気になるあの娘 | ナノ


▼ 其の五

「浩平よぉ、せっかく来たのにこれじゃ見られないな」
「鶴見中尉の命令だからって過保護過ぎるよなぁ、洋平」
「野間も来たのか。そんなに見たいのか?」
「そりゃ気になるからな。そういう三島もちゃっかり来てる時点で人のこと言えんだろ」

その日、風呂時なら鯉登も付き添うことなく、『幻の美女』を拝むことが出来るかもしれないと期待した数人の兵士達が浴場近くに集まってきていた。
あわよくば入浴中の姿も…と思って来た者も少なからずいた様子だったが、なんとここにも鯉登は当然のようについてきていて浴場の入り口に椅子を持ってきて座って見張っている。
覗きに来た兵士達を見つけるやいなや、軍刀に手を掛けながら立ち上がり声を荒げた。

「貴様ら何をしているッ!見世物ではないぞ!戻れ!」

兵士達を追い払って、どかっと椅子に座り直す。
騒がしいのを聞きつけて様子を見に来た月島が少し呆れた様子で鯉登に歩み寄った。

「風呂にまでついてやってるんですか」
「月島か。鶴見中尉殿からの命令だからな。出来るだけ1人にさせないようにしちょる」
「そこまでしなくても良いのでは?」
「さっきの連中を見ただろう!おいが少しでも目を離した隙に何かあったらどうするッ!」
「大丈夫だと思いますけどね…」

野木山のことだから覗かれでもしたら自分でどうにかするだろうと月島は思っていたが、鯉登は未だ彼女が野木山だと知らずに付き添いをしているので言えないでいた。
相変わらず鶴見の関わることだと張り切り過ぎる鯉登に、これが鶴見の戯れであることを伝えるのはいささか気が引ける。

「ところで月島、翔子のことなんだが…」
「なんでしょう?」
「その、なんだ…」

突然、先程までの態度と打って変わって言い淀み始める鯉登。
いつの間に呼び捨てするようになっていたんだと思う一方で、遂に正体が野木山だと勘付いたか?と身構えると、鯉登の口から予想だにしない言葉が飛び出した。

「…好きな男はいるのだろうか…」
「…はい?」
「じゃっで、翔子には好いちょる男がおっじゃろうかッ!?」
「そんなこと知りませんよ!ご自分でお聞きになったらいいじゃないですか!」
「鶴見中尉どんからないか聞いちょらんか!?」
「さぁ、これと言ってそんな話はしてませんでしたけど」
「そうか…」
「鯉登少尉殿…まさか彼女のことが…」

月島がそう言いかけただけでキエエエエといつもの猿叫を始めた鯉登を見るに図星のようだった。
まさか野木山のことを好きになってしまうとは…と月島は溜息を吐き、やはりここで本当のことを全て話してしまおうかと一瞬考えたが、もうこうなってしまったのだから当事者たちでどうにかさせようと深く考えることを放棄した。

「…ほら、そろそろ出てくるんじゃないですか。私はもう行きますよ。おやすみなさい」
「うむ…」

月島が去ると共に、人の気配を感じ取っていた野木山は少し警戒しながら顔を覗かせたが、鯉登1人だけなのを確認するとパッと笑顔を見せて出てきた。

「お待たせしてしまってすみません。何かありました?」
「な、なんでもないぞ!」

水の滴る髪、少し火照った頬。
普段とは少し違う艶やかな姿は何度見ても慣れず、その度に鯉登はドキドキとして直視出来なくなり顔を逸らしていた。

「…部屋まで送る」
「毎日言ってますけど、そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ?」
「おいがしよごたっだけじゃ」
「では、お言葉に甘えて」

特別に空けて貰って使っている部屋へ戻ると、月明かりが窓から差し込んでいて電燈を点けなくともほんのり明るかった。
野木山は窓を開けて月を見上げる。

「綺麗ですね」

風を受けて野木山の濡れた髪が軽く靡く。
石鹸の香りが鯉登の鼻腔を擽った。
今しかない、と意を決して言葉を紡ぐ。

「翔子…おはんは、その…好いちょる男はおっか…?」
「好きな人、ですか?」

突拍子も無い質問に振り向いて目を丸くする野木山。
鯉登は俯いてごくりと唾を飲み込んだ。
少しの沈黙の後、野木山はゆっくりと口を開いた。

「…いませんよ。色恋とは縁遠くて」
「そうか…そうか…!」

安堵と喜びが混じり緩みそうになる口元をキュッと引き締め野木山を見据えた。
月の光を背に受け軟らかく微笑む野木山は今まさに天から降りてきたかのような神秘的な美しさを纏っていて、鯉登は突き動かされるように野木山を抱き締めていた。

「音之進さん…?」

突然のことに驚きはしたが、嫌な気持ちは微塵も無かった。
それどころか野木山は嬉しさを感じていて、そんな自分自身にも驚く。

「翔子が好いちょっ…」
「あの…」
「おいじゃダメか…?」

押し付けられた鯉登の胸から聞こえてくる鼓動は煩いほどだった。
それに呼応するように野木山の心臓もドキドキと速く脈打つ。
普段であれば冷静に自分の立場や鯉登の家柄について考えやんわりと上手く断っていたかもしれないが、こんな状況に置かれて、野木山の心は完全に何の柵もない1人の女のそれとなっていた。

「ダメじゃ、ないです…」

その答えに、ぱぁぁっと表情を明るくする鯉登。
嬉しさのあまり叫びだしそうになるのを必死に堪えて野木山をさらに強く抱き締め、野木山もそれに応えるように鯉登を優しく抱き締め返した。

/ 次

[ TOP ]