終わらない恋になれ
 

どうすれば、アナタは私のモノになってくれますか?









「な、んですと……!?」


執務で忙しい日々から少しだけ脱出し、穏やかで落ち着いた日々を送っていた時のことだ。

司馬懿殿から直々に呼び出しを受け、不思議に思いながら彼の待つ部屋へと向かう。そこには、司馬懿殿だけでなく張春華殿や司馬師殿、司馬昭殿たちを始めとした顔なじみある人たちが集まっていた。

一体どうしたのだろうと思った時、司馬懿殿の発せられた言葉に私は言葉を失ったのだ。


「あら、現実を受け入れられないって感じね」

「なら、もう一度言うまでです」


ウフフと変わらぬ笑みを浮かべる張春華殿の横で、ハァと溜め息を着きながら元姫殿が口を開く。


「葵殿、暫く諸葛誕殿と距離を置きたいそうよ」


グサリ、と私の心に刃物が貫通していくような痛みが襲う。何故……? 突然彼女がそのようなことを言い出したのだろう? 原因は、分かっていることだが……


「しっかし、唐突だよなー。兄上達は何か原因知ってるんですか?」

「まあ、母上から聞いた限りではアレしかないだろう」

「くくっ……アレだろうな」


頷きながら話す司馬師殿に、面白おかしく笑いながら口を開く賈充殿。司馬昭殿は不思議そうに話している様子を見る限り、知らないのだろう。だがお二人は、もしや気付いているのかもしれない。数日前、私が彼女にしでかしてしまったあの行為を……




***




あれは、いつもと変わらない竹簡の山を片付けている時のこと。


「もうじき休憩の時間ですよ、諸葛誕様」


いつものように、梅と昆布の香りを漂わせる茶を手にやってきた葵殿。私の顔色を伺いながら、控えめに話しかけてくるその姿がなんとも愛らしい……


「ああ、すまない。いつもありがとうございます」

「いいえ、お気になさらずに」


暖かくて、大切にしていきたいとも思えてくる彼女の笑顔に癒されながら、茶を飲んでいく。ふと葵殿の視線を感じ、視線を彼女に向けながら首を傾げる。


「あ、すみません。なんだか、少しだけ変わられたと思いまして」

「? 私が、ということですか?」

「はい。いつも司馬昭様を相手に苛立っていた表情そのままで仕事をされてることが多かったですが、今はとても穏やかなので」


とても良い事だと言いたいのだろう。私の僅かな変化に気付き、嬉しそうに笑みを浮かべている彼女。嗚呼、それもこれも全て……


「貴女の、おかげですよ」

「え……?」


思っていることが口から出てしまった。そう気付くのに少しの間が空いてしまい、ハッと我に返った時は遅かった。

葵殿が、ほんのりと頬を赤らめていたのだ。


「わ、たし……何も、してませんよ? 身の回りのお世話と、食事やお茶だしくらいしか、してません」

「それだけだとしても、私はとても助かっている。定期的に休憩を挟んでいるお陰で、無理に執務をこなすこともなくなったのも事実だ」

「ですが……」


たったそれだけで? そう言葉を続けようとした彼女の頬に、私はそっと手を伸ばして包み込む。

想像以上に暖かく柔らかい……少しだけ彼女の香りが鼻をくすぐり、異様に私の心臓が大きく跳ねた。


「これ以上、疑うような言葉を発しないでください。私が感謝していることは事実だ」

「でも、私は一介の女官。何処にでもいる人間(ヒト)であるのには変わりありません。だから……」


それ以上、不思議に思わないで欲しい。貴女のおかげで、私はいつもと変わらない日常がとても暖かくて待ち遠しい日々になっていったのだから。貴女のおかげで、周りの様子を気にかけられるようにもなったのだから。

貴女のお陰で、こんなにも愛しいと思える女性を見つけることが出来たのだから……

周りの男共の元へ行かせはしない……どうすれば、私の腕の中に閉じ込めることが出来るのだろう?

時折顔を出す黒い欲望を押さえつけながら、私は自然と動いた行動に目を見開かせてしまった。


「んっ……」


目の前に広がる葵殿の顔と、唇に感じる彼女の熱。彼女の息遣いをすぐ傍で感じる……

嗚呼、私は今……彼女に口付けてしまっているのか。ずっと、ずっと……貴女の唇を奪いたいと思っていた欲に掻き立てられてしまったようだ。

想像以上に柔らかい彼女の唇を堪能し、そっと離れると……葵殿は今まで以上に顔を赤くされた。


「ぁ……」


恥ずかしいのだろう、視線を逸らし私の手を払おうと必死になっている。




― 逃 ガ サ ナ イ ―





頭の奥からそんな言葉が響き、葵殿の腕を払いのけながら顔を無理やり私の方へと向け……もう一度唇を奪ったのだ。

角度を変え、唇の柔らかさを堪能していると、空気が吸いたいのか少しだけ開かれる唇の隙を突いて……舌をねじ込ませた。


「ッ!! んんッ……ぁ、はっ……」


優しいものから、深いものへ。頬に添えた手を彼女の頭へと動かし、離れないようにする。たったそれだけの行為だというのに、私の心は酷く高ぶり彼女の口内を犯していく……

角度を変えるごとに聞こえてくる彼女の声に、何度も心臓を高鳴らせる。舌を絡ませたり、歯並びを撫でたり……唇だけでなく彼女の口内も堪能していると、小さく震える手の存在に気付き、そっと唇を離した。お互いの口から銀色に輝く糸が伸びていき、途中でプツリと切れていく。


「…………ッ」

「!」


気を緩んだ私の隙を突き、彼女はバタバタと部屋から出て行ってしまった。

今まで見たことのない、妖艶で色っぽい彼女の表情に目を奪われてしまったのが原因だろう。あんな表情をされるなんて、想定外だ。あんな顔を、別の男の前でもしているのかと思うと、無性に苛立った。

彼女を私のモノにすると決めたのだから――

しかし、あの時を境に彼女が私の目の前に現れることはなった。




***




「所詮諸葛誕も一人の男だった、というわけか」

「え? 訳わかんねー! どういうことですか兄上!!」


意味深に語る司馬師殿と、頭上に大量の疑問符を浮かべる司馬昭殿の言葉に、はっと我に返る。

元はといえば、彼女の気持ちを考えないで行動をした私がいけないのだ。彼女のせいではない……


「……で? 私たちは詳しい経緯を知らないから何も言えないけれど、どう対処するのかしら?」


首を傾げる張春華様の言葉を聞く限り、本当に目の前にいる皆はどういう経緯で我々が距離を置こうとしているのか分からないでいるようだ。

だが、司馬師殿や賈充殿はなんとなく察しているようだが何も言ってこない。決定的なものがないから、と言うのが妥当だろう。


「……今回は私にも非があります。一週間、彼女に休暇を与えましょう」


私自身も、彼女と少しだけ距離を置いた方がいいのかもしれない。あんな行為をしてしまったのだ、もし嫌われてしまったのだと思うと、立ち直れる自信がない。それだけ、私は葵殿のことを心から愛してしまった証拠だから。

それに、私自身も距離を置くことで心を落ち着かせる必要があるから……


「彼女にはそのように伝えていただけませんか?」

「あら、貴方直々に言った方が……」

「いいえ、暫く私の顔など……見たくないと思いますから」


自分で言っておきながら、心が酷く傷付いているのが痛いほど分かる。こうして、私と葵殿は暫しの間距離を置くこととなるのだった。




***




一週間、というのはこれほど長いものだっただろうか?

いつも以上に執務の疲れを感じ、鍛錬していてもなかなか身に入らない。夏侯覇殿や郭淮殿にも心配をかけてしまう始末だ。今まで隣には葵殿がいたお陰なのだろう……彼女がいないだけで、こんなにも支障が出てくるなんて思っても見なかったことだから。


(今日で一週間……ようやく、明日から彼女の顔を見ることが出来る)


溜まりに溜まった竹簡を手に、重い足取りで廊下を歩く。大半は司馬昭殿にお渡しするものだから、それほど時間をかけずに手渡してしまおう。

執務もほとんど終わり、今日の業務は全て終了したと言っても過言でない。だが、終わったからと言ってその後の時間の過ごし方が皆目見当がつかないのだ。

いつもなら、葵殿がすぐ横にいてくださったから。彼女と話をするだけで、時間があっという間に過ぎていってしまっていたから。


(そういえば、私は今までどのように葵殿と接していた?)


彼女が復帰したら、いつも通りに接しようと決めていた。それなのに、ふと思う。"いつも通り"とは、どのようなことを指していた? 以前はどのように葵殿と接していたのだろう? なんだかよく分からなくなってきた……

少しだけ困惑した表情を浮かべながら、ふと顔を上げると……向かい側の廊下から張春華殿と元姫殿が何かを話されている姿が目に入ってきた。

私の気配に付いたのか、お二人は少し離れた場所にいる誰かに話をしながら私へと指差してきたのだ。


「?」


訳が分からず、ふとお二人の視線の先を見ると……そこにいたのは、久しぶりに見る葵殿の姿だった。

たった一週間。七日間顔を見なかっただけだと言うのに、葵殿の姿を見ただけでドクンと胸が高鳴ったのだ。

私の顔を見ただけで頬を赤らめるその姿が、たまらなく愛しくて。好きで、好きで、この想いが止まらない。何か言葉を発しようと口を開こうとしたら、私の姿を確認した彼女はその場から……


―ダダダダダダッ!!!


……逃げ出してしまったのだ。


「え、あ……」

「全力疾走ね、葵殿」

「彼女の持てる力を発揮した、全力疾走ね」


突然のように走り出す葵殿の背中を見て、張春華殿と元姫殿は笑みを浮かべながらそう言葉を交わす。ゆっくりと私の方へと歩み寄るお二人は、私の持っている竹簡をひょいっと取り上げたのだ。


「行きなさい」

「いや、しかし……まだ執務が……」

「ここで追いかけないと、私は諸葛誕殿を軽蔑するわ」

「ッ……」


ジドッと元姫殿が見つめるその瞳に押されながら、私は廊下を走り出した。




終わらないになれ




(貴女を、死ぬほど手に入れたいのだ。もう迷いはしない……この手で、貴方の心を手に入れてみせよう)
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