理一にこのとき聞いた話を説明する。
協会本部に行くとすぐに源会長のところへ通ることが出来たという。しかし、社員のアイノコがドアのノックして、「坂上さんがおいでです」と声をかけ、ドアを開けた瞬間、理一の顔めがけてヒールの靴が勢いよく飛んできたというのだ。彼は上手くよけたので、靴は後ろの壁にぶつかって床に落ちた。彼がそれを冷静に拾い上げていると、
「あ、ああ、ごめんなさい、坂上くん?」
と、慌てた様子で裸足の源氏が駆け寄ってきた。
「どうなさったんですか」
「あんまり怒りがこみ上げて止まらないからドアに向かって靴を投げつけようとしたの、そしたらドアが開いて……頭から説明するわ、入って、ありがとう」
彼女は喚くように説明して、最後に礼を言って彼から靴を受け取った。
「今日はあなたたちのことを聞いてすぐに警視庁の人間がここに駆け込んできたわ、政府の役人もぞろぞろ。ついさっき帰ったとこよ」
応接のソファーに座って、源会長はまだまだ怒りが冷めない様子で話し始めた。
「あれが事故で、正当防衛だったってことはあの人たちも認めてた! それなのに今後の武装は認められないって、その一点張りなのよ。私もカッとなってひどく言い返したわ、この国の行政がアイノコに対しておざなりだからこんな惨劇を引き起こしてるんだって、私いっつも言ってるじゃないのよ! ってね。私が相手にされてないのは昔からよ、でもね今日のは本当にひどかった、武力行使しそうになっちゃったわ。嫌ね、こういうとき、法律は融通が利かなくて。あなたたちが自分でどうにかする気がないのなら、双方に被害者は増え続ける、このままじゃいろはは全滅するわ、精鋭の集まりだけど、あの気の狂った大勢の人間たちにはいつか根絶やしにされてしまうって、私、最後には泣きながら懇願したのよ」
「そんな、すみません」
「いいの、私もグルよ。でもね、おかげで決定的な一言が聞けたわ。録音したから聞いて」
源は急にポケットから小型レコーダーを出して、再生し始めた。ざわざわとした男たちの声が聞こえ、その中でひときわ大きく、ドスの聞いた声で、源会長本人が先ほど説明したようなことを喚いているのが録音されていた。
『お前たちの種族が壊滅したところで、我々には何の痛手もないんだがな』
その声に、見たことのある政治家の顔が思い浮かんだ。理一はその名前をフルネームで言えたが、俺は正直ちゃんと覚えていない。
「……聞いた?」
「はい」
理一は顔面蒼白でわなわな震えながら頷いた。人間は全て敵なのだと思い始めたと、彼は言っていた。
「人間の言うことを聞いている場合じゃないわ。一時的に私たちは独立する必要がある。依存して、わがままを聞いてもらおうなんて言うほうが馬鹿だったのよ、"生きたい”っていうわがままをね」
低い声で彼女は言った。
「私、こう言われて、何も返す言葉が見つからなかった。しばらく呆然と黙りこくって、穴が開くほどあの男の顔を見つめてた。この世がまるで地獄絵図みたいに見えたわ。全人類がアイノコ狩りってかんじね……実際、そうなのよ、アイノコ狩りは、全国民の、アイノコに対する意識の権化なの。生まれるべくして生まれてきた、誰も口に出さない大きな大きな集合体の悪よ。無意識の悪。私はその大きな存在感と圧力にものが言えなくなって、でも、どうにか搾り出して、“武力行使権を、日本アイノコ協会に移してください”って言ったわ。ごめんなさい、坂上くん、そうする以外どうしようもなかったの、同じことを繰り返すことになるわ、きっと、このまま私たちが武装しても、あなたたちをおとりにするみたいにして同じ逮捕劇を繰り返すだけよ、でも、当然このまま放っておいたりしないわ」
理一はただ深く頷いた。
「私が、日本アイノコ協会が、この日本に宣戦布告する。革命軍に武装を戻して、こちらの要求を国が聞き入れるまで放棄しないと宣言するわ。アイノコ狩りを片端から捕らえて我々の方法で裁くの。今こそ手を組むときよ、坂上くん。あなたの考えに全面的に賛同してるわ。源里紗という存在が一番力を発揮できる瞬間を発見した。あなたが思うようにこれを使って。私が50年間かけて培ってきたこの地位と名誉、少ししかないけれど、私の勲章を全てあなたに譲るわ」
源氏の強いまなざしに、理一の全身に閃光が走ったようだった。
俺からすれば理一は同い年なのに俺の数倍この世を知っている男だったが、そのときの理一の感想としては、「俺はまだ何も知らないのに」らしい。てっきり話の途中まで、新しい連合を源会長が率いてくれるものだと思っていた。それは俺も思った。しかし話の最後でそれを全て委ねられて、驚きやら感動やら恐怖やら希望やら、色々がごちゃ混ぜになって彼の胸に突き刺さったのだった。
「……光栄です、しかしそれならば、一度我々が武装を解除する必要はないのでは」
理一が恐る恐るそう聞き返したところ、彼女は顔を両手で覆って俯いてしまった。そして深いため息をつき、
「国は私たちに、警察や軍隊とほぼ同じ条件で武力を与えると言っていたわ」
と、重々しい口調で答え始めた。
「それはどこの馬の骨とも分からないアイノコの革命軍に比べたら、私のほうが信頼があるからってだけでしょうね、許してくれたのは。それから、社員たちは武器を渡したところでもう、反抗することに疲れ果てているの。だから安心なのよ。彼らは私を慕ってくれている。私が出した命令には絶対服従だし、それに、私たちはアイノコ狩りと直接対決しにいくわけじゃないから、誤って殺してしまうリスクも下がるわ。そういう状態であなたたちを守る。でも、その為にはあなたたちに貸し出した武器をきっかり回収してくることが条件なの。あれは政府の特注品で、すり替えたりなんかしたらすぐバレるわ。同じものを作ってる暇はもちろんないし。単純な理由でしょ、でも、本当に、ごめんなさい」
誇りを持った人特有の落ち込み方だった。理一は謝られるわけが分からず、そのときはただ単純に彼女の気高さに打ち震えていたという。
「分かりました。我々もどうにか太刀打ちしてみます」
「どうかみんな、無事で。すぐにでも宣戦布告する用意を進めるわ。だから、ね、坂上くん、ありがとう。今日は急いで帰って、皆にこの折を伝えて頂戴」
源氏は今にも涙をこぼしそうな瞳でそう言った。ふたりは最後に、堅い握手を交わした。

「それだけか? その割には遅かったな」
「いや、この先は非常に個人的な事情があったんだ、すまなかった」
そう言って理一が話そうとしないので、俺は眉をひそめ、
「……なんだ? さては女絡みか?」
と問いただしてみた。
「いや、男に絡まれた。笹川さんの元カレだかなんだかに」
「女じゃねえか! ほら見ろ、お前、さっきは俺に女にうつつを抜かすなだとか説教たれといて!」
俺は立ち上がって理一を指差して怒鳴ったが、さっき殴られたところがズキズキしたのですぐに座り込んでしまった。悟たちが押し殺したようにクスクス笑っている。深雪もだ。
「なんだよ、ああみぞおちがいてえ、クソ、色男め。モテるやつは大変だな」
「サダ、笑い事じゃないんだ、俺のそんな話は今どうでもいい。俺たちに武力が戻るまで、一瞬たりとも気は抜けない」
俺は空気を読んで口をつぐんだ。
「悟、晋吾、洋二、深雪、連合軍が完成するまでこの家には近づくな。なるべく外出するときはひとりにならないように。なるべく革命軍同士で家を行き来して、常に行動をともにしろ。それしか俺たちが今後身を守る方法はない。万が一のときは包丁かノコギリだな」
理一は少し微笑んだ。今は酷い状況だが、源会長の申し出が大きな光になったことは間違いなかった。
「分かった、ほかの皆にもこのこと伝えとくよ」
晋吾が答える。
「で、理一さんたちはどうするんスか? この家にいたら危ないですよ」
洋二が言った。
「どうする? 理一」
「考えてなかった」
本当に考えていなかったらしく、理一は一瞬にして真面目な表情になった。俺はそれを見て吹き出した。
「マジか」
「協会の本部に寝泊りさせてもらえないだろうか」
「やだよ! あいつに会うじゃん!」
「そのぐらい我慢しろ、やつらにもすぐに分かるさ、アイノコ同士でいがみ合っている暇はないってことが」
俺は納得させられたわけではないが、反論する言葉が思い当たらずに黙り込んだ。空はすっかり明るくなっていた。深雪は学校へ行くと言い、じゃあ送っていくよ、と3人も一緒に出て行った。
「迎えに行くから帰るとき連絡しろよ」
と俺が声をかけると、
「いいよ貞清寝てないし。壱火くんと学校近いからあの子誘ってみる」
と言われた。
4人が出て行ったあと、理一が俺に、
「俺じゃないが、お前も壱火に恨みをかわないように気をつけろよ」
と言って肩を叩いた。
「あいつはそんな男じゃないさ! ストーカーだけど」
理一は声をあげて笑ったが、彼の笑い声を聞いたのは久しぶりだったような気さえした。状況としては今この瞬間が最悪だったが、目先にいったん安心できる目標があるというだけで、俺たちの心は必要以上に安堵していた。
「それよりお前のほうが深刻だろ、笹川さんに手出したのか?」
「出してない。出すもんか、今俺の心に恋なんてする余裕があるように見えるかよ」
理一はソファに腰を下ろしながら答えた。俺も追って隣に座った。
「聞かせろよ、本部で何があったか」
俺が問い詰めると、理一は「ええ?」ととぼけたように聞き返したが、珍しく教えてくれた。

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