もうこれきりと思っていた。カレンがミソラを裏切ろうが、何をしようが、もう自分には関係がない。ナギサはそう腹をくくることにした。ミソラには気の毒だが、カレンがナナミのことに関して発言した事実にどうしようもなく憤り、そして恐怖を感じている自分がいて、これ以上介入するのは無理だと感じたのだ。しかし、翌日の夜更け、ナギサのところにまたも電話がかかってきた。パニックでも起こしているのだろうか、ミソラの声は、苦しそうに息を切らしていた。
「裏切られた……カレン、何かしたんだと思う。家に入れない、すげー強い亡霊が結界張ってる」
あまりに展開が急だったもので、ナギサは疑ったりうんざりしたりする暇もなく、そして今までの自分の決断のことも考える余地がないまま、腰をあげていた。
「とりあえず行くけど、そんなの俺が行ったところでどうにもならないぞ」
「そんなこと分かってる! でも、俺の代わりに家の前にいてくれ、結界がもし解けたらすぐカレンを助け出してほしいんだよ。俺は今から国営に行ってくる。そのホタルって男を問い詰めに」
彼の熱意に押されて、ナギサは黙ってその要求に応じた。今は、ホタルもカレンも信じられない。でもこの真っ直ぐな少年の願いだけは、どうして聞き入れてあげなければと思っていた。自分の思惑は抜きにして、だ。
ナギサがカレンの家に到着すると、ミソラの姿は既になく、見た目には何も変わった様子は見られなかった。ドアノブに手をかけると、簡単に開いた。
ミソラが言っていた結界は、もう解かれているらしい。
「……カレン?」
彼女の名前を呼びながら部屋に入って靴を脱いだ。暗い廊下を進んでいく。リビングも真っ暗で、そこに彼女がいるかどうかは分からない。
ナギサは恐る恐る電気をつけた。
部屋の様子にも変化はなかった。ベッドのうえに、こちらに背を向けて少女が横たわっている。
――カレンだ。彼女に違いはない。しかし、彼には一瞬、それが別人の姿に見えた。
「カレン? おい、カレン」
その肩を揺さぶると、彼女の身体がビクッと震え、悪夢に飛び起きるかのように突如として上体を持ち上げた。
「……誰!?」
そう叫んで、カレンはナギサのほうに目を向けることなく、手探りに彼の手を握った。
「俺だよ、ナギサだよ。おい、こっち見ろ」
ナギサが顔をこちらに向けさせると、カレンは、
「ナギサね……! あぁ、ナギサ、よかった……!」
と、急に安堵したように口走り、彼に抱きついてその首筋に顔をうずめた。
彼女の振る舞い全てに違和感を感じた。背中を見て感じた違和感が、彼女がカレンだと確信し、顔を真っ直ぐに見据えた今も続いているのだ。気味が悪くて、ナギサはすぐに彼女の肩を掴んで引き剥がした。
「どうした、何があったんだ」
「……覚えてない。気付いたらここに寝ていたの」
「ナギサはどうして来てくれたの?」
「ミソラが、家に結界が張られて入れないって俺に電話をかけてきた」
「結界!? 何それ、私知らないよそんなの……でも、大丈夫、私はなんともないわ」
「俺も何のことだかさっぱりだよ。大丈夫ならよかった。俺はもう帰るよ」
ナギサはそう言って立ち上がった。しかし、その手をカレンが掴んで離してくれない。
彼はもうこれでいくらなんでも関わり合いを終わりにしようと、今度こそ固く決意しようとしていた。いくら白髪の純情な少年に情が移ったとはいえ、自分の兄弟のことまで絡んできて、正直、鬱陶しかったのだ。今更兄弟との仲をまっさらに戻せる気もしないし、このままカレン、ホタル、アオイ、と全員と対面してしまいそうで怖かった。いくらアイノコの兄弟とはいえ、40年は長すぎた。そしてアイノコの兄弟だからこそ、時を経ても風化しない問題を抱えた彼らに、再会が本当に望まれるかどうか。ナギサは考えたくもなかった。これ以上彼らと接していたら、自分の人生で一番暗い記憶が引きずり出されて、苦しむだけだ。なんの解決にもならず、ただ心を抉られるだけ。
「……離せよ」
そんな思いもあって、ナギサはつい冷たく言い放ってしまった。
その対応を知ってか知らずか、カレンは彼の腕に抱きついた。
「覚えてない? 私、あなたが好き」
ゾッとした。
覚えている。もちろん、覚えている。でも、カレンはナナミがこんな状況にある今になって、あざとくそのことを持ち出してくるような卑怯者ではなかったはずだ。
ガチャ、とドアの鍵が開く音が聞こえた。


ミソラは走っていた。湧き上がる怒りに身を任せて走っていた。
人通りの少ない深夜の街を駆け抜けて、国営霊媒会社の前まで来た。ぜーぜー息を切らしながら彼は階段を上り、自動ドアを抜けてロビーに入った。
静まり返ったロビー。受付嬢がいぶかしげにミソラを見る。彼女たちを睨みつけながらずかずかと前に進み出て、「ホタルってやつはどこにいる!?」とでも問いただそうとしたときだった。
エレベーターからひとりの男が出てきた。真っ黒なスーツに国営霊媒会社の腕章。帰りなのか、鞄を持っていた。ミソラはすぐさまターゲットを変換してその男のほうに向かった。よく見ると若いアイノコの少年だった。ミソラより年下のように見える。
「ホタルって男に用がある。お前知ってるか?」
少年はミソラから発せられる熱気に眉をひそめながら、
「ホタルさんならまだ外で仕事中です。今日はここにはお戻りになりませんよ」
と、面倒くさそうに答えた。茶と金のあいだのような色の、ゆるくウェーブのかかった髪の毛が顔にかかって影になっている。後ろ髪は肩につくぐらいの長さ、異常に顔色が悪く、悲しそうな瞳をした少年だった。
ミソラは、ホタルは不在だと言われ、彼の顔を見ているうちにやるせなくなってきて、その場にしゃがみこんだ。
「何をそんなにカッカしてるんですか」
少年が聞く。
「ああ、くそっ! 教えてくれよ、あいつがカレンに何をしたかだけでもさ」
「知りませんて。もしかして、カレンさんの弟子ですか」
「そうだけど? 名前はミソラ。個人霊媒師だ」
「奇遇ですね、俺はカレンさんの兄弟のアオイという人の弟子です。名前はハルっていいます。歳は17。もしかしてミソラさんも同じぐらいじゃ?」
「そうだよ。俺はもうちょっとで18。だから敬語はやめろ」
ミソラは立ち上がってため息を吐いた。
「分かった」
ハルはそう答えたが、ミソラはもう彼と顔をあわせることもないだろうから、今更それを訂正したところで何になるだろうと馬鹿馬鹿しく思い、苛立ちながら踵を返して立ち去ろうとした。
「顔真っ赤だよ」
その背中に、ハルが指摘する。
「耳まで」
「走ってきたんだよ。お前こそ顔真っ青」
ミソラは思わず振り返って言い返した。ハルは笑っていた。
「どこから?」
ミソラがどこから走ってきたか言うと、ハルは驚きのあまり笑ってしまった。
「そんなに? いくらなんでもすごいスタミナだな」
「アイノコにしたら、普通だろ」
「俺にはそれがない」
彼は酷く冷め切った声でそう呟いた。ミソラが彼のほうを見ると、一瞬消えていた表情がまたパッと笑い顔に戻り、
「そんなに走ってきたんなら、何か事情があるんだろ? 俺に教えられることがあれば教えるけど」
と、直前の発言はなかったことにしたのか、人のよさそうな調子の良い口調で言った。
「婦女連続殺害事件」
ミソラはすぐにそう言った。
「国営はあれの犯人の目星がついてんのか? お前はカレンがこの捜査に絡んでたこと知ってた?」
「会社としてはまだ目星どころか目撃情報も入手してないよ。カレンさんのことも知らない。俺は師匠から話を聞いてるからカレンさんって人がいるってことは知ってるけど」
「なんだよ会社としては、って」
「ミソラ、今日俺久しぶりに定時で帰れるんだよ。歩きながら話そう」
ハルは有無を言わさずそう言いきってミソラを引っ張ってロビーを出た。そして薄明るくなってきた空の下を歩きながら、彼のTシャツの袖を引っ張ったまま耳打ちで話を続ける。ハルはミソラより10センチほど背が低いので、そのせいでミソラは身体を傾けて歩くはめになった。
「というのもさ、会社の中じゃ言いづらい話なんだけど、ミソラが今気になってる事件の捜査の話は全部、ホタルさんが独断と偏見で勝手にやってることだと思うよ」
「あいつがひとりで勝手に?」
「そう。アオイさんが俺に家で愚痴ってた内容をそのまんま拾うけど、いつもそうなんだよ、あの人。よっぽど自分の手柄を保守したいんだろ。だから今回の件も勝手にやってるんだと思う」
ハルはそこまで小声で喋ってミソラの袖を離した。国営の社員の仕事はパトロールが主なので、外を出歩いているときも社員が通りかかる可能性がなきにしもあらずだ。当然、上司の愚痴を大声では言えない。
「だって俺、そのこと全然知らないもん。俺が下っ端だからじゃなくてだよ?」
「なんだよ、どっちにしたってお前は使えないじゃねーか」
「失敬な。何か分かったら教えるよ」
「ありがとよ。一応そのホタルって男に殴りこみをかけりゃいいってことだけは分かったわ。それじゃ俺こっちだから。またな!」
「おー」
ミソラは気のない返事を背中に聞いて、また走り出した。
ミソラのような熱血漢には、ハルという少年は酷く陰気で負のオーラをまとっているよう見えていたが、この状況下、もし師匠世代の兄弟たちがいざこざを繰り返してしまうとしたら、ひとりでも同じ境遇に身をおいて共感しあえる同年代の少年が存在していたことに、少なからず安心していた。

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