私は冷たかったけれど、姉はいつまでも私に甘かった。
中2のときにゲーセンで補導されたときも迎えに来た。しかも怒らなかった。父さんが仕事で忙しくて、母さんがいなくて、そういう家で、都合がいいと思っていたけど、「大丈夫だった? 帰ろっか」なんて微笑まれたら、流石に理解に苦しむし、なんかまたそれがウザくて、私はさらに姉を避けた。
姉は真面目なのに馬鹿だ。気が弱くて、私がちょっと強く言えばなんだって聞いてくれる。そういう人なのだ。この人はそういう作りになっているのだから、私とは違うのだから、仕方ない。私は我が強くて、頑固だから、それは仕方がないんだと。私は姉のことを見るたびに卑屈になっていくようで、次第に彼女を視界に入れることさえ拒んだ。
私の方が勉強も運動も出来て、私の方が要領が良いのに、好かれるのはいつも姉だった。黙ってニコニコしているだけ。なんにもできない。それなのに、父さんも学校の先生達も、私より彼女を好く。
でも、姉は何より私を好いた。私に執着するかのように、偏った愛を向けていた。性格の歪んだ私を、悪い友達以外には、人から好かれない私を、見下すこともなく、それどころか褒めそやして、甘やかして、ずっと、孝子ちゃん孝子ちゃんと、何よりも私のことばかり。
「なにそれ。拾ってきたの?」
「そう、父さんが飼ってもいいって。可愛いでしょ?」
姉が黒い猫を拾ってきた。
「別に。私、動物嫌いだし」
「そっか」
姉は笑って、抱きかかえた黒猫の頭を撫でて、私に向けていた優しい瞳を猫に向けた。
「名前は?」
「え?」
「名前つけないの?」
「ああ……何がいいかな。孝子ちゃんが考えて?」
久しぶりに姉と会話した。最近はほとんど、話しかけられても無視していた。
「ダイナ」
「アリスの猫だ」
「そう」
「素敵。ダイナ、ね。ダイナにしよう」
姉はそれから、学校から帰ってくると一日中ダイナと遊んでいた。私に話しかけてくることもなくなって、私も助かった。ダイナは猫らしく我侭で、ダイナと遊んでいる姉は、私と話しているときの状態とあまり変わっていなかった。反抗期の妹がひとり増えたみたいになっていた。それだったら、豆柴か何か、犬を拾ってきたほうがよかったんじゃないの。私よりうんといい子だよ、犬は。
類は友を呼ぶ、というが、我侭ダイナは我侭妹にすりよってくるようになった。世話を全部している姉を差し置いて、撫でたこともない私について回るようになった。
「お姉ちゃんとこ行ってきなよー」
可愛い声で鳴きながらすりよってくる様は、なんだか姉みたいでウザいし、それに、流石に姉に申し訳ない。
「ダイナは孝子ちゃんが好きなのね」
姉はそれを見て笑っている。傷つく様子もなく、楽しそうに。
その姿に、なんだか、今までとは違う、狂気のような、何か危険な危うさを感じた翌日、姉は熱を出した。
薄情な猫はいつもどおり散歩に出て、それから長いこと帰ってこない。私は休日でたまたま家にいて、でも父さんは仕事でいなかった。姉はうつしてしまうとよくないから、と言って私にリビングで過ごすように言った。たしかに、病人と同じ部屋で過ごすのは居心地が悪いだろうと思って、私はテレビもパソコンも勉強も、全部リビングのダイニングテーブルでやった。
私がうたた寝して、日が落ちて、それでもダイナは帰ってこない。
「孝子ちゃーん」
2階から姉の呼ぶ声がして、私はふと我に帰り、「何ー?」と大声で訊き返した。訊き返しながら、2階へ向かった。
「ダイナは?」
私が部屋にはいるなり、布団の上に身体を起こした姉が訊いた。
「いないけど」
「そう……あのね、聞いて、孝子ちゃん」
姉は妙に嬉しそうだった。
「すごいのよ。今、夢を見たの。夢の中で、ダイナが出てきて、私に喋りかけたの。“私は奈々子の生まれ変わりです”って」
「奈々子?」
奈々子は、3年前に病気で死んだ、私の幼馴染の名前だった。私も今よりはまだいい子な頃だったけれど、奈々子は秀才の優等生だった。とても綺麗な字が印象的で、他にも、なんでもできた。でも、嫌味なかんじは全くしない、とても優しくて可愛い女の子だった。私は奈々子のことが大好きだったけれど、奈々子もやっぱり、他の人と同じで、私より姉を慕った。
恐らくそれに対する嫉妬がきっかけで、私は次第に姉をないがしろにするようになったのだと思う。
「うん、それでね、“私は孝子と遊びたくて来たのに、孝子はいつも私に冷たくする”って言って泣くのよ。ね、孝子ちゃん。奈々子ちゃんだと思って、もっとダイナを構ってあげてよ」
「なにそれ、馬鹿みたい」
気付いたら、口をついてそんな言葉が出ていた。
「夢でしょ? 知らないっつーの。私、動物嫌いだって言ったじゃん。お姉ちゃんの猫なんだから、お姉ちゃんが構ってあげればいいじゃん」
私はそう言い捨てて、リビングへ戻った。
庭に、ダイナがいた。私は窓を開けてやってから、
「奈々子」
ダイナに呼びかけた。
「なんなの? あんた。生きてるときは、散々私のことほったらかしにしたくせに、今度はお姉ちゃんより孝子がいいって?」
猫は不思議と、そこに座り込んで、黙って話を聞いているようだった。
「奈々子なんて大嫌い。どうして生きているうちに、お姉ちゃんばっかりじゃなくて、私とも仲良くしてくれなかったのよ。私がダメだから? 愛想がないから? 怒りっぽいから?」
言っているうちにどんどん切なくなって、私はついに、窓辺にへたりこんで猫相手に泣き喚いていた。
「どうして皆お姉ちゃんばかり好きになるのよ。あの人、ただ優しいだけなのに。ただ本当のこと言わないで、黙ってニコニコしてりゃいいと思ってるだけなのに。私のほうが何百倍も素直で真面目よ。どうして私のこと、誰も好きになってくれないの? どうしていつもお姉ちゃんなの? お姉ちゃんばっかり幸せなの?」
ダイナはにゃーと短く泣いて、私のわきをすりぬけていった。
そんなことがあってから、なぜかダイナは姉にばかり懐くようになった。大声を出して怖がらせたから、嫌われたかな、と思った。でも、それはなんだか納得いかないことだった。
また、姉に奪われた。
としか思えなかった。
姉と私の会話もまたなくなった。姉はまた私に突っかかられるのが怖くて、話しかけてこなくなった。いつも私から隠れて、ダイナと遊んだり、喋ったりしている。
またあのときと同じだ。奈々子が生きていた頃と、全く同じ。
私は家で誰とも会話しなくなった。父とも、姉とも。ダイナもよりつかない。
私は自分自身を孤独へと追いやってしまった。私はじゅうぶん素直に生きている。これがありのままの私だ。それが愛してもらえないなら、どうやって生きていけばいいのだろう?
姉になりたい。
誰からも愛される馬鹿になりたい。
いわば姉はぬいぐるみだ。ふわふわで、手にとれば色んな風にポーズが変わる、骨のないぬいぐるみだ。ただそこにいるだけで、誰かがきつく抱きしめてくれる。抗うことも、相手を選ぶこともない。奴隷のようで、ただし、愛されるだけの存在。
それでも、愛されないよりはましだと思った。
数ヶ月が経ったある日、父の煙草の不始末で、家が燃えた。私と姉と父は逃げ延びたけれど、ダイナは焼け死んだ。こんなときに限って、ダイナは家にいたのだ。まったく、転生前に幼くして病で死んだだけのことはある。不運なんだ、やっぱり。鎮火して、真っ黒く焼け焦げた見るも無残な我が家を目の前にして、姉は私の手をぎゅっと握った。
「ダイナ……死んじゃった」
姉は泣いていた。
「死んじゃったよ、孝子ちゃん」
「そうだね」
私は冷たく返した。
死ねばいい。私より姉をえらぶ奴、皆死んだらいい。
「お姉ちゃんは、ダイナと私、どっちが大切だったの」
私は消え入りそうな声で、姉にそう聞いた。
「孝子ちゃんに決まってるじゃない。ダイナも大切だったけど、何があっても、私は孝子ちゃんのことが、世界で一番大好きだよ」
姉は涙目で私に微笑んだ。
「これからもずっと?」
「もちろん」
「絶対離さない」
私は繋いだ手を、強く強く握った。姉は顔をしかめて、「痛いよ、孝子ちゃん」とうめいた。
誰からも愛される姉に嫉妬? そんなことは、真っ赤な嘘だ。本当は、素直でもなんでもない。私はただの、罪深い大嘘吐き。
誰も愛してくれない。でも、あなただけは私をずっと、愛してくれた。
裏切ったりしたら、奈々子やあの猫と同じにしてしまうよ。
私が今まで、私からあなたを奪おうとする人たちを殺してきたように、いつかあなたの心が変わったら、そのときはあなたを。


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『更級日記』より「猫と夢見る少女」を現代風に書いてみた。


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