曲を聴いてそのイメージで文章を書いてみました。曲の作られた背景とか曲の本意は全く関係ないのでご了承ください。


 僕は僕を知らない土地を歩いていた。海辺の住宅街は道路にも砂浜の砂が散らばっていて、空気も僕が住んでいた住宅街とは全く異なっていた。
僕は僕が知らない土地を求めていた。風がうるさく吹きつけるために、静けさがやたら耳について、僕は自分の歩みや呼吸に気を取られてしまい、まるですごい曲芸でもやっているかのような気がしてきた。生きているのがすごいことのように感じられた。それが馬鹿馬鹿しくなると、僕は白昼の夢に足を踏み入れてしまったかのごとく空虚に疑いをなくした。
 僕はごつごつした石の階段で浜辺に降り、熱くない砂のうえに靴を脱いで立った。砂はさらさらと僕の足を飲み込んだが、混ざりこんだ石などのせいでさほど気持ちがよくなかったので、すぐにそれをやめて、寄せる白波に背を向けてあぐらをかいた。僕の後ろや横では水着の人たちが声をあげている。夢のように、それが僕には異国の言葉のように理解できない雑音に聞こえた。
 浜辺を見下ろす住宅の一番手前に立っている白い家をじっと見つめた。それが一番美しく見える家だった。白い壁に薄い空色の屋根。西洋風の造型だったが、日本の夏の濃厚でじっとりと重たい特徴と、不思議な調和を見せていた。僕からちょうど見やすい面にある二階の窓が開け放たれて、白く透けたカーテンが激しくたなびいているのもまた良い。その家は静寂をまとっていた。住人は人間のあるべき静けさと自然を持っているに違いない。僕は鞄から大きいクロッキーを取り出して、鉛筆でその家を描き出した。
 僕があまり落ち着いているせいで、僕の絵には蝉の声も遊泳者の騒ぎも、存在しないかのようになってしまった。白い家の庭に植えられた小さな木が、黄緑色の葉に強い光を受けている。夏の光だけは特別の明るさを持ち、そこらじゅうに散漫する。その光はいつも静かだった。僕には今、目しかないのかもしれない。あるいは、脳しかないのかもしれない。僕の絵は記憶のように都合よく美しくなっていた。まるで追想だ。穏やかな夏の白昼、蒸し暑さやうるささを排除したきれいごと。僕は暑さで頭をやられているのかもしれない。どうにも、昔の夢を見ているような感覚がして、仕方がない。しまいに僕は切なくなってきた。戻れはしない学生時代に、心だけ引き返してしまって、大人になった身体を置き去りにしてしまった。置き去りの身体は目の前の風景を描き続けるが、脳が見ている世界がそこに混ざりこんで、切なさと静寂がますます絵の世界を支配する。
 ふと、白いカーテンのバタバタと暴れる隙間から、人影が姿を現した。長い髪の少女だった。袖のない青いワンピースを着て、ほのかに日焼けした頬で遠い海を見つめていた。窓の淵に突っ張った両腕は細長く、いつもそうしているのであろう傲慢さで、見慣れた風景を独り占めしている。彼女だけの青春がそこに息づいているのを見て、僕はうっすらと嫉妬した。そして僕にも僕だけの青春があったのだと見栄をはって自分に言い聞かせた。しかし、僕には毎日自分の部屋の窓から海を眺めて考えごとをするような青春はもちろんなくて、それを当然のことのように食いつぶして謳歌する物憂げな彼女の表情にはやはり嫉妬せざるをえない。僕は絵に、若く美しく不満げな少女を書き足しながら、羨ましさに気分を高揚させた。僕もまるで15、6歳になったように、彼女に気持ちを重ねたが、僕が尊いと思って興奮する、所謂つくりものの青春はあまり価値のないものだった。
 僕が過ごした日々もまた、何でもない少年時代もまた、誰かに尊ばれるような代物だったのかもしれない。僕はあの恥ずかしい記憶の日々たちに多くを得、それを抹消しようとした日々に多くを失った。僕の昨日までの歩みがどのように今日からの歩みを作るのか、僕はどう作っていくのが正しいのか、それは、いまだに分からない。僕はただ不安のなかで、僕を知らない土地を求めた。自分自身から離れたところに何かある気がしてしまった。分からないことが多すぎて、根拠もなく行動してしまう僕はまだ、青春の続きを歩んでいるのかもしれない。これもいずれ恥ずかしくなるのだろうか。いい加減に、自分の道程を認めてみたいものだ。
 僕は砂でざらついてくるクロッキーを時々手で払いながら、絵を描き続けた。そのとき急に、それは夢の光景でありながら、いやにどんよりと現実らしくて、悪くないような気がした。僕が東京にいたときにはあまり描けない絵だったし、東京にいたときにはあまりなれない気持ちだった。僕は興奮しながらも、それに集中していた。深く深く、追想と思惑の世界に浸かり、さまざまのことを忘れた。少女は何をするでもなく、やはり水平線を見て顔をしかめている。椅子があるのだろう、窓枠に頬杖をつく体勢に変わった。僕があのくらいの歳のとき、好きなだけ水平線を眺めてよかったら何を考えただろう。僕はきっと水平線を絵に描いてしまったに違いない。それで、自分でやりたくてそうしたくせに、やらなければよかったと嘆くのだ。僕の上達の道はその程度に馬鹿なものだった。何も練習したことを後悔しなくてもいいのに、そうしてもみ消したがるうえに、描かない時間は持とうとしない。僕は彼女ぐらいのとき、あんな大胆な態度は取れなかった気がする。彼女は何を考えているのだろう。好きな人のことか、部活動のことか、勉強のことか、未来のことか、それとも、水平線のことかもしれない。海のことか、空のことか、その向こうにある未知のことか。
 僕には見えない、少女の瞑想は無限に膨らみ、海よりも広く深いものがその瞳に広がっていくので、僕は勝手に喜んだ。若い人の考え込んでいるさまはなんと可愛らしく、壮大で、切ないのだろう。
 そのとき、少女の視線は水平線を離れた。僕の絵に描かれた彼女とは目線が違うものになった。僕を見たのだ。僕が絵を描いているのを見つけ、僕の顔を見て、僕の目が少女を見ているのを見つけた。少女は驚いて目を丸くした。しかし、それからいたずらっぽい目をして、立ち上がって身を乗り出し、「見せて」と言った。僕に言った。そんなふうに口が動いたのを見た。僕はクロッキーを頭の上にかかげて立ち上がり、階段を昇って家に近づいた。少女は目をこらして僕の絵を見、嬉しそうに微笑んだ。そして、「私、買うわ!」と叫んだ。僕は満足げなその表情に喜んで、「さしあげるよ」と答えた。丁寧な物言いが面白かったのか、少女はアハハと高い声で笑った。
 僕はそのとき、その青春の重要なひとかけらになったらしいことに気付いた。少女の変わらない日常の片隅に、彼女を主人公に選んだ絵描きが現れる。ますます彼女が羨ましい。
 階段を降りようとしたとき、初めてその水平線を目にした。時は帰らなくても、美しい夢は何度でも繰り返せる。古い夢もまだ見ぬ夢も。
 僕は階段を降りて、夢の続きを見た。

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