従う怪物
めが、さめた。
「おー、マジでできた」
最初に聞いたのはそんな"音"だった。
今思えば、それはマスターの声だったのだけれど。
地中から起き上がったばかりの俺には、そんな簡単なことすらも理解できる頭は無かったのだ。
目が、醒めた。
「んん?もしかしてお前って…」
やっと声を理解し出した頃に聞いたのは、マスターのそんな発言だった。
目覚めてから約半年くらいのことだそうだ。
目が、覚めた。
「おはよう」
「おはよう、ございます」
単純にその日の朝の目覚め。
恒例の挨拶。
元の人格が戻った俺の言葉の練習。
「良くできました」
マスターが笑う。
俺はそれだけで心が踊る。
…………
……………………
俺は一年前くらいまで人間だった。
ただの学生。
が、事故って死んで、土葬されていた。
土葬って言うか、単純に柔らかい土の上に飛ばされて、雨風に曝された結果土に埋もれていただけなんだけど。
人通りの少ない場所だったのと、土に潜って見えづらかったのとで、俺の死体は通行人に発見されることなく放置されていたっぽい。
で、そんな野晒しの俺を見付けたのがこのマスター。
正体は中二病もビックリの隠キャクラスメイト。
中国人とのクォーターだとは耳にしたことがあるが、だからと言ってまさかキョンシーが実在するとか、それを作り出す奴がクラスメイトにいるとか、あまつさえ俺がキョンシーにされるとか、考える筈もないだろ?
日本在住で死体に出会す機会のない…筈だったマスターは俺の死体を見付けて、面白半分にこのキョンシーを産み出す秘術的なものを使ってみたらしい。
本人自身、本当に俺が起き上がってくるまではこの術を教えてくれたじいさんをファンタジー脳だと笑っていたそうだ。
死体を前に焦るどころか実験に使おうとするあたり、その家系の素質があったんじゃないかと思ってみたり。
兎も角、そんな面白半分のトンデモ術のお陰で俺はキョンシーとして目覚めた。
だが、始めはまだ死体が動き出しただけ。
正直俺にこの頃の記憶はない。
マスターいわく、顔色は悪いし死後硬直も溶けておらず、本当に映画なんかで見る怪物みたいだったそうだ。
流石にそんな怪物を放置するわけにはいかないからと、マスターは俺を家に連れ帰って軟禁することにした。
宛もなく起こしてしまった上にろくに操る能力もないマスターは、部屋を徘徊する俺を動くオブジェくらいに思って、ずっと放置していたのだと言う。
始めに聞いた時は、俺の事情通り越して、死体と共に過ごすメンタルに恐怖を覚えた。
因みに小汚い姿は目障りだからとメンテナンスはしたとも言っていたが、具体的に何をしていたのかは聞いていない。
野郎に着替えさせられている自分を想像するのもさることながら、野晒しだった死体なら痛んでいたんじゃないか?とか、この縫い跡みたいなのなんだ?とかをあまり考えたくなかったからな。
で、徘徊オブジェだった俺は次第に意識を取り戻した。
始めは感覚を。
表には表現出来ないなりに思考を。
そしてそれらを行える予備知識、生前の記憶を。
記憶を取り戻してからは早かった。
ずっと歩き回っていたお陰で、死後硬直はだいぶおさまっていたから、そこから更に座る動作や、喋る動作に必要な動きも可能になるように意識して動くようになったのだ。
となればマスターだって俺の異変に気がつく。
「あ゙…がっ…」
始めは悲しいくらい呂律どころか口自体がろくに動かなくてイラつきもしたが、今ではマスターの献身的な手助けもあって、短く区切ればある程度話すことができるようにまでなった。
学校では友達付き合いの悪かったマスターだが、単に生活環境の違いから、上手く会話に参加することができないだけだった。
そりゃ、マスターはおじいちゃん子だと言うが、そのおじいちゃんてキョンシーの作り方を教えてくれた人のことだからな。
死体だ秘術だ言われても一般人はきょとーんである。
「きょうは、にちようですね」
片言で、しかも主従関係の契りとか言うもののせいでクラスメイト相手に敬語しか話せない俺。
学校では避けて通られる率の方が高かった俺が敬語とか。
教師にだって使ったことがない。
「うん。だからキミの自由を広げるための方法を探そうかと思ってるんだ」
始めこそ俺の事を見ず知らずの人間だと思っていたと言うマスターが、俺をクラスメイトだと気が付いたのはずいぶん遅かった。
俺の意識が覚醒した頃、血色が少しはましになった頃か。
俺が人らしくあろうとする程、マスターも俺をオブジェや主従ではなく、同等の人間として扱おうとしてくれ始めた。
今は主従の契りを解除する術を探してくれている。
「マスター…」
ぎこちない動きで俺はマスターの背後まで歩いていく。
浮いたクラスメイトだったから、たまたまだが名前も覚えていて、今は主として凄く大切な存在として魂に刻み付けられてすらいるのに、その名前だけは言葉にできない。
マスターも、俺の名は分かっているのに、口にすれば俺の従属を強固なものにしてしまうから口にできない。
ずっと同年代の友達が欲しかったと言うマスターは、俺という秘密を共有する存在を得て、友達になれると喜んでいたのに。
俺だって折角生き返ったんだし、今度はまともな友達関係くらい気付いても悪くないんじゃないかと思ってみたりもしたのに。
「きょうはすこし、やすみませんか?」
無理だ。
マスターを主として見ずにはいられない?
隠キャ君とは分かり合えない?
違う。
触れ合ってみて分かった優しさも、悲しさも。
俺の中で、それらにもっと別の感情が渦巻いている。
「でもそれじゃあキミが縛られたままだ、」
俺の事で心を痛めるマスターは、少しでも早く俺を自由にしようとしてくれている。
学校に行けば、生前の俺とも仲良くなれたんじゃないかと、そればかり考えると言うマスター。
いつでも俺だけで頭の中がいっぱいのマスター。
それが愛しい。
これは決して従者が抱く感情ではない。
そして、友達としての感情でも。
「いそがなくていいです。時間は、いくらでもありますから…」
後ろから抱き締めるように寄り掛かった俺は、できるだけ優しく言葉を紡ぐ。
軋んでいた関節も、だいぶ柔らかい動きができるようになった。
マスターのお陰だ。
「そうかい?キミがそう言うなら…」
マスターは俺との時間を楽しく思ってくれている。
友達として。
俺がまだ生きている頃、マスターが周りの人と上手く行かずに悲しんでいたことを俺は知らなかった。
単にクールややつ、くらいにしか思っていなかった。
けど、今は分かる。
死ななかったら気付けなかった。
自分の秘密を話してしまいたいけど、話したら離れていってしまうかもしれない不安、恐怖。
だから先延ばしにしてしまう。
俺の言葉に従ってしまう。
「マスター、俺、いまのじてんで結構幸せですよ」
「そう?クラスのみんなとも、ご両親とも会えないし、話せないのに?」
「ええ。マスターかいますから」
叶うなら、マスターを閉じ込めて、誰とも会わないようにしてしまいたい。
俺だけのことを見て、俺だけを感じて過ごしてほしい。
俺も知らなかったこんな怪物を呼び起こしてしまったのはマスター、貴方だ。
その牙がマスターを食いちぎらないように。
今はまだ、マスターと呼ばせてください。
end
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