教室に行くとやはりまだ誰も来ていない。安心するのと、がっかりするので変な気持だった。
机は相も変わらず落書きや暴言で溢れているが、そのなかに昨日には無かったはずの文字が一つ付け足されているのに気が付いた。
むりすんなよ
悪口と悪口の間に埋もれたように書かれた小さな殴り書き。見たことも無い字だったから、こそ、どうしてか感じ取れた。途端に胸がほかほかと暖まる。
さっきカメラを取り付けてる時、だ。
グリムジョーは何故だか、わたしを安心させる言葉を知ってる。わたしをほっとさせる、言葉を知ってる。
「…ありがと」
誰にともなくした呟きは、教室の沈黙にそっと滲んでいった。
たまたま、早くに目が覚めたからいつもより早く学校に来た。そんで、教室の前に立った時に聞こえたんだ。
「ありがと」
なまえの声だった。
懐かしいと思ったのは久しく聞いてない響きだったから。前は当たり前に聞いてたそれを懐かしく思うほどに、俺はこいつと話してなかった訳じゃない。
少しだけ空いたドアから中を覗くと、なまえの横顔が見えた。綺麗だ、て素直にそう思えた。
途端に胸が痛み始める。ずく、ずくん。
その痛みに気付かない振りをして引き戸を開けた。なまえの顔が硬直したものに変わるのが見えて、また胸が痛んだ。
「何だよ、今日も来たのかお前」
違うだろ
「図太い神経してるよな」
こんなこと
「不登校にでもなっちまえば楽なんじゃねーの?俺達だってその方が…、」
こんなことが言いたいわけじゃない
「け……浅野?」
「何だよ、それ」
「…?」
「浅野って…お前、俺の事そんなふうに呼ぶなよ」
啓吾!にっこりと笑う記憶がとりついた様に俺のなかを揺さぶった。
「お前が、そんなふうに…っ」
「ごめん啓吾」
顔をあげれば困惑したようになまえは眉を歪めていた。
何でお前がそんな顔する必要あんだよ、ほんと、わかんねーよ
「ごめん、ごめんね…ごめん」
「謝、んな」
「あたし…もう少しで終わりにするからね」
その言葉の意味を尋ねようと口を開いた時、なまえはハッと顔を上げた。そしてガタリと自分の席について鞄から取り出した本を開く。
数秒も経たないうちに引き戸が開けられて、数人のクラスメイトが教室に入ってきた。一緒に現れた水色は立ったまま動けずにいる俺を見て首をかしげている。
「あ、啓吾はえーな!」
「ってか望月もいんじゃん、何で学校来てんだよコイツ」
「おい啓吾何突っ立ってんだ?」
「あ…、おう」
席に戻る際に横眼でなまえを見れば、さっきとは違った無表情。俺はあることに気付き、また動きを止めた。
「、あ」
「どうかしたの?」
「……や、何でもなかった」
「ふーん。あ、そうそう、昨日の7時からやってたテレビがさ…」
水色の話が全く頭に入ってこなくなった。
あいつの目が、全然動いてなかったから。初めから本なんて読んでなかった、あいつは。思い返せばすぐに分かるじゃねーかよ
なまえは本なんか読む性格じゃなかったろ。
考えれば考えるほど、その姿がいたたまれなくなって目をそらした。何やってんだよ
何やってんだよ、俺は
いつも通りに笑ってる水色が。クラスの奴らが。ぎこちなく見えて、しかたなかった。