私は目を細めて窓の外を見ていた。
黒板の前に立っているババアが何を話しているのか、授業開始直後から既に分かっていない。いつもは寝ている授業なのに今日は無駄に目が冴えて、私の頭は不毛なことにフル回転していた。
学園祭が終わり、学校全体が腑抜けになっているこの時期に振る雨は最悪だ。実は6月より9月のほうが降水量が多いと聞いたことがある。私は頭が痛い。痛い頭を回しながら、ぐんと視力が落ちた目で、かすんだ窓の外の景色を眺める。雲が分厚い。その重たい天井は、閑散としたグラウンドだけを覆い隠しているように見えた。なんだか私まで蓋をされた気分だ。
小説なんかではよく、天候が人の心理描写と密接に関係しているが、私の気持ちが天候によって左右されたり、まして私の気持ちに天候が左右されたことはなかった。後者は完全にエスパーだ。
しかし今のこの状況、自分はもしかしてエスパーなのではないかと思ってしまうほどに、ぴったりである。
学園祭の準備期間に差し掛かったあたりで、それまでそこそこに仲良くしていた女の子と疎遠になり、それが原因で恨みを買った。去年は同じクラスで、出席番号の関係でたまたま席が近い授業が多かったというだけ。そういう偶然で、それまではそうでもなかった相手と急に友情が盛り上がってやたら毎日深夜までメールしたり土日にしょっちゅう遊んだりすることはよくあることだろう。状況が変わればつるむ相手は変わる。学園祭はクラスで出し物をするものだから、私がクラスの子と友情を深めるのは当然のことだろうと思っていた。でも、その常識は私を含めた一部の社交的で誰とでもそつなく友好関係を持てる人間にしか通用しないらしいと気付いた。気付いたのは、つい最近だ。
まずかったのは、彼女が実は私が思っていたより内向的だったということだ。私は他に行けば仲良くする相手がいくらでもいたけれど、その私が離れると彼女は辛かったらしい。彼女を嫌いになったわけではないけれど、「私、何か悪いことした? 嫌われたのかと思って」なんて私に面と向かって聞けるその神経には興ざめした。
大顰蹙だが、本音の本音を言えば、私はあの子にはもう飽きた。
私にとって友達というのは広く持って、時と場合に合わせて楽しめる相手と楽しめることをするものだ。恋人みたいに一定の相手に固執する趣味はない。私を独り占めしたいなら恋愛的な意味でオトしてみろよ、とさえ思う。そこまでしてくれないとだめだ。ひとりを選ぶのは恋愛だけだ。
気の毒だけれど、私はそれ以外のことに関しては大抵飽きる。
飽きるだけならまた復活する希望はあるが、失望したり興ざめした相手のことは、二度と許せない。仏の顔は三度までかもしれないが、私の顔はワンチャンス。あ、これすごく語呂がいい。
そう思ったところで授業が終わった。窓の外を見ながらくだらない冗談を思いついて終わった。馬鹿みたいなことしか考えていないはずなのに、どうしてこんなに気分が沈むのだろう。


「なんで、いきなり……」
電話口に岡田が苦笑いして言う。
「いや、もう、ありえない。学校いられるカンジじゃない」
私は学校の近所でも家の近所でもない喫茶店の、張り出した屋根付きのバルコニーに座って電話をしていた。相手は私が飽きていない男友達の、岡田。
あのババアの授業が終わって、そのまま、次の授業に移動するかのように自然に学校を脱走してきた。
「仙崎さんと何かあったの」
察しの良い岡田はすぐにそう聞いてきた。
「ありあり。なんかちょっと、やっぱ私あの子よく分かんないわ。無理だわ、もうこれきり」
「分かんない人のことは、好きになれないよね」
「そうそう。まあいいんだけどさ、終わったことだし。それよりさあ、岡田、秋ってやだね、なんかこの雨といいなんといい」
私はアイスティーのカップに刺さったストローを指で揺らしながら話していた。雨音がうるさい所為で、私の声は心なしか大きくなる。
「いや俺はわりと好きだけど」
「なんで?」
「寒くないし暑くないから」
「あんたってたまにそういうとこ異常につまんない感覚してるよね」
「え、ごめん」
「まず落ち葉がカンジ悪いじゃん、なんでわざわざあんな哀愁漂わせて落ちるんだろ。あ、そうそう、岡田どう思う? 葉っぱが落ちるから、秋はフォールなの?」
「庄野さんがいろんなことに飽きる季節だから秋なんじゃないの……」
「それだと年中秋じゃん……」
私が真面目腐った声で答えたので、岡野はのん気に笑った。
「私、何だったら飽きないんだろう。友達に飽きるのとか人間として酷すぎると思わない? しかも自分で飽きといて自分で超悲しくなるのも意味分かんない」
「飽きられるほうがもっと悲しいよ」
「あっちも私に飽きてるんじゃないの?」
「庄野さんには飽きないと思うよ。飽き性の人はコロコロ変わって面白いから」
「なにそれ、岡田の意見?」
「まあ、誰に尋ねたわけでもないからそうなるね」
「キモい」
「たまに本気の声になるのやめてよ」
「まー、なんだかんだで私も岡田には飽きてないからね。ていうかその前に岡田にはハマってないから飽きようがないよね」
「そういうのが一番だと思うよ。庄野さんは寂しいとよく喋るよね」
岡田は相変わらずの淡々としたやけに優しい声で答えた。私が岡田になんでも言うのはこういう人だからだ。殴っても手ごたえがないから楽に本音で話せる。私は手ごたえのある相手はいくらでも殴ってしまうのだ。言葉や態度で。深い意味はないのだけれど。
でも、寂しいとよく喋ると言われたのはグサッと来た。普段からよく喋るけれど、こう変にまくしたててしまうときは大抵彼に甘えている。無意識にそうだった。でもその無意識を指摘されて、肯定する他なくて、私は思わずじんわりと暖かさすら感じてしまった。
「なんでそういうこと言うの、泣くよ、私」
「どうして?」
「岡田が私のことめちゃくちゃよく分かってるとか、泣くよ」
「ああ……」
「しかも私こんなこと岡田以外にしないからね」
「あ、嬉しいね」
「そういうの口に出さなくていいから」
「ごめんなさい」
私は本気で涙が出そうで出ない状態になっていたので黙りこんだ。特に何がそんなに悲しかったということもないのだが、急に孤独が見に染みて、これだけ友達と呼べる相手がいながら、他人を大切に思い続けられる当たり前を持ったコミュニティーに上手く馴染めない自分が見つかった。薄情を誰かに咎められないかという単なるエゴに過ぎないのだけれど、これこそが孤独だなあと思った。
「庄野さんみたいな人が俺に懐いてくれてるって、すごいね。センチな秋も悪くないね」
岡田は沈黙を破って、妙にしんみりとそう言った。
「私が岡田のこと好きだからだよ」
涙に滲んだ声で早口に言うと、岡田は、
「寂しさに任せて言われたってなあ」
と、珍しく意地の悪い言い方をする。
「何よ、信用できないっていうの。知ってるでしょ、私、恋愛だけはちゃんとひとりを選ぶから」
「友達なら使い捨て?」
「やめてよ、センチなんだってば、泣くよマジで」
「彼氏は椅子か何かかな。必要なときいつでもよりかかれる人が欲しいんでしょ?」
「彼氏は、ぬいぐるみ」
岡田は電話口で小さく「ふーん」と言った。その瞬間、妙にその顔が鮮明に頭の中にイメージされて、私は何も考えずに、
「なんで今ここに岡田いないんだろ」
と呟いた。
「いたら、行きずりになってただろうから、いなくて正解だよ」
岡田は基本的に都合がよくて、私の言うことならなんでも聞いてくれるし、毒を吐いたときの返答にも安定感があるけれど、私がよい返答を望むときに限って絶妙に裏切ってくる。
そういうところも、好きだった。
「切なさに惑わされるな、って言いたいの?」
「違うよ、切なさに惑わされるまい、っていう打消し意志だよ」
古文の現代語訳かよ、と言おうとしてやめた。場合によっては学校に戻って岡田に会おうかとも思っていたが、それもやめる。
こんなにお互い、わけなく寂しいというのに、お互いにわけなく人肌を拒否して、なんだか新種の変態みたいだが、それもこれも先ほどの私の「彼氏はぬいぐるみ」という発言が駄目だったな、と切実に思った。
「じゃあ私も打ち消し意志にするよ。なるべく元気なときにまた告白するわ」
「え、うん」
微妙な返事。岡田は個人の意志を持っていないんじゃないかと思うほど適当な相槌が多い。こんな重要なことに関しても、それか。
「じゃあね。帰る」
「はい。バイバイ」
「バイバイ」
電話を切って、私は全然飲んでいなかったアイスティーを一気に半分ぐらい飲んで、街路樹越しの重たい空を見上げた。まだ葉は青いが、雨と一緒に落ちていく。
馬鹿騒ぎしていた夏休みがぽっかりと頭に浮かんできた。あのとき岡田に告白しておけばよかったかな。
そう考えるとやはり、私は他人を必要性で測っている節があると痛感した。いつか私も不必要になって皆から捨てられる。こんなところでひとりでいると、もう既に捨てられたような気分だった。岡田にさえ。
岡田は私が必要だろうか。もちろん私は岡田が必要だけれど、岡田は私のことをそんな尺度で測ったことはないんだと思う。だから、今完全に必要性というものさしで岡田を測って、そんなことで彼自身を欲している私を許せはしないのだろう。全く彼が正しい。私は惨めだ。いくら感情の話とはいえ、そんな利害で、岡田を好きだとか、嫌いだとか、飽きないとか、飽きたとか、論外だ。
ああ、駄目だ駄目だ、そんな風に自分を卑下しては。と思いつつ、私は傘もささずに店を飛び出し、雨粒の影に隠れて醜い涙を流した。

(2012/11/11)

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