まだ余り物心がついていなかった頃からただ漠然とこう思っていた。「誰かここから連れ出して」と。その原因が何だったのかなんて分からない。きっと予測も判断もしづらい世界で身を潜めていたからだと思う。空は蒼く、上空にて大きな翼を広げて好き勝手に羽ばたく鳥達を見上げて腕を伸ばす。片目を細めて拳を握り、何かを掴み取るフリをする。そうして次の瞬間。私は幼いながらにこう誓った。「誰も連れ出してくれないのなら自分で未来を掴むしかない。そうして私はそこで初めて自由になるのだ」、と。


自由という名の羽


私の生まれ故郷は大きくもなく、かと言ってこれと言って小さい訳でもない。何か欲しい物があればいちいち市街に出なくともその辺の百貨店で事が足りる。私はそんな程良い環境下でスクスクと育ち、通学路を歩けばそこら中で知り合いに肩を叩かれ、新しく出会った人達とも共通の知り合いの話題を介して直ぐに盛り上がる事が出来る。そんな狭い世界で生きてきた。ある意味この場所は暖かい場所だ。ぬるくて、刺激も何もないがその分下手に傷付く事もない。でもたまにどうしようもなくその状況が虚しく思えて仕方ない時があって。そう、例えば今直ぐ何処かに逃げ出したいな、とか。その理由は様々だ。

「息苦しいんだよなぁー…ただただ」

放課後、いつもの帰り道。両手を広げて空を仰ぐ。んー!と一つ背伸びをして、直後に出た無意識の溜息。背後から「じゃーねナマエ!また明日ー!」そう言って嬉しそうにこちらに手を振る友人とはついさっき別れた所だ。気の許せる友人と過ごす時間はとても心が安らぐ。それは間違いない。なのに何故だろう。何かが物足りない。学生生活は順調、家族とも比較的仲が良く基本的に何か不満がある訳でもない。それでも何かが抜け落ちていく感覚…そう、例えるなら心の中心がポッカリと空いている空虚感だ。今にして思えばこの不思議な感覚は子供の頃からずっとあった。友人とお人形遊びしている時も、クラスの男の子と木登りで競い合っている時も常にだ。そして思う事は決まってただ一つ。

「ここから逃げ出して、誰も自分を知らない世界へ飛んで行きたい」

ピタ、とその場に足を止めたのは背後から届いた声の主とその言葉に驚いたから。踵を返してゆっくりと振り返ると、予想通りというべきかそこに存在していたのは洛山高校内でももっとも飛びぬけたオーラと偉才を放っている赤司征十郎だった。

「そんな顔をしているね。当たりかい?」

「赤司君…なんで」

「昔から人の心を読み解くのは得意なんだ。その人の声、動作、ここ最近の様子等総合的に踏まえて集計すれば案外容易いからね」

「さすが…うん、当たり。…いや違うな、大当たりだよ」

「僕も一緒に帰っていいかな。帰り道の方向がミョウジと同じなんだ」

「うん、いいよ」

狭い歩道内をあえて真ん中に陣取り、ゆらゆらとスロペースで歩いていた隣をスペース一個分空けて、どうぞ、と一言付け加える。ありがとう、と肩を並べて優しく微笑んだ彼にいえいえどういたしまして、なんて言いながら二人肩を並べて歩き出すその一連の流れに不思議と心地良さを感じた。

「さっきの話の続きだが、ミョウジはどうしてそんなに自由を求めているんだい」

「え?」

「まるで鳥籠に閉じ込められた小鳥のような顔をしていたから気になってね。無理に答えろとは言わないよ」

「鳥籠に閉じ込められた小鳥…確かに。私今そんな感じかも。ほら、たまにない?無性に何もかも逃げ出したくなる時って。それだよきっと」

「あぁ、なるほど。確かにない、とは言い切れないな」

「でしょ?やっぱ人間どんなに居心地が良くてもずっと同じ場所にいたら世界が狭くなるじゃん。私はそれがたまに無性に嫌になるんだよね」

「同感だな。僕もそれについて何度も同じ事を考えた時期があったよ」

「へぇ…赤司君も?」

「あぁ、人間だからね」

そうサラリと結論づけた赤司君の横顔は少し寂しそうに見えた。でもその答えは彼にしか分からない。考えるだけ無駄か、そう思い直した私は再度顔を真正面へと向き直し、先程と変わらずゆっくりと歩を進めた。

「ねぇ、東京ってどんな所?やっぱり何でもあって自由でキラキラしてる?」

「なんだい、急に」

「いいじゃん、あんまり行った事ないから気になってさ。良かったら教えてよ」

5月中旬。ヒラヒラと咲き誇っていた桜もあっという間に散り行き、葉は青々と生い茂る。勢いを増すように風にユラユラとその身を委ねて街に影を落としていくその様は、ある意味残酷でもあり美しくもある。きっと赤司君はそれによく似ている。いつだって綺麗に咲き誇り、そうして跡形もなく去っていく。掴みようがないその性格は常に前だけを見据えていて、私達凡人には計り知れない世界を知っている、ただ何となくそんな気がしてならなかった。

「あぁ、そうだね。確かにミョウジの言う通り東京は何でもあるよ。場所に寄って違いはあるが23区内は基本夜はネオンに包まれているし、街を歩けば各々好きな事や自由さを求めて毎日をこなしている、と言った所かな」

「へぇー、やっぱり。イメージ通りだ」

「だがその反面、ありとあらゆる情報や物達で溢れかえっているせいか選択肢のふり幅が大きい。ある意味しっかり自分を持っていなければ、何処まででも落ちていく可能性も否めないよ」

「ふーん…そうなんだ」

彼はそんなに思う程良い場所ではない、とでも伝えたかったのだろうか。それとも自由を求めこの場所から羽ばたきたくて仕方がない私に、「待て、」とでも言って止めたかったのだろうか。その意図はよく分からない。それでもそんな話を聞かされても尚私の頭に思い浮かぶ東京のイメージはキラキラと輝いたままで、悪いイメージ等一つも思い浮かんでこなかった。

「赤司君はさ、何時かまた東京に戻るんだよね?」

「あぁ、高校は京都で過ごして大学はあっちに戻るつもりだよ」

「そっかぁ、何かいいな。そういうの」

「ミョウジは京都から出るつもりはないのかい」

「ううん、出るよ。親もそれで納得してくれてるし、私も大学は東京にするつもり」

「じゃあ一緒じゃないか。何が羨ましいのか僕には分からないな」

そう言って、小さく息を吐きながら悩ましげに首を傾げた赤司君に対して「全然一緒じゃないよ」と返事を返した。その返しがより一層彼の中で疑問を膨れ上がらせたのか、少しだけ口をへの字にしつつも何故だと深く追求してくる。その仕草がいつもの大人びた彼の姿とは異なって可愛い。赤司君もこんな顔するんだ、とかどうでも良い事を考えつつも私は開口一番こう答えた。

「戻るべき場所に帰る人と、何か刺激を求めて出て行く人間とじゃ最初のスタートから違うって話」

そうとだけ言うと、赤司君は暫く黙ってある一点だけ見つめたままその場に停止した。あれ?何か変な事言ったかな私。そう思いつつも少しだけ地面に俯いていた赤司君の顔をそっと覗きこむ。が、ヒラヒラと片手を彼の前に振りかざしてみるが反応はない。どうしたもんかなと思ったも束の間、「なるほど」と彼が小さく呟いた声を聞き逃す事はなかった。

「な、なるほどって…?理解して頂けたという解釈で宜しいんでしょうか」

「あぁ、問題ない。つまりはこういう事だろう。僕みたいに実家が東京の人間で元に居た場所に戻るのとミョウジみたいに実家が県外の人間が東京に上京してくるとでは、ハングリー精神も何かあった時の安心感も基本的に差がある、という事だね」

「お、仰る通りです…」

「だがそれは蔑んでいる訳ではなく、単にその一人一人に与えられた天命にすぎない。羨んだ所でどうしようもないと分かってはいるが簡単に割り切れる程大人でもない。まぁそんな所かな」

「えぇ…その通り。もはや何も言う事はございません…」

「だがミョウジ、お前は一つ大きな勘違いしている」

「………え?」

喉乾いたな。ジュースでも飲むかい?そう言って、まだ話の途中なのに自販機の前で足を止めた赤司君がこちらに振り向いて口角を上げる。そんな拍子抜けの私が選んだのは、この真夏並みの暑さを吹き飛ばすぐらい威力のあるラムネソーダだった。因みにお金は赤司君持ちだ。払うよ、と財布を手にしてみたがやんわりと断られてしまった。何処までもスマートな男だ。

「ねぇ、何が大きな勘違いなの?例えばどんな所かな」

ラムネソーダを片手に、少し前を歩く赤司君の背中を追いつつも疑問を投げかける。横に並んで直ぐに見えた彼が購入したブラック珈琲は、子供っぽい自分にはあまりにも真逆で、何だか無性に彼らしい選択だなぁとぼんやり思った。

「例えばミョウジにとっては東京が日本の中心で、何もかもが最先端で、自由で、煌びやかに見えるかもしれないが、生まれも育ちも東京の僕からしてみればミョウジが今抱いている息苦しさを少なからず感じ取っていた時期もある、って話だよ」

「えぇっ!そうなの?それさっきも言ってたけど、てっきりこっちに来てからの話なのかと思ってた…」

「まさか。僕はこの町が好きだよ。確かに向こうにいるみたいに便利すぎるという訳でもないが、かと言って誰かに急かされたりして生き急いでる訳ではない。時間がゆったりと自分のペースで流れている気がしてならないんだ」

「へーえ。そうなの?それはこっちが地元の人間の私からすれば嬉しい事に変わりはないけど」

「あぁ。つまり元々の次元が違うから比べようが無いって事さ。それぞれ違う良さがある」

そう言って、一口珈琲を口に含んだ赤司君は口の端をキュッと上げて私に優しく微笑んだ。その仕草がまるで刺々しかった私の心を上手く、綺麗に覆いつくしてくれたのかのようで何故かくすぐったさを感じ地面に顔を俯かせる。照れ臭さを隠すように勢いよく飲み込んだラムネソーダは、あともう少しで全部飲み干しそうだ。手持ち無沙汰を弄ばせるように缶の中央付近を水滴を伝って上下に指を滑らせれば、「もしかして、余計な事を言ってしまったかな」と、少し困った顔でこちらを覗き込む赤司君とバッチリ目が合ってしまった。か、可愛い…!

「いやいやいや全然違うよ!全然そんな事ない!寧ろ現地に住んでた人間からリアルな意見を聞けて良かったよ!」

「あはは。現地に住んでた人間か。まぁ確かにそうだね」

「うん、そう!いやー、しっかし赤司君って本当に分析力があって驚くよ。私が考えてる事全部ズバズバ当てちゃうんだもん。さすが!御見逸れしました」

「そんな事ないよ。大袈裟だなミョウジは。それにいちいち分析しなくとも自分の好きな女性の考えてる事ぐらい分かるさ。いつも見ているのだから至極当然の事だろう」

「あはは!なるほどねー、うん。そりゃ好きな子の事は普段からよく観察してるから分かるよね、って……………え?」

「?どうした」

彼がサラリと口にしたあるフレーズに凡人の私は一瞬で思考が急停止し、更に動きを止め、瞬きさえも忘れる状態となった。何故ならそうでもしないと脳内が大爆発しそうだったからだ。

「………………赤司君、今何て言った?」

「あぁ、大袈裟だなミョウジは」

「いや違う。そのあと」

「いちいち分析しなくとも分かる、だったかな」

「うん、そう。でもまだ多分欠けてるフレーズがあったよね。……え、私の聞き間違い?」

「あぁ、自分の好きな女性って奴かい」

「!!それ!!え、なにそれ本気!?それともやっぱ冗談!?」

「いや、至って本気だが」

「本気なのかよ!」

「あぁ、迷惑だったかな」

「いや全然!!」

寧ろご馳走様です!そんな事を大声で叫びながら90度直角に深々と頭を下げた私の脳内はたった今大噴火し、そして見事大爆発した。ついでに手にしていたラムネソーダはコポコポと地面に急降下。あぁ、でも結構飲んでたからそんなに言う程ショックはないな。なんて、そんな馬鹿な事を考えてる内にある一つの影が自分の顔に覆い被さる。そして一言。影の正体はこう言った。


「好きだよナマエ。突然だが僕と付き合ってくれないか」


突然だが、なんて全身放心しきっている私の身体をひょいと持ち上げ、ニコ、と微笑んだ目の前の彼はとても緊張しながら伝えた愛の告白とは考えにくい。それに唐突な名前の呼び捨てにも無駄に胸のドキドキさが増してしまったじゃないか。でも今はそんな事どうだっていい。今まで見せた事のないぐらいのあどけない笑顔で、ゆるゆると親指で私の頬を撫で続けている彼に、この身体の力が無事元に戻ったら伝えるんだ。


『私もずっと前から好きでした』、と。


自由への切符は手に入れた。この息苦しい世界から羽ばたく準備も出来ている。なら後は本能に従って飛び出すだけだ。そう、例えるなら桜が散って憂鬱な梅雨を超え、新しい季節を迎え入れるかのように。隣に大好きな人を抱え、まるで大空を飛び回る、あの鳥のようにね。

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