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#1「渋谷と蝉と不幸の味見」



他人の不幸は蜜の味、
というが、まったくそのとおりだと思った。

望月がふいに笑い声を漏らした。俺がそちらに向けば、

「相当変態でしょ、安西くん」

そう言って、何か恥ずかしいものを嘲笑するような目で俺を見る。

「やっぱりそうなのかな……皆そういうのって好きなんじゃないの」

俺は頭をかかえて訊き返した。

「噂好きとか、物好きは、そりゃあ好きだろうけど」
「そういうんじゃないんだ」
「でしょ? だから変態だって言ってるんだよ」

俺は思わず絶句して苦笑いを浮かべる。混みあう騒がしいファストフード店では、そんな会話も案外安易にすることができた。隣のテーブルの会話なんか、聞こえやしないんだ。

「不幸な人が好きなの?」

さっき道で喋っている時は、「人の不幸に性的興奮を覚える」なんてひどい言いようだったのに比べれば、幾分表現がソフトになりはしたが、俺は充分ダメージを受けていた。

「人の不幸が好きなの?」
「……前者です」

望月がのけぞるようにして笑って、カウンターのイスが少しだけ回った。組んだ足に履いたピンクのハイヒールの先が、俺のふくらはぎに当たる。

「あっ、ごめん」
「ごめん、いや、不幸な人っていうか、普段は明るいのに、ちょっと陰のある人が好きなんだよ」
「不幸自慢しない人ってこと?」
「そうそう、そんな感じ」

俺はカップの蓋をとって、中の氷をぼりぼりと噛み砕いて食べた。もうハンバーガーもポテトも空になっているが、俺たちの話題は止めどなかった。
何度かサイクルして回ってきているのが、俺の好きなタイプの話で、あんまり言わないんだけれど、ちょっと何かしらの問題を抱えている人がいいと彼女に話した。そうしたら思いのほか、彼女の食いつきがよかったのだ。

「私のお母さんね、」

望月がいきなりそう言ったので、急に何の話だ、と俺が両眉を持ち上げると、「あ、この話ね、あんまり人にしたことないんだけど、びっくりしないで聴いてくれる?」と言われた。俺が頷くと、彼女は続きを語り始めた。

「私が小学校の頃に家出てっちゃって、今、お父さんとふたりで住んでるの」

彼女との付き合いは、今年で10年を越しているが、初めて聞いた。

「でもお父さんは……ろくに働きはしないし、妹をぶったりしたから、妹は今別のところに住んでて。私は結局高校には行けなくて働いてるわけで」

そういえば小学生までは彼女が家に呼んでくれた。彼女の母や妹とも話した記憶がある。望月と妹はお世辞にも仲のいい姉妹とは思えなかったし、ふたりとも母親には反抗的であったが、当時は彼女達を見て、普通の家族だというふうに思った。
俺と望月は、偶然にも小学校から中学校までずっと同じ学校で、同じクラスになることも多かった。それなのに、家庭の状況が大きく変わっても、俺は何も気が付かなかった。それが不思議でならなかった。

「妹も来年には15になって、ずっとあっちにいるわけにも行かなくなるんだけど、うちに帰ってきてもどうすりゃいいのって話でしょ、お父さんとは会わせられないし」
「うん」

15で出なくてはいけないということは、どこかの養護施設だろうか。

「だから、全寮制の高校に入れてあげられたらって思ったの、それで今、私は頑張って働いてるわけ」
「望月は行かなかったじゃん、高校。だったら妹にも働いてもらったらいいじゃん」
「最悪そうするしかないけどね」

俺は今高校2年生で、望月も、状況が違えば同じ高校二年生の予定だった。しかし、彼女は今生活のために働いている。
俺はショックと同時に、自分が情けなくなった。
いや、それよりも、何か違うものが、

俺の中で何かが燃えているのが分かった。

「不幸な人がいいんでしょ。こんなの大好きなんじゃないの」

全体を通してジョークだったかのように、望月が微笑んだ。

「良、良い人が見つかったら、さっさと結婚しちゃえば」
「……絶対しないよ、うちのお父さんとお母さんみたいにね、上手く行かない血が流れてるから、私には。絶対、結婚はしない」

前にも結婚したくないなどと言っていたのを聞いたが、今日は何か違った。
彼女の声が、暗闇の中で揺れる夜の海のような響きを見せたのだ。酷く透明で、深い、深い声だ。
俺が思わずぞくりと身体が震えるのを感じた。
そのあたりで店内の混み具合はどんどん増していって、店員の控えめな「出て行け」コールに追い出されて俺たちは店を出た。

「このあとどうする?」
「まだ喋り足りない」
「そう」

彼女は俺の真剣なもの言いに笑った。蒸し暑い街には、自然なんかちっともないように見えるのに、不思議と五月蝿く蝉が鳴いていた。

「どうして俺に、そんな話したの」
「え、話したくなったから?」
「俺が、陰のある人が好きって言ったから?」
「うん」

望月が平然と頷いたので、俺は少し驚いて歩みがのろくなった。

「そう……」
「聞きたくなかったー? ごめんね、えぐい話して」
「いや、そうじゃないけど、」

俺はほぼ衝動的に彼女の手首を掴んでいた。

「そんな話聞かなくても、俺、じゅうぶん望月のこと好きなんだけど」
「……」

流れる人込みの中で、俺たちは恥ずかしいことに完全に立ち止まってしまった。
真顔のまま俺を見ていた望月の口元が緩んで、いつものように笑って見せた。

「そうだったの? びっくりしたぁ……」

そう言われて、俺も黙り込んでしまった。そして、変なタイミングでそっと彼女の腕から手を離した。

「あ、安西くん、」
「望月が秘密を教えてくれたから……俺も隠しごとをしているのは卑怯だと思って……」

望月が何を言おうとしたか予想もつかないが、俺は思っていたことを正直に口にした。それにたいして何も言葉をくれない望月が、無言のままくるりと踵を返して歩き出した。

「望月?」
「ごめん安西くん、気持ちは嬉しいけど、私、君の彼女にはなれない……」

俺は彼女の背中を追いながら、その一言を聞いた。
ひんやりと時間が凍りつき、真夏だっていうのに俺だけ凍えてしまいそうなほど寒くなった。
正直わりといけるとか思っていたのだ。まさかふられるとは。

「……そっか」
「うん、ごめんね」
「分かった、」

望月はそれきり振り向いてくれなくて、別れ際に寂しそうに笑って手を振っていた。
もう、俺が大好きなあの笑顔を見ることもなくなるんだろう。

ああ、欲しかったなぁ。彼女の、不幸に蓋をしたあの笑顔。

俺は、望月が援助交際をしていることを知っていた。高校に進学しなかったのに、高校生みたいな制服を着て、そのへんのおっさんに自分を売っているのだと。家では妹だけでなくて、望月本人も父親に殴られているということも知っていた。
それでも俺に会えば笑っていた。誰よりも面白い冗談を言っていた。俺に、優しかった。

「望月、俺と遠くへ行こう」
「遠くってどこへ?」
「知らない。ただ、望月が身体を売らなくても親父に殴られなくてもいいとこ」
「どうしてそんなこと知ってるの!?」
「噂好きは皆知ってるよ」
「あの時もう知ってたの!?」
「うん、さあいいから行こう」

俺は高校2年の秋に、俺を振った女の子と駆け落ちした。何も知らない、生きる術も持たないあまちゃんの高校生が、旅行鞄ひとつの小さな荷物と、アルバイトして貯めたはした金を持って。






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