戦利品

しなかやかに動いた指先が、その動作に似つかわしくない風を巻き起こす。
大木の上に身を潜めてやり過ごせたらと思ったが、風圧が木の葉を刃と化し、ヒサナ目掛けて飛んでくる。
たまらず転げ落ちたヒサナは着物を翻して四つん這いになって立ち上がろうとするが、フワリとあたりに甘い臭いが立ち込めたので鼻を袖口でおおった。

この臭いは好きではない。

本能的に思い駆け出そうとするが、足元の草木が一気に芽吹き行く手を阻む。
眩しすぎるほどの生の謳歌に、生粋の鬼であるヒサナは目眩を起こしそうになるが、倒れている場合ではない。
その草木を踏み越えて逃げようと思案していると、先程とは違った柔らかな追い風がヒサナの髪を踊らせた。
追い付かれたかと、ヒサナはギッと、先程から執拗に追いかけてくる術者を睨み付ける。

「そんな恐い顔しないでよ。美人が台無しだよ?」

ヒサナの追っ手―――白澤はヒラヒラと風に揺れる袖口に片手を添えながら掌を閉じた。

「お前が追いかけてこなければ…顔を会わせることもない…!」
「ごめんねビックリさせちゃったよね。でも皇帝がさぁ?聞いてよ人使い荒いんだよ!色々薬学についてゲロったのに、あとは山に古来から住む鬼を退治してくれって言うの。でなきゃ僕、天国に帰れないんだ」

だからごめんねと、再び白澤は手を横に薙ぎ払う。
芽吹いた木々が幹を歪ませヒサナの手足に絡み付いてくる。
それを鬼の怪力をもって端からちぎり逃れようとするが、息吹のスピードには敵わない。
肩から両腕を拘束され、自由がきかない体に舌打ちし、更に目の前の男を憎らしげに睨んだ。

「あんたの都合なんて知らない…それに私は奴ら人間が来るより前からこの地に住んでる!あいつらが山を荒らさなければ手を出したこともない!なぜ私がこんな目に遭う」
「それは人間の勝手な部分だと僕も思うよ」
「あんたも自分の都合で私を捉えようとする。同じだ」
「ははっ確かにそうだね」
「あぁそうさ!」

ヒサナは目を見開き牙を剥く。
自由な足でダンと地面を踏み鳴らすと、山は悲鳴を上げるかのように山肌に大きな裂け目を開く。
地響きと共に現れたそれは周囲の草木の生命力を奪い萎れさせ、しまいにはカラカラに風化させてしまった。

怪力でできた裂け目ではない。
それは鬼門と変わりなかった。

流石は鬼というか…山がヒサナの想いに呼応したようにも白澤には思えた。
しかも只の鬼では鬼門を申請無しに自由に開くことなどできはしない。
彼女の実力か、山の助力か、どちらにせよヒサナの能力は、一端の鬼の範囲を越えている。

「やっぱりね…古来から住むって聞いてたから、鬼って聞いてたけど神の領域に足を踏み入れてるね」

白澤は楽しそうに笑って足元に開いた門の上に浮かび、ぱっくりと大口をあけ禍々しい地獄の底をさらけ出す地割れに手を添えると、トンと優しく指で叩く。
すると地鳴りは収まり、土が、草が、木が、負傷した大地を癒すかのように根をはり、その裂け目を覆い隠す。
それを笑って見届けた白澤はよしと顔を上げると、次は掌をパンとうち鳴らした。
ヒサナがそれを目にしたときには、辺りに甘ったるい臭いが立ち込めており、体に力が入らなくなったヒサナは拘束する木々に身を委ねていた。

「まぁ神様になりかけてるといっても鬼は鬼だし、この香の臭いには弱いみたいだね。…やっぱり綺麗な子」
「うるさい…!」

目の前で歩を止めた白澤は、腰を屈めてヒサナの顔を除き込んできた。
女の子というだけでもやる気が出たのに、美人ともなれば更にテンションも上がる。
さてとと、白澤が懐から出した護符に驚き身を捻り、まだ出せた力で木々の拘束をといて駆け出したヒサナだったが、
また風圧にからめとられ、生い茂った草のなかに転げる。
手荒な扱いに腰をうち悶えていると、茂みの間から奴が顔をのぞかせた。

「ごめんごめん。僕神獣だけど、こっちの力って使ったことないから加減がきかないんだよね」

さっきも蔓の一本でも操れたらと思ったのに、全ての草花が応える様だ。
難しいねと笑いながらその手から放たれたのは先程の鬼封じの護符。
神が私に何の用だと聞く間も与えられず、完璧に手足を、口を拘束されたヒサナはそれでも諦めずに鋭い目で白澤を見据え続ける。
護符の力で、力はなにも入らなかった。

「勘違いされてたら困るけど、僕最初から君を殺す気はないよ」

ならどうする気だと思っていると、心でも読んだのか白澤はにんまり笑ってかがみ、足元に転げたヒサナの頭をくしゃりと撫でる。

「ようは皇帝は、君がここからいなくなれば納得するんでしょ?今ね、日本の地獄が改革してて面白いことになってるから、そっちに送ってあげようかと思ったんだ。鬼は地獄へ…でも君、神様にも近いみたいだから、うちにでも来るかい?」

この子は気づいていないけど、強大になりつつある鬼力と彼女の内に生まれた神力が反発しあい、この地に良くない影響を起こしている。
神聖な山に鬼門が開くのだから当たり前だ。
この子が留まりたいと言おうがなんと言おうが、こちら側へ連れてく事は決定事項だ。
鬼神とはまた違う鬼の神。彼女の口許の護符を丁寧に剥ぎ取ると、何を勝手に決めているのかと直ぐ様罵倒されたが、彼女の唇に一本指を添えてやると大人しくなった。

「いい子」
「うるさい…!」

さっきの言い方とは全く違う迫力。
照れている。あまり他人に接したことがないのか。
彼女は身を捩っているが護符の力でなにも出来ないようなので、白澤は彼女を横抱きにして抱えあげた。

「は…離せ!降ろせ馬鹿―――」

馬鹿者、と続けようとしたとたん、真っ白い柔らかな毛並みに包まれたかと思えば、あの男はヒサナの前から消えており、代わりに、フワフワとした真っ白い獣の上に乗っていた。

「えっ!アイツはどこへ…!」
「馬鹿じゃなくてアイツじゃなくて僕は白澤。さっきもいったけど、神獣やってます。」

獣が口を利いたことに驚いて背から落ちそうになるが、そこは白澤がバランスを取ってもちこたえられた。
この不思議な生き物の口から聞こえてくる声は、確かにあの男の…白澤の物だ。

「ヒサナちゃん」
「なぜ私の名前を知って…」
「山がね、君を見送ってるから」

山全体が、彼女を見送っている。今のままではいけないと察していたが、それでもヒサナと共にいたかったのだろう。

力の真価を覚えたらいつでも帰っておいでと山はヒサナに謳う。

その声にヒサナも気づいたのか、名残惜しそうに遠ざかる地上を見つめ、切な気な顔をしていた。

「…いましばらくお前のいうところへ行けば、私はここへ戻ってこられるか?」
「さぁ、どうだろうね」

神獣とは厄介なものだ。ヒサナを抑えたことで皇帝の『言霊』に縛られていた体が解放されたのを感じながら、白澤は天国を目指す。

「それはヒサナちゃんの能力と努力次第だと思うし、あとは僕次第かなぁ」

この男の善意に甘えてみようかと思ってみれば、含んだ物言いに怪訝そうに白澤を見下ろすと、白澤は額の単眼だけでギョロりとヒサナを見上げた。

「殺せって言われたものを拾ったんだから、生かすも殺すも僕の自由でしょう?だから今日からヒサナは僕のものだ!」

何を馬鹿な事を言うのか。未だ自由のきかない体を怒りに震えさせる。
やっぱりろくな奴ではないとヒサナは一度でも信じようかと思った自分に呆れ、今更引き返せない所にいることを後悔した。

20140713

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