「おいフラン、そろそろ止めねーとこいつほんとに壊れんぜ?」
「…ベル先輩は黙っててくださーい」
「オマエ何焦ってんだよ」
「焦ってるのは先輩でしょ。ミーに可愛い玩具とられちゃって」
「フラン」
「………壊れないんですよー。どう頑張っても、意識の中枢に入り込めないっていうか、泣いて叫んでも心は鉄壁っていうかー」
「……でねぇの?ボロ」
「…はいー。全然」
立ち上がったフランは、自分の幻覚によって悲劇の最中にいるなまえの傍に寄った。悲鳴を上げて床にのたうつ彼女は胸を押さえ苦しげに喘ぐ。
「どんな屈強な戦士でも、ミーの幻覚にかかれば30秒ともたないはずなんですけどー」
「もう10分経つぜ」
「どういうわけですかねー」
ベルもフランと任務をこなす中で、この後輩の手によって無様に泣き叫び失禁し嘔吐する男達の姿を幾度となく見てきた。そいつらは幻覚から放たれると恐ろしく従順になっていたものだ。
無言になったベルとフランの視線の先で、なまえが叫ぶのを止めた。

「…おい、死んだんじゃ」
ベルの言葉を否定するように血の気を失った白い指先がぴくりと動く。胸のあたりを押さえていた手が何かを探るように宙を彷徨った。ベルはあの時の、握られた手の感覚を思い出した。
フランは暫くの間無表情にそれを見つめていたが、やがて傍に片膝をついた。
「おい、何すんだよカエル」
「昨日センパイがしたのとおんなじですー」
ベルが小さく舌打ちしたのを聞きながらフランはその手を握る。なまえの瞼が薄く開いた。

「ミーが分かります?」
「………ふ、ら」
「そうですー。気分はどうですかー?」
「最悪に決まってんだろ」
「堕王子には聞いてませんー」
「あ゛?……おい」
「…」

体を起こしたなまえは、握られた右手をそのままにフランの胸に縋った。
きつく閉じられた瞼からはポロポロと滴が零れ落ちる。



「ひ、…っく」

小さな嗚咽が尋問部屋に響く。長い間黙って動かなかったフランはベルに背を向けたまま、いつもの調子で尋ねた。
「ねーベルせんぱーい」
やや間を開け、ベルもいつもの調子で答える。
「何だよ。カエル」


「この小娘、ホントに何も知らないかもってボスに報告したら、ボス殴りますかねー?」
「…カッ消されんじゃねーの?」
「ですよねー」
「ドカスが。」
二人はばっと後ろを向いた。扉にもたれるように立っているのは、見間違いようもなくXANXUSだった。腕を組んだ威圧感垂れ流しのXANXUSはなまえを顎で指し、傍にいたベルに問う。

「何だあの様は。テメェら、尋問をしてたんじゃねェのか」
「うしし…俺達ちゃんと仕事してたぜ、ボス」
「心身ともにメチャクチャにしたつもりだったんですけどー」
「言い訳はいい。それで、何か吐いたのか」
「はいボスー、その事なんですけど、ミー達が思うに」
「俺入れんなよ」
「本当に何も知らない可能性がでかいですねー」
「…何だと」
「それか、相当屈強な精神訓練施されてるとか…その線は薄そうですけどー」
「ハッ、テメェら情にほだされたんじゃねェのか」
「ありえませんねー」
「しししっ、おまえ今の格好で言っても説得力ねーから」
「フン…まあいい。そのカスは暫く放っとけ」
「召集だ」言い置いたXANXUSが立ち去ると、室内はたちまち沈黙を取り戻した。そんな中、ししっとぎこちなく笑ったベルは呆気にとられながら口を開く。


「ボス直々にンなこと言いに来るとか…有り得なくね?」
「もはや天変地異の域ですねー」
「コイツの様子見に来たのかな」
「それしか考えないってゆーか、あのボスの重い腰上げさせるとか、中々やりますよねー」

フランはなまえの肩を押して体を離し、立ち上がった。なまえの目が頼りなさげにフランを見上げるのをベルはなぜか快く思わずに眺める。

「ミー達は幹部会があるのでとりあえず引き揚げますー」
「…わたし、は?」
掠れてはいるがしっかりとした意志を持った問い。フランはますます不思議がった。しかしそれ以上の追及を許さぬというように言葉を挟んだベルがフランの隊服の襟首を掴む。
「ボスの聞いてなかったのかよ。オマエはここで待機」
「……」
「つーかむしろ1人のがラッキーじゃね?何でそんな顔してんだよ」
ベルの疑問は尤もだった。ついさっきまで脳内に入り込まれ幻覚を見せられ、さんざんいたぶられてきたというのになまえの顔はまるで不安げだった。自分が何をされたか分かっていないわけでもあるまい。

「一人はやだ」

殴られるより蹴られるより、孤独を忌むとでも言うのだろうか。

「何、まさか俺達と一緒にいてーの?」
「いたい」
「ミー達に何されたか分かってますー?」
「、うん」
「お前マゾ?」
「ちがう」

「じゃあ何だよ。お前状況分かってんの?俺達はお前を拷問する立場で、お前はされる方。一緒にいて痛いのはお前。辛いのもお前。お前にとって俺らは憎むとか恐れるとかそう言う対象であって、泣いて縋る相手じゃねーの。わかる?」
ベルが饒舌に話している間、なまえはじっと黙ってそれを聞いていた。
「分かってる。…―――でも、誰もいないから」
お父さんもお母さんも、鈴木さんも、友達も、ここにはあなた達の他に誰もいない。


「あなたたちに頼るしか、わたしは、生きていけない」


まただ。ベルは思った。罵っても殴ってもこいつの澄んだ瞳は何したって濁らない。だからといって憎しみを宿すわけでもない。ベルはその瞳に見つめられるたびに腹の底が疼くような感覚を覚えていた。

「…行くぜ、フラン」
ベルはその目から逃げるように踵を返した。部屋から二人が出ると、見張りの男が恭しく頭を下げる。一瞥もせずに通り過ぎると背後でガチャリと鍵をかける音が聞こえた。疼きが止み、ベルは内心で安堵する。
「お腹押さえてどうしたんですかー」
「…」
「便秘で」
「うっせーよ」
「イデ……って攻撃弱。センパイ本格的にヤバくないですかー?そんなにあの娘が気になります―?」
「ししっ、いい加減に死ねーとマジでサボテンにすんぜ。
 お前こそいつもより物言いに棘ねーじゃん。自分棚上げんな、よ!」
「あー刺しましたねー、ボスにちくっちゃおー」
「は?何をだよ」
「センパイが捕虜に恋しかけてるって」
「サボテンけってー…!」

走り去った二人と入れ違いに、派手なモヒカン頭の男がなまえの部屋の前に立った。
「開けますか?ルッスーリア様」
「…いえ、いいわ」
その男には珍しい、思いつめたような表情でしばらく扉を見つめ、そして結局何もせずに踵を返す。男の心中を察するものは、この屋敷には一人もいなかった。



***


なまえの閉じ込められている部屋には窓格子すらない窓がついていた。それは壁にある細長い隙間と言った方が正しいかもしれない。なまえにはどう頑張っても届くことなどできないだろう位置にある窓が、なまえにとって外の世界と繋がる唯一の空気口。仮に届く位置にあってもそこから逃げる気など起きないが(何より通れないだろうし)、なまえは窓に近付きたかった。外が、見たかったのだ。

「…」

電球のないこの部屋はその隙間から差し込む月明かりによって照らされていた。なまえは身をよじって起き上がり、体を引きずって扉の前に座り込む。向きを変えて視線を持ち上げれば、隈なく晴れ上がった紺青の夜空が細く垣間見えた。

「満月…」

いや、もしかしたら少し欠けているのかも。月はここからどれくらい離れてるんだっけ?前に鈴木さんが教えてくれたけど、その時は薯蕷饅頭に夢中でよく聞いていなかった。
ごめんね、鈴木さん。うちに雇われなかったら鈴木さんが死ぬことはなかったのにね。
庭師のおじちゃんも、ごめんなさい。
コックのお兄さんも、ごめんなさい。

なまえの頬を涙が一筋伝って落ちる。傷だらけの両手を合わせてその月に祈った。
RIP
どうぞ、安らかに


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