一大事

本当に、現世の視察場所の地理を把握しておくべきだった。
薄暗い路地裏を掛けながら、ヒサナはそんな後悔の念にかられていた。
息を切らせながら、この場に逃げ込んだことが本当にあっているのか不安になる。
段々細くなり、分かれ道の少なくなる小道。
時折すれ違う亡者が、ヒサナの姿にギョッと目を丸くした。

路地裏に響く足音は一つだけではない。

複数の足音に追われながら、ヒサナはついに袋小路にたどり着いてしまった。

「はっ…は…」

壁に手をつき見上げれば、立ちふさがるのは五階建ての建物の壁。
添うように設置されているパイプを登れば逃げられるか、ぐっと握りしめ思案するが、背後からかけられた声に振り返ってしまった。

「待てコラ!もう逃げられねぇぞ!」

ヒサナを追いかけてきた柄の悪そうな男達が捲し立てる。
その手には、本来この日本では一般人の使用は許可されていないものが握られていた。

「…銃を使用することは出来ない筈ですが」
「?ははっ!そんなのここにゃ関係ねぇんだよ!」
「誰が増えて誰が減ったかなんて、誰も気にも止めやしねぇ」

育ちの悪そうな態度に顔をしかめ足を一歩引く。
そうしてヒサナはキャスケットを深くかぶり直した。

「いやいやいや、今更かぶり直しても意味ねぇし」
「なぁなぁお姉さん、ちょーっとその帽子貸してくれない?」
「…お断りします」
「なんなら、力づくでいくしかねぇなぁ!」

力づく。
その言葉に不適な笑みをたたえて笑ったのはヒサナの方で、一瞬男達が目を丸くしたが先に動いたのは二人の男達だった。
女相手に容赦なく掴みかかろうとしてくる姿に、ヒサナはひょいとそれを避けて伸ばされた腕を掴み取りくるりと回ると、遠心力に任せて壁に叩きつけた。
鈍い音が響いてこの者達が亡者ではないことを思い出したが、正当防衛で始末書が通るだろうか。
そんな事を考えながら肩を掴まれた手も引き剥がし、背負い投げ宛ら硬いコンクリートの地面に叩き落とした。
痛みに呻く男達をそれぞれ見比べてから、ヒサナの退路を塞ぐ者を再び確認する。
残りは5人。
まだ無傷な男達はヒサナの姿に驚愕している様子だった。

「…は、どんな馬鹿力だよ…」
「いや、俺達の常識が通用しないのかも知れねぇ…見ろよ。やっぱり見間違えじゃなかった」

そう言われて指をさされ、ヒサナははっと頭部に手を当てた。
今のちょっとしたやり取りの間にキャスケットを地に落としてしまっていた。
ヒサナは現世の視察中。
今回は擬態薬の服用なく彷徨く物だった為、その頭には彼の人の物よりは少し長い角が一本生えていた。

「奇形のお嬢さんかと思ったんだが、もしかして本物の鬼か…?」
「……」
「へへっ…いやどっちでも構わねぇんだよ。コスプレや特殊メイクじゃ無さそうだしな」
「まぁ奇形でも異形の者でも、そういうのを好む人にとっちゃ喉から手が出るほど欲しいんだよ」

やはりそう言うことかと、ヒサナは肩を落とした。
下品な笑い方を前に懐から懐中時計を確認する。
もうすぐ切り上げると申請した時刻。
早く帰らなければと思うが、気持ちは別の事で焦っていた。
このアクシデントを、どう鬼灯に話せば怒りを買わないかで頭が一杯だった。
どう考えても、呆れた末に馬鹿者と怒鳴られる激怒は間逃れない。

「残念ですが、そろそろ帰らないと怒られますので…」
「うちに来てくれませんかねぇ?悪いようにはしないからさぁ」
「人身売買を悪くないと言うのであれば、価値観の相違が見受けられますね」
「へへへ…わかってるなら話は早い。まぁ、そう言うことだ」

ヒサナの前に立ちはだかる五人の男。
一人は手に銃を、あとは素手に隣の人はナイフにメリケンサックだろうか。
やれやれと溜め息を一つ漏らし、ヒサナも身構える。
本気を出せば容易いが、それはこちらに招いてしまうことになる。
どこまで手加減をすれば骨を折るくらいで済むか、細心の注意をはらわなければならない。
面倒だと思案しながら、鬼灯に怒られる案件が増えて頭が痛くなる。
自分は悪くない、悪いのはコイツらだとイラつくが更に手荒になってしまうと無理矢理深呼吸をして心を落ち着けた。

「おらぁ!!」

先に仕掛けてきたのは男の方で、いきなり殴りかかってきた。
先程の光景を目の当たりにしてか、手加減は一切感じられない。
女性相手に失礼な等とそんな事を考えながら、ヒサナは屈んで足払いを一つ。
ひっくり返りそうになる男の胸ぐらを掴んで正面の団体に投げつければ、巻き込まれたのが一人。
それと同時に、その横で黒い銃口を向けられているのに気が付いたのと発砲音が響いたのは同時だった。
流石に殺す気は無いようで、足に向かって撃たれたそれは三歩引いて地面に深い傷を作った。
サイレンサーというものをつけていないのかと、路地裏に響いた轟音にヒサナは耳を抑え顔をしかめる。
売り物を傷物にして良いのか、なんて考えている自分は現世のドラマの見すぎかと自嘲した。
銃は厄介だが殺す気が無いのであれば然程驚異ではない。
渾身の力で駆けると伸ばされた腕に構えられたその銃を手刀で叩き落とした。
同時に腕が変な風に曲がり嫌な悲鳴が聞こえたが、それは聞かなかったことにした。

「あ…てめっ…強…っ」
「正当防衛ですからね。悪いのは手を出してきた貴方達ですよ」

不快だと言わんばかりに睨み付けて物申せば、それでも諦めようとしないこの者たちはそれなりに根性はあるのだろうか。
対峙する身としては厄介極まりないと、仕方がないので足の骨を折って追いかけてこないようにするかと最終手段を考える。
これだけ騒ぎを起こして、現世の人間に危害を加えて、正当防衛と言えど鬼灯に怒られるのだけは本当に勘弁だと身をすくめた。

「うう…もう、貴方達のせいですからね本当…っ」

腕力に物を言わせ、力任せに投げて足を取れば足を折るのは容易いと考え駆け出す。
駆け出そうとして、ヒサナはその足を襲った衝撃に一瞬にして体の自由が効かなくなった。
声も出せず、勝手に体が痙攣を起こす。
ガクガクと体を伸ばして震え、その刺激が終わったかと思えば、力が入らずヒサナはその場に崩れ落ちた。

「あ、は……なっ?!」

痺れた体に上手く呼吸が追い付かない。
バチバチと音を立てるそれを頭上に確認して、ヒサナは何が起きたのか悟った。
ヒサナを見下す男の手には、スタンガンが握られていた。

「この電圧で生きてるのかよ怖えー」
「やばいぞ…この女、本物だ…!」

口振りからして改造され電圧を弄った物なのだろう。
冗談じゃない、あちこちおかしくて体が上手く動かないと、ヒサナは男を睨みあげた。

「こわっ!でもそんな格好で睨まれてもなんも怖かねぇんだよ」
「っ!」
「おい待て!捕獲以外の傷はボスに怒られる!」

今正に腹に蹴りを入れられそうになり身構えたが、銃を手にしていた男がそれを止めた。
どうやらこの中では位が高いようで、悔しそうに蹴りを入れようとした男はヒサナを一別して引き下がった。

「早く連れて帰るぞ」
「は?やめっ…!」

腕を捕まれ、ヒサナが振り払えば簡単に男が後方に転がされた。
鬼の怪力を再び目の当たりにし驚く面々だったが、それでも高値の獲物を前になんとか取り押さえようと数人がかりで手を伸ばされる。
まだ上手く動かせないが、地に伏せていてもこれくらいの抵抗なら可能かとヒサナも渾身の力でバタつくが、思い通りに行かないことに腹が立ってきたのか一人の男が声を荒らげた。

「おい!!誰か薬持ってるやついねぇのかよ!」
「あ、俺が」
「早く使え馬鹿!!」
「?!んやっ」

何か封を切った袋が無理矢理口許に押し付けられ、吸ってはいけないものだと状況的に理解したが脇腹を手がはったことでぞわりとした感覚に咄嗟に大きく息を吸い込んでしまった。
口を塞いでくる手を何度も簡単に引き剥がしたが、しつこく何度も何度もそのやり取りが繰り返され、それが次第にヒサナには困難になってくる。
薬のせいか。
腕を上げるのも億劫になってきたヒサナは、朦朧としてきた視界に眉をしかめ、ぼんやりと空を見上げた。

「は…あ…」
「やっと大人しくなったか…」

汗だくになった男がようやっと一息つく。
破れた袋を気だるそうに後方に放り、忌々しそうにヒサナを見下ろした。

「手間かけさせやがって」
「…っ」

角を掴まれ視線を合わされたが、首を振って抵抗する力もない。
歪む視界で睨んだが、それはちゃんと睨めていたのかどうか。

「おー怖い怖い。鬼で女でしかも上玉…かなりの高値がつくだろうさ」
「…ぅ、く…っ」
「流石にこれだけやれば動けねぇか。ちとやり過ぎたかもしれないが、まぁ時期に抜けるだろう」
「連れて帰るぞ」
「おう」
「ゃ…っ」
「お嬢さん、恨むなら悪戯なビル風でも恨むんだな。俺たちに見られたのが運の尽きだ」

ヒサナの今回の現世視察は、治安の悪い場所での人間観察。
身の安全、もちろん自身ではなく手を出してくるような人間側の事を考えてこんな奥地まで入る予定は無かったのだが、この日は風が荒れていた。
一つ吹いた強風は、簡単にヒサナの帽子を飛ばし、丁度すれ違ったこの男達に運悪く角を見られてしまった。
今更失態を悔やんでも仕方がないが、力も出せないこの状況にどうしたらいいか全くわからない。

鬼灯に怒られる。

背負われ運ばれる振動が伝わるが、薬が回ったのか指先一つ動かすのも億劫だ。
愛しい人の姿が思い浮かび、不安と予測できない事態にヒサナの胸が早鐘をうった。

20151025

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