短編小説 | ナノ

 風が見初めた鳥<前>


「ねー小太郎! 一緒に城下に行かない?」

「は……?」


それは、戦乱の最中……一時の平和な一日に起きたひょんな出来事。

目をキラキラさせている甲斐姫に、定時報告としてやってきた風魔忍軍の統領・風魔小太郎は真顔で声を漏らす。

甲斐姫の隣には、ニコニコと笑顔を向ける早川殿が立っていた。


「今日、日ノ本を渡り歩いている大きな楽団がこの小田原を通りかかるそうなの。かなり有名な楽団らしくて、たまたまこの城下で公演会を披露するそうよ」

「それならば、我でなく氏康にでも言えば良かろう」

「お館様も一緒だけど、私が小太郎を誘いたかったの! ねえねえ、一緒に行こうよ〜!」


グイグイと巨体の腕を引っ張る小さな存在に、心なしか風魔は息を吐く。

彼は一つの大きな忍者集団を統括している長だ。こんなことに時間を割くことが出来ないのが現実である。


「子犬共の願いを聞き入れられるほど、我は暇ではない」

「まあまあ」


そう言いながら風魔の肩を叩いたのは、甲斐姫でなく氏康だった。

すぐ近くを通りかかったであろう彼は、愛用の煙管を手に笑みを浮かべている。


「戦乱のセカイじゃねーセカイに触れることも大事だ。俺の護衛って事で、一緒に来てくれるよな?」

「……報酬は高くつくぞ」

「おうおう、構わねぇ。俺が払えるモンだったらな」


氏康の言葉を否定しない。つまり肯定したと受け取ったであろう風魔の言葉に、甲斐姫はパァァと顔を明るくさせる。


「よっしゃー! きーまり!!」


こうして、風魔は半強制的に北条親子と甲斐姫によって城下へと降りる事となった。

そこで、一人の女に激しく惹かれていくことなど知らないまま……




***




通常の戦闘服では目立つという事もあり、風魔や氏康は普段着と称した着物に手を通して城下へとやってきていた。

氏康は赤の家紋が刺繍されている白地の代物で、風魔は亀甲文が施された黒地の着物である。

甲斐姫と早川殿は、通常戦闘着ではあるものの見た目は誰もが来ているようなごく普通の服であることもあり着替えることはしていない。


「あ、ここだ! 小太郎ー! お館様ー!」

「おいおい、いつにも増して嬉しそうじゃねーか小僧」

「だってだって、ずっと見たかったんですもん!!」


はしゃぐ甲斐姫の動機が皆目見当がつかない風魔に、早川殿はコソッと話す。


「今日ここを通る楽団は、かなり有名なんですよ。歌、演奏は誰もが高く評価する中、一番の目玉であり最後に披露される舞妓は、とても綺麗らしいわ。甲斐は、その舞妓の姿を一度でも見たいって話していたから」

「成程な……」


よくつっかかってくる子犬が興味を示すモノがある。それがまた面白く、小さく笑みを浮かべながら風魔は甲斐姫と氏康の後を追う。


「ま、くだらん座興だろうがな……」


任務ばかりの日常の中で起きた、ちょっとした暇つぶし。そう思いながら風魔は足を進めていくのだった。

彼らが足を踏み入れた場所は、楽団が設置した大きな会場だった。空き地を利用したこの会場は、多くの観客を入れるべく巧みに椅子が設置されている。


「前! 前行きましょうよ!」

「いや、俺らは後ろの方で見とくぜ」

「なんでですか! もったいない……!!」

「隣に居るオバケさんのことを考えろ」


氏康に言われ、甲斐姫は風魔へと視線を向けた。身の丈が普通の人より高く、色白で背中まで伸びる赤髪があるとくれば……


「あー、目立ちますね。小太郎が」

「我は気にせんがな」

「それに、だ。大きな舞台で披露される歌や演奏は、遠くから聞いた方が良いんだぜ」


近くより、遠くに居る方が空間の反響によって響く音がとても綺麗に聞こえるのである。

色んな人が評価している楽団の演奏や歌など、滅多に聞ける代物ではないからこそ、少し離れた場所から聞いた方が良いと氏康は判断したようだ。


「へー、お館様がそこまで言うなら私も離れた場所から聞きたいかも」

「それは賛成ね。あ、丁度あそこが良いかもしないわ。お父様、行きませんか?」

「おう」


あそこ、と早川殿が指した場所は舞台全体が見渡せるくらいの距離にある人ごみの一角だ。

人が四人立つには丁度良い空間へと、彼らは歩いていった。そして、楽団の披露が幕を開けるのだった。

最初は司会であろう一人の女性が、会場へ立ち寄った観客たちへと感謝の言葉を述べていき、そこから歌と演奏の披露が始まる。

歌も演奏も、誰もが高く評価するほどの美しいものばかり。関東の外で話題に上がっていた事を思いだす風魔は、その周囲からの評価は本物であることを痛感するのだった。

それは氏康も同様で、とても満足そうに煙管を持ちながら舞台へと視線をそらすことなく見続けている。

甲斐姫と早川殿はというと、先程のはしゃぎようが嘘のようでとても静かに歌と演奏に聴き入っているようだ。

そして、歌や演奏の披露も終わり……次はいよいよ最後の演目――舞妓が披露されようとしていた。


「ここまで見て下さり、ありがとうございます。最後の披露となる舞妓をお見せして、今日は幕を閉じるとしましょう」


司会であろう女性のそんな言葉が響くと、舞台の袖には楽器を手にしている奏者が何人か待機している。

そして、手にしている楽器を奏で始めると……丁度舞台の中央から浮かび上がるかのように……一人の女性が現れた。

黒地に金の鳳凰の模様が刺繍された着物を着た女性……彼女は手にしている扇を広げながら優雅に舞いを披露し始める。

その姿に、誰もが驚きの声を漏らしているようだ。


「上手く言葉にできませんけど、凄いですね」

「だなぁ」

「とても素敵……」


舞妓の姿に氏康たちが思っている言葉を口にしている中……


「美しい女だな」


ポツリと、呟くように発した風魔の言葉に三人は目を点にさせた。

甲斐姫は口をあんぐり開け、早川殿は口元に手を添えながら驚き、氏康はポロリと手にしている煙管を落としかけたときた。


「……なんだ、どうかしたか?」


三者三様に絶句した行動を取っていることに気付いた風魔は、眉間に皺を寄せながら口を開く。


「まさかオバケさんの口からそんな言葉が出てくるたぁな」

「渾沌と犬しか興味ないかと思ってた」

「ほう?」


戦乱を駆ける凶つ風が、一人の女性に興味を示したのだ。二人が驚くのも無理ないことだろう。

この場に感じる空気が嫌なものであることを感じた風魔だったが、こんな中ですぐに姿を消せば目の前に居る子犬たちが騒ぎだすのは必至。

ひとまず、この楽団の披露が全て終わるまで留まろうと思いながら視線を舞台へと向ける。

化粧をしているとはいえ、とても薄いもののようだ。先程まで舞台の中央に立っていた女と比べてそれほど化粧を施していないと風魔は思いながら、少しずつ彼女に対する興味が出てきていることに気付く。

彼女を近場で見たい。彼女の声を聞いてみたい。彼女に触れたい。あわよくば彼女を――

そこまできて、風魔はハッと我に返る。


(? 何故、我がここまで……?)


惹かれていると気付くのに、それほど時間はかからなかった。何故、と自身に問うても答えが返ってくるわけもなく。

困惑した気持ちの中、時間だけは規則正しく進んで行き……全ての演目も終わらせ舞台には大勢の人が並んでいた。

出演者であろう彼らは頭を下げながら「ありがとう!」と声を上げている中、舞妓である彼女だけは口を閉ざして頭を下げるばかり。それが異様であると四人は気付くのだが、特に何かを言うわけでもなく口を閉ざして様子を伺う。


「翠ちゃん! 何か一言喋ってくれよー!」


すると、観客の一人であろう男の声が響く。翠と呼ばれたのは、どうやら舞妓であるのに間違いないだろう。

少しだけ戸惑いながら口を開こうとするが……


「ごめんなさいねー! 翠は喋れないの!」

「えっ! そうなのか……」


この楽団の長であろう女性が、翠と観客の間を割って入りながら口を開く。

彼女の後ろに立つ翠の表情が暗くなっていったことを、風間は見逃さなかった。


「クク……」


この楽団……何か裏がある。そう直感する風魔は、すぐ横で堪能したであろう甲斐姫たちの後を追うように会場を後にした。

会場から出ると、そこには意外な人物が立っていた。


「いや〜、翠のあの舞う姿はいつ見ても素敵ですね〜!」

「って、アンタ幸村様んとこの忍びじゃない! こんなところでなにしてるの!?」

「なにって、舞いを見に来ただけですけど? ねー、月丸」


そこに居たのは、真田家に仕えている忍び・くのいちだった。肩に乗せている相棒の月丸は「キキッ」と小さく鳴きながら毛づくろいをしているようだ。


「譲ちゃん、あの舞妓の嬢ちゃんの知り合いか?」

「ま! そんなとこです。お仕事の帰りで、たまたま翠のいる楽団がここで披露会するって聞いたんで飛んできたんですわ!」

「翠……?」

「あ、さっきの舞妓さんですよ。多分このあと時間あると思うし、お喋りしに行こうかな〜」


ウキウキさせながらこの場を去ろうとするくのいち。彼女の言葉に少なからず違和感を感じた風魔は「待て」と言葉を発した。

呼び止められるとは思ってもみなかったくのいちは、「へ?」と不抜けた声を上げながら振り返る。


「あ奴は喋れないらしいが、一方的に話に行くだけか?」

「そんなわけないじゃないですかー! 翠は喋れますよ! でも、楽団の皆から声を発するなって言われてるみたいで……」

「はぁ? なんだそりゃ」


喋れるのに、仲間であろう集団から喋ることを禁じられている。それが不思議でならなくて、氏康だけでなく甲斐姫たちも眉間に皺を寄せる。


「勿論、理由はありますよ? あ、良ければ一緒に来ますか? 理由は道中話しますんで」


彼女の後を追えば、翠に会える。それだけで、風魔は黒く笑みを浮かべた。

自身の心に芽生えた感情……惹かれているこの感情の正体が分かるかもしれないからだ。


「折角だもの! 私も行くわ!」

「そうね、私も行こうかしら……お父様は?」

「けっ! 最後までお守してやるぜ」


結果、氏康たちもくのいちの後を追う事となった。

周囲の人込みを気に掛けて歩いていきながら、くのいちは小さな森の入口へと足を向ける。人ごみを抜け、森を歩く中でくのいちは話を切り出した。


「今から大体数年前ですかね、翠の居る楽団が真田領にやってきて披露会をしていてそこで知り合ったんです」

「へー、とすると……アンタとは随分付き合いが長いのね」

「そういうことですわ! 翠は、両親を病で亡くしてから住んでいる村から出てきたって聞きました。茶屋で働いていたら今の楽団に誘われて、一緒に行動しているらしい」

「それと、声を出しちゃいけねー理由がどう噛み合うってんだ」


くのいちの話を聞き、いまいち関わりが分からない氏康の言葉に哀しそうに彼女は笑みを浮かべた。


「最初は喋ってたんですよ、翠。入った当初は歌の披露をしていたらしいですし! でも、彼女の持っている声が気に入らない仲間たちの嫌がらせを受けて……彼女は仲間の前で言葉を発するのをやめたんです」

「つまり、周囲からの嫉妬が原因ってこと!?」

「うん。嫌なら抜ければ良いのに……でも、あの楽団の長をやっている人に無理矢理引きとめられてて抜けだそうにも抜け出せないらしい」

「クク……籠の鳥、ということか」


そう、翠は『楽団』という檻に囚われた鳥同然の扱いを受けているのだ。

喋れないなら、舞うしかない。だから、彼女は舞妓として舞台に立っているのだ。持ち前の美貌もあり観客達からは高く評価をうけている。そんなことが積み重なり、その結果この集団から抜け出せなくなっているのだ。

そんな事を話していると、森を抜けた先に見えた小さな川……そこに一つの人影があった。


「翠〜!」

「!」


一足先に飛び出した月丸の後を追いながら走るくのいちに、川辺で座っていた人影……翠は振り返りながら笑みを浮かべる。

天気は快晴で、空に浮かんでいる月に照らされた翠の笑みは言葉に言い表せない美しさを持っていた。


「…………」

「どうかした?」


いつもなら笑って挨拶をしているのだろう、言葉を発しない翠を不思議に思うくのいちは振り返りながら「ああ!」と声を上げる。


「この人達は私の知り合いなの! 事情も話してあるから、普段通り話しても平気だよ!」

「…………」


にかっと笑うくのいちに、困惑しながらも翠は視線を風魔たちへと向ける。


「はじめ、まして。翠と言います」


遠慮がちに発した彼女の声に、甲斐姫や早川殿、氏康までもが目を見開く。


「すっごい綺麗な声! 素敵ー!」

「え、あ……」


想像以上の美声だったからか、感激の声を上げて甲斐姫は翠の手を握る。

まるで絵に描いたかのような美しい容姿に、この声……これでは楽団の誰もが嫉妬するのも無理ないと氏康は理解した。


「私、甲斐姫! 甲斐って呼んでくれて良いからね!」

「甲斐……?」

「私は早川殿って、皆から呼ばれているわ」

「早川、殿」


名前を憶えるように、何度も彼女たちの名前を口にする翠。


「俺は北条氏康だ。ここを治めてる北条軍の長ってとこだな。娘と仲良くなってくれると嬉しいぜ」

「氏康、殿? え、娘って……」

「私の事よ」

「早川殿のお父さんが、氏康殿?」

「そうそう」


この場に居る人達の関係性がなんとなく分かってきた様子の翠は、視線を上げて風魔へと向けた。


「我は風魔小太郎。混沌を好む風よ」

「風魔、さん……ですね」


苗字を呼ばれただけだと言うのに、異様に鼓動が跳ね上がるのを風魔は感じた。


「こんな服着てるけど、小太郎は忍者なの! 風魔忍軍の長をしているのよ」

「じゃあ、偉い人なんだ」

「なに考えてるか分からない奴だけどね」


ガシガシと頭をかく甲斐姫に、クスクス笑いながら翠は話を聞く。

一時の安息が周囲を包んでいる……風魔からすれば縁のない空気なのだが、翠がいるともなれば話は別だ。この空間も悪くはないかもしれないと思っている自分がいることに驚く。


「皆、ありがとう。暫くここに滞在するらしいから、また遊びに来てくれると……嬉しいな」

「勿論よ! 公演、毎日顔を出すんだから!」

「私も、時間が合えば必ず行くわ」


新たな訪問者が増えたことが嬉しいのか、ニコニコと笑みを浮かべては「この時間帯には、此処に居るようにするね」とだけ言い残してこの場を後にした。

恐らく、彼女の自由時間が限られているからなのだろう。早々に戻らないと仲間に何を言われるか分からないから。


「それじゃ、私も戻るとしますか! 幸村様に良い土産話も出来たんで!」


それでは! と言い残して、くのいちは月丸と共にこの場から姿を消した。

川辺に残された彼らは、大きく伸びをしながら足を動かし始める。


「氏康」

「あ? どうかしたか?」


歩く気配のない風魔に疑問を持っていた氏康は、名を呼ばれた事もあり風魔へと振り返る。


「我は、あの女が欲しい」

「へー、そうか……って、はぁ!?」

「邪魔立てをするでないぞ」


クク、といつもの笑みを浮かべている風魔から言い放たれた言葉に、甲斐姫もまた目を見開いて驚いているようだ。


「あの風魔さんが……」

「姫様! これは、もしかしたらもしかするかもしれませんよ!」


驚きすぎて声を失う早川殿に、違う意味で甲斐姫はワクワクさせているようだ。

渾沌と犬にしか興味を持たなかったあの凶つ風が、一人の女性に興味を示し……欲している。これは誰が見ても恋そのものではないだろうか?


「ま、邪魔立てはしねーが、助力はさせろよ。オバケさん」

「クク……勝手にしろ」


今回の座興、とても興味深いモノを見つけることが出来た。それが、どれだけ膨大な価値があるのか……それは風魔でなければ分からない。

だが、只一つ分かることがあるとすれば……あの風魔小太郎が翠という一人の女性を見初めたということだ。







もう少しだけ続きます。

2015/1/25



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