心臓が、いくつあっても、足りません……ッ!!♪実家に帰り、父や叔父夫婦と久しぶりに言葉を交わし……挙句の果てには夕食を共にしてから翌日。
いつものように早起きをし、女官の服を身に纏い戸を開く。空から降り注ぐ太陽の光に目を細め、今日は洗濯日和だと心のどこかで呟きながら廊下を歩き始めたとき。
「おはようございます、葵殿」
「!!」
すぐ横から聞こえてきた声に、私は驚きながら顔を向けた。
まだ皆さんが動き出すには早い時間……まだ寝られていると思っていた彼からの声に、ドキッと胸が高鳴ったのだ。
「お、おはようございます、諸葛誕様。昨日は、ありがとうございました」
「いや、礼を言うのは私のほうだ。葵殿の手作り料理を頂けたのだからな」
何気ない一言だったかもしれない、それでもその言葉だけで私は嬉しさがこみ上げてくる。諸葛誕様は、私を喜ばせるのが本当に上手だ……
「今日の朝食は何をお作りに……?」
「はい。白米と味噌汁に、あとは簡単な炒め物をと思ってます」
白米や味噌汁は下ごしらえとして早めに起きている先輩達が用意しているだろうから、それからお裾分けしてもらうとして……残るは炒め物ですね。残り少ない野菜があったでしょうか……確認してみないと。
「もし邪魔でなければ、私も手伝って構わないだろうか?」
「大丈夫かと思いま……え、ええ!?」
危うく聞き流してしまいそうになりました。しょ、諸葛誕様……今なんて……!?
「そ、それではお礼になりません!!」
「いや、料理を作っていただけるだけで十分礼になっている。気にすることはない」
「ですが……ッ」
「ならば、言葉を変えよう」
んー、と考える諸葛誕様は、何か良い案を思いついたかのように手を叩くと……
「私が、葵殿と共に居たいのだ。それでは、駄目だろうか?」
「ッ!!?」
口から心臓が出るところでした。耳元で囁かれるなんて、思ってもみなかったことは勿論……こんなにも貴方が近くにいると思うと緊張してしまうから。
「わ、かりました……大丈夫、だと、思います」
「なら安心だ。共に行こう」
暖かく、多くの兵達や城内の方からの信頼を集めている方。優しくて、私なんかがお世話をしても良いのか……時折不安に思う時がある。
こんな私が、貴方の隣に並んでも良いのか……もっと綺麗で、もっと気の利いた女性の方が良いのではないかと思うと、心の奥底が急に痛みだす。この痛みの意味を、私はまだ知らない……
***
「おはよう葵ちゃん!」
「あら諸葛誕様じゃないですか! おはようございます!」
「ああ、おはようございます」
厨房へ行くと、そこにはいつも顔を合わせている先輩方が忙しく朝食の準備を進めていた。
ご飯もそろそろ炊き上がる頃のようだし、味噌汁もほとんど出来上がっている。私が手伝う隙がない……
「丁度良かったよ〜! ちょいと味見してくれないかい? どうも味がいまいちなんだ……」
「良いですよ」
不安そうに眉間に皺を寄せる先輩は、小さな白い皿を手に難しそうな表情を浮かべていた。白い皿を受け取り、作っている途中であろう味噌汁の味を確認する。
「……少しだけ、塩を入れると良いかもしれません」
「塩かい?」
私の助言を頼りに、塩を少しだけ鍋の中に入れてかき混ぜる。そして私に手渡した白い皿を受け取ってから味見をすると……
「ああ! この味だよ、ありがとうねー」
「いいえ、お役に立てて良かったです」
その後、先輩方に残っている野菜がないかを伺いお裾分けしていただいた。
この量なら二人分できてしまいますが、諸葛誕様は男性の方。これくらいなら食べられてしまうかもしれません。
「この野菜は、どのくらいの大きさで切れば良いですかな?」
「ッ!」
ひょい、と野菜を手にする諸葛誕様はまな板の置かれている場所まで歩いて行ってしまった。
ちょ、ちょ……待……
「それは私の仕事です!!」
「私は手伝いに来たのだ。差して問題はあるまい」
「あります! 大有りです!!」
もうほとんど朝食は出来上がっている状態なわけで、各々の食器に白米や味噌汁を入れて持っていくだけで朝のお仕事は終わり。
ですが私には、まだ炒め物作りが残っているので早く調理に移らなくてはいけません。諸葛誕様が手伝ってくださるといってくださったのは嬉しいことですが、やはり女官として将の方の手をお借りするのはあまり宜しくないとも思うわけで。
「やはり私がやりますから……!」
「ちなみに、いつも野菜はどのくらいの大きさで切っているか伺っても……?」
「え、あ、お好みで……気分によって大きさを変えてますので、バラバラですね」
「ならば適当な大きさに切っておこう」
「あ、ありがとうございま……じゃなくってですねッ!!」
ああもう! 朝から騒がしくして、皆さんの迷惑になっているかもしれない……!
そう思いながらチラッと周りを見ると……
「仲が良くって微笑ましいわね〜」
「あんな穏やかな笑顔を浮かべる諸葛誕様、初めて見たよ」
「多分葵ちゃんの力だろうね。素敵なことだ」
……といった具合に話をされているものだから、特に迷惑をかけていないと分かりホッと一息。
そしてハッと気付くと、既に野菜は諸葛誕様のお陰で全て切られているので後は炒めるだけ。流石に炒める作業は私がやることにしたのは言うまでもないでしょう。
「味付けなどは、葵殿の感覚でいつもやっておられるのか?」
「はい。料理は好きなほうなので、上手く説明できませんが……」
鍋の中で炒めながら、塩や胡椒といった調味料を加えてまた混ぜる。自分の養った感覚をお教えするというのは、とても難しいですね。
「諸葛誕様は、味の好みとかありますか?」
「?」
「朝なのであまり濃い味の食事は出さないようにしているものですから、もし濃い味がお好きなら調味料を変えないと……」
ちなみに、いつも私は薄味で調理をしているので、濃い味にしようと思えば出来る状態にしてあります。
今思えば、諸葛誕様の好みを聞きそびれていました。我ながら不覚です……
「好みは特にありません。ですが……強いて言うならば――葵殿の作る料理の味が、私が一番好きだと思えるモノかと」
この方は、本気で言っていらっしゃる。冗談とか、お世辞とかではなく、純粋に……好きだと、言ってくださった。その"好き"が、料理ではなく、もっと別の意味で言って下さったらどれだけ嬉しいか……口が裂けても言えません。
「では、お皿に盛り付けましょう」
それから、私は用意しておいた皿に炒め物を盛り付けて、諸葛誕様と共に厨房を後にした。
後片付けは先輩方がやってくださるということなので、そのお言葉に甘えてしまったのです。後でお礼をしなければ……
そして朝食は、いつも先輩方と食べているのですが今日だけは、何故か諸葛誕様と同じ卓で食べることになってしまい終始落ち着かなかったのは別の話になります。
今日の諸葛誕様は、普段と比べて……なんだか積極的と言いますか、私の心をよく掻き乱してくる。抱きしめられたり、頬を撫でられたり、耳元で囁かれたり……仕事に支障がでない範囲なのは分かっていますが、私が仕事に支障を起こしそうで困りものです。一体、どうされたのでしょうか……!?
「一体、何故……」
現在、諸葛誕様から竹簡を受け取り司馬昭様へとお届けに向かっている最中です。
未だに彼に触れられた場所が熱を持ったかのように熱くて、また頬に熱が溜まる。パタパタと空いている手で扇ぎながら、見えてきた戸を小さく叩いた。
中から「入れ」という声が聞こえたので、お辞儀をしながら戸を開く。
「失礼致します」
「いつもありがとう、ここに置いてくれるかしら」
中から聞こえたのは、元姫様の声だった。彼女の後ろには、涙目になりながら筆を持ってサインをする司馬昭様の姿。どうやら元姫様に監視されているようだ。
「諸葛誕様にお持ちする竹簡などあれば、受け取りますが」
「もうすぐ出来上がるわ。少しだけ待ってて」
そう言われ、私は部屋の隅で正座になりながら用意が済むであろう竹簡が出来上がるのを待つ。
すると、ふと顔を上げた司馬昭様が不思議そうに首を傾げていた。
「どうしたんだ? 顔真っ赤で、風邪でも引いたか?」
「ッ!」
思わずバッと頬を両手で包む。まだ熱が引いていなかったのかと思うと、なんだか申し訳ない……!
「違、これは……」
「子上殿」
ハァ、と溜め息をつく元姫様。腕が止まっていることを指摘するものかと思っていたら……
「今の葵殿は諸葛誕殿のことで一杯なのよ。恋する女性にちょっかい出すものではないわ」
「げ、元姫様ぁ!!?」
一体何を言い出すのかと思えば!!
「大丈夫、私たちは葵殿の味方よ」
「な、何故……分か……」
「お前らバレバレなんだって。見てるこっちがこっぱずかしい……!」
筆を動かす手を止めずに話す司馬昭様に、ようやく引いたかと思った頬がまた熱くなった。
「不安なこととかあれば、いつでも相談に来て。幸い、私たちは歳も近いから……話しやすいと思う」
「あ、ありがとう、ございます……」
これは、お礼を言っても良いことなんですよね。
ようやく出来上がった竹簡を受け取り、私は司馬昭様の部屋を後にするのだった。
バカ、
意識しすぎ
(ここ最近、諸葛誕様のことばかり考えてしまう。私はどうかしてしまったのでしょうか……)