「ナマエっちー、まだ終わんないんスかー?」

「んー、あともーちょっと…」

「長すぎっしょ。もー俺待ちくたびれたっス!」

「ごめん、涼太ー。本当にあともうちょっとだから」

はい、『あともうちょっと。』そのフレーズ、もう今日これで何回目スかね。…いや、今日だけじゃなく出会ってから今に至るまで何回目になる事やら。

女の子の身支度は誰かれ構わず遅いってよく聞くけど、ナマエっちに関しては遅いどころか、遅すぎる!って程のレベルだと俺は思う。だって毎回毎回準備に2時間は待たされるし、暇だから軽く昼寝をして起きてみても、まだせっせとアイメイクに彼女は徹してたりする。その度に俺は心の中で、はぁ、と大きく溜息をついては彼女にまだか、まだかと詰め寄るのが定番で。…で、因みに今現在もその詰め寄っている真っ最中、って訳だ。

「何でそんな毎回毎回メイクに時間が掛かるんスかー?俺、早くナマエっちとデートに行きたいんスけど!」

「あーもう!涼太うるさい!折角いい感じにマスカラしてたのに、腕引っ張るから瞼に付いちゃったじゃん!」

「えぇっ!?俺のせいなんスか!?」

「当たり前でしょ、バカ」

さも当然かのように、こちらに向かって文句を投げつける彼女には度々驚かされる事が多い。この間だって、お風呂に入る時に脱衣所でシャツを脱いでふと床に視線を落とせば、黒い毛虫ならぬ黒いつけまつ毛が転がっていて思わず発狂してしまったし、朝起きて早々ナマエっちに甘えつつも腰周りに腕を伸ばして、彼女が振り返った途端、目の前にジェイソンならぬパック中のナマエっちが視界に飛び込んできて、これまたやっぱり発狂したし。

…まぁ、要するに彼女は美容オタクって奴なんスけど。俺的にはそんな頑張らなくたって、ナマエっちはそのままで可愛いと思う。って、これ今まで何回も本人に言ってんのに、彼女は未だ一向に信用してくれない。虚しい…自分の可愛い彼女だけに尚更。

「うーん…ここの目尻のハネ具合がなぁー…何か気に入らない」

眉間に皺を寄せて、これまた難しそうな表情で鏡と睨めっこしているナマエっち。その原因は他でもない、ただのアイラインとの格闘だ。男の自分からしてみれば、そんな1ミリ2ミリいつもと違った所で大して変わりはない、と前に主張したら、「馬鹿!その1ミリ2ミリで人間顔の印象が大きく変わるのよ!」と、逆に叱られてしまった。俺的にナイスフォローを入れたつもりが、逆手に捉えられてしまうとは…恐るべし、アイライン。

「はいはい、んじゃまぁ終わったら声掛けて下さい。俺それまで録画してたドラマ観てるんで」

ふぁ、と、本日何度目か分からないあくびをして、その場にゴロンと横に身体を転がしてみれば、未だ鏡と睨めっこ中のナマエっちが、「あーい…」と、腑抜けた声で相槌を打った。そんなにアイラインに夢中ですか。何かここまで来れば、虚しい通り越してちょっと寂しいんスけど。

「えーっと、前回どこまで観たかなー」

そんな寂しさ満点の独り言を呟きつつも、手に握ったリモコンで録画再生ボタンを押せば、画面上に映し出された架空の恋物語が俺の視界一杯に広がってきた。どうやら丁度ドラマ内でも、彼女の身支度に時間を拘束された彼氏が、あーだこーだと文句を吐きつつも暇を持て余しているシーンのようで。その状況があまりにも今の自分と覆い重なり、ついつい無意識にTV画面へと釘付けになる。

『だって、好きな人の前ではいつだって可愛くありたいじゃない?』

そう満面の笑みで振り返るブラウン管側の彼女は、頬を赤く染めて何とも嬉しそうで照れ臭そうな表情だ。演技とはいえ、その見事なまでの愛くるしさに対して、心の中で盛大な拍手を贈りたい。そしてそれと同時に頭に思い浮かんできた事は、ひょっとしてナマエっちもこれと同じ感情だったりするのかな、なんてごく稀で小さな疑問だった。

「よし…!上手くいった!今日の私、超絶可愛い!」

……まさかね。んな訳ないっか。この子は多分、ただ人より美意識が高くて無駄に完璧主義なだけだ。現にようやく完成したと喜んでいる彼女の横顔はさぞご満悦のご様子だし、約2時間放置プレイの俺には目もくれていない。そもそも普段冷めた性格のナマエっちの口からそんな可愛い発言なんて滅多に聞いた事なんてないし。いつも俺ばっかり嫉妬したり焦ったりしてばっかりで、どうにも掌で転がされてる感が否めないんだよなぁ。まぁ、それはそれで楽しいから良いんスけどね。

「ようやく終わったスかー?なら後は服着替えて出掛けるだけっスね!」

「うん、メイクはね〜。後は軽く髪巻くだけ!」

「あ…そうっスか」

「ごめん涼太、本当にあともうちょっとだから、良い子にして待ってて」

ポンポンと、2度優しく俺の頭を撫でたナマエっちは、鼻歌なんて口ずさみながら呑気に洗面所へと向かって行く。その嬉しそうな背中をぼんやりと眺めつつも小さく息を吐き出せば、「涼太ー!今日何処に行くー?」と、少し遠くからこちらに話し掛ける彼女の声が聞こえてきた。「んー…そうっスねー。あ、久々に買い物にでも行く?」と、相槌を打ちながら体勢を整えて腰を上げ、彼女が居る洗面所へと歩を進める。そしてドアを横にスライドさせて壁にもたれかかりながら、腕を伸ばしてナマエっちの綺麗な髪の毛を掬い、クルクルと自分の指に絡みつけた。

「いいねー、買い物。丁度新しいコートが欲しいって思ってたんだよね」

「確かに。最近すっかり寒くなったしね。俺も便乗して新しいコートでも買おっかなぁ」

「あ、それ良いじゃん。涼太背が高いし、ロングコートとか似合うんじゃない?意外と持ってなかったよね?せっかくだし涼太が似合うコートを私が見立ててあげるよ」

「うん、じゃあお願いするっス」

「ラジャー、任せて」

ニコっと眉を下げて優しく微笑んだナマエっちの横顔は、もはや可愛いとか言うレベルじゃない、綺麗そのものの美しさで思わずドキっと胸が波打つ。普段どちらかと言えば童顔で、あどけない印象の彼女は、意外にもこういう大人っぽいメイクがよく映える。何もしなくたって素材そのものが可愛い彼女なだけに、そのギャップが大きすぎて、驚いてしまう事はまだ秘密だ。お陰で本当、毎回無駄に心臓に悪い。

「でーきた!ど?今日の私」

俺の指に絡みつけていた髪をいつ間に巻き終えたのか、大人っぽく前髪を斜め分けにして、緩くて上品な巻き髪の彼女が上目使いで横に首を傾げる。そんな確信めいたナマエっちに、若干踊らされてる感は否めないが、「すっげぇ可愛いっス!さすが俺の自慢の彼女!」と、素直な感想を伝えた。

「そ?なら良かった〜やっぱ好きな人には一番に可愛いって思って貰いたいもんね」

「……え?」

「ん?」

彼女と付き合うようになって早1年弱。特別冷徹って訳ではないけれど、どちらかと言えばクールな彼女には珍しいその発言にフリーズする俺に、「なに?私何か変な事言った?」と、不思議そうに疑問をぶつけるナマエっちが視界に映る。いや、変じゃない。全っ然変じゃない。寧ろ貴重な発言すぎて、今俺は猛烈に感動してるんスけど!あぁ、ナマエっち!やっぱナマエっちは腐っても乙女だったんスね!

「……涼太」

「うん?」

「一つ聞いても良いかなぁ?」

「なんスか?」

「何で今、服脱がせようとしてんの?」

…シーンと言う吹き出しが出てきそうな勢いで広がった、暫しの間。まぁ、確かに彼女が主張する意見も分からなくはない。でもごめん、もう無理。だって不意打ちすぎるんスもん。そんなのツンデレ以外の何者でもないじゃないっスか。

って、事で。

「2時間も待たせてくれた罰って奴スね。素直に従ってれば悪い事はしないよ」

「絶対嘘!やだやだやだ!折角綺麗に髪巻いたのにまた一からやり直しになっちゃうじゃん!離せバカー!」

「あーはいはい、無駄無駄。大人しく俺に抱かれる事っスね」

キャミソールの隙間から滑らせた俺の手をポカポカと殴り、無駄な抵抗を見せる彼女の腰を強く引き寄せて、その形の良い唇に一つキスを落とす。これ以上何も言わすまいと噛み付くように唇を重ねた俺の腕にしがみ付く彼女の表情は、何とも艶っぽくて官能的な仕草だ。あぁ、やっぱりナマエっちは確信犯に違いない。だって表面上は嫌だ嫌だと言いつつも、ちゃっかり俺の首に腕を回して、キスに応えようとするのだから。

「っ…涼太、買い物は…?」

「行くよ?でも、しっかり愛を確かめ合った後でね」

そう口角を上げて、ニヤリと意地悪く笑えば、「じゃあ、また2時間放置プレイしてやるんだから」と、クスクス喉を鳴らす彼女の頭を撫でてあげる。お互いああ言えばこう言い合う、譲り合いの欠片0の会話に小さく声を上げて笑いあえば、視線と視線が交じわり合ったのを合図に、どちらともなく唇を重ねた。

「たまには愛を伝えるのも悪くないね。だって、涼太の気持ちが痛い程伝わってくるから…」

なんて。小悪魔発言をするナマエっちには、もはやお手上げもんだ。一体そんな台詞どこで覚えて来るんだか。そしてこの破壊力は、一体どこから生まれてくると言うのか。

『君の事、知れば知る程好きになっていく』

洗面所からお姫様抱っこで寝室へと辿りつき、ベッドへと倒れ込んだ二人の背後から、さっき再生したままだった恋愛ドラマの内容が、これ見よがしに鼓膜へと響き渡ってくる。

……あぁ、そうか。確かにその意見は俺も賛成っスね。要するに、それだけ彼女に夢中って事でしょ?

「サンキュ、教えてくれて」

「…うん?」

「いや、何でもないっス」

ベッドに押し倒したままの彼女の後頭部を腕に抱き、ゆっくりと顔を近付けて僅かに空いた唇の隙間から、難なく舌を滑り込ませる。苦しそうに悶えながらキスに応える彼女の頭を優しく撫でつつも、もう片方の手でリモコンを掴み取り、プチ、と音を鳴らして画面を消せば、そこは俺がようやく待ち望んでいた、2人だけの甘い時間が流れ始めていた。


皮膚の下の呼吸

prev next
TOP

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -