羅刹と踊る
※黒円卓設定が微妙に残った現代パラレル。
※刹那主義な司狼と都市伝説なヴィルヘルム。
♪ ♪
近頃、欲求不満がずいぶんと長く続いている。
「よーっす、ヴィルヘルムちゃん♪」
肝心の所、絶頂の直前に、決まって邪魔が入るようになったからだ。
ヴィルヘルム・エーレンブルグはゆらりと白い顔を上げて、同じく白い髪の合間からぎらついた眼を声の主に向けた。その間にも忙しなく吐かれる息は短く荒く、そして熱い。
端整な顔のその眉間に、ヴィルヘルムは青筋まで浮かべてぎゅうっと皺を寄せた。
「はぁっ、は……ンだよ、まぁた来やがったか、テメェ……」
だらり、両手を脇に垂らす。直後にガッと音をたてて、足元に転がっていた男を踵で強く蹴った。気を失って声もあげない男は、ごろんと転がって背後の壁にしたたかにぶつかる。裏通りの路地はいつもどこか湿っぽく、どこかの配管からピチャリと水滴の垂れ落ちる音がやけによく響いた。
そんな地面を硬い靴底でざりりと擦って、ヴィルヘルムは少し首を傾けた。はらりと、白い髪が垂れる。彼は色素欠乏、アルビノだ。長身で細身のその出で立ちは、返り血と黒い服――軍服のようだ――も相まっていかにも幽鬼じみている。
「いっつもいっつもいっつも、いッ――ちバン気持ちイイとこで首突っ込みやがってよォ……」
そんな白い男は今、ぎらついた切れ長の赤眼をすがめて、トントン、と靴で地面を叩いた。その目元は赤く、息は荒いままだ。ふ、と伏せた流し目は先ほどまで嬲っていた男をチラと見下ろし、それから苛立たしげに閉じられる。
犬のように舌を出す事こそ無いが、今、ヴィルヘルム・エーレンブルグは獣が発情したときのように熱を持て余している――今しがた、足元に転がっていた男に無我夢中で止めを刺すのをふつりと中断させた飄々とした声のせいで。
少しの間「あー……」「クソ」と低く唸っていたヴィルヘルムはとうとう理性が切れたのか、急に目を見開いて大音声で
「ああああああああ畜生!!」
――と、吼えた。
「ひとが気分良くヤッてる最中のそれもイく直前に首突っ込むんじゃねえよテメェ萎えさせやがって!! なァおいどうしてくれんだよ――」
どうしてくれる、と喚きながら、ヴィルヘルムの腹積もりはもうすっかり決まっている。両腕を垂らしたのは、彼の戦闘体制だ。殺気を込めて激昂しながら、その白貌はぎらぎらと笑っている。
大声から一転、抑えた掠れ声で、赤い眼を熱っぽく細めながらヴィルヘルムは呟いた。
「――体で払えや、ピエロ野郎」
「おーおー、怖ェー! 相変わらずトんでんなぁ、アンタ」
首を突っ込んだ男は、その鬼気を受けてなおへらりと笑ってみせる。ツンツンと跳ねた金髪をがしがし掻いて、確かめるように「やっぱ飽きねーわ」と呟いた。
その片手が、ベルトの止め具をパチリと弾く。じゃらり、細い鎖が、暗い地面に連なって垂れた。
「いーぃぜぇ、来いよヴィルヘルムちゃん。ギッチギチに縛って、お望みどおりにイかしてやる」
「……今日こそキッチリ名乗らしてから殺すぞ、イカレピエロが」
「ははっ! 変なトコ真面目ちゃんだよなぁ、お前! ま、俺は委員長キャラはタイプじゃねんだけど」
「ハッ」
良く回るくちはお互い様で、ニタァ、と獣のように笑うのもお互い様だった。
これだからヴィルヘルムは、彼が現れるたびに意識をそちらに飛ばしてしまう。熱っぽいやりとり、殺意、性行為にも似た快感を伴う欲求の発散。いけすかない野郎だと思いながら、しかしそれ以上に、ヴィルヘルムの本能はそそる好敵手を愛してしまうのだ。
「……引き裂いてかっ喰らってやるよ、腹ァ見せて雌猫みてぇに転がれや」
ボキ、と指の間接を鳴らしながら指を鉤詰めのように折り曲げて、舌なめずりでもしそうな飢えた笑顔で、ヴィルヘルム・エーレンブルグは猫背のまま、靴底で地面を擦るように大きく一歩踏み出した。
彼は未だ、目の前の傲岸不遜な金髪の名前を知らない。
ふたりの関係性は、少々どころでなく変わっている。
ヴィルヘルム・エーレンブルグが気分良く彼の居場所である第四地区の裏路地に迷い込んだ跳ねっ返りを貶して詰って叩きのめしているところに、口笛を吹きながら金髪がバイクで突っ込んで来たのがふたりの始まりであり、出会いである。
まさに陵辱するようにこれから性器を踏み潰して喉笛から血でも吸ってやろうかと動いていたヴィルヘルムは、突然の闖入者にふつりと我に返った。彼は闘いにおいて一定以上テンションが上がるとトリップ状態になって破壊の本能で動く獣になってしまう。そしてその時間が、彼のいちばんの楽しみだった。
"第四地区の白い幽鬼"――ヴィルヘルム・エーレンブルグは、この街の都市伝説であり、一種の地縛霊、らしい。
らしいというのは、本人にそんな自覚はまったく無いからだ。ドイツ生まれのドイツ育ち、犯罪者あがりの軍人であった彼に極東の心霊用語や体系などの知識があるわけもなかったし、また興味も無かった。
「劣等のビビリ野郎どものみっともねぇ験担ぎやら目の錯覚やらなんぞ知ったこっちゃねェんだよ。『幽霊だと思ったら枯れ尾花だった』だの気の狂ったことばっかりほざきやがる猿どもの魔術体系なんぞ、斜め読みするだけで反吐が出らァ」
数ヶ月前に都市伝説の噂を聞いたと言ってやって来た金髪と今夜も騒々しく一戦やった後、不遜な金髪に「つってもアンタあれなんだろ? 地縛霊とかそういう」と言われた際のヴィルヘルムの返答がこれである。
聞いて、一瞬ポカンとした金髪はひゃっひゃっひゃと笑い出した。そのときにはひとしきり殴りあった後だったのだが、金髪の男は痛みなどおくびにも出さずに、壁にもたれかかった白貌の鬼を指さしてまた噴き出す。
「アンタやっべぇ、やっぱ面白ぇなあ! ちょっ、……ぶっは! "幽霊の正体見たり枯れ尾花"っつって!? 今ドキそんなん知ってるやつのが少ねーよ!!」
「アァ? 何が可笑しいんだテメェ」
むっすりと眉を寄せるヴィルヘルムは、かっちりと黒い軍服を着込み、赤い腕章をしている。現代日本においてはコスプレと言われても仕方の無いその姿は、最初は実際に『第四地区の裏路地に変なコスプレの男がいる』と噂されて広まっていた。
もともと治安の悪いその地区には不良が多くいて、コスプレ男の噂を面白がってわらわらと押しかけたりした。
そしてそんな不良たちを、ヴィルヘルムは「こすぷれ? なんだそれァ、ドイツ語か猿語のどっちか喋れや」と不機嫌そうに首を傾げた後で「まぁいい」と赤い眼を細め、ご機嫌に殴って蹴って、犯すようにぶちのめした。
そうしているうちに噂は広がり、尾ひれも多少はついたりして、今は『白い地縛霊』だの『幽鬼』だのに格上げされている。そうなるとヴィルヘルムの裏路地の人通りはどんどん少なくなり、余程肝の据わった者か調子に乗った跳ねっ返りしか通らなくなった。
数少ない闘いに存在すべての熱をかけて興じるヴィルヘルムは、そんな来訪者を歓迎していたのだ。
そうしてそこにこの金髪の男があらわれ、ヴィルヘルムの欲求不満は始まった。
「つーか、俺最近ちょっとアンタのこと調べてみたんだけどよ」
「あ? ……悪趣味な野郎だな。ンな暇あんならさっさとテメェの名前を名乗れ」
「ひひ、まーまーかてぇこと言うなって――な、ヴィルヘルム」
「なんだ」
「アンタ、第三帝国のSS中尉だったんじゃねぇの? カズィクル・ベイって呼ばれてた」
言われた瞬間、ヴィルヘルムは切れ長の赤眼を微かに瞠った。その表情の変化に、金髪は「お、ビンゴしちまった感じ?」とニヤリ、笑う。
「……どこでンな名前引っ張り出して来やがった」
「や、それは企業秘密ってことで」
「言え。殺すぞ」
「うっは、脅すなっつの。チビるじゃん」
金髪のチャラけた様子に、ヴィルヘルムは重く堪えたような息を吐く。闘いのときには理性が焼き切れてひどく狂犬じみているが、彼はその気になれば頭の回転も悪くないし、堪え性も一応はある。
今しがたの殴り合いである程度発散していたぶん余裕のあったヴィルヘルムは、呆れたようにひらりと片手を振った。
「……気狂いには付き合いきれねぇ」
「お、中尉殿と俺、今ちょっと会話出来てる」
「ハア? 莫迦かテメェ、どこがだよ」
チッと舌打ちするヴィルヘルムに、金髪は何が可笑しいのか上機嫌で、白い歯を見せて笑いかける。
「アンタ、会うたびいっつも違う野郎組み敷いてハァハァ言いながら玉潰しにかかってんだろ? 一発ヤり合って頭冷まさねーと会話になんねぇんだっつの」
「気色悪ィ言い回ししてんじゃねえよ。テメェも玉無しにして欲しいか、アァ?」
「あー俺ハナっからインポだから、殺す直前とからならいいぜぇ? 今だと小便やりにくくなっからマジ本気で避けるけど」
言って、金髪は「よっこいせ」と立ち上がった。ヴィルヘルムはゆるくまぶたを震わせて、その動きを赤い三白眼で追う。
ニ、と、その口角が持ち上がった。
「余裕こいてんじゃねえぞ、玉無しピエロが」
「うえ、俺のあだ名グレードアップしてくれてんじゃねえよ中尉殿」
「その中尉殿っつうの鬱陶しいんだよ、やめやがれ」
「え。ヤダ。かっけぇじゃん」
笑みをうかべて詰りあう。哄笑しながら殺しあう。これが、このふたりのあり方だった。
「なぁ、中尉殿」
金髪が、切れた唇の端から血を垂らしながらへらりと笑う。彼は随分と、痛みに無頓着な男だった。
「もうじき、お望みどおりキッチリ名乗ってやっからさ。まーそん時にゃ、ヨロシク頼むわ」
「あ? ……ンだテメェ、酔狂に遺言でも預けるってかァ? ハッ! それこそ今ドキ珍しいじゃねぇか」
「お、そうそう。そういうの、アンタとやりてーわ」
からから笑いながら奇妙なことを言う金髪の男を、ヴィルヘルムは思わず眼をすがめてじろり、睨んだ。
片腕に広く施された刺青は、生傷と血と泥で汚れている。顔も血濡れて、今すぐバタンと倒れても不思議ではない負傷だ。
それでも金髪の男は、長い足でひょろりと立つ。
「ったくよー、こんだけいろいろやって死なねぇって、アンタマジでなんなんだろうな」
「フン。吸血鬼は夜死なねぇんだよ」
「昼間来てもいねぇだろ、中尉殿。引きこもりかよ、ダッセー」
「く、はは! 下らねぇ煽りにゃ乗らねえよ、莫迦が。もっとそそることでも言ってみやがれクソガキ」
「おらっ」と振り上げられた片足を「ぅおっと」と軽く声をあげて避けて、金髪はステップでも踏むように――あるいはふらつく足をテンポで誤魔化すように――軽快に歩いて、この裏路地に入るところに停めてあったバイクにもたれかかるように跨った。
ヴィルヘルムは、この裏路地から出ない。ここで、ふたりは別れる。
路地を挟む廃ビルに切り取られた夜空には、切れ目のような細い月が引っかかるように浮いていた。ざあ、と、風が吹く。街灯に照らされた薄暗がりに、幽鬼と呼ばれる白いSS中尉の赤眼が爛と光っている。
「またな、ヴィルヘルム」
ニカッと笑った金髪に、ひとり取り残されるヴィルヘルムは「けっ」と眉を寄せ、それから挑発的に口角を上げた。
「次は、殺される覚悟が出来てから来いや」
「おー、そうするわ」
ブォン、と、エンジンを吹かす音が湿った冷たい夜に響く。
金髪が走り去った後残された煙の臭いに、人並みよりずっと鼻の利くヴィルヘルムはむっと眉を寄せて「石油くせぇ」と呟いた。
♪
そうして、その夜がきた。
あんまりにも呆気なく、前兆もなにもなく。その日は、絶好の機会をあえて邪魔するように見計らうこともなく。
金髪の男はバイクから降りてすたすた歩いて来ながら刺青を施した片腕を気安く上げて「よっす、中尉殿」と声をかけると、
「俺、遊佐司狼っつうんだわ」
と続けた。
今までもったいぶってきたことを忘れ去ったようにあっさりと、彼は名乗った。
ガソリンの癖のある臭いと駆動音であの金髪だと当たりをつけていたヴィルヘルムは、思わずぱちりと目を瞬かせた。腕を組み、壁にもたれて突っ立ったまま、白い首をもたげる。はらり、白い髪が揺れた。
「悪くねぇ名前だろ」
「……アァ、そうだな」
どさり、と、金髪――遊佐司狼の肩から、見慣れない黒いかばんが落ちた。そこからずるりと取り出されるのは、ごつごつと硬質な銃。
ヴィルヘルムはそこでようやく背中を壁からゆるり、離して、熱っぽい笑みを顔にうかべ始めた。目を見開いて、牙のような犬歯を晒しながら口角をつり上げる。
「もったいぶるほどのモンじゃねえが、劣等の名にしちゃあまだ呼びやすい方だ。悪くねェよ、ああ悪くねェ。ユサシロー、ユサシローな……」
ぶつぶつ、呟く。ガラの悪い掠れた声は、常よりも静かで抑え気味だった。
軍人としての――というより、これはむしろ騎士道精神的であったが――こだわりのため、ヴィルヘルムはこれまで名前を知らなかったばかりに遊佐司狼を殺さずにいたのだ。
初対面時に得がたい好敵手であると見抜いてから、ヴィルヘルムは彼に「名乗れ」と言い続けた。戦時中ならそんな酔狂にここまで根気強く興じることも無かっただろうが、それだけヴィルヘルムは決闘に飢えていたのだ。
そしてそんなヴィルヘルムの望みを見抜いて、遊佐司狼はこれまであえて名乗らなかったのだろう。名乗れば最後、この白い幽鬼は思い残すことなく自分を殺すのだから。
「ま、今まで浮気の邪魔しまくったぶん、今日はマジで思いっきりイかしてやるぜ? 腹上死するまで付き合ってやるよ、中尉殿」
「ひ、ははは……おーおーそうだなぁ、テメェが首突っ込んでくるたんびに俺ァ溜まって溜まってしょうがなかったンだよ……」
「は! 童貞くせーなぁ、いい歳してぎらっぎらしてんじゃんねっつの」
茶化しながら両手に構えられたのは、デザートイーグル。本物の鉄と火薬の臭いに、ヴィルヘルムはいよいよ恍惚と舌なめずりをした。
「いいぜぇ、テメェ、サイッコーだ……」
「おいおい、まだなんもしてねーのにラリってんじゃねーぞ? あっさり殺しちまったらどうすんだよ」
「ハッ、くはははは! 莫ァ迦!! 言ったろ俺ァ殺せねぇよ――と、言いてぇところだが」
ゆらり、猫背気味に立つ。弾道の予想軌道上に身を晒して、それでもいつものように両腕をだらり、垂らした。
ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイはその瞬間、赤い瞳に在りし日の戦場を幻視した。焼ける空、燃え上がる国旗、串刺しにした敵味方自国民他国民。
《串刺し公》と呼ばれた戦地のオカルトは今、ある蛇の呪いでこの地に縛られ、蛇の気の済むまで――あるいは何かの用意が整うまで――この地を動けず、そして
「今日は、死ぬのに悪くねぇ日だ――いい夜選びやがったじゃねぇかピエロ野郎、褒めてやっから感激しろよ、なァ!?」
「はっ、誰が……」
銃を構えた両手は、ほんの微かに震えていた。
明滅する青白い街灯に照らされた遊佐司狼の顔色は、どこか褪めている。目と白い歯だけが強く強く光って、彼の人並みはずれた意志力や生き様、吹っ飛んだ感性をあらわしているようだった。
「中尉殿」
ぐ、と、その指に力が入る。
「遺言、喋る暇あったら言うからよ、トんじまうならそれ覚えられる程度に頼むわ」
あんたとそういうことやりてーんだよなぁ、と。
笑い混じりに言いながら、遊佐司狼は少しの躊躇も無く引き金を引いた。
−
今日は死ぬには良い日だった。
ヴィルヘルム・エーレンブルグは荒い息を吐き、血に濡れたくちびるを思い出したように舐めた。
――それでも、死ねないのだ。
水銀の蛇の気が済むまでは、ずっと。
吸血鬼の夜は不死の夜だ。この自己暗示によって、ヴィルヘルムはおぞましい蛇の呪いを半ば以上受け入れて、この極東の街に居座っている。しかし今夜なら、ヴィルヘルムはそれを放棄したって構わないとすら思えた。
「あ、ァ……ぁぁァぁ……」
細く息を吐くように、声を絞り出す。
組み敷いた男の体温は、気付けば失われていた。反対にヴィルヘルムの白い身体は、百年の恋の末焦らされ続けた性行為にやっと絶頂を迎えたような風情で火照りきっている。
くぅ、と、喉の奥が鳴った。
恍惚ととろけた赤い眼に、徐々に理性の光が戻り始めている。
そこでやっとヴィルヘルムは、真っ白になっていた思考のなかからひとつの呟きを拾い上げた。
「遺言、聞き損ねちまった……」
仰のいて、月を見上げながら、ぽつりとこぼす。それからゆるゆると首を下ろし、自分が馬乗りに跨った男の顔を見下ろした。血でひどく汚れている。頚動脈を噛み切ったのだから仕方のない事だったが。
ヴィルヘルムの身体も血にまみれ、撃ち抜かれて風穴が開いたりもしておりずたぼろである。それでも彼は死なない。都市伝説の『霊』扱いは、こうなるとあながち間違っていない。一応生身ではあったがこうなるといっそ死肉に等しいと、ヴィルヘルム自身そう思っている。
「……よォ、小僧……」
がし、と、片手で金髪を鷲掴んだ。遊佐司狼の目は開かない。
「ユサシローよォ」
血でぬるついた喉の奥から、ヴィルヘルムは気だるげに声を出す。それこそ性行為の後のように、熱っぽい吐息を含んで。興奮で赤くなった目元や、とろりとした赤い眼をそのままに。
血濡れのSS中尉は、この極東の、不可解で生意気で傲岸不遜な、最高にそそる好敵手の名を呼んだ。
――そのときである。
『あーあ、やっぱし中尉殿、気持ちよすぎてぶっ飛んじまったまま俺ンこと殺しちまったし』
あの飄々とした声が、響いた。
この路地裏に、ではない。目の前の金髪の男は確かに死んでいる。ヴィルヘルムは、目を瞠った。
" 体 内 か ら 声 が す る ?"
「……おい、ユサシロー」
『へ? 中尉殿?』
声を出してみれば、頭というか心に直接響く声が返って来る。その声も、どこかポカンと呆気に取られたものだった。
思えばこんなにも無防備に互いの名を呼び合ったのは、これがはじめてだ。遊佐司狼が死んでいる以上、なんともおかしな現状である。
ヴィルヘルムはぐらり、不意に重く倦怠感を増した身体に「あ?」と呻いた。まだ行為の余韻が残る熱い身体は、ぐらりと傾いて、遊佐司狼の血まみれの死体の上にどさっと倒れる。べちゃり、血が少し周りに飛んだ。濃厚な鉄錆びの臭いにヴィルヘルムの意識はまた少し酩酊しかけるが、それどころではない。
ひとりぶんの鼓動が、鈍く続く。
『……え。ちょっと待てよこの薔薇畑、ひょっとしてアンタの中なのか?』
「な、にを、言ってやがんだ、テメ――」
『つーかマジなにこれ、俺とヴィルヘルム、一心同体かよ。セックスみてぇだなオイ。つか妊娠?』
そして、ひとりぶんの鼓動にかぶさるように、ふたりぶんの声と、覚えのある下世話な爆笑が無遠慮に響き渡るのだ。
『つーか、薔薇多っ。けっこーきれいだし。なんだよこれ、アンタ案外かわいい中身してんじゃねえの。うっはー! やべえウケるわ!』
「〜〜〜ッ、るっせぇなあんまし騒いでんじゃねえよこっちはなんか身体重てェんだぞクソったれ!!」
『あ、よっしちゃんと聞こえてんだよな。おっけーおっけー』
笑い混じりの遊佐司狼の声は、しかしなおも興奮気味に続く。
『けどよ、俺今日マジ死ぬつもりで来てて? 実際身体は余命1ヶ月とか言われてて? それがこんな面白ぇ状況になるとか思わねぇっつの』
「っとにうぜぇ……! ちったぁ黙れねぇのか、テメェの死体見習えインポの亡霊野郎」
『中尉殿、俺ンことすっげー熱烈に殺してくれたもんなあ』
ぎゃんぎゃん言い合うが、実際この裏路地に響く声はひとりぶんしかない。そのヴィルヘルムの声は気だるげで、ひどく鬱陶しげである。
しかしその血濡れの白貌には、じわじわと、攻め気な笑みが乗り始めていた。
「玉無しがいっちょまえに焦らしやがったから乗ってやったんだろ、年長者様に感謝しやがれよ」
『へーへー。ったく、おっかなかったっつーの。けど俺、やっぱしアンタに殺されて良かったぜ』
「遺言は聞きそびれたけどな」
『あー! それはガチでやりたかったんだがなぁー。中尉殿ハァハァ舌出してトんじまってよ、全ッ然会話とかなんなかったんだよ』
「テメェが早々死ぬのが悪ィ。俺が満足するまで生きとけよ」
『無茶苦茶言うなよな、真っ白吸血鬼が。それ言うなら初っ端で風穴開いたとき死んどけ』
「ハ! 頭足りねぇのか莫迦が、言っただろ俺ァ死なねぇんだよ――」
上機嫌に、応酬する。ヴィルヘルム・エーレンブルグの欲求不満は、今やっと解消されていた。
数十年続いた、冷たく湿った孤独と共に。
「――俺が消化して溶かしちまうまでは、テメェも道連れだ。覚悟しとけや、イカレピエロ」
言い落として、それに対する心の内からの返答を聞いてから、ヴィルヘルムは弾かれたようにげらげらと笑い出した。死体を抱いて、未だに血が流れるその首筋に白い鼻筋をすり寄せる。獣のじゃれあいのようにはしゃいで、ヴィルヘルムはもう一度、その首筋に歯を突き立てた。
苛烈なふたりの数奇な巡り合いは、まだもうしばらく、終わらない。
2013/1219 子葱。
はじめての司狼×ヴィルヘルム(のつもりでしたが読み返したらただ殺し合ってるだけでした)。半端な現代パラレルです。
この後黒円卓と合流したベイ中尉は、ど根性ガエルならぬど根性司狼といっしょにバトったり水銀の蛇の思惑に挑んだり大立ち回りします。トリッキーな作戦をたてる司狼とヒャッハーしてるヴィルヘルムがご機嫌に挑発しあって口喧嘩しながら動き回るのとか楽しすぎる!
もはやCPというより戦友で相棒ですね。生きるのに必死な修羅コンビ。