逃がさない
迂闊だった。
閻魔庁の数ある倉庫のうちの一つで、ヒサナは外側に南京錠がかけられているであろう重たい鉄の扉に両手をつきながら思考を巡らせた。
押しても引いてもびくともしない。
例え南京錠がかけられていなかったとしても、ヒサナには到底開けることは出来ないだろう。
何故ならば、ヒサナは鬼ではないのだから。
鬼であれば女性でも開けることのできるその両扉の前で、
小さな通気孔以外、窓すら見当たらない室内を見渡した。
木箱や段ボールがうず高く積み上げられているがなんとなく纏まりがあるのは何かしら用途や種類で分けられているのだろう。
ここで働いていてもヒサナがその意味を知るはずがなかった。
ヒサナはEU地獄の悪魔だったからだ。
普通の悪魔とは異なる奇形の角が、日本の地獄の鬼に酷似していると言うことで、
ヒサナはEU地獄のスパイとして数ヵ月前、獄卒採用試験をパスし、鬼として紛れた。
姿形が鬼と相違無いとしても、悪魔に鬼ほどの怪力は備わっていない。
テストや仕事など、必要なときにはリリス様から預かったアイテムに頼り、その場をやり過ごしてきた。
ばれないように、ばれないように。
全てはサタン様の為に。
そう思い日々を過ごしてきたというのに、倉庫に閉じ込められている有り様だ。
午後の裁判が始まる前に、鬼灯様に手を貸してほしいと頼まれた。
運びたいものがあると。
力仕事ならば非力な状態のままではいけないと思い、アイテムを使用するために先に行っていてくださいと答えれば、
軽いものなので貴女でも大丈夫ですよと、有無を言わさず歩き出した鬼灯様の後を追いかけてしまった。
その時に気づくべきだった
―――軽いものなので貴女でも大丈夫ですよ。
見抜かれていたということに。
気づかれてしまっていたのだ。
私でも確かに難なく運べるものだった。
自らの足で倉庫へと運ばれたのは私だ。
どうするべきだろうか。
あの鬼神が帰ってくる前にこの中に隠れるべきだろうか。
それとも誰かが開けてくれたときに事故を装って出られる事にかけるか…。
どちらも難しいだろう。
むしろ後者は希望すらも感じられない。
私が扉を開けられないことを確信した上でわざわざ錠までかけていったのだから。
自身の仕事を片付け、私の相手を出来るようになる時間まで、他の者に開けられて逃げられないように鍵を握ったのだ。
あの鬼神から…鬼灯様から逃げられるわけがない。
側で仕事を見てきたのだから、ずっと見てきたのだから、わからないはずがない。
どれくらいの時間がたったのだろう。
時計もないので時間がわからない。
なんとなく空腹を訴えている腹部をさすりながら、夜を迎えてる事には察しがついた。
まさかここに閉じ込め続けておくつもりではないだろうか。
急いでついてきてしまったので、携帯電話も置いてきてしまったことに後悔する。
夜にはEU地獄へ定期連絡をいれる時間になる。その時間に連絡がないとなれば、どうなるだろうか。
ゴォンと、重たい金属音が響いたかと思うと、ガチャンとなにかが跳ねた金属音が続いた。
この音は昼間にも聞いた。
錠前を開ける音。
その錠を外せるのは、鍵を変わらず手にしているならば一人しかいない。
せめてもの抵抗で咄嗟に一番奥の段ボールの山の中にヒサナは身を隠した。
願わくば、お願いだから見つかりませんようにと。
「おや、牙を剥いて来るかと思えば隠れんぼですか」
その言葉のあとにもう一度扉の動く音が響く。
退路も塞がれた。
「まさに貴女から見れば本物の鬼ごっこですね。貴女は鬼ではないのですから」
ザリッと室内に響く草履の音に身をすくめる。
足音は一つ一つが、倉庫の奥へと歩みを進めていることを示す。
それに伴う彼の声も、だんだん近づいてきていた。それだけでも悲鳴を上げそうな程呼吸が乱れてきているというのに、突然響き渡った電子音に思わず声が出そうだった。
聞き覚えのある音、この音は…
「あぁ、またですよ。先程も鳴ってましたよ?貴女の携帯電話」
足音はかき消され、今度は着信音が近づいてくることを告げる代役を果たしていた。
「執務室に起きっぱなしだったので届けて差し上げようと思ったのですが、」
もうやめてほしい。明らかにこちらを目指して近づいてくる。
なぜここがわかるのか、奥の段ボール群と言ってもなん山かあるではないか、
何故まっすぐにこちらを目指せるのか、
お願いです、もうしませんから、
大人しくEUへ帰りますから、
だから、どうか、
ねぇ、
「貴女の携帯電話、暗証番号でロックされてますが、着信は表示されるんですよね」
頭上から伸びてきた手に携帯電話のディスプレイ。
そこには着信中の文字と共に、【ベルゼブブ様】とはっきり表示されていた。
突然の段ボール上からの奇襲に、ヒサナは声にならない悲鳴を上げて飛び退こうとしたが、それよりも先に黒いなにかがヒサナ口を塞いでのし掛かり、身動きを封じられた。
「どう説明してくれるのでしょう?一介の獄卒が、EU地獄の補佐官と繋がりがあるだなんて」
鬼灯は小首をかしげてヒサナを見下ろす。
「貴女が遊び相手というのも、あの愛妻家には無縁のように思いますし…ねぇ?」
スッとヒサナの口を塞ぐ手とは反対の指先で首筋を撫でる。
ごくりと喉をならして息を飲めば、鬼灯は子どもが新たな玩具を見つけたように、いたぶりがいのある亡者を見つけたときと同じような顔をして携帯を握りつぶした。
「まぁ、素直に説明してもらえるとは思っていませんので」
説明を求めるわりには先程から一方的に喋り、口を開けることも許さない鬼灯になんのつもりかと頭の片隅で思ってはいたが、簡単には逃してもらえないと言うことだけは察しがついた。
「体に聞けば、簡単にないてくれる事でしょうね」
低音で耳元に寄せられた唇から紡がれた言葉に目を見開き手足をばたつかせるが、鬼灯にはびくともしない。
抵抗されて気分を害するどころか、彼は楽しみですねぇと赤い舌を除かせて目を細める。
鬼灯は、自分を弄んだヒサナに容赦をする気はなかった。
20140711
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