「じゃ、また来週な!」

「えっ、ちょっ…!サボ兄!?ローとはちょっと今…!って、切るのはやっ!」

ツーツーっ…と、虚しい機械音が鼓膜に響く。そのままダランと耳からスマホを離して腕を下ろした。暫くの間放心状態だったが、再び青白い顔をナミに向けて無言のSOSを送る。笑顔で拒否られた。よーし、分かった。死のう!

『夜、お前んち行く。呼んだら出てこい』

そんな混乱状態の最中、届いたLINEの送り主は絶賛渦中の人物であるローからだった。いや、来なくて良い…私がローんちの近くまで行くからと震える指先で返事を返した。が!『黙れ。俺が行く』の一点張りのローからの返事にどっと謎の疲れが増した。




「さっさと出して、チケット」

「うるせぇな。それが人に頼む態度かてめぇ」

夜20時過ぎ。ローは宣言通り我が家にやってきた。いや、正確に言えば私の家の前までやって来た。当然だ。親に彼氏だと勘違いされては困るからだ。チっ!と、舌打ちをかましながら渋々ローと再会を果たした所まではまだ良いが、かれこれ5分。奴は一向に例のブツを出そうとはしない。……何故だ。

「おい、ちょっと散歩するぞ」

「えっ!ヤダ!」

「お前やけに薄着だな。まぁ、馬鹿は風邪ひかねぇから良いが」

「良くねーわ!ちょっと待っとけ鬼畜野郎!秒で上着持ってきてやらぁ!」

まんまと奴のペースに乗せられた私は、宣言通り秒でその辺に転がっていた上着を手にしてローの元へと戻った。何してんだ自分!とか普通に思ったけれど、そこは敢えて気付かないフリをした。だって、本当に馬鹿みたいじゃん、私。

「ねぇ、」

「あ?」

「…………」

ローと謎の散歩が開始して約数分。自分より少し前を歩くローの広い背中を見つめながら口にしようと決意したのは、今一番自分の中でモヤモヤしているあの話題だった。

「…………何で、あんな事したの?」

「………あんな事?」

「!だ、だからっ…!その、えっと…」

「………………」

思わず口籠る私をまじまじとローが見つめてくる。何とも気不味い空気の中、目の前に立っているこの男の表情はいつもながら読めなかった。……む、ムカつく。何でいつも私は、ローには絶対的に勝てない気がするんだろう。

「き、キス…!酷くない!?」

「……………」

「ロー、知ってるよね?私がサボ兄の事好きって…」

「……………」

嫌がらせするにしても、あれは流石に酷いよ。

そこまで口にして、俯き気味に視線を地面に下げた。通りすぎた冬の冷たい夜風がやけに身に染みる。でもそれ以上に胸が痛かった。泣きそうになっている私を見兼ねたのか、ローが一つ、小さく息を吐いて、私と物理的に距離を縮めてくる。ピタリ、と私の目の前まで辿り着いたローは、「そんなに嫌か」と小さく呟いた。

「……え?」

「あいつはやめとけ、どう考えてもお前に脈はねぇ」

「!わ、分かってるよそんなこと…!」

「分かってねぇ。お前、いつまであいつに夢を抱いてやがる」

「抱いてない!で…でも別にいいでしょ!?ただ自分が好きな分には…!」

「良くねぇよ。その分ただお前が馬鹿みたいに傷付くだけだろうが」

「……!そ、それでもいいもん!」

「おい、嘘つくな」

「嘘じゃない!良いもん別に!傷ついても好きだもん!」

「はっ…よく言う。ガキが」

「!ガキって言うなおっさん!」

「誰がおっさんだ、てめぇ」

互いに引かない言葉の応酬に、流したくもない涙が自然と頬に伝ってくる。脳裏に過ぎるのは、サボ兄の屈託のないあの笑顔だ。裏のないあの笑顔は、いつだって私を癒してくれる筈なのに。

「なんで…?」

「あぁ?」

「何で、ローはいつも私を振り回すの?」

「………………」

「………私、ローの事が分からない。ローが何をしたいのかも全然理解出来ないし、ローのやる事なす事意味不明すぎて頭パンク寸前だよ…!」

「ナマエ、」

「もう良い!ローになんて、出逢わなければ良かった…!」

ローなんか、大嫌い!!!

名前を呼ばれた時に掴まれたローの腕を振り払い、踵を返して来た道を引き返した。全速力で走りながら吐き出した白い息が空を彷徨う。私を癒してくれる筈のサボ兄の笑顔を脳裏に思い浮かべても、心の中でどれだけ想いを募らせても、その効果は得られなかった。


『いつまであいつに夢を抱いてやがる』


鋭いあの発言が、今の私には辛い。痛い所を突かれて、返す言葉が出てこなかったのも悔しいとしか例えようがないからだ。ローが口にするのは、ある意味いつだって正論だ。本当は自分が一番よく分かっているから、だからこそ余計に泣けてくる。

「そんな事、言われなくても分かってるよっ…!」

人通りの少ない夜道を駆け抜けながら、1人小さく呟いた。こんな夜は毎回決まって切ない想いが増す一方だ。結局その日の夜は、あまりよく眠れなかった。




「で?あんた結局どうやってこのチケット手に入れたわけ?」

「………ローから、郵便で家に届いた」

「なによ。なんだかんだ優しいじゃない、トラファルガー」

「…………」

ローと言い合いになったあの夜から1週間。気付けばあれよあれよと学祭当日。人混みでごった返す騒がしい喧騒の中に、私とナミの2人はその辺にあったキャンパス内の椅子に腰掛けて座っていた。折角お目当のサボ兄が構内の何処かに居るというのに、未だ私の心は晴れない。

「それもこれも全部ローのせいだ…!」

「はいはい、この前からそれ聞き飽きたわ」

掌をヒラヒラと上下に動かして右から左に受け流すナミは相変わらず男によくモテる。まるで隣にいる私が透明人間と化しているのか、私の事はないモノとしてさっきからひっきりなしに彼女はナンパされまくっていた。羨ましい事山の如しだ。

「おー、やっと見つけた!」

「!…さ、サボ兄!?」

「来てたんなら連絡しろよ、水臭ぇなお前」

このくそ寒い中、友人と肩を並ばせて何故かアイスを口にしながら登場したサボ兄に対してピン!と背筋が伸びた。謎の直立不動にサボ兄は「相変わらずボケーっとしてんな」と楽しそうに笑う。……嗚呼、癒されるぅうう!久々のサボ兄やばい!惚れる!いやとっくに惚れてた!とか、訳の分からん事を考えながら目は一気にハートマークになった。す、好き…!

「あ、てかちゃんとトラファルガーからチケット貰えたみたいで良かったな!あいつ自分がナマエに渡すからって聞かなくて内心大丈夫か?とか思ってたんだけどよ」

「…………えっ、」

「あいつも素直じゃねぇからなぁ。本当は一番お前に来て欲しかったのはあいつかもな!」

ははは!と爽やかに笑うサボ兄。いやいや、それはない。と、冷静に返事をしたが「照れるな照れるな!」と流された。全く照れてはいないが、もっぱら空気が読めないサボ兄に対して思わず苦笑いがこぼれてしまう。

「ナマエ。あんた今、正に絶好のチャンスなんじゃないの?」

「……………え?」

「想いを伝えるんなら、これ以上に最高のシチュエーションはない筈よ」

「!」

大勢のナンパ野郎共を払い退けて、こっそりと耳打ちをしてきたナミがナイスな提案をしてきた。そ、そうだ…!次にサボ兄に会えるのなんて何か理由をつけなきゃ会えないんだから、今というチャンスをうかうかと逃す訳にはいかない…!(例え周囲に人が無駄に大勢いようとも!)ナミの後押しに遂に決意を固めた私は、目の前に居るサボ兄の顔を見据えたままグッ!と一人拳を握る。

「サ!サボ兄…!」

「ん?」

「実は私…!ずっと、ずーーーっと前からサボ兄に伝えたい事があって…!」

「うん?」

「よ、良かったら!今ここで話を聞いて貰えないかな…!?」

「何だよ、あらたまって。……あ。あれか!俺に何か奢ってほしいんだろお前ー」

「ち、違う…!」

どうした急に真剣な顔して。あ、腹でも痛ぇのか!

全くもってトンチンカンな発言を繰り返すサボ兄を真正面から真っ直ぐと捉えて、ふぅと大きく息を吐き出した。心臓が無駄に早鐘を打っていてドキドキと煩い。ずっと好きだった。初めて出逢った時から。子供扱いをされても、恋愛対象に入らなくても、それでも側に居る時は決まって嬉しくなった。

『弟を宜しくな』

そう言って、穏やかに笑うサボ兄の優しさに何度も何度も惹かれた。だからこそ今ここで、出逢えた奇跡と感謝の気持ちを彼に伝えたい。

「サボ兄、あのね?私…ずっと、」

「……………ずっと?」

「ずっ、ずっと前から私…!サボ兄の事…!す、」

「サボー!!」

意を決して伝えようとしたその言葉は、サボ兄の背後から現れた女性の声にかき消された。決定打を見事空振りされて、口に仕掛けた台詞を唾と共に喉奥底へと飲み込む。ゴクリ、と喉が鳴ったと同時にその女性の細い腕はサボ兄の腰回りへと絡みつき、「もー!急に居なくならないでよ!」と、少しスネ気味に頬を膨らませてサボ兄をジトっと睨んだ。

「悪ぃ悪ぃ。いやー、なんか急にアイス食いたくなってよ。店探してる間に上手い事お前とはぐれたみたいだな」

「上手い事じゃないよー!もーめっちゃ探したんだから!」

やんややんやと他愛もない会話を繰り広げている二人を交互に視線を向けて、呆然とする。どうやら私の後ろで事の次第を見守っていたナミも「まじ?」とか何とか呟いてありきたりな感想を口にしているようだった。

「あ、ごめん!私邪魔しちゃった?ご、ごめんね…!」

「そーだぞお前ー。空気読めアホ。折角俺の妹が何か俺に伝えようとしてくれたのによ」

「わー!ごめんね!違う違う!わざとじゃないの!わざとじゃ…!」

「いえ、別に大丈夫です。……大した、話じゃなかったので」

「ちょっとナマエ!」

「サボ兄、」

「ん?」

腰回りにある彼女の細い腕を握り返して、もう片方の腕を仲良さげに女性の肩に回しているサボ兄に、ニッコリと微笑み返した。

「………もしかして、彼女?」

「ん?あぁ、そう。一応な。…あれ、俺ナマエにまだ言ってなかったっけ」

「ちょっとー!一応って何よ!一応って…!」

「るせぇ!恥ずかしいだろ!普通に認めたら!」

「何だとー!?」

ギャアギャアと痴話喧嘩を始めた二人に、仮面を貼り付けたような笑みを向けて口を開いた。出てきたのは勿論、それこそありきたりな台詞だ。

「お幸せにね!」

そうとだけ言い残して、その場で踵を返した。背後でナミが私の名前を叫んでいる。だけどそんな事を気にする余裕は今の私にはなかった。徐々に早まる足の速度に、それに比例して涙が横に流れていく。最早処理しきれない沢山の情報量に、痛む胸。それを抑え込むかのように拳を胸に突き立てて全速力で走る私の腕を、角を曲がったと同時に誰かに掴まれた。

「!ロ、ロー…!」

「………だから言っただろうが。あいつに夢を抱くんじゃねぇと」

「うっ、…っ…!」

「馬鹿が…こっちに来い」

「っ…」

チっ、と不機嫌そうに舌打ちをしたローに腕を引かれて、言われるがままローの後ろを歩いた。一番会いたくなかった男の登場に、どこか冷静な自分が逃げて!と警告音を鳴らす。けれども現実はただ馬鹿みたいに泣きじゃくっている私が居て。子供みたいに目を腫らしながら、自分より少し前を歩くローの背中をぼんやりと見上げては、また少し泣きそうになった。




「食え」

「……………」

あれからローに連行されてたどり着いた先は、使われていない空き講義室だった。明らかに元気が無い私を一旦そこに放置して、戻ってきたローの手には何処かの模擬店で売られているであろうクレープがあった。それをずいっと目の前に差し出されて、言われるがままそれを手にして視線を向ける。

「チョコバナナクレープ?」

「お前、好きだろ。それ」

「うん…」

「なら食え。ついでにコレも買ってきた」

はぁ、と小さく溜息を吐きながら、ローはもう片方の手に抱えていたタピオカドリンクをドン!と机に置いた。今度は無言で首を縦に振り、差し出されたタピオカにも手が伸びる。まるで何かに引き寄せられるように一度タピオカを口に含み、そしてクレープにもかじりついた。…………美味しい。

「美味いか」

「うん…」

「なら良かったな」

「………うん」

珍しく素直な反応を繰り返す私に一瞬目を丸くしたローが、少しだけ優しく笑ってくれたような気がした。何にも聞かないんだね。そう口にしたかったけれど、今それを言ってしまえば再び涙が溢れてくるのは分かりきっていたから敢えて何も口にはしなかった。

「ローってさ…案外優しい所あるんだね…」

「馬鹿言え。俺はいつも優しいだろ」

「そーだっけ!?」

「何か反論でもあんのか」

「いえっ…!ありません…!」

「なら良い」

コートのポケットから取り出した煙草を口に咥えて、ローは珍しく楽しそうに笑っていた。そのまま私から離れて、外の廊下に配置してある喫煙所へとローが移動する。

「ねぇ、」

「あ?」

「いつから知ってたの?」

「何が」

「何がって…サボ兄に彼女がいたこと」

「……………」

タピオカをズズーっと吸い上げて、少し離れた場所で腰掛けているローに質問を問いかけた。此方からはローの後ろ姿しか見えないから表情は上手く読み取れないけれど、陽の光がローの背中を射していて、ただ単純に綺麗だなと思った。

「初めからだな」

「………えっ!まじで。何でそれを先に言ってくれなかったの?」

「言えるか。言ったらお前が余計に傷付くだけだろうが」

「……………」

「まぁ、それとなくお前には注意を促してはいたがな」

「……あ、だからか。この前あんな風に言ってたのって…」

「……………」


『あいつはやめとけ、どう考えてもお前に脈はねぇ』


まるで足りないピースが穴埋め出来たかのように、疑問でしかなかったあの時のローの発言が一気に附に落ちた。言い方がぶっきらぼうで、言葉足らずのローだからこそのあの発言だったのだろう。

「………ありがとう、ロー。あの時はごめんね…」

「別に…気にしてねぇ」

「うん、でも今謝りたいと思ったから…」

「………………」

「ローに…出逢わなければ良かったなんて、嘘だよ」

「………………」

「大嫌いも嘘。本当にごめんね」

相変わらず表情が読めないその後ろ姿に向かって、改めて深々と頭を下げた。よく考えてみれば、ローはいつだって優しかったのに。自分の事しか考えてなかったのは私の方だ。

「てかさ、私ってほんっと馬鹿みたいだよねー!そもそもサボ兄にとって私は恋愛対象外なのに…!」

「……………」

「いやー、早まって告らなくて良かった良かった!危うく大勢の人の前で大恥をかくところだったよ」

「……………」

「はー…本当、……まじで、バッカみたい…っ…」

そこで、遂に我慢の限界が訪れた。暫くの間現実逃避していたそれが勢いを増して自分へと襲いかかってくる。それと同時に思い出したくもないサボ兄とあの女性とのツーショットを脳裏に思い浮かんでは、頬に冷たい滴がこぼれ落ちた。

「………けっきょく、サボ兄には…本当の気持ちっ、い、言えなかった…っ、」

「………だな」

「…っ、で、でも…!言わなくて良かったって…思ったのも…事実で…っ、」

「あぁ…」

「……す、好きって…!い、言えなかったけど、……でもっ…、言いたかった…!」

「……………」

「…っ、ほ、ほんと私…バカみたいっ…、」

矛盾してる。

そう小さく呟いて、わぁぁあん!と玩具を取られた子供のように泣き叫んだ。ローは、何も言わなかった。暫くの間、そこでグズグズと泣いている私に振り返ったローが、吸い終えた煙草の火を消して私の元へと辿り着く。そうして彼は、困ったような表情でポンと軽めに掌を私の頭に置いた。

「ナマエ、泣きたい時は我慢せずに泣け」

「………っ、うん、」

「泣くだけ泣いてスッキリしたら、お前は必ず次に進める」

「……そう、かなぁ…っ、」

「あぁ、俺が言うから間違いねぇ」

「なにそれっ…、変な理屈っ…」

黙れガキ。口ではそう雑に返事をするくせに、頭に乗せられたローの手はとても優しかった。ヨシヨシ、と宥めるように頭を撫でてくれて、少し冷静になった私が目の前に居るローへと見上げる形で視線を向けた。重なり合った互いの視線。少し解放されている窓の隙間から冬の冷たい北風が私達二人を包み込む。

「…………さっきよりは落ち着いたか」

「うん…」

「……………」

「……………」

そこでふとある事を思い出した。よく考えてみれば、私はローとキスをしたんだと。あの時は怒り狂ってあんまり深くは考えなかったけれど、よくよく思い返してみればえらい事をしでかされたんじゃないかと。……あれ。何でだ。急に顔が熱い…!

「食わねぇのか、それ」

「……………えっ!?」

「いらねぇんならくれ。俺が食う」

何だかよく分からない感情が行き交う中で、ローは普段通りのテンションでそう言った。勿論、さっきとは違う混乱状態な私なので、特に何も考えずに言われるがまま手にしていたクレープを「はい」と素直に渡す。

「甘ぇな…」

「クレープだからね…」

「生クリーム入れすぎだろコレ。作った奴は相当頭が悪いな。どう考えても配分が可笑しい」

「そんなクレープ博士みたいな事言われても…」

「あぁ?」

そんな馬鹿みたいな研究してる奴いるか。ローが大真面目にツッコミを入れるもんだから、思わずブハっ!と笑いが溢れた。ローって、頭良いくせにたまに変な事口にするから笑える。

「なんだ、笑えるんじゃねぇか」

「え?」

「お前、笑ってた方が良いぞ。元々素材は良いし、悪くねぇ」

「…………」

相変わらず「甘ぇ」と文句を言い続けているローが、目尻を下げて優しく微笑んだ。そして何故だろうか。何か…一瞬ローがやたら眩しく思えたのは。

「最後の一口、やる」

「………えっ!あ、うん…」

「口開けろ」

そう言って、目の前に伸びて来たローの腕の行方を無意識に目で追った。どこか夢見心地な気分の私に鞘を打つように、「おい」とローがいつものように私を呼ぶ。

「あーん…」

「するか、アホ」

「えっ、今のってそういう流れじゃないの?」

「あぁ?バカ、違ぇ。言っとくが、やるんなら俺は正攻法だ」

「え?」

ローの言ってる意味が分からなくて、文字通りキョトンとしていたら、ふと顔に影がさした。彼は手にしていたクレープをまさかの自分の口に放り込み、「あーっ!」と私が悲痛に叫んだ瞬間、一気に唇を塞がれた。

「んっ…!」

それは、あの時のキスとは全然違う。甘くて、優しいキスだった。ちゃっかり口内に舌を入れてきたローの行動に、思わず目がトロンとしてきてしまう。生クリームとチョコの甘い味。背中に廻る大きな腕。耳元に触れる温かい指。まるで何かの恋愛ドラマの主人公みたいに、自分はローに大切に想われていたのだと確信する。

「………まだ伝える気なんざ、さらさら無かったが」

「ロー…、」

ゆっくりと、私から顔を離したローと至近距離で目と目が合う。藍色の強い瞳が、私を離すまいと引き寄せているようで、思わず酸欠に近い状態でクラクラとした。


「お前を幸せにしてやれるのは、俺しかいねぇ」


そうハッキリと、まるで今後の未来を見透かしたかのようなローの発言に、私の胸はドキっ!とする。心拍数も馬鹿みたいに増していくのが分かって違う意味での冷や汗さえも覚えた。そして同時に、何故か一瞬2人の未来までも見えたような気がした。

「一度手にしたら、俺はお前を離す気はねぇ」

硬直状態の私の左手を握って、ローは再び強い眼差しを私に向けた。そのまままるで何処ぞの王子様のようにわざとリップ音を添えて、彼は口の端を上げて不敵に笑う。


『長期戦の始まりだ』


本当に、その通りかもしれない。心の奥底で一人呟いた。長期戦だとローは言うけれど、きっと、そう遠くない未来、私の隣にはローが居る。

そう、不思議と確信して止まない、ある昼下がりの出来事だった。

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