短編小説 | ナノ

 忍者の秘めたる恋<前>


忍には、多くの掟がある。その中に、恋愛に関わるものも少なくない。

忍たる者、感情を持つべからず。それは、感情に関わる全てのものが該当しており、恋愛も例外ではない。

それでも、男と女が出会い、互いに惹かれてしまうような事態が起きてしまったとなれば……果たして、己が心も偽れるものなのだろうか?

そう思い、快晴の青空を見つめながら重たい溜め息をつく忍がいた。

名を蒼。風魔忍軍に身を置く優秀なくノ一だ。戦乱のこのご時世、比較的穏やかな日々が過ぎている。

そんな中、蒼はそっと胸に手を当てて空を見つめているのだ。その姿はまるで、誰かに想い馳せているかのよう……


「蒼さん?」

「!」

「どうしましたか? 今の天候と打って変わって、暗いようですが……」


蒼に声をかけた人物……それは、風魔忍軍の頭領である風魔小太郎が見初め、正室として招かれることとなっている元舞妓の翠だ。正式に正室として契りを交わしていないが、誰がどう見ても風魔の正室になるのは間違いないだろう。

風魔との仲も良好で、交わりも何度かしているという風の噂を耳にしたことがある。そう遠くならない未来に、二人の子が見れるかもしれないと古い人間が話題にしていたのを思い出す。


「い、いえ……なんでも、ありません」

「そう、ですか。悩みなどあれば、誰かに聞いてもらったほうが気分が軽くなると耳にします。私でよければ、いつでもお話くださいね」


ニコリと微笑む姿は、誰もが見惚れてしまうほど美しいものだ。声も透き通るように綺麗で、性格も良く、この美しい容姿……風魔が惚れるのも誰もが頷くというものである。


「あ、そうそう。小太郎さんから言伝があるんです、"いつもの居間へ来い"とのことです。私もお呼ばれされてますので、一緒に行きませんか?」

「ええ、勿論です」


相手が民であれ、忍であれ、分け隔てなく接してくれているのが幸いしてか、蒼も翠の笑みに触れている影響もあり『優しさ』と呼ばれる感情の温かさを感じている今日この頃。

今日の天候のように、いつになれば自身の心が晴れていってくれるのか……

蒼はハァと心の中で溜め息をつきながら、翠の後を追うのだった。




***




居間へと足を踏み入れること暫くして、風魔の口から近々戦が起きることが知らされた。

相手は豊臣軍の配下にある徳川軍。親交が深い北条軍の領土へと多くの兵を引き連れているそうだ。徳川軍を補佐するように、豊臣軍から数名の武将と軍師が配属されているんだとか。


「相手が多勢であっても、北条軍に与する我ら風魔軍で対抗できるかと。それほど深刻にならなくとも」

「クク……よく考えてみよ。徳川が動くということは、伊賀の忍も動き出しているとも言えよう」


伊賀の忍……その言葉に、蒼は小さく反応する。


「伊賀……ということは、服部忍軍ですか」

「頭領である服部半蔵が動き出しているともなれば、我らに手が伸びるのも時間の問題ですな」


何人かが納得したような声色をあげている中、風魔は言葉を続けていく。


「奴が従う徳川軍が北条へと向かっているのならば、我らも北条へと肩入れすれば必然的に戦うことになろう。里の者に被害を加えない為にも、早急にこの戦、終わらせるぞ」

「はい! 頭領!」


腕を組む風魔に、部下たちが深々と頭を下げて行く。そして、翠は皆を見渡してから話を切り出した。


「今回は、私も皆様のお力になるよう……出陣しようと思います。軍師見習いとして、先代の功績を参考に皆様と共に戦いますので、宜しくお願いしますね」

「ま、我の元から離れぬことが、連れて行く条件ではあるがな」

「ちょっと過保護すぎません? まあ、今に始まったことではありませんが」


風魔が翠に対して甘かったり過保護だったりするのは、もう今となっては当たり前のこととなっている。周知の事実であるのは勿論、あの混沌を好む風がたった一つのことに執着するようになってから里全体の空気が変わったのだ。

一言で言えば、温かくなったのである。それは、民に対してもそう言えるし部下に対してもそう言えるだろう。忍が特別な感情を持つのはご法度とされている最中、頭領がその掟を破っているのだ。

驚きの声が上がったのも一瞬で、驚きの声から賛同の声へと代わっていったのは何時の事だったか。

里が良い方向へと進んでいるのは、住んでいる蒼にとっても嬉しい出来事だ。


「里を出るのは翌日の朝だ。今日は英気を養え」


その言葉を合図に、部下たちは一礼して部屋から次々と姿を消す。

蒼も遅れながら部屋から出て、長い廊下を早足で歩いて行く。


(私は……)


手を握り、きつく唇と閉ざしながら先程と同様に空へと視線を向けるのだった。




***




その日の晩、雲ひとつ無い夜空には満月が輝いていた。

満月の晩、決まって蒼は皆が寝静まった頃合を見計らって里を出ているのだ。向かった先は、里の近くを流れる川辺。

森奥深くにある岩場の多い場所に、一つの影があった。


「こんばんは」


蒼がそう声をかけると、影の主はピクリと反応して振り向く。

笛を手にしている彼は、蒼の登場で小さな警戒心を解いている。


「久しいな、蒼」


低音で響く彼の声一つに、またトクンと鼓動を早める。

そして、彼は座っている岩場から降りて蒼の元まで歩み寄っていった。


「会いたかった……」

「わ、私もです」


彼の名を口にしようと動く唇は、彼の唇によって塞がれ言葉にすることは出来なかった。

触れてくるだけのものではあるが、彼なりの小さな照れ隠しであることを知る蒼はこの行為を全身で受け止める。

角度を変えていく口付けを堪能し、ようやく離れたところを見計らって蒼は笑みを浮かべた。


「やっと、会えました。半蔵様」


彼女が待っていた人物、そして心に想い描いていた男は、今目の前にいる男――伊賀の忍である服部半蔵だ。

きっかけはとある戦場でお互いに刃を交えたこと。顔を合わせるだけの存在だったのだが、気付けばお互いに惹かれ……敵国の忍びであるのにも関わらず二人は満月の夜の日にだけ出会っていた。

逢瀬を重ねていく度に惹かれていき、陰ながら二人は恋仲の契りを交わしていたのである。


「また、戦だな」

「徳川軍が北条の領土へと侵攻していると、頭領から聞きました。半蔵様も、ご一緒ですよ、ね」

「応」


徳川と北条が争うことは、今に始まったことではない。また領土進行でやってきた敵を倒していく、今までの蒼だったらそうしていただろう。

だが、今は違う……


「蒼、この戦の最中、こちらに下る気はないか」

「わ、私は風魔忍軍のくノ一……敵方に下ることなど……ッ」

「否。忍びとしてではない、女として……拙者の正室として来る気はないか?」


女として……それは、忍びを捨て何処にでもいる女子として……

それは、夢にまで見ていた魅力あるモノ。どんな運命を辿ろうが、彼の元へ生涯寄り添いたいといつでも心の何処かで願っていたことだ。

彼からこういった戦をきっかけに誘ってくることも、今に始まったことではない。いつも誘われているのだ。だが、蒼は首を縦に振ろうとはしなかった。

愛する男の元へ行きたい。その感情は、多くの時が流れて行くうちにフツフツと泉の如く沸き上がってきていた。今すぐにでも連れて行って欲しい……だが、それは敵わない。それは、忍びという壁があるからだ。


「幼少の頃から手助けをしてくださった頭領を裏切るなど、私はできません」

「だが……」

「分かっています。半蔵様が想っている事は、しっかりと伝わっています」


お互いに指を絡め、逃がすまいと繋がれた手に力を込める。

こんなに想い合っていて、すぐにでも夫婦の契りを交わしててもおかしくないくらい親密な関係になっているというのに……


(この時ばかりは、自身が忍びであることを恨みましたね)


だが、忍びとして戦場に身を投じていたからこそ……二人は出会えたのだ。


「――そろそろ、戻るとしよう。風が冷たい」

「ッ……そう、ですね。半蔵様、今晩お会いできて嬉しく思っています」

「嗚呼、拙者もだ。次は戦場で、な」

「はい」


離れることを躊躇する手が、ゆっくりと離れていき……半蔵は暗闇の中へと姿を消していく。

その姿を、見えなくなっても脳居に焼き付けるように佇む蒼の周囲を優しく風が吹いていくのだった……



**


一話で終わる予定が、長くなったので分割することに。
なーんで私は短く事が出来ないんだろうか……


2015/5/25



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