おかえりなさい
スーパーで半額シールの貼られた魚を両手に見比べて悩む。
どちらも水が出ているが、おそらく若干右手の方が解凍されるのが遅かっただろう同じ今日の日付でも鮮度が良さそうに見える。
しかし左の方が2切れで丁度よい。右だと3切れで次はいつ食べれば良いだろうか。
いつもなら冷凍して連日食べたりするのだが、今夜からはそうもいかない。自分の分だけの食事を考えればいいわけではなくなる。
今晩から彼が帰ってくる。
否、鬼灯が現世へ視察の為泊まりに来る事になった。
ヒサナの与えられた仕事は、現世で鬼灯の不振な点のない滞在先を確保する為借家にすみ続ける事。突然辞令を出された日の事を、今でもよく覚えている。
最初は一人現世に放り出され心細かったが、今では現世の勝手にも慣れたもの。
ヒサナも鬼なので、長く住み続けると年もとらず怪しまれるため、視察に合わせて時折転々としていたが、大体は単身赴任中の夫の帰りを待つ妻の設定だ。そしてやはり赴任先についていくと言う理由で引っ越しを繰り返す。
それがヒサナの日常だった。
『8日の滞在になります。よろしくお願いしますヒサナさん』
先日彼が泊まりに来ると知らせがあった際、滞在費が今回は少なく期間は長いと聞いた。
美味しいものを食べてもらいたいが、どこで何に必要になるかわからないので、少しは切り詰めなければ。
結局ヒサナは自分がお昼に一人で食べれば良いかと右手をかごに差し入れた。
掃除も済ませて出てきたし、これで買い物もすんだ。
今回借りているアパートの階段を上がっていると、足音でわかったのか大家さんが顔を出した。
「加々知さん、今日は旦那さんお帰り?」
「え、わかりますか」
緩んでいた口許をおさえるが、そりゃ顔に出てるものとおおらかに大家さんは笑う。照れ隠しに笑い返すが、それにと大家さんはうちのドアを指差す。
「さっき合鍵引き取りに来たから」
「えっ!」
ヒラヒラと手を振る大屋さんに見送られ、予想外の事態に残りの階段をかけ上がる。
静かにね加々知さんと聞こえ、顔だけ振り返りすみませんと頭を下げるが、その騒々しさにまさに開けようと手をかけた自宅の扉が、自分の意思ではなく開け放たれた。
「わっ!」
「あ…」
扉は外開き。
正面に立っていた私は横を向いていたことが幸いし顔面は間逃れたが側頭部を扉の角に強打する。
痛みに数歩後ずさるが、危ないと力強い手に引かれ抱き込まれる。
「ヒサナさん、階段落ちますよ」
「あぁすみませんありがとうございます…」
「いぇこちらこそ不注意でしたすみま…大丈夫ですかヒサナ」
呼ばれ慣れていない突然の響きに硬直する。
「ゆ…夕方過ぎると伺っていたものですから…!」
「メタボの仕事を予定より早く片付けさせられたので、時間を繰り上げてきました」
メタボとは閻魔大王様のこと。
そうだ外だから大家さんも居ることだし堅苦しい話し方は止めなければと頭では分かっているのだが切り替えが追い付かない。
うまく返せずあわてふためいていると、とりあえず中へと腕を引かれ、ようやっと家のなかに足を踏み入れた。
「すみませんヒサナさん、ご迷惑でしたか?」
「いえ、ただ予定より早かったので慌てただけです。留守にしていてすみません」
「えぇ、逃げられたのかと思いましたよ」
「そんなことないです!」
「冗談ですよ、お帰りなさいヒサナさん」
会いたかったですと、ぎゅうと肩を抱き締められる。
「…立場が逆になってしまいましたね。鬼灯様もお帰りなさいませ。もう…今は外じゃないですよ?」
「ヒサナさん?」
「お疲れですよね鬼灯様!ご飯、早めに作りますね!」
ヒサナは笑ってやんわりと鬼灯の腕を離すと、台所へ急いだ。
そうだ、これはフリなのだから。。
彼と取り決めた約束。鬼灯様の滞在している間はお互い夫婦らしく。
誰が見ても不振を抱かれないよう、演じあげろと。
だから今の発言も夫としてきめられた『台詞』だ。
赤くなるな。
一々期待してはいけない。
口にしてはいけない。
「私もです、なんて…言っても困らせるだけなんだから…」
気を取り直して買い物袋の中身をひっくり返すヒサナの背を、鬼灯は眉を寄せて見ていた。
20140724
[ 151/185 ][*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]