その笑顔は反則だから
 

貴女の笑顔が、私の原動力となっている。









貴女のことが欲しいと思うと、不思議と行動を起こしてしまっていた。専属の女官、という立場を利用し多くの時間を私と過ごすようにしたのだ。

出来上がった竹簡も、数を増やせば葵殿と持って目的の場所まで同行してくれる。休憩の時間も、計ってくれているお陰で共に暖かな茶を手に談笑もした。食事も、朝食だけでなく朝昼晩を彼女に作ってもらうよう指示を先ほどしたばかり。それに加えて同じ卓で食事をすることも指示すると「喜んで」と頬を赤らめながら彼女の返事を受け取った。

満たされる……貴女のお陰で、心が満たされていく……

だが、暖かな気持ちになっている心の裏では醜い欲に塗れた想いも生まれているのも事実だ。


(やはり、私は日に日に欲張ってきているようにも感じるな……)


執務も終わり、使い終えた筆を片付けながら私は思う。

ついこの前まで、当たり前だった一人の時間がたまらなく寂しく感じてしまうのは、恐らく葵殿のせいだ。もっともっと、彼女と共に過ごしたい……専属女官として傍にいるだけでなく、もっともっと……深い関係に――

そう思ったと同時に、私は顔を大きく横に振る。いかん、これでは私の想いだけが大きくなって彼女に大きな負担をかけてしまうではないか。

ここ数日、頬に触れたり抱きしめたりと少しだけ過激な行動を起こしても拒絶することなく……暖かく包み込んでしまう葵殿。その暖かさに、私は甘えてはいないだろうか? 彼女の気持ちを、無視してはいないだろうか?


「……?」


少しだけ不安な気持ちを抱きながら、片づけを完全に終えた私は首をかしげた。

おかしい……この時間帯は、必ず葵殿が茶を手にやってくるのに。夕食も、決まったものではなく私の気分や体調に合わせて作ってくださるから、いつも聞いてきてくれるのに。その当の本人が来ない。


(探してこよう)


ざわざわと騒ぎ出す胸を押さえながら、私は部屋を出た。

彼女の向かう場所なんて限られている。まずは葵殿の部屋、そこは勿論誰もいないのは気配で分かる。次に厨房、時折彼女と食事作りをしているお陰で他の女官たちと仲良くもなれた場所だ。まずはそこへ行ってみるとしよう。




***




「葵ちゃんですか? いいえ、私たちは見ていませんけど……」

「そうか……」


厨房にいる女官たちは、声を揃えて葵殿を見ていないと言っている。私の話を聞いたからか、不安そうに眉間に皺を寄せる女官たちは少しだけ考える素振りを見せていた。


「? 皆揃って、どうかされましたか?」


すると、少し遅れてやってきた女官が不思議そうな眼差しを向けながら駆け寄ってくる。私の顔を見ては「諸葛誕様、こんにちは」と礼儀正しく挨拶をしてきた。


「葵ちゃんを探しているそうなんだ、知らないかい?」

「え? 葵さんでしたら、つい先程女官長に連れられて離れの方へ向かわれているのを見かけましたよ」

「!」


僅かな情報に、私は目を見開いた。何故、葵殿は女官長と共にいるのだろう……彼女の仕事の第一優先は私の身の回りの世話の筈だ、そう彼女に教えたというのに……何故?


「離れに向かわれたというのは、本当であろうな?」

「は、はい! あれは間違いなく女官長と葵さんでした。そろそろ夕食を作る時間帯なのに、と不思議に思い凝視してしまったので間違いありません!」


慌てふためきながら話す女官に、私は「ありがとう」とだけ言い残し厨房を後にした。

先程と比べ、更にざわつく胸を握り、私は廊下を走る。


―あの女官長は危険だ。気をつけるんだな―


以前、賈充殿が私にそう一言呟くようにおっしゃっていたのを思い出す。


―危険? それはどういう……―

―名声や人柄で多くの人間を集める、地位ある男に嫁ぐのが……あの女官長の目的らしい。中でも、最近は諸葛誕殿に目をつけているとか。気をつけることを薦める―


彼から珍しく声をかけられ、警戒するように言われていたのを今になって思い出すとは……

我ながら不覚に思いながら走り続けていると……



―パァァン!



何かを叩いたかのような音が響いてきた。場所は離れの方からのようで、気配を消しながらそっと物陰から様子を伺う。

ここの離れに置かれているものは、過去の戦や資料を保存するために昔からある大事な場所だ。特別な用事がなければ誰も足を運ばないような場所で、葵殿は女官長を見上げるように倒れていた。

頬を押さえているところを見ると、女官長にでも叩かれたのだろう……


「い、いきなり……何を……」

「なんで、どうしてアンタみたいな新米が諸葛誕様の専属女官なんてやっているのよ!」

「そ、れは……司馬懿様から、ご子息の薦めだと……」

「それが一番気に食わないのよ! アンタみたいな……ヘラヘラしているような奴よりも、一番あの方のことを理解している私が専属になれば良いと言うのに……!!」


彼女は一体何を言っているのだろう。葵殿がヘラヘラしている? それは大きな間違いだ。

私は知っている……彼女が他の誰よりも早く行動し、皆の足を引っ張らないように日々を過ごしてきていることを。嫌な顔一つせず、辛い女官の仕事をし続けてきていることも……誰もいないような場所で涙を流していたであろうことも。

大声で泣ければどれだけ心が楽になることか、それを知っていてもやらないのは……病で床に伏せっている父君のことを思ってだ。大変な事もある中で、父君が少しでも早く元気になれるように働いて……娯楽の一つもせずに、必死になって働いている。

そんな彼女だから、惹かれた。愛しいと思った。私のモノにしたいと、思ったのだ……


「専属女官を、決めるのは……私ではなく、司馬懿様や諸葛誕様です。ご本人に掛け合い、お話されては……」

「それが無理だったから、こうしているんじゃない」


後姿しか見えないというのに、女官長から発せられる空気が禍々しいものであることを肌で感じる。

これは一体、なんだというのだろう……


「アンタさえいなくなれば、専属女官の座が空く。ずっとずっと、私が欲しかった場所……だから、消えてくださる?」


懐から取り出したのは、鈍色に輝く短剣。それを見た葵殿は、目の色を変えカタカタと震え始めていた。

このまま放っておいてはいけない! そう思い身を乗り出そうとする私の肩を、細い手が制する。突然の手に驚きながら振り向くと、そこにいたのは……


「サヨウナラ、葵さん」

「ッッ!!!」


短剣を振りかざし、真っ直ぐ葵殿めがけて降ろされるその手は……



―ヒュンッ!



数本の細い糸によって、動きを封じられたのだ。


「んなッ!」

「ここまでよ?」


聞こえてきた声に、女官長はカタカタ震えながら振り向く。

私の横で動きを制し女官長を止めた腕の正体は、なんと張春華殿だったのだ。得意の武器を手にしているところを見ると、女官たちから話を聞き駆けつけてきてくださったのだろう。


「最近目立つ動きをしていたけれど、差して問題ないから目を瞑っていたわ。まさか、葵殿に手を上げるなんて……」

「あ、こ、れは……」

「言い訳は結構。処断は……ここでされても宜しくてよ、旦那様?」

「う、うむ……」


今度は、離れの方から声が聞こえてきた。そこにいらっしゃったのは、司馬懿殿。そして、司馬師殿に司馬昭殿……元姫殿もご一緒だった。


「働き者で、多くの仕事をこなすその力量を評価していたが……これほどの凡愚だったとはな」

「違……これは、その……」

「至極くだらん騒ぎだ。師、昭、この者にどう処断を下す?」

「え、俺らで決めて良いんですか?」


驚きながら自身を指差す司馬昭殿に、司馬懿殿は「そうだが?」と言葉を続ける。


「いずれは、私の後を継ぎ国を維持していくのだ。その第一歩だと思え」

「ぅえー、俺こういうの苦手……」

「ならば私が下そう」


嫌そうに声を上げる司馬昭殿の横を通りながら、数歩前へ出たのは司馬師殿。女官長を見下しながら、残酷な処断を下された。


「お前は女官長の解任だ。今日から一般女官として働き続けろ。ここを辞められると思ったら大間違いだ」

「ッ!!」

「女官長という地位をなくしても尚、普通の女官として働かせ続ける……貴様は魏国の情報も掴んでいるのだからな。そんな奴を、外へ放つ訳がないだろう。今まで以上に過酷な仕事が多くなるが、殺されないだけましと思え」


彼らしい処断だと思った。冷酷で容赦のない判断、そこを司馬懿殿から受け継いだのだと言われれば誰だって理解できるだろう。


「さて、これでひと段落ね。出てきたらどうかしら、諸葛誕殿」

「!」


パンッと手を叩いた張春華殿は、私のほうへと向きながらそう口を開かれた。彼女に制止されてから、私はずっと物影から動けずにいたのだ。声をかけられたことで我に返り、そっと様子を伺うように皆の元へと向かう。


「こんな場所に貴方が出てはことが大きくなるかと思って、ね」

「いえ、静止してくださりありがとうございました」


深々と礼をすると、私は元姫殿に支えられるようにして起き上がる葵殿の元へと向かう。震えて何も言えなくなっている元女官長など、視界に入れずに……


「葵殿、気付けずに申し訳ない」

「ぇ、なん、で……謝るのです、か?」


カタカタ震えているところを見ると、まだ恐怖から脱していないようだ。


「こういう事態を起こしてしまった元凶は、私にもあるからな。だから、貴女を助け出せなかった私を許して欲しい」


もっと早く女官長の動きに気づけていれば、もっと早く葵殿が来るのが遅いことに気付いていれば……彼女が叩かれることも、恐怖することもなかったはずだから……


「謝らないで、ください」


小さく、それでいてはっきりとした声が聞こえてきた。


「もう、過ぎたこと……ですよ。私は大丈夫です、から。あ、そろそろ夕食を作らなくては……」


気を取り直そうと、気持ちを落ち着かせようとしながら話す彼女は、ゆっくりと立ち上がりながら服をはたく。

普通の女性なら、刃物を向けられた恐怖で正常に話すことなど不可能である者がほとんどなのだ。それなのに、葵殿は涙一つ流さずに真っ直ぐ前を見据えている。とても、心の強い女性だ……


「予定より時間を押してしまったな。良ければ手伝わせてくれ」

「では、お言葉に甘えます」


それだけ言葉を交わすと、葵殿と共に司馬懿殿たちへ一礼してからこの場から去った。

未だに震える手をそっと、包み込むように握ると……葵殿は驚かれながら安心したような笑みを浮かべた。




その顔は反則だから




(私は、たった一人の女性も守れない哀れな男。それなのに、貴女はこんなにも暖かくて私を安心させる笑みを浮かべられるのですね)
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