審神者の存在
晴れ渡る空の下、広い縁側へと出てきた一人の女性が大きく深呼吸をしていた。ずっと座り仕事をしていたのだろう、肩を回したり膝を曲げたりとストレッチを何回か繰り返している。
「仕事は終わったようだな?」
「!」
そんな彼女に、穏やかな声色で話しかける存在があった。彼女の近侍・三日月だ。
「うん! 後は政府に報告書を提出すれば、今日のノルマは終わるわ」
「主は働き者だな、時折身体を壊さないかが心配で仕方がないんだがなぁ」
「こんなことで、私はくたばらないわよ」
ふふん、と話をする彼女は……刀剣男士を顕現し、指示を出して歴史改変を企む『歴史修正主義者』から歴史を守る存在――審神者なのである。
彼女は背中まで伸びる橙色の髪をなびかせ、金色の瞳を輝かせている。長身の三日月と並ぶと、彼の肩より低い場所に彼女の頭がある。
「主が無理をしていなければよい、丁度歌仙かせんが食事の準備ができたそうだぞ。一緒に食べに行こう」
「もうそんな時間なのね、時間の流れが速くて仕方がないわ……」
「食事が終わったら、俺は出掛けようと思っているぞ」
「もしかして、あそこへ?」
「そうだ」
審神者の話す『あそこ』というのは、時の政府が誤って繋げてしまった世界……夢世界の事を指している。
そこへ遠征として向かった三日月を始めとした三条派の隊が、異変に気付きながら調査を進ませていたところで出会った一人の少年……彼のことを気に入った彼らは、政府に時空を塞がないようにと申請を出し、今日に至るのだ。
三条派以外の男士も、夢世界に興味を持ったらしく粟田口や織田組と言った具合にメンバーが集まって夢世界へと向かっているのを、審神者は知っていた。
「宗近だけじゃなくて、長谷部も随分と気に入っている人がいるらしいじゃない。皆は、一体誰に会いに行ってるの?」
「おおそうか、主には話していなかったな。すまんすまん」
時空が繋がって早数年、政府からの任務やいつもの遠征の他に向かう先が増えたわけだが、それが当たり前の日常となっていた。満面の笑顔で戻ってくる男士たちが大半で、向かった先で無理をしていないのがすぐに理解できたから、特別な心配をしていなかったともいえる。
だが、審神者としては男士たちの向かう先や出会った人たちはどういう方々であったのか明確にしておく必要がある。万が一、向かった先で刀壊されたら困るからだ。
「俺たちが向かっているのは、紅鏡の国・フレアルージュという国でな。そこにある辺境地を治めている領主・アポロ王子に会いに行っているのだ。あやつはなかなかに面白い男だぞ」
「……アポロ?」
ポツリ、と名前を呟く審神者は……目を見開かせて固まっているようだ。
「……主?」
「ッ! ご、ごめん! なんでもないわ」
「そうか?」
動きを止めた主に違和感を抱きながらも、三日月は特に追及することはなかった。
小さく首を振る審神者は、三日月と並んで大広間へと向かう。そこで待っている、刀剣男士たちと共に賑やかな食事の時間を過ごすために。
♪
「アポロって、もしかしなくても凄い人だったんだね」
「……唐突に何を言うのだ」
蛮族の頭との対面を果たして数日後、偵察と称して数名の仲間を引き連れてきた頭と今後の意向を話し終えたところだ。頭は非常に満足したらしく、近々仲間を連れてこの辺境地に永住することを伝えてくれた。永住する際の納税などのやりとりは、また日を改めて決めるという事で話は終わったのである。
その一部始終を横で見ていた刀剣男士・乱藤四郎が、政務に勤しんでいるアポロを見つめながらポロリと言葉を漏らしたところで、彼が顔を上げたのだ。
「さっきの野蛮そうな人とも、トントン拍子で話を進めちゃうし。僕の主ほどじゃないけど、仕事の速さは遅くないなーって思ってさ」
「主、か……」
時折、刀剣男士たちと会話をしていると耳にする『主』という存在。彼らにとって本当に大切な存在で、その者が居なければこの世に顕現されていないと言っても過言ではないくらい寛大な存在ともいえる。
「貴様らの話す審神者とやらは、どんな奴なのだ?」
「あー、興味あるの? ダメだよ、お嫁にあげないんだから!」
「ということは、女なのだな」
てっきり男なのだとばかり思っていたのだが、どうやら違うらしい。大勢の男士を束ねているのだから、想像以上の力量を持つ存在であるのは間違いない。
「主は本当にすごいんだよ! 仕事も早いし、料理もおいしいし、お裁縫も上手なの! 今度、質屋で買った布で洋服を作ってもらう約束をしてるんだ!」
「ほう?」
「アポロにも会わせてあげたいなー、絶対気に入ると思うんだよね」
にしし、と歯を出しながら笑顔を見せる乱を見る限り、本当に彼は審神者を酷く気に入っているのが分かる。いや、乱だけではない。これまで関わってくれた他の刀剣男士も、揃って審神者を好いている。
「……仕事、終わった?」
すると、ノックをしながら部屋に入ってくる存在があった。
青い髪を不揃いな結び方の赤い紐で結い、身丈に合わない大きな笠と青い袈裟に身を包んだ、幼い少年。彼の名は小夜左文字、乱と同じ刀剣男士だ。
「もうじき終わる、そろそろ昼食か?」
「うん。江雪兄さまと宗三兄さまが、食事の準備が終わったからって……」
トトト、と駆け寄る小夜は乱の横に並んで机の上を覗き込む。書類の山を見つめながら「これ、運んでも大丈夫?」と話しかけてくる。
「ああ、だが昼食の後でも構わんだろう。待っている者が、いるからな」
そう話をすれば、乱も小夜も嬉しそうな笑顔を浮かべた。部屋の中に閉じこもり、運ばれてきた食事を一人寂しく食べていた数年前を思うと、刀剣男士たちの出会いはアポロにとって大きな変革であったのは言うまでもなく。
羽ペンを横に置きながら立ち上がると、二人に手を掴まれ「早く、早く!」と言われながら引っ張られる。連れて行かれた先にある扉を開くと、そこでは料理を並べている四振が肩を並べていた。
「お小夜、無事にアポロを連れてきたのですね。偉い子です」
「うん、宗三兄さま」
「さ、早く頂きましょう。冷めてしまいます」
そう話をしているのは、小夜にとって深い縁がある男士だ。月見色の長い髪をなびかせ、僧侶のような服を纏っているのは太刀の江雪左文字。桃色のロングヘア―に、鎧袖と袈裟に身を包んだ美青年は打刀の宗三左文字。短刀である小夜と同じ左文字派の刀工によって打たれた刀たちだ。
本丸内では『左文字兄弟』と呼ばれており、非常に仲が良い三振である。だが、この三振は過去に不幸な目に合っていることもあり『不幸三兄弟』とも言われているらしい。
「さっき城下へ降りたらね、民たちから野菜を分けてもらったんだ。採れたてだから、アポロ様にも食べてほしい、と言ってたよ」
大根やレンコンなどが入っている炒め物が乗った皿を手にしているのは、蜂須賀虎徹。江戸時代に活躍した刀工、虎徹作の真刀と言われる打刀だ。美しい紫の長髪に加え、金箔の鎧のような目立つ服を纏う彼は、とても輝かしくも見える。
「これでは多すぎるのではないか? 残らぬか?」
「大丈夫ですよ、静形しずかがた。これだけ人数がいますから」
「そうか……」
眉を下げながら料理を見つめているのは、静形薙刀。他の刀剣男士のような、元主の存在や逸話を持たない薙刀である。黒髪で少しつり上がった瞳、灰色のルージュと紫のシャドーという化粧を施している高身長の男だ。黒と赤を基調とした服を身にまとい、肩からはアポロの髪色と似た橙色と明るい黄色が組み合わさったかのようなファーを身に付けている。つい先日、時の政府から科せられたイベントにて顕現されたばかりの刀だ。
椅子に座り、手を合わせて「いただきます」と声を合わせて食事を始める皆に混ざる静形は、難しそうに眉を下げる。
「……静形、お箸使いにくい?」
「ううむ……こんな細い棒きれ、俺だと壊してしまいそうでな……」
「大丈夫、気にしなくて平気。でも、心配ならスプーンもあるよ。そっち使う?」
「うむ、その方が安心だ」
申し訳なさそうに話す静形に、慣れた手つきで小夜がテーブルに置かれているスプーンを手渡す。そのやりとりを、アポロは感心しながら見つめていた。
「お小夜は初期鍛刀ですからね、顕現したばかりの静形が何を考えているのかすぐに分かったのでしょう」
「初期鍛刀?」
嬉しそうに話す宗三に、アポロが首をかしげる。そんな彼の疑問に答えたのは、蜂須賀だ。
「俺たちの主が、就任したばかりの時に一番最初に鍛刀して顕現された刀の事を言うんだ。ちなみに僕は初期刀だよ」
「初期刀……?」
「就任したばかりの主が、時の政府から授けられる最初の刀のことを言います。だから、本丸の事は蜂須賀が一番詳しいんですよ」
「ということは、一番長く審神者と時間を過ごしている刀という事だな? その次に長いのが、小夜ということか」
「う、うん」
アポロの言葉に、自身が話題に上がったことに少しだけ照れた様子の小夜は頭をかいている。
「だけど、顕現したばかりのお小夜は大変だったんだよ。なんせ、主を殺そうとしていたからね」
「殺す、だと……!?」
もぐもぐとご飯を口に入れながら話す乱に、小夜がコクリと頷く。
「復讐に生を見出していたから。だから、誰も信じられなかったんだ。でもね、こんな僕を主様は受け入れてくれた」
常に他人を疑ってばかりだったらしい小夜だったが、初期刀の蜂須賀や主の優しさに触れていき、少しずつ心を開いていったことも話してくれた。
「だから、僕は主様が大好きだよ。まるで太陽みたいで、ポカポカするんだ」
「確かに、我らの主はとても暖かい。顕現したばかりだった私や宗三も、お小夜同様に優しく接してくださいました。我らは、良き主に巡り合えた……素晴らしい事です」
嬉し涙を流しながら語る江雪。うんうん、と頷きながら宗三は食事を口に運ぶ。
「……あ、そうだ」
食事もほぼ終わる頃、ふと小夜が思い出したかのように口を開いた。
「アポロを呼びに行く前、城壁の近くで不審な動きをしてた人を見かけた。声をかけたら、そそくさと帰っちゃったけど……」
「どうせダイアが放った偵察兵だろ、放っておけ」
面倒くさそうに話すアポロに、乱が不思議そうに首をかしげる。
「どうして? お兄さんに監視されちゃうような事、アポロはしてないでしょ?」
「していないし、するつもりも毛頭ない。恐らく愚兄はコレを恐れているのだ」
コレ、と言いながらアポロは手の平を広げた。すると、そこからユラユラと炎が姿を現し力強く燃え上がっていく。
生まれながらにして炎を操れるアポロの能力を、こうして間近で見れたのが初めてで、そのこともあってか蜂須賀たちは興味深くその炎を見つめていた。
「綺麗な炎だね」
「こんな素敵なものを恐れるって、お兄さんは根が弱い人なの?」
「これを受け継いでいるのは俺だけだからな、愚兄も父も持ち合わせていない」
フ、と炎を消すアポロは椅子に深く座り込む。
「いずれ俺は、愚かな父と兄を退けフレアルージュの王になる。あのような衰退した王都にするしか能のない奴を、王として置き続けるわけにもいかん」
「アポロが王に……それはとても、素敵な国になるでしょう。他国との和睦も、問題なく進めることも出来ましょう」
「そうするためにも、基盤はしっかりと作らなくてはならん」
辺境地での安定した暮らしを過ごせる民を守る事、守るには兵力が必要になる。兵士たちは申請を出している民たちがいるから、彼らを鍛え上げれば問題ない。それだけでなく、蛮族の頭と親交を深めておくのも忘れない。彼らはいずれ、この辺境地を守る切り札の兵力として、動いてくれるに違いないからだ。
ゆっくりと、それでいて確実に、アポロが王になるべく基盤を作っていった。その傍らで、よからぬ企てが動き始めていることに気付かないまま……
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