私は恋愛とは縁のない生き物なのだと随分長いこと思い続けていた。 17年と6か月、周りの友達が恋をしたり告白されたり、付き合ったり別れたりを繰り返しているのを他人事のように眺める。誰かを好きになる感情はよく分からなかったけど、その感情は酷く脆く、崩れも薄れもするらしい事は知っていた。正直、そんなものほしくなかった。
生徒会の仕事を終えて生徒会室を出る。廊下に幾つも並ぶ窓の外の空は、沈みかけた夕日が薄紫色に彩っていた。
「お、今帰りか?」
背中にあたった声は、私が振り返る事を見越して次の言葉も用意しているのだろう。 そしてこの声の主は、振り返った私を驚かせないように優しく微笑んでいるはずだ。 そのどちらも腹立たしくて、私は爪先の向きを変えずにズンズン先を急いだ。 「はは!無視は傷つくのなー」 と微塵も傷ついた様子の無い調子で横に並んできた男。山本武。 ただのクラスメイトにしては馴れ馴れしすぎる言動と行動が私は気に食わない。私なんてほっとけばいいのに。
「ついてこないで」 「話があんだって」 「どうせくだらない事じゃない」 「違うぜ。今日のはマジですげーのな」
そう言って昨日も一昨日もくだらない話だった。親父が店に来た客に包丁さばきを褒められたとか、野球部の練習試合が来週あるとか、獄寺が3段アイスクリームを買ってすぐ落としたとか。私にとって損にも得にもならない話ばかり。なのに。 損にも得にもならないし、たいして大きな出来事でもないのに山本がさも楽しそうにそれを話すから、ついつい聞き入ってしまう。私がちゃんと聞いていると分かると、山本は嬉しそうに続きを話す。
「優しいよな、ほんと」 「…何急に」 当たり前のように私の横に並んだ山本と帰り道を歩くのは今日で5日目だ。私はリュックの肩ひもを握りしめながら、ちらりと隣を見る。
「なんだかんだ言って、俺の話ちゃんと聞いてくれんだろ」 「…それは」 「ま、俺が勝手についてって話してるだけなんだけどよ!」
山本はいつも通り爽やかに笑ってまた前を向いた。何か言わんとして開いた口だったが、当たる言葉が見つからずに結局閉じた。発言権は相変わらずあちらに譲りっぱなし。 山本は何秒か間を空けた。珍しく思考に耽っているようで、私も口を閉ざしていた。
「正直、さ」
何だろう。今までとは少し違った雰囲気に私は身構えた。
「俺のこと、あんま好きじゃねーよな?」 これは即答だった。 「好きじゃないって言うか…嫌い」 「…ハハ、はっきりしてるぜ」 「嫌い」
今度こそ、山本はひどく悲しそうな顔をした。 嫌いに決まってる。 頼んでないのに傍に来てつまらない話をずっとして、そのせいで私はこの前から全然勉強がはかどらない。
「俺はさ、けっこう好きなのな」 「…」 「でも好きな奴の嫌がることはしちゃいけねぇって、親父がよく言ってんだ。俺もそう思う。…だからもうあんま話しかけねーから。…つかなんか、ごめんな」
発言権を握りっぱなしの山本は、自分の言いたい事をつらつら並べ続け、そして片手を上げた。いつもの笑顔がぎこちなくて不自然だ。
「じゃあ、またな!」
ぼうっと立ち尽くしたままの私から、山本はどんどん離れて行く。どんどん、どんどん離れて行く山本。もう二度と自分に向けられることの無い笑顔を思い出して、心の中で一度だけ名前を呼ぶと、山本が振り返った。驚いた私より、さらに驚いた表情を浮かべた山本は、冗談かと思うくらいのスピードで私の所へ戻ってきた。
「……えーと俺、もしかして、ひでー事言った!?」
私は首を振る。
「…なあ」 「なに」 「…泣かれっとさ、俺、どうしていいかわかんなくなっちまう」 「ごめん」 「や、謝んなって」 「…ごめん」
だって分からない。 悲しそうな顔の山本を見たら、摘まれたように胸がきゅっと痛くなった。 離れて行く山本を見たら、呼び止めたくなった。
「きらい、なのに」
嫌いなはずなのに。 もう話しかけないと言われて、どうしようもなく泣きたくなった。 わけわかんない。こんなに頭がこんがらがったのは生まれて初めてだ。
「……嫌いだよ。」 「うん」 「きらい。」 「うん」
「山本といると…、胸、いたいよ」 俯いて小さく告げれば山本は僅かにはにかんだ。困ったような、嬉しいような、そんな山本の顔は初めて見た。――「それさ、たぶんアレだぜ?」
世界はどこまでも輝いていたね
0226 企画「あのひ?」様 提出
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