短編小説 | ナノ

 身近な存在<前>


 
翠は、瞳を細めながら寿春城を見つめていた。

そこには、先日まで共に仕事をこなしていた親友であり掛け替えのない存在が居るのだ。


「翠殿……ここにいたのね」

「?」


駐屯地の外から城を見ていると、少しだけ心配してか元姫が眉を下げながら歩み寄ってきた。


「ああ、元姫殿」

「辛い戦になると思うけど……」

「確かに、彼は私に対して他国に寝返るという裏切りをしたのです。この報い、倍にして返さないと意味がありませんよ」


同志として、友として、共に行動をすると約束した矢先で起きたこの騒動。

何を思ってか、何も相談せずに魏から離れて行った彼に想いを馳せる翠に、元姫は何も言わずにただただ隣に立っている。


「流石、法正殿の一人娘といったところか。考えも、持ち前の知恵も……な」


二人だけの静かな空気が流れていくかと思いきや、それをぶち壊すかのように声をかけてきた黒い影が歩み寄る。

彼……賈充もまた、翠にとっては掛け替えのない親友の一人だ。

そして賈充の言った言葉を補足するとすれば、翠はかつて蜀で知勇を披露した悪党・法孝直の一人娘である。若くして両親を亡くし、蜀に居る事に違和感を覚えた彼女が飛び出した先で出会ったのが司馬懿を始めとした司馬一族だった。

法正の一人娘であることは初対面の際にバレていたが、それでも当時の司馬懿は「その知勇、この場で野放しにしておくには惜しい」という一言で彼女を引き取ったのである。

新しい仲間を与えてくれた司馬一族に莫大な恩を受けた翠は、倍にして返すという名目で彼直属の将となるべく奮闘した。その時に出会ったのが、現在敵対している呉へと降った諸葛誕である。

彼は、蜀にいた諸葛亮の遠縁らしい。諸葛一族らしい道を歩みながら、熱い志を持つその男に翠は共感し、行動を共にするようになった。それが、今となっては敵対してしまったことに……哀しい気持ちで一杯であるのは言うまでもないことだ。


「賈充殿、これも貴方の思惑通りじゃないんですか?」

「何のことだ」

「とぼける気ですか……私は知ってるんですよ。魏の帝が、彼に密書を送ったことをね」

「!」


初耳だったのか、元姫は目を見開かせた。


「帝の駒となってしまった彼を討とうと、思ってるのでしょう?」

「くくっ、流石俺の悪友だな。分かっているじゃないか……だが、全ては奴の心一つで変えてやろうと思ってる。改心し、戻ってくる気があるなら……討ち取ることを検討してやらんでもない」

「ま、こんな大掛かりな乱を起こしたんです。只では済まないでしょうよ」

「そこをなんとかするのがお前だろう。諸葛誕も、翠も、お互いに無くてはならない存在なのだからな」


そう言い残し、賈充はそのまま駐屯地へと戻っていった。交互に見やる元姫は、複雑な気持ちのまま翠へと視線を戻した。


「翠殿……」

「分かってますよ。諸葛誕殿も、私も、今まで二人三脚で司馬師殿や司馬昭殿を支えてきたんです。お互いに手の内は見えている……見えているからこそ予想外な行動を起こしやすい……だからこそ、私は全力で彼と対峙しないと――」

「違うでしょう」


辛そうに眉を下げ、それでいて呆れながら話す元姫に翠は動かしていた口を止めた。


「好いている人が敵対する辛さを誤魔化そうとしなくても良いの……本当なら、今すぐにでも連れ戻したいって思ってるくせに」

「……同じ女性として、しかも愛する殿方を持つ人にそこまで言われては、何も言い返せませんよ」


フンッと鼻から息を吐き、顔を赤くしながら翠は再度寿春城へと視線を向ける。


「私は、諸葛誕殿のことを異性として好きですよ。素直で真っ直ぐで、頑張り屋で、そんな彼に惹かれたんですよね。その真っ直ぐさが故に、敵に漬け込まれてしまったといっても過言ではないですけど」

「ならば、迎えに行ってあげないとね」

「ええ、どんなに抵抗されようとも……戻ってきてもらわないと意味が無い」


彼が生きて、隣に立ってくれないと意味が無い。だから、早く戻ってきて欲しい。

そんな気持ちを抱きながら、翠は元姫と共に駐屯地へと戻っていった。そこでは、司馬昭を始めとした顔なじみである将たちが揃っており、寿春城の攻略のために策を練っていく。

翠もまた、父譲りの策を練りながら机に広がる地図を指差して話し合いに参加していくのだった。




**




時を同じくして、寿春城内にいる諸葛誕もまた空を仰いでいた。

司馬師が突然の奇襲によって亡くなり、失意の底に落とされたといっても過言でない状況下で文欽と出会ったのが始まりだ。それと同時に手元に届いた書簡……魏の帝からであるそれに目を通し、司馬昭を討って魏を救うことを誓うのだが……


(何故だ……何故こうも、落ち着かないのだ)


今まで多くの策を練ってきた彼にとって、これほどまでに不安感に襲われたことはなかった。司馬昭と言い争うような事態になったときも、上手く策が成功しなかったときも、上手くいかなかった時が今まで数多くあったのに。

何故、今になって想像もできない不安感に襲われるのだろう? 今までと、何が違うというのだろう?

そう思ったときだ、ふと脳裏に一人の女性の影がさした。


『諸葛誕殿、また司馬昭殿と良い争いを? まあ、お互いに理解を深めるのは良いことですが……亀裂が生じるような言い争いは控えてくださいね。こちらにも被害が及ぶんで』


苛立っているときに限って、察しの良い彼女はいつも声をかけにきてくれた。


『この策、とても良いと思いますよ。ですが、こう動いた場合……敵はこの山の上から奇襲をかけてくる可能性があります。折角人員が多いのですから、二手に分けるのも一つの手ですよ? まあ、私の策など諸葛誕殿の策において披露できるものでもありませんけどね』


策が上手くいかないときは、常に傍にいてくれた彼女の助言もあって窮地から脱出できたことだっていくつもある。


「嗚呼、そうか。彼女がこの場に居ないのが……一番大きいのだな」


司馬懿が隠居する前から、司馬師が奇襲で亡くなるまで。なんだかんだ言いながら常に傍に居てくれた小さな存在。

彼女は、蜀の軍師たちの一人である法正を父に持つ。法正は、諸葛亮と馬が合わなくよく反発していたらしいと諸葛誕は耳にしたことがあった。諸葛亮といえば、諸葛一族の中でも高名な軍師の一人であり、諸葛誕の憧れの人でもある。

そんな人と馬が合わない人物の娘と聞き、どんな悪い奴かと思ったが……いざ会ってみれば想定外なことが多かったのも良い想い出だ。


「彼女のことだ、私の描く策に対する対処などお手の物だろう。ここに彼らが来るのも時間の問題か……だが、私には大義がある。帝の意向に応えなければならないというのに……」


何故だろう……敵対しているはずなのに、翠のことばかり考えてしまう自分がいた。

彼女が傍に居てくれただけで、とても嬉しくて……いつも励ましてくれてて……なんだかんだ言いながら手を差し伸べてくれた存在。法翠という存在は、意外にも諸葛誕の中では大きくて大切な存在に膨らんでいたのだ。


「呉と接触する前に、彼女も連れて来るべきだったな。そうすれば、私が思いつかないような策を見出してくれてたに違いない」


だが、今となっては無理な話だ。現在、彼女は敵の軍師として司馬昭と共にいるはずだから。


「ならば、相棒である私が説得し……共に帝の意向を応えるべく動けば良い」


なんだかんだ言いながら行動を共にした掛け替えのない存在だ……話せばきっと、理解してくれる。そう思い、諸葛誕もまた文欽たちが待機している城の奥へと姿を消す。

この戦……どういう結末が生まれるかは……この場に居る誰もが分からないことである。




***




寿春城へと行ける近道とも呼べる橋を落とされ、南にある道から遠回りに寿春城へと向かうことになった司馬昭たち。

勿論、隠れていた兵達が行く手を阻み上手く進軍できない事態になったが翠や司馬昭の案を使うことで事を成していったのである。

遠回りになりながらも、伏兵を撃破していき……ようやく城へと続く一本道がある砦が見えてきた。


「離反者が多いですね……敵の器量も力量も、この程度ってことですか」


呉から離反してきた兵達を纏め上げながら、砦を守る将・孫チンを撃退して先へと進む翠。


「なあ、翠」


城へと続く一本道を走っている中、少し先へと走る司馬昭が唐突に口を開いた。


「? どうしましたか、司馬昭殿。この先には、まだ兵がゴロゴロいますよ」

「こんな時に悪いとは思ってるんだが、諸葛誕の説得……頼んでも良いか?」

「!」


まさか、彼から言われるとは思ってもみなかった翠は目を見開かせて愛用の武器である連結布を手に足を止める。


「確かに、俺と諸葛誕は考えることも違うし意見の食い違いがあって当たり前だ。この先も仲良くできるかなんて分からない……でも、俺にはアイツみたいな熱意はないし、まあめんどくさがり屋だし? だからこそ、ああいった奴も必要なんじゃないのかなって」

「つまり、説得という名の面倒なことを私に押し付けたいと……そういうことですよね?」

「バッ……そんなこと言ってねーだろう!」

「まあ、良いでしょう。相手は命がけで乱を起こしているんです……そんな人を説得した暁には、それ相応の恩がくるのを楽しみにしてますので」


ニヤリと笑うその顔は、悪党と呼ばれた法正を連想させるには十分だった。

報復と報恩を倍にして返す、という意向を持つ彼女らしい言葉に「こりゃ大変だな」と話す司馬昭。自分の頼みを聞いてくれたことに、内心ホッとしているようにも見て取れる。


「それでは皆さん、暫く兵卒たちの相手をお願いします。不審な集団を見かけましたら、すぐに倒しておいて損はないでしょう。私が説得している間……誰も城内に入らないことを約束してください」

「翠殿! それはあまりにも無謀――」

「いいだろう、翠の意志を尊重する。俺達は場外で敵を叩くぞ!」

「子上殿!!」


仲間が単身で敵の立て篭もる城内へ行こうとしている。友として見過ごせない事態だというのに、司馬昭も賈充も何も言わなかった。

言ったところで彼女が「はいそうですか」と引き下がるわけでもない。それを知っているからこそ、「行ってこい!」と見送るのだ。無事に戻ってくるのを願いながら……





長くなったので分割。
続きは後編にて!

2014/4/6



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