Side ギルバート

「ギルバート様! ゲイリー様が、帰還されました!」

「!」


いつもと変わらない、政務に励んでいる時のことだ。

従者の一人がもたらした報に、俺は動かしていた手を止めて顔をあげる。


「兄さんが、帰ってきた……?」


それはつまり、兄さんにかけられている呪いが解けられたことを意味していた。

夜空に多くの星たちが瞬いていたあの日、兄さんが旅に出ると決心した日に"ゲイリー"として父を支えていくと誓ったあの時を思い出す。

いつ帰ってくるのかも分からない状況下だったこともあり、俺は定期的に唯一連絡が取れる従者から兄さんの様子を始めとした周辺地域の様子を耳にしていた。そんな中だったこともあり、兄さんが帰ってきたという知らせに思わず椅子から立ち上がった。


「おい、兄さんは何処に……」

「ああギルバート様、国王様のおられる謁見の間へ向かっております。是非お会いに行かれてください」


嬉しそうに語る従者に背中を押されるように、俺は謁見の間へと向かった。

やっとだ、やっと兄さんに会える……昔のように、また仲良く同じ時間を過ごせるんだ――

そう思いながら目的地の扉を開くと、そこには国王である父と兄さん……そして――


(あいつは……?)


見知らぬ一人の女が、立っていた。







彼女は、トロイメアの姫だと名乗った。

ユメクイに襲われて指輪になった兄さんを助けたことをきっかけに、兄さんの手伝いをしていたらしい。

そして、兄さんや父に呪いをかけた張本人であり俺の母とも対面したことも……彼女はゆっくりと、話してくれた。


(なんというか、少々信頼に足る奴とも思えないし……兄さんの力になってくれたのは、まあ……感謝するが)


結局、呪いは解けることなく俺の母は弱り切った体を引きずって姿をくらましたんだとか。

後を追うようなことはしなかったと兄さんは話してくれた……だが、本当に良かったのだろうか?

弱り切った母に、一刻も早く呪いを解けと迫れば事なきを得たんじゃないのか?

分からない……どうして兄さんは、問いただすことも迫ることもしなかったのか……

話も大体終わったのだろう、父は兄さんと姫を従者に任せるとそのまま自室へと向かっていった。

ホッと胸をなでおろす姫に、兄さんは面白おかしく笑いながら彼女の頭を優しく撫でてやる。その行為が、特別なものを愛でるような優しいもののようにも見えて……さらに首をかしげた。

兄さんにとって、彼女は一体何だというのだろう……?


「ギルバート」

「!」


名を呼ばれ、ハッと我に返る。


「これから客室に行こうと思うんだが、ちょっとだけ彼女の話し相手になってくれないか?」

「あ、ああ……別にかまわない。兄さんは……?」

「俺は少し席を外すよ、すぐに戻ってくるから安心しろ」


ニカッと笑うその顔は、兄さんが旅に出る前によく俺に向けてくれた優しい太陽のような笑顔だった。

俺が兄さんの頼み事を断るわけないのに……そう思いながら二つ返事をして、彼女と一緒に客間へと向かう。

向かう最中、長い廊下を歩いている間はお互いに話すこともなく長い沈黙が続いた。特にこれといって話すこともないし、どうしたものか……


「あ、あの……」


客間に入り、長い沈黙を破ったのは姫の方だった。


「ギルバートさん、と呼んでも……良いでしょうか?」

「ああ」

「お会いできて、嬉しいです。この城へ向かう道中、ゲイリーさんから沢山お話を聞いていたので……」


ニコリと微笑むその姿は、よく兄さんが笑いかけてくれるものと同じ暖かいものを感じる。

彼女をソファへと案内して腰を下ろすと、俺もまたゆっくりと口を開いた。


「俺は、帰ってくるのが兄さんだけだと思っていたから……少し、驚いた」

「最初はその予定でしたが、ゲイリーさんが是非来てくれと誘ってくれたので」

「兄さんが?」


まさか、一時期行動を共にしていただけだというのに……城へ招待するほど親しくなったというのだろうか?

兄さんがどれほど大変な旅をしていたのかは、断片的に聞いていたけれど……俺の知らない場所で、兄さんを彼女は支えていたということか……


「――兄さんが来る前に、一つだけ教えてほしいことがある」

「は、はい! 私が分かることでよければ……!」

「どうして、兄さんは呪いを解いてもらわなかったんだ?」


兄さんに聞いても、どうせはぐらかされるか黙り続けるのが目に見えている。目の前にいる女なら……兄さんと行動を共にしていた彼女なら、話してくれると思ったんだ……


「私の口から、お話して良いものとは思えません……」

「それでも! 教えてくれ……俺には知る権利がある」


兄さんに呪いをかけたのは、俺の母親だ。息子である俺にだって、知らなくてはならないことがある筈なんだ……


「――分かり、ました。私が見て、感じたことになりますが……」


まるで祈るように、両手を胸のあたりで組みながら……ポツリ、ポツリと話してくれた。

母と対面したのは、薄暗い洞窟の中だったんだそうだ。憎しみに心を支配されることで、その感情を膨張させて暴走させる引き金を生み出す兄さんにかかった呪いは、母と対面したことで酷い暴走に駆られたらしい。

でも、姫が傍にいることでなんとか回避させ……母を殺すことなく怒りを鎮めることが出来たのだそうだ。そして呪いを解く方法を、兄さんではなく姫が懇願したことで明かされたもの……それは――


「呪いは、解けなかったのか……!?」

「……はい、あの人は……呪いをかけるにも代償が必要だと、話していました。呪いの効果を継続させる……つまり、呪いをかけ続けるには自身の寿命が対価として削られていると話していて……」


その寿命には、終わりが見えたのかもしれない。呪いを解くにも相当な労力や気力が必要だろうから。

兄さんの元を去った母が、今どこに居るのかは分からないが……もうすぐ命が尽きてしまうことだけは、分かった。


「あ、あの! この話は、ゲイリーさんには内緒にしてください。ギルバートさんにお話ししたと耳にすれば、酷く気にしてしまうから……!!」

「大丈夫だ、知らないフリをするのは得意だからな。そう心配する必要もない」

「ですが……」


酷く気を沈ませてしまった姫に、俺はどう声をかけてやれば良い……!? 無理して聞きだしたのが間違いだったのだろうか……ッ!

そんなことを思っていると、コンコンと控えめなノックが聞こえ扉が開いた。


「すまない、待たせたな」


入って来たのは兄さんで、少し大きめの皿を手にして早足で寄ってくる。

テーブルの上に皿が置かれると同時に……俺は目を見開かせた。暖かな湯気を漂わせた、バターを少し溶けさせている薄オレンジ色の……


「パンケーキ……!!」

「ああ、城に戻ったらすぐん作ってやりたいと思ったんだ。張り切って作ったせいか、意外にも多く出来上がってしまってな……良かったら三人で食べないか?」

「俺が兄さんのパンケーキを前にして断るとでも思っているのか?」

「それじゃ、決まりだな」


事前に用意してくれた取り皿を手に、俺はキラキラと目を輝かせながらパンケーキめがけてフォークを伸ばす。少し複雑な表情を浮かべている姫に兄さんが心配そうに声を掛けるが、なんとか気を取り直して彼女はパンケーキへと手を伸ばす。

相変わらず兄さんの作るパンケーキは美味しい……またこの味を、頼めばいつでも口にできる日が来たことが本当に嬉しい。

母が兄さんにしてきたことは、決して良いことではない。それは分かっている……でも、過ぎたことを悔やんだり気にしていては先へ進めないことも知っている。

今、この時……長旅から兄さんが帰ってきて、トロイメアの姫と仲良くなっていて……そんな二人に可愛がられる俺がいる。コレで良いじゃないか、他に欲するモノなど何もない。

この先で待つ、新しい未来に……俺はただただ胸を高鳴らせていた。


「ところで兄さん、女の人……しかもトロイメアの姫をこの城に招いたってことは……もしかして結婚も視野に入れてたりするのか?」

「へ!?」

「ぎ、ギルバート! 唐突に何を言い出すんだ!!」

「世継問題も父がよく口にしていたから……って、なんで顔を赤くしてるんだ? おかしな二人だな」

「「〜〜〜〜ッ!」」


それともう一つ、姫をネタに兄さんをからかってみるのもまた……面白いのかもしれない。

そんなことを言ったら絶対に怒られそうだから、俺の胸の内に秘めておくことにしよう。
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