短編小説 | ナノ

 似た者同士(1/3)


一週間のうち、僕は水曜日が一番好きだ。週の真ん中にある日だし、平日の折り返し地点ということもあって気落ちしている人が多い印象があるけれど……僕の機嫌がよくなるのには特別な理由がある。

カランカラン、と来客を知らせるベルが響く。皿洗いをしている僕は顔を上げ、自然と頬を綻ばせた。

黒縁眼鏡に初夏の時期にピッタリな水色の帽子を被る女性……彼女こそ、僕の機嫌をよくさせる大きな要因の人物だ。


「安室さん」


すると、ホールを往来していた梓さんが戻ってきながら僕に耳打ちしてくる。


「いつもの彼女さん、いらっしゃいましたよ。行ってきてください」

「なんかすみません……」

「気にしないでください!」


パチンとウインクをする梓さんは、僕の手からスポンジを取り上げながら背中を押してくれた。苦笑いを浮かべながらも、心の中でお礼の言葉を投げてから、お冷を片手に彼女の座るテーブルへと向かう。


「いらっしゃいませ、今日はどうされますか?」

「こんにちは、安室さん。そうですね……」


いつも持ち歩いている単行本を置きながら、メニューを広げて眉を寄せている。嗚呼、そんな顔をする貴女も可愛いな……と、思いながらニコニコ笑顔を向けて待っていると、彼女は視線を僕へと向けてきた。


「では、今日は安室さんの作るサンドイッチをお願いします」

「畏まりました。飲み物は紅茶などいかがですか? 丁度、良い葉が入ったばかりなんですよ」

「そうなんですか? では、それも一緒にお願いします」


いつものお客さんと店員の間で交わされる、些細な会話。だけど、僕にとってこのやり取りはとても大切なもので、こうして彼女と話が出来ただけで鰻登り並みに機嫌が上がってしまうから不思議だ。


(彼女の為にも、美味しいサンドイッチを作らなくては……)


彼女に背を向けながら、俺はそう意気込んでから作業に取り掛かる。


安室透、毎週水曜日の太陽が燦々と降り注ぐ午後の時間帯にやってくる常連・立花翠さんに、いつしか淡い恋心を抱いていた――


きっかけは憶えていないし、恋心に気付いたのも梓さんに指摘されたようなものだ。この喫茶ポアロに足を運ぶようになった彼女を、自然と目で追いかける僕が気になったようで、観察して気付いた、なんて梓さんに言われたものだから流石の僕も驚いた。

毎週水曜日、決まった時間に彼女は窓際の席に座って本を読んでいることが多い。ただ、その本もジャンル様々だ。ある時は漫画、ある時は小説、ある時はエッセイ……気分でコロコロと変えている様子。

彼女と、もっと他の話をしてみたいと思っていても……いざ話題が出てこないから困ったのもだ……


「なんか、意外です」

「え?」


立花さんがポアロを後にしてからしばらくして、珍しいものを見るような眼差しを向ける梓さんは言葉を続ける。


「安室さんって、肉食獣みたいに狙った獲物を捕まえちゃいそうなイメージがあるんですけど……」

「そ、そうですか?」

「好きな子には奥手になっちゃうのかなって思いました」


まるで玩具を見つけた小さな子供のような、目を輝かせて話す梓さんに冷や汗を流しながら曖昧な返事をする。

今日もいつもと変わらない、静かで平和なポアロでの時間が過ぎていこうとしていた……







毎週水曜日はオフの日にしていることもあり、通い慣れてきた喫茶店で安室さんと普段通りの会話をしてきた。

もっと話題を出して、掘り下げながら互いを理解し合えたらどれだけ素敵だと思ったことか……それが出来たら苦労はしないんだけど……

……と、昨日の安室さんとのひと時に浸ってから、私は仕事に打ち込んでいた。

今日収録する予定のアニメの台本を片手に、一本のマイクの前に立って目の前で映し出されている映像の動きに合わせて口を開く。

息遣い、リアクション、迫力……そのどれもを『声』で演じ分けていき、長い収録を過ごす。そして最終チェックを終えて、ようやく私の仕事がひと段落つくのだ。


「お疲れ様、翠ちゃん! 今回も満足いく演技だったよ」

「ありがとう、ございます」


あまり褒め慣れていないせいか、少しばかり照れながら頬を掻く。すると、音響監督さんがニコリと笑顔を向けてきた。


「声優業界で有名な立花翠さんが、まさかこんな美人さんだって知ったら周りは放っておかないんじゃないか?」

「もう……褒めても、何も出ませんから……」

「ハッハッハ! 恥ずかしがり屋で人前で緊張する癖を治せば他の声優仲間みたいに仕事とか沢山貰えると思うがねー。特にバラエティとかさ」


笑い飛ばしながら話す監督さんに「勘弁してください……」と言いながら、私は荷物をまとめる。

そう、私の仕事は……アニメや洋画の吹き替えなどを主にしている声優だ。子供の頃から憧れていた職業だったこともあり、ここまで来るのに長くて険しい道のりを歩いてきた……

だから、今の仕事はとても楽しい! 話題のアニメや映画に出演できたり、そこで知り合えた先輩や後輩の方々とお話をするのはとても刺激的だ。でも、収録語の打ち上げに参加はするものの……それ以外で外食に誘われても全部断ってきていた。理由はいたって簡単、深く踏み込んだ仲になりたくないから。

友達として当たり障りない話をしたりするのは構わないけれど、それ以上の関係になるのを避けているんだ……

それに加えて、カメラの前に立ってテレビで報道されるような番組にも一切顔を出さないようにしている。声を聴いてイメージしている人たちの『立花翠という声優像』を崩したくないということもあるけれど……それ以上に、私は――


「ところで翠ちゃん、時間は大丈夫かい? 実家に呼ばれてるって言ってた気がしたんだが……」

「あ……!」


指摘されて時計を見ると、約束している時間が刻一刻と近づいているのが分かった。監督さんやアシスタントさんに簡単な挨拶を交わしてから、私は慌ててスタジオを飛び出して走り出す。




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