愛の城



田舎町なので、広い家に私たちのような貧乏な若者がふたりで住んでいても、あまりおかしいことはなかった。
私はセーラー服を着た女学生で、同居人はめったなことでは外に出てこない出不精の小説家だった。

「また、今度ね」

そう言うと友達はかならず口を尖らせた。

「今日はお客さんがいらしてるから」

お客さんなんて家に来たことがない。私はいつも何かと理由をつけて、友達を家に上げることはしなかった。一度も。
友達は特に多くないけれど、私たちの間では仲良しをお家に呼ぶのが定番だったから、当然お家にあがらせてと言ってくる子も多かった。でも、私は断る。

「どうしていつも断るの? 何か私たちに隠しているんでしょう、言って頂戴よ」
「何も隠してなんかないわ……ただ、ちょっと、都合が悪いのよ」

言い逃れだったが、都合が悪いのは事実だった。
クラスメイトは皆、私にはお父さんとお母さんがいると思っている。
でも、そんなものはいない。母は出て行ったし、父は死んだ。
私には兄がいる。とても優しい、ただ私だけを思ってくれる兄が。兄は父親の連れ子で、私と兄は腹違いの兄妹である。兄とは5つ違いで、私が物心ついた頃には兄と継母は決裂していた。母は兄によく手をあげたし、兄も母に反発した。私にとって継母は実母だったが、兄を苛めるという理由で私も継母を次第に嫌うようになり、私たち兄妹は家での居場所をなくしてしまった。でも、お互いさえいればそれで充分だった。幸せだった。
そんななか、ついに父と継母の仲がこじれて、継母は家を出て行った。それから少しした頃、父は不慮の事故で死んでしまった。私たちにとって、父の記憶は非常にぼんやりしたものだった。仕事が忙しかったのか、それとも遊び人だったのか、今となっては分からないが、とにかくあまり家に帰ってこなかったのだ。
私たちは親戚の家に預けられたが、そこでも大人たちと上手く行かなかった。それが、私が9歳、兄が14歳の時だった。兄は社交性だとか性格のことに関してはてんで駄目だったが、勉強ばっかりよく出来た。私はもともと頭のつくりはなっちゃいないが、兄の背中を追って必死に勉強していたので、小学校まではなかなかの成績だった。親戚の家でも私たちは孤立した存在で、その家の父と母は私たちを召使か何かのように扱って、ちっとも優しくなかった。家の子供たちも私を苛めたが、そのたび兄が守ってくれた。そうしているうちに、どんどん私の世界は兄でいっぱいになっていった。
兄が17歳のときに、ある雑誌に応募した彼の小説が大賞をもらった。兄には文章の仕事が次々舞い込み、もう親戚の家にお世話にならずとも済むのではないかと思って、兄は幼い私の手を引いて家を出た。私は兄と二人だけで暮らせるのかと思うと嬉しくて気が気ではなかった。
それで、今の家に住んでいる。
だだっぴろい平屋だ。そこに、兄と私の二人きり。
私にとってこの家は城のようなものだった。それほどに尊い存在だった。だって、もう誰も邪魔するものはいない。
私と、彼を。
だから誰も呼ばないのは当然のことだった。
私は兄が私を連れて親戚の家を出た時の年齢になった。あれから5年経つのだ。

「ただいまー」

玄関をガラリと開けて、大きな声で言うと、私は靴を脱いで長い廊下を進んで行った。居間の戸を開ける。
四角いちゃぶ台の線に沿うように、兄、直彦が寝ていた。寝息も聞こえないほど静かに。

「お兄ちゃん夕飯ー」

私は言いながら学生鞄をボトンと直彦の足元に落として、彼と戸棚のあいだに空いた細い空間を抜けて台所へ向かった。

「……昨日のカレーだけどいい?」

と、寝起きの声で直彦が訊く。

「うん」

言われるより先に、私は手を洗って、準備し始めた。昨日のカレーだけどいい、も何も、昨日のカレーしかないことぐらい私は分かっている。台所に立つのは私だけだからだ。

「今日は学校どうだった?」
「楽しかったよ」
「それでそのー……史子」
「何?」

兄は言いづらそうに言った。

「ちゃんと友達はいるんだろうね?」
「えっ」

私は思わず笑ってしまった。

「いるよ、大丈夫よ、私、お兄ちゃんほど内向的じゃないから」
「……それは失敬、いいんだ、ごめんね。気にしないで」
「どうしてそんなこと訊いたの?」
「いや、いいんだよ、本当に。変なことを訊いて悪かったよ」

そうして口ごもるので、私が直彦のほうを振り返ると、彼はちゃぶ台に頬杖をついてテレビを見ていた。内容なんて一個も入ってきていない表情をしていた。着ている甚平のあわせの部分がデロリと垂れ下がっていて、それは毎年深さを増すようだった。少女のような儚さを持った美少年だった頃に比べれば、目の下の隈が濃くなって、頬がげっそりとこけてしまった。でも、それでも彼はじゅうぶん魅力的だった。白い肌に影を落とす真っ黒い髪の毛は私の百倍綺麗で、鎖骨の辺りでくるんと跳ね返るような癖がついている毛先はとても愛らしかった。

「何よ、気になるから最後まで言って」

私は皿に盛り付けたカレーをふたつ持って居間にあがりながら言った。私がそれをちゃぶ台に並べると、直彦は逃げるように立ち上がって台所に入り、冷蔵庫から麦茶を出してきた。普段なら絶対、言わないとそんなことはしない。

「いやあ……だからね、もしこう、何か我慢してるんだったら……」
「どういうこと?」

私はコップに麦茶を注ぎながら聞き返した。一度口ごもるとなかなか頑固だ。この男。

「……家に友達を呼んでもいいんだよ」
「なんだあ、そういうことが言いたかったのね」

私は微笑んだ。が、はらわたが煮えくり返る思いだった。
確かにそれは、伝わらなくて当然だけども。だって、悟られてはいけないんだもの。この思いは。

「私が意図的にお断りしてるの」
「それは、家が史子と俺のふたりきりだからだろう? 他の友達の家にはお父さんとお母さんがいて……」
「そうじゃないの、別に、恥ずかしいとかじゃないの」

直彦は私の顔を不思議そうに見た。私は自分がスプーンを握る手が震えているのに気付いた。今すぐこれをナイフに持ち替えて彼を刺し殺したかった。でも何処にもナイフなんてなかった。

「な、なんとなくよ……友達を家に呼ぶのが嫌いなの」

私が言いたがらないのを見ると、彼はすぐに引き下がって優しく微笑んだ。

「そうか。それならいいんだ」

私はさっきあれほど追及したのに。

「ごめんなさい……」

私は口の中で兄に謝った。カレーは私も彼も辛目が好きだった。スパイシィな刺激が舌から脳に駆け巡って、私はもどかしく優しい直彦の心臓をナイフで一突きに貫いて、口から鮮血が溢れ出る前にキスしてやりたいと考えていた。
私は兄思いの只の妹の仮面の下で、いつも運命を呪っていた。長年にわたって彼と私だけの深い深い世界が築かれてきて、私はもう取り返しのつかないところにまで来ていた。
直彦を愛していた。


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