※現パロ


男なんて、到底一人になんか絞りきれないと思った。そもそも女にとっての幸せの定義とは、一体何を意味するのだろうか。

財力?ルックス?性格の良し悪し?はたまた身体の相性?

そこまで思考を巡らせて、私は手元に置いてあるカップへと口付ける。その暖かな温度とコクのある苦みに少し感傷的になりつつも、喉奥底へとそれを勢いよく流し込んだ。季節は春。今年もこの場所から見る桜はとても綺麗だ。……あぁ、そういえばあの時あの男はこんな事を言ってたな。『桜は早々と散りゆくから良いのだ』と。『人間も花も同じ、人生には限りがあるから、人はそれに有り難みを感じ、そしてそのおかげで尊く感じるものなのだ』と。



とある女と、とある男の話



「ねぇ、さっきからちゃんと私の話聞いてる?」

週末の金曜日。大都会のど真ん中に位置するお洒落な居酒屋にて、一つ大きな溜息を漏らす。はぁ、とこれ見よがしに盛大に不満をアピールしたというのに、目の前に座る男の表情と指の動きは未だ一向に変化は見えずにいた。

「ねぇってば…!」

いよいよ怒りも頂点に達し、ついには派手な音を立てつつもバン!とテーブルに拳を突き落とす。でもそれでもなお男は此方を一切見ようとはしないので、瞬時に右腕を伸ばして、男が手にしているスマートフォンを前から奪い取った。

「あーもう!何すんだよお前!」

「だから私の話ちゃんと聞いてってば!さっきから何質問しても、うん、しか言ってくれないじゃん!」

「聞いてるって!だから返事してんだろ!」

「だったらもうちょっと違う反応ぐらい返してよ!何かさっきから私一人が喋ってて馬鹿みたいじゃん!」

彼とこうして会うのは約2週間ぶりの事だった。久々のデートという事もあり、朝から気合いを入れて髪のブローから厭らしくない程度のスカートの丈、そして上品且つ嫌味っぽく見えないレベルのメイク。そのどれもこれもを全面自己プロデュースして来たというのに、一体全体これはどういう事だ。仕事終わりに駅で待ち合わせをして、その間何度も何度も彼に「可愛い」と思わせる為に鏡の中の自分と睨めっこまでして来たというのに、そんな私の期待をいとも簡単に裏切り、「じゃあ行くか」の、たったそれだけの言葉で冒頭のやりとりを終えてしまった。

「……俺、ちょっとトイレ行ってくる」

何とも言い難い気まずい空気が流れる中、最愛の彼氏は至極面倒臭そうにそう呟いてその場を逃げるようにそそくさと席を外して行った。………もう終わりだ、完全に。この半年間、初期の頃のような相思相愛感は微塵も感じられない。会えばいつも喧嘩、それを誤魔化すように夜彼に抱かれても、私の中の空虚感は何一つ埋まる気配はない。

「何時からこうなったんだろう…」

まるで何かのドラマの台詞のように、溜息交じりにぼそっと独り言を呟いた。そのまま流れるようにバッグの中から長財布を取り出して、いつもより多めの金額をテーブルに置き、そしてその場に腰を上げて店の出入口へとヒールを鳴らした。

「ありがとうございましたー!」

ニコニコと営業スマイルを振りまいて、店を後にしようとする私にお礼を伝えて来た店員に対し、「どうも、美味しかったです」と簡潔な言葉を添えて店の扉に手を掛ける。そうして外気の冷たい風に目を細めて早々、その場でぼんやりと夜空を見上げた。大都会の中で見上げた夜空は何ともいびつに街を覆い包んでいて、当然のようにネオンの光に埋もれているせいか、お目当ての星は一つも見えやしない。

「…………ばっかみたい」

そう、馬鹿みたいな話だ。少々自慢っぽくはなってしまうが、生まれてこの方男関係に関して、大してそんなに苦労なんかしてこなかった。出会って数秒で互いのフィーリングとルックスの善し悪しの判断。そうして次の瞬間にはお得意の決め顔でニコニコと愛想を振り舞いては、大抵の男をいとも簡単に物にしてきた。でも結局それだけ。それ以外は特に何も得る物なんて一つもなかった。そのせいか、相手を手にするのは容易くともいまいち中身が伴ってない私の恋愛はどれもこれも似たり寄ったりで。結局の所はいつも同じ場面で躓いてばかりだった。

「何か言ったらどうなのよ!?」

そんな自論を脳内に思い描いて、大きな溜息を一つ溢した、その時だった。

「私の事もう好きじゃないって事!?ねぇ、何さっきからずっと黙ってるの!?何か答えてよ、ロー!!」

もはや今日する事なんてないし、さっさと家に帰ろうと踵を返したその瞬間聞こえてきた、とある女のヒステリックな叫び声。大抵の声はこの喧騒の中へと消えていく運命なのに、それでもその女の叫び声はこの大都会の中では珍しい程の注目を浴び、ましてやその中でひときわ目立っていた。………なんか、さっきの私みたいだな。

「ねぇ…お願いだから何か反応してよ。私…ローが居なきゃ駄目なの、死んじゃう」

「……………」

まさに悲劇のヒロインみたいな台詞を吐いて、ぐずぐずと涙を拭う女の前に気怠そうに立つ男。その男は壁に寄り掛かり、腕を組んだままその女に対して冷めた視線を向けていた。帽子を目深く被っているからいまいち詳しい表情は読み取れないが、でもそれでも何となく男が醸し出している雰囲気で分かった。

「…………うぜぇ」

「え…?」

その時、ようやく女が待ち望んでいた男からの反応があり、悪いと思いつつもついついその声に耳を傾ける。

「うぜぇって言った、今お前に。何が俺が居なきゃ死ぬ…だ、笑わせんじゃねぇ」

「ロ、ロー…」

「そもそも何だ、お前。いつから俺の女になった。勝手に勘違いして喚いてんじゃねぇよ、黙れ」

「……!!」

女の期待を見事なまでに裏切り、そして当然のように「失せろ」と男は口にする。そのオーラと空気感は何とも言い難い程の冷徹さに包まれていて、何にも関係ない自分までゾ!としてしまうぐらい、それはそれは辛辣な返事だった。……あぁ、見てるこっちまで悲しくなっちゃう。二人の関係がどういう物なのかは全く知らないが、でもそれにしてもこのやりとりはかなりのレベルで深刻な状況だと思う。

「ロー、で、でも私…!」

「おい、2度も言わせんじゃねぇよ。失せろ、俺は今そう言った」

「……………」

「さっさと行け」

まるで犬を追い払うように、顎で指示を出した男に思わず眉を寄せる。…ちょっと、流石にそれはないんじゃない?あんた達がどういう関係なのかは知らないけど、でもそれにしたってその偉そうな態度はないだろう。ていうか何様のつもり?

「………分かった、じゃあね」

ぷるぷると二人の側で怒りに震える最中、女は心底悲しそうにその場を去って行った。きっと、あんなにも冷たい言葉を投げ掛けられてもなお、彼女はあの男の事が好きなのだろう。じゃなきゃ何も反論せずにその場を立ち去る訳がない。

「で?」

「…………え?」

「誰だてめぇ」

一連の流れを目で追い続けていたその時、低音ではあるがとても綺麗な声を持つ男から鋭い視線を浴びせられた。……いや、浴びせられたというよりは捕まった、と例えた方が正しいかもしれない。どっちにしても予想だにしてなかったその展開に、一瞬でパニック状態へと陥ってしまった。

「…………いや、あの、」

「覗き見とは良い趣味してやがるな。さぞかし楽しかった事だろう、あの女と俺のやりとりが」

「私、別にそんなつもりは…」

「まぁ良い、ちょっと付き合え」

「………………は?」

そこまで口にして、男は壁から身を離し、小さく舌打ちをして何処か別の場所へと向かって行く。対して私は、その男が発した予想外すぎる誘いに未だ脳内はパニック状態となっていて、その場にポカンと棒立ちしているままだった。

「おい…さっさと歩け。置いてくぞ」

「あ…は、はいっ…!!」

何が何やらちんぷんかんぷんのまま、男に急かされて即座に動きを再開させる。その広い背中をぼんやりと見つめつつも男に連れて来られたのは、丁度真向いに位置する雑居ビルの3階だった。互いに無言のままエレベーターに乗り込み、そしてチン!と行き先を告げる到着音。そのまま勢いよく扉が開いて、前を歩く男にまたもや「早くしろ」と急かされる。いや、あの…あなたの脚が長すぎるんです。とは、流石に反論出来なかった。





「お前、男は」

あれからある程度時は経ち、互いの自己紹介を終えて今に至る。彼に連れて来られたこのバーは、外観は少々いびつではあったが、中に入ってみると狭いながらも中々お洒落な作りで味のある雰囲気が漂っていた。お酒の種類もつまみの種類も意外に豊富だし、穴場と言えば穴場な感じだ。

「丁度さっき喧嘩して来たところ。そっちは?…って、あれか。ローもさっき彼女と喧嘩別れしてたね」

「別に彼女じゃねぇ。ただの彼女気取りの馬鹿な女だ」

「あ、そう…」

花の週末だというのに、店内には私と彼の二人と、カウンターに一人だけ仕事帰りのサラリーマンが腰掛けている状況だった。店の店員も一人だけだし、ぶっちゃけ傍から見たらこの店やる気あるの?って感じだ。まぁでも別に、結構こういう感じの雰囲気嫌いじゃないから良いけど。

「にしてもあれだね、ローっていつもそんな感じなの?」

「あぁ?」

「さっきの子、泣いてたじゃん。悪いけど、あれは傍から見たら誰がどう見ても100発100中ローが悪く見えるよ」

「はっ…周りなんざ関係ねぇな。あの女が勝手に喚いて、勝手に去って行った。ただそれだけの事だろ」

「いや、あんたが失せろって言ったからでしょ…」

確かに、それは一理あるな。とか何とか言って、煙草を燻らせつつもローはくすくすと不敵に笑う。一体何がそんなに楽しいのかこっちとしては少々意味不明だが、まぁ別にそれ以上深入りする必要もないので、「ま、別にどっちでも良いけど」と適当に相槌をうった。

「お前の方こそ何で男と喧嘩した。良いのか、こんな所で暇を弄ばせて」

「そうね、じゃあ慰謝料。見知らぬ男に拉致られた、可哀想な私に一つ宜しく」

「はっ…言ってろ」

そう言って、ソファーに隣合わせに座っている私達は互いに笑い合う。どうやら見た目とは違って、この男に冗談は通じるらしい。何だかつい何十分か前まで絶望を感じていた自分が嘘みたいだ。この男、結構話合うかも。勿論、ただの知り合いとして、だけど。

「案外気が合うのかもな」

「え?」

「俺とお前」

「…………」

そこで何故か互いに無言。何が一番驚いたかって、たった今自分が考えていた内容を、この男が口にしたからだった。

「奇遇ね、私も今そう思ってた」

「だろうな。俺も何となくそう感じた」

「これも何かの縁かもね。正に一晩限りの恋、的な」

「あぁ、じゃあ試してみるか」

「え?」

そこまで口にして、ローは勢いよく煙草の煙を吐き、その綺麗な藍色の瞳でじっと私の目を捉えて視界の先へと入れた。そのまま慣れた手付きで私の頬に手を添え、そうしてスルリと一回、目元を撫でる。

「一晩限りの恋、なんだろ」

ぶっちゃけそこから先は早かった。完全に火を消し終えたローのもう片方の手が私の後頭部へと即座に回り、その端正な顔が近付いて来たと同時に重なる唇。幾ら人が少ないからと言って、何やってんだお前等って感じだけど、でもそんな事いちいち考えてられない程目の前の男のキスが気持ち良くて、そしてまた心地よくて本能に従うままにその身を委ねた。

「場所変えるか」

キスの合間、予想以上に上手かった奴のテクニックにとろんとした目つきで視線を送る私に、悪そうな顔をしてお決まりの台詞を吐いたローが耳元で囁く。それに二つ返事で返して向かった先は、それこそ正にお決まりの展開で。結局理性に負けた私は、その夜、散々彼に抱かれるだけ抱かれ、そうして次に気付いた時には二日酔いも伴った目覚めの悪い朝を迎える羽目となってしまった。

「…………やってしまった」

まず始めに出て来た言葉はそれだ。そう、やらかした。やらかしまくってしまった。仮にも自分は辛うじて彼氏が居る立場のくせに、だ。完全にミステイク以外の何者でもない。

「…………今何時だ」

その少し掠れた声にビク!と肩が跳ねる。そのまま視線だけそろりと横に落とすと、カーテンの隙間から漏れる太陽の光に眉根を寄せ、如何にも朝に弱いって感じのオーラで目元に腕を乗せる男の姿がそこにあった。

「8時…」

「朝のか」

「そりゃそうでしょ。それ以外に何があるっていうの」

「同感だな」

そう言って、ようやくその場に身体を起こし、そのままサイドテーブルに置いてあるミネラルウォーターを一口、口に含んだローが寝ぼけた顔で笑う。何だかそのミスマッチな光景に一気に現実を感じ、そして一つ大きな溜息を溢した。

「チェックアウト何時だったっけ、ここ」

「知らねぇ。まぁまだ余裕だろ」

「私先に出るわ。今日これから友達と予定あるんだよね」

「奇遇だな、俺もだ。先にシャワー浴びる」

「どーぞ」

先に浴びる、と宣言した割には全く焦る様子もなくローは煙草に火をつけて気怠そうにスマホに手を伸ばした。そのまま淡々と指を上下左右にスライドさせつつも、「おい」と画面に目を向けたまま声を掛けられる。

「なに?」

「一応言っておくが、この状況は俺にとっちゃ何でもねぇ事だ。お前の性格からして心配なんざしてねぇが、くれぐれも勘違いだけはするなよ」

「あぁ…はいはい、分かってますよ。それこそ私なんて一応彼氏がいる立場なんだから逆に何にもなかったっての方が助かるから。心配しないで」

「話が分かる女だ、悪くねぇ」

「私も。ローみたいなさっぱりした男は大好きよ」

そう言って、互いに口の端を上げて笑い合う。さて、とりあえず何時までもこうしちゃいられないから起きるか。そう考えて勢いよく布団を剥ぎ、床に散らばっていたバスローブを着てカーテンを左右に全開する。

「わ…!綺麗…!」

「あ…?」

カーテンを開いたその瞬間、飛び込んで来た目の前の景色に私の目は大きく見開き丸くする。どうやらその私の声に何事だと疑問に思ったローも同じく此方に視線を向けてくれたようで、その少しお惚けな顔と素っ頓狂な声に笑えてしまったのは彼には内緒だ。

「ロー見て、桜…!綺麗だね!」

「あ?…あぁ、もうそんな時期か」

「何か狭い敷地内にあるのはちょっと窮屈そうだけど、でもそれでも綺麗じゃない?うわー、地味にテンション上がるー!」

「単純だな、お前」

そう言って、少し呆れ気味に笑ったローの顔はとても優しい表情だった。未だにベッドに身体を預けた状態ではあるが、どうやらローが座るその位置からもはっきりと桜の姿は確認出来たようだ。

「でも桜ってさ、綺麗だけど見てて結構切なくなるよね」

「あ?」

「だってさ、綺麗に咲き誇るのはほんの一瞬じゃん。雨とかにも弱いし…んで次に気付いた時には大半が散ってたりして…だから何か切ないなぁって、思って」

「……………」

はぁ、と謎の溜息を吐いて近くに配置してあるソファーに腰掛ける。そのまま引き続きぼんやりと窓の向こう側に視線を向けていると、「だが、それが良いんじゃねぇか」と背後からローの低い声が降り注いだ。

「え…?」

「桜にしろ何にしろ、そういうのは早々と散って行くから良いんだろ。よく考えてみろ、例えばずっとそこに変わらず咲き誇っていて、永遠とその場所に留まっているとしたならどうだ?人は誰しもその花に尊さや有難みは感じねぇだろ」

「…………」

「咲いて、散って、また蕾を膨らませて再び返り咲く。だから良いんだろ、花なんてもんは」

人間も花も同じだ、人生なんて物は限りがあるから良いんだろ。

そう言って、ローは加えていた煙草を灰皿に擦りつけてベッドから身を離した。そのまま軽くその場で背伸びをして、シャワー室へと姿を消す。そんなローの動作を目に入れつつも、「確かに…」と一人その場所にて呟いた。

「限りがあるから良い…全くその通りだわ」

シャワー室からは、キュ、と蛇口を捻る音が鳴り響いていた。それに負けじと、んー!とその場に背を伸ばす。そして次に行動に起こしたのは、スマホのカメラを起動し、パシャ、と一つその色鮮やかな桜をシャッターに収める事だった。たった一枚、画面に映るその桜は現物と劣らずとても綺麗で。何だかその美しさを前に、私の中でずっとモヤモヤしていた悩みが一瞬で何処か遠くへ吹き飛んで行ってくれたような気がした。

「……ありがとう、ロー」

それだけ言い残して、そそくさと適当に準備を終えて部屋を後にする。地上へと足並みを揃えて見上げた空は晴天で。そこにあったのは、昨晩とは違う晴れ晴れとした景色と私の心だった。その綺麗な青空の真下で、再びバッグの中からスマホを取り出し、LINE画面を起動する。


『今まで有難う。さようなら』


そこに打ち込んだメッセージは、ここ最近ずっとモヤモヤしていた原因の彼へと向けた言葉だった。そして流れ作業のように、彼の番号とアドレスを一気に消去してその場でにっこりと穏やかに微笑む。

「あースッキリした!良い夜だったな」

最後にもう一度だけ空を見上げて、目を細めた。今日はきっと良い日になる。…ううん、今日だけじゃなくて明日も明後日もこの先ずっとずっと、私の人生はあの桜のように何度だって咲き誇れる。…そう、ローが私に教えてくれたように。

「帰ろ」

ようやくその場に踵を返して家路へと向かう。コンクリートにヒールを鳴らして、凛とした姿勢で前を見据える私は中々良い女じゃないか。そんな馬鹿な事を考えつつも、駅方面へと向かう。お互いたまたま出会って、たった一晩だけの過ちだったとしても、でもそれでもローには感謝感謝だ。きっと、この先何があっても今日の事は絶対忘れない。不思議と、そう確信して止まなかった。





「ありがとうございましたー!」

あの日のように、ニコニコと愛想笑いを振りまいたカフェの店員が私に向かって感謝の言葉を告げた。そしてまたお決まりのように、「どうも、美味しかったです」とお礼の言葉を添えて、カフェから対角線上に位置している桜の前へと徐々に徐々に距離を縮める。

「…………もうあれから1年経ったのかぁ」

そんなしみじみと切ない独り言を呟いて、目の前に咲き誇る桜をぼんやりと見上げた。そよそよと春の心地良い風が何度も何度も吹き抜けては過る、あの隈の濃い男の顔。

「ロー、元気にしてるかな…」

あれからローとは再会する事は一度も無かった。…まぁ、当然と言えば当然だ。連絡先だってお互いに交換していないし、ましてやあの男が何処に住んでいるのか、はたまた何をしている男なのかさえも知らない。本当に言葉通り、一晩限りの恋。正にそれにうってつけの相手だった。

「さて、行くか」

何かを振り払うようにその場にて勢いよく踵を返す。でもそうして真正面に向けたその先にあったもの。…というか、そこに立っていた人物に、思いもよらず見事に目が点になってしまった。あの時と同じだ。開いた口が塞がらない。

「……やっぱり桜は早々と散るから良いな。こうして同じ季節に返り咲いては凛とした姿勢で何度だって人生を立て直す。お前によく似てるかもな」

「ロー…」

なんで。その言葉を口にしようとしても不思議と声は出ない。代わりに溢れ出てきたのは、こうして再びローと再会出来た喜びから来る涙。ただ、それだけだった。

「おいナマエ…あの日、誰が勝手に先に帰るのを許した。お陰であれからお前の居場所を突き止めるのに、俺にしては随分手間取っただろうが」

「…………だって、一晩限りの恋じゃん。ローだって、あんな事は大した事じゃないって言ってたし…だからその先の続きなんて、私達二人には存在しない筈でしょう?」

「あぁ、そうだな。確かに言った。……だが、その関係を繰り返すのも稀にあるケースだろ」


『男女の関係が、何度も返り咲くのは至極真っ当な流れじゃねぇか』


そう言って、ローはあの日のように穏やかに笑った。そうして冒頭から縮めていた私との距離をゆっくりと詰めては、ピタリとその場に足を止め、目の前に立つ私の身体を彼は優しく包み込む。

「………最初からやり直すか」

「……え?」

ローのその言葉に、私は目を丸くして小さな声で相槌を返す。そしてそのまま下からそっと彼の顔を覗き込み、ローの口から次に出るであろう言葉の続きを待った。

「そもそも、最初の出会いから可笑しいだろ。俺とお前」

くすくすと何かを噛みしめるように喉を鳴らすローに、つられるように私も一緒になって笑った。季節は春。何かを始めるには正にうってつけの季節だ。

………そう。例えばとある女と、とある男の出会いのストーリー。互いに出会って恋に落ち、そしてそんな二人の未来を想い描く。そんなありふれた展開だって、たまにはありなんじゃないかな。

「いいよ、じゃあー…まずはお互いの年齢からね。何歳?」

「お前から先に言え」

「なんで!」

これから長い人生、男なんて到底一人になんか絞りきれない。ずっと、何処かでそんな曖昧な理由を自分に言い聞かせて生きてきた。…でも、それでもいつか私も、その答えに辿り着く日が来るのかな。

「ねぇ、その前にお互いの番号交換から始めてみない?」

あの桜のように、ただその場所で通り過ぎる人達を見守っていけるような、心広い女に。土に根をはって、ある一定の場所で、何度だって咲き誇れるような、そんな素敵な女性に。

そして出来る事なら、その隣に居るのは、いつだってローが良い。

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