短編小説 | ナノ

 シンデレラ・ストーリー<後>


 
夢のような一時から、一月が経つ。

今日も翠は、家族から無理難題な仕事を押し付けられながら大変だが充実した一日を過ごしていた。

只一つ、毎晩のように足を運んでくれていた諸葛誕の声が聞こえなくなってしまったことを除けば……

丁度一月前から、彼曰く「準備があるから来れない」と事前に聞かされていたからなのだが、その影響もあり翠が彼に対する想いを更に募らせていったのは言うまでもないことだろう。

いつもと変わらない日常……だが、とある出来事をきっかけに大きく変わろうとしている。


「翠! 翠は何処にいるんだい!!」

「?」


いつもの朝、同じ時間に起床して同じ時間に朝食の準備に取り掛かっていた翠の耳に、義母の声が飛び込んできた。


「はい、なんですか?」

「私の娘はどうしたんだい?」

「? まだ、床の間へいるかと……」

「ハァ、こんなときに寝坊なんて……ボサッとしてないでちょうだい! すぐに朝餉を運ぶのよ!!」


こんなに慌てながら怒鳴るように言葉を投げつける義母を見るのは初めてで、何が起こっているのか皆目見当がつかない。

だが、そんなことを口にすれば何をされるか分からない……翠は言われた通りに準備が終わった朝餉を手に義姉の寝室へと向かった。

そこには義母も同席しており、机が置かれているところを見るとここで食事をするようだ。


「お、お母さん! その話は本当なの!?」

「ええ、間違いないわ。魏国の将・諸葛誕様が見初めた女性を迎えに来るらしいわよ。誰かまでは分からないけれどね」

「!」


食器を持つ手が一瞬だけ動きを止める。そして、家族に気付かれないように平然を装いながら食事を机へと並べていった。

そして全て運び終えると、翠はその後一礼して部屋を出ようとする。


「ここに彼が来ないとも限らないわ。翠、徹底的に綺麗にするのよ! 埃一つでも残したら承知しないわ!!」

「はい、分かってます……」


そして翠は、二人の居る部屋を後にして早歩きで自室へと戻っていった。

パタン、と閉まられた自室に……連はゆっくりと足の力が抜けたのかペタリと座り込んでしまう。


「公休、さん……」


久しぶりに口にする愛する男性の名に、頬に熱が溜まっていくのを感じる。

あの時交わした口付けが、今でも鮮明に思い出せてしまう……それだけ互いに求め合った証拠ということなのだが、そのことに翠は気付いてはいなかった。


「会いたい……彼に、会いたい。でも、義母さんたちが許してくれるわけもない……」


嫉妬を露にした態度や眼差しを毎日のように受けていれば、反射的に恐怖を抱いてしまうもので。翠にとって、唯一の家族である二人を怒らせないようにひっそりと身を潜めていたのだ。

もし怒らせてしまったら、もしこの家から出て行けといわれたら……頼れる身内などいるわけがない翠は、当てもなく彷徨うのは必至だから。

きつく唇を閉ざし、翠は白い三角巾を頭に身に付けると掃除をするべく道具を手に廊下を歩いていく。



***



そして掃除を始めてから暫くすると……慌しい足音が響いてきた。この足跡の主なんて、誰に言われなくても分かる。


「翠! 貴女は部屋にいなさい! 私が良いと言うまで、出てきては駄目よ」

「は、い」


恐らく、彼がこの村にやってきたのだろう。そわそわとした態度をとっているのが何よりの証拠だ。

否定できる言葉など、始めから存在していない翠は瞳を閉ざしながら義母に返事を返す。そして、言いつけ通りに自室へと足を向けたのである。

その足取りは重く、目的地である自室まで辿り着くには相当な時間が要するのは明白だ。家族への恐怖と、心底愛した男への想いと会えない苦しさと……色んな感情が入り混じっているのも理由の一つだろう。


「――何処へ行く気だ?」

「ッ!?」


この場には自分しか居ないはず……そう思っていた翠は、突然聞こえてきた声にビクッと方を上下させた。

そして声の聞こえたほうへと顔を動かすと、そこには木に背中を預けるようにして立っている一人の男がいた。色白で、黒一色の服に身を包んでいる男……翠にとって、初めて対面する人物だ。


「あ、の……貴方は……?」

「後々分かることだ。それよりも、お前は会いに行かなくていいのか?」

「ッ……、会いに、とは……」

「とぼける気か?」


不思議そうに首を傾げる男に、小さく震える手を押さえるように翠はギュッと握り拳を作る。

目の前にいる男は一体誰なのか、どうしてこんな人様の中庭に入り込んだのか……分からない。それに加え、自身のことを知っているかのような口ぶりで話すものだから尚更訳が分からないのだ。


「あの男が毎晩、お前に会いに行っていた理由がなんとなく分かった。他人を惹きつけるその雰囲気を気に入ったのだろうな」

「? あの、用がなければ出て行ってください。私は、これから――」

「部屋に行こうとしていることなど、この俺が見抜けぬわけがないだろう」


何かしら理由をつけてこの場から立ち去ろうとする翠を引き止めるように、彼は話を続けていく。

何故、彼は翠の行動が手にとるように分かってしまうのだろうか? それは、誰にも分からないことだ。


「さんざんコキ使わされてきたんだ。いい加減、この籠の様な場所から出たいとは思わないのか?」

「な、にを言って……」

「少しは欲を持てと言っているのだ。人間は、我が侭な生き物だからな」


クツクツと喉の奥から笑いながら話す彼に、首をかしげていると……


「お、お待ちください! ここには、私と娘の二人しかいないのですよ!?」

「この私を前に、嘘を言うつもりか? ここには、もう一人……女子がいるであろう? 私が知らないで着たとでも思っているのか?」

「ッ!!」



慌しい足音、声を荒げる義母、そして恋焦がれていた殿方の声……これらが示すものといえば……


「! 賈充殿、人様の庭で何をされているのですか?」

「わざわざ彼女を引き止めていたというのに、その言い草はないだろう」


ハッと嘲笑うかのような声色で話す賈充と呼ばれた男に、翠は目を見開きながら顔を向ける。そこには、少しだけ呆れたような眼差しを彼へと向ける諸葛誕が立っていた。その後ろには、義母たちが驚愕に似た表情を浮かべている。部屋にいるようにと言いつけたはずなのに、翠がこの場に居ることに心底驚いているからだろう。


「翠殿」

「!」

「一月も、待たせて申し訳ない。貴女を迎え入れる準備が整ったのだ、さあ」


スッと差し出された手の平。それを見て、翠は口元を覆うように動かした手を動かそうかどうか迷っていた。

今すぐにでも、その手を握り返したい。これを握れば、彼と共に在れる日が来るのは……分かっていた。だが……


「か、彼女はここで下働きをしている使用人です! 身分も弁えられずに申し訳ありません! すぐに部屋に行くよう言いつけますから!」


とっさの義母から発せられる言葉に、ハッと我に返る。そうだ、この手を握る権利など……持ち合わせていない。家族として見てもらえない義理の母や姉に、扱き使われている毎日なのだ。

一つ屋根の下で生活しているのに、『家族』として認識してもらえていない自分が……果たして彼の手を握ってもいいのだろうか?


「だからなんだと言うのだ」


そんな翠の気持ちを打ち消すかのような、諸葛誕の声が聞こえてくる。


「地位や身分などどうでも良い。私は、一人の将としてではなく"諸葛公休"という一人の男として、翠殿という一人の女性を迎えに着ただけだ。貴女方の存在が、彼女を縛り付けているのならば、私はすぐにでも翠殿をこの家から連れ出そう」


そして、諸葛誕は出すのを躊躇している翠の手をそっと自身の手で包んだ。


「もう、貴女以外に考えられんのだ……あの日、想いを告げてくれたあの晩が忘れられない。この一月、貴女を想わなかった日はないくらいだ。頼む、翠殿……私の妻になってくれ」


言葉一つ一つに込められた、彼の想い。それが痛いほど伝わってきて、翠の心を揺れ動かすには十分すぎるものだった。

カァァと頬を染める翠は、少しの間を開けてから……「はい」と返事を返した。その声に、バッと諸葛誕は顔を上げる。


「不甲斐ない、世間知らずで、不束者ではありますけど……」

「それで良い……それでこそ、私が惚れ込んだ女子だ」


包み込んでいた手を握り直し、そっと手の甲へと口付けを落とす。「見せ付けてくれるな」とクツクツ笑って話す賈充の声など気にしないまま……

そんな動作一つに、またトクンとときめかせる翠は、諸葛誕に手を引かれながら家の前で待っている馬へと乗せられた。

すぐ後ろで静止の声を上げる親たちの声を耳に入れない諸葛誕に、不安そうな表情を浮かべながら見つめていると……馬に跨り翠を片手で抱きしめる諸葛誕が小さく囁いた。


「気にすることでもあるまい。貴女を家族と思わない者たちなど、私は許そうとは思わないからな。それに、翠殿はこれからのことを考えよ」

「これからの、こと?」

「私と夫婦になる……ということは、私と『家族』になるということだ。住む場所や環境も変わり、毎日慌しくなるだろう……あと、そう遠くならない未来に子供を身篭ってもらおうか。そうすれば、義母たちのことを気にする余裕すらなくなるだろうからな」

「!?」

「毎晩、夢の中に翠殿が出てくる度に声が枯れるほど激しく抱いていたのだ。それが現実のものとなる……嗚呼、今晩にでもこの手で綺麗な貴女を抱きたいものだ」

「こ、公休さん……」


心臓がいくつあっても足りない、というのは正にこのことだ。想いを自覚し、離れていた分を埋めるかのように愛を囁き……抱きしめてくる。身も心も、彼好みの色に染まっていくような感覚に襲われながら、翠は馬を走らせる諸葛誕にギュッと抱きつくのだった。

そして、その後二人は城へ着くと同時に挙式を挙げることとなった。多くの将や兵、女官たちに祝福されながら……そしてもう一つの『家族』を持つということに少しずつ実感を持つことになる。

それから数年後、諸葛誕からの愛を一身に受けた翠が彼との子を身篭ることになるが……それはまた、別の話になる。

倖せで、穏やかな気持ちにしてもらえる環境の中……翠は愛する旦那と共に、城内で不自由なく過ごしていくのだった。


END



やっと、終わったorz
なんでだろう……諸葛誕さんのお話を書くと、長くなる不思議。
短編って何だろうって、思ったのは言うまでもない。


2014/4/28



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