折れたのは貴女でした

掴み上げた腕が振りほどかれた。
普段ならば、鬼灯はその手をけして離さなかっただろう。
しかし今は、今だけは目の前でうつむき涙をこぼすヒサナの言葉に、手の力を緩めてしまった。

「も、疲れた」

ヒサナは笑って、自暴自棄に震える言葉を吐き捨てる。
涙に濡れる顔を自由になった手で覆う彼女は痛々しい程この上なく、鬼灯は未だ耳にした言葉が理解できずにヒサナを見つめていた。

「なんですか、聞き間違い…でしょうか」

本当はヒサナが何を言ったのかわかっている。
だがその意味を理解したくなくて、納得したくなくて、鬼灯は柄にもなくすがるような声を出した。

「もういい、もう疲れた…」

それでも違わないと首を振り、再度ヒサナは肯定を意味する言葉を口にする。
目の前で笑う彼女の笑みは、こんなにも痛々しい物だっただろうか。

「もうやめたい。もう、鬼灯の側にいられなくていいから」

目にする度に心が踊った、私の愛した笑顔はこんなにも歪な弧を描いていただろうか。
そう言えばいつからヒサナの笑い方は、ぎこちないものになっただろうか。

「もういい。もういらない。疲れた」

ヒサナが私との交際を始めた時から、同性に嫌がらせを受けていたのは知っていた。
鬼灯はそんな事は無意味だと、牽制や威嚇もしたし、みせつけてやったりもした。
なのに、どんなにヒサナを守ろうとも鬼灯の目が、手が届かない所はどうしてもできてしまう。
そこをヒサナは狙われ続けた。
最初はヒサナに相談され、策を講じたこともあれば鬼灯直々に現場を抑えたこともある。
しかし、いつからかヒサナはその事も鬼灯に相談しなくなった。
もう大丈夫だと笑う彼女を、どうして信じてしまったのか。
そんなの、鬼灯にいらぬ心配をかけさせないために過ぎないのに。
大丈夫だなんて、そんな事はけしてなかった筈のに。

その結果が、今の現状だ。

度重なる面と向かったものから陰湿な嫌がらせに、ヒサナの心がもう限界を迎えてしまっていた。

「何かあれば守りますから、ですから…」
「裁判を抜けて、鬼灯がとんでこれるとでもいうの?」

無理だ。
裁判中気が気でないこともしばしばあったが、高官職の為仕事に私情は挟めない。
それはヒサナもよくわかっている。
だからこそ、もう無理だと鬼灯に告げたのだ。

「もう、おしまいにしてください」
「嫌です。ヒサナを手放すくらいなら私は…」
「大恩ある閻魔大王様の側を鬼灯が離れられないのはわかってるし、そんなの無理だって知ってるから」
「何か方法を考えますから」
「私を愛してくれていたのなら、お願い、私をもう自由にしてください」
「何故過去形なんです!私は今も―――」
「お願い、鬼灯様」

目から止めどなく溢れる涙を拭いもせずに、ヒサナは笑う。
それでも鬼灯が愛おしいと、何度でも引き出して見たいと思った笑顔は、今日は一度たりとも見られてはいない。
鬼灯は歯を食い縛り、拳を震わせる。
手を離さなければよかったと、何も掴めなかった手のひらに爪を立てていた。

「…貴女を幸せにできるのは、私では無いと、そうおっしゃるのですね」
「いいえ。私が、もう無理なんです」

嫌がらせを企てた奴等を残らず潰して回れば許されるのだろうか。
苦しめた奴を一匹残らず晒し者にしてやればこの気持ちは晴れるのだろうか。
私ではもうヒサナを笑わせられない。

鬼灯は腕を持ち上げヒサナに手を伸ばす。
しかしヒサナがビクリと大きく肩を跳ねさせたので、悔しそうにその手を引いた。
その目は頻りに周囲を警戒している。
鬼灯に触れられたというだけで、一体どれ程の目にあってきたのだろうか。
力があっても、振るえなければ無いにも等しい。
自分の無力を呪いながら、鬼灯はヒサナの欲しがる言葉を呟いた。

「わかりました。これで、仕舞いにしましょうヒサナ」
「…ありがとう。鬼灯」

皮肉にも、鬼灯の望まぬ言葉で、あんなにも見たいと願った笑みをヒサナが浮かべて見せた。

20150307

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