過去を乗り越えるA 鍛錬も終わり、各々別行動を取るようになった。 諸葛誕と鍾会は、名前に指摘してもらった部分を活かそうと鍛錬場に残り、郭淮は咳きが悪化したこともありそのまま部屋へ直行。賈充は仕事から逃げている親友を追いかけるべく一足先に鍛錬場を後にしたのだ。 残った夏侯覇と名前は、今日の夕食はどんな料理が並ぶのか話をしながら長い廊下を歩いていた。 「今日は疲れたからな〜、油っこいモン食べたいぜー」 「でも、食べ過ぎると脇腹につくというのが定番ですから。食べ過ぎないようにしないと」 「そ、ソレは分かってるって!」 夏侯覇は他のメンバーと比べ、歳も比較的近く名前のことをまるで姉のように慕ってきてくれる。それがたまらなく嬉しく思う彼女は、夏侯覇みたいな弟がいても悪くないかもしれない、と心の中で呟く。 「なーなー、名前殿は料理しないのか?」 「一応、一般料理と呼べるものは一通り作れますよ」 「ホントか!? 今度作ってくれよ! 一度食べてみたいって思ってたんだー!」 「女官さんたちに許可を貰えれば良いですけ…………」 「?」 会話が途中で止まり、急に歩みも一緒に止めてしまった名前。顔が見えないとはいえ、彼女の様子が一瞬にして変わってしまったことに不思議に思いながら首を傾げる夏侯覇は、彼女の向いている先へと視線を動かす。 ここから丁度この城の門が見え、そこに立っている二つの人影があった。年配の男女二名、一体何の用でここに来たのだろう? そう思いながら首をかしげていると…… 「夏侯覇殿、どうやら私の知り合いが来たみたいなので。ここで……」 「あ、ああ……」 声色からして、只事でないことを察する夏侯覇。だが、すぐ横を通り過ぎて門の前にいる人たちに向かって歩いていく名前を呼び止めることもできない。コレはマズい、何がマズいかって言われてもうまく説明できないが……とにかくマズいのだ。 (こういう時は……ッ!) 血相をかき、夏侯覇は今まで歩いてきた廊下を戻るかのように走り出した。 *** 「ちょっと、私達を待たせるなんて良いご身分ね」 名前が向かった先、門の前に立っていた二つの影のうちの一つが口を開いた。 「聞いたぞ? この曹魏の城下町で働いていたらお偉いさんに目をつけられたそうじゃないか」 「二人には、関係ないと思うんだけど」 「あら、貴女の両親を前に生意気なことを言うのね」 そう、会話からして察することが出来ただろう。名前の前に立っている人物、それは彼女の両親なのだ。彼女がまだ幼い頃、化け物だと軽蔑して我が子を捨てた経緯がある彼らが、今更この場所に何の用があってきたというのだろう。 二度と会いたくないと思っていただけに、二人の登場は名前にとって精神的なダメージを与えた。 「隣にいたの、夏侯覇様よね? アンタの男?」 「そ、そんなんじゃ……」 「だろうな、こんな化け物を好いてくれる奴なんかいないもんな」 上から見下すかのように、言葉という名の暴力を与えていく二人。フードで隠れているから分からないとはいえ、彼女の表情は真っ青になっているに違いない。 「ずっと、行方を晦ませて、いたのに……今更、何の用があって」 「あら、分からないの? お偉いさんの所で世話になっているって聞いたから、改めて挨拶しに来たのよ」 「まさか司馬一族の、司馬昭様の親友である賈充様の元にいたとはな……鼻高々だ」 今更? 名前は強く心の中でそう思った。 片手で数える程度の、物心つく頃から"化け物"だと軽蔑して、挙句の果てには目の前の二人の手によって捨てられたのだ。道端で捨てられ、途方に暮れながら多くの村を転々としてきた。行き着く場所では、決まって『気持ち悪い』と軽蔑されて石を投げられることもあった。毎日がお先真っ暗で、生きていく意味も分からない日々を過ごしてきたのだ。 そんな中、この曹魏の城下町にある店と出逢った。軽蔑してこない、初めての友を得ることが出来た。これ以上欲張っては罰が当たりそうで、今のままで十分倖せだとも思ったのだ。だが、違った……司馬師と賈充を始めとしたメンバーが目の前に現れたことで、また自分の中のセカイが広がった。 こんな自分を愛していると言ってくれた賈充……その言葉は偽りでなく、心の底から言ってくれたことがとても嬉しかった。 「あのさー、いつまでソレ被ってるつもり? そんなことしてるからって、アンタが化け物であるのには変わりないじゃない」 「ここでもこんな調子じゃ、知らない奴の方が多いんじゃないのか? お前が化け物だって」 呼吸が荒い、心臓が口から出るくらいバクバクと早鐘を打っている、頭が痛い、めまいがする、吐き気が襲ってきそうだ…… 名前の人生を大きく狂わせたといっても過言でない元凶の二人を前にしているのだ、身体や心が拒絶反応を起こしているのは言うまでもないだろう。倒れずに立っていられるのが奇跡に近いことを、目の前の大人達は知らない。 カチカチと歯がぶつかる様な小さな音まで聞こえてきたときだ…… 「俺の女に何の用だ」 すぐ傍から聞こえてきた愛すべき人の声に、目を見開く。いつものように背後から抱きしめるように回される手に驚きながら、顔を上げる。 「こ、りょ……ど、の」 「夏侯覇から聞いた。お前の知り合いが来てるとな」 あの後、彼のことだ。名前の様子が変わったことで慌てながら賈充を呼びに行ったのだろう。そう思っていると、そう遠くない場所から複数の足音が聞こえてきた。 「客ですか? しかも、身寄りがないと聞く名前殿宛てに」 「師匠! 先程と比べて様子が悪く感じますが……如何されましたか!?」 「ごっほごっほ、一体何事ですか……?」 鍾会、諸葛誕、郭淮。そして彼らの後を追ってきたであろうトウ艾、夏侯覇、文鴦までもが駆けつけた。 「悪い、名前殿。俺の声、結構城内に響いていったみたいだ」 ハハ、と力なく笑う彼は心底心配しているような表情を浮かべながら名前を見つめる。 「名前、目の前にいる奴らは誰だ?」 「……りょう、しん」 蚊の鳴くような小さな声だったのにも関わらず、賈充は目を見開き睨みつけるように前方の二人を見る。 「子を捨てた親が、何しにここへ来た。場合によっては斬るぞ」 ドスの利いた殺気交じりの声に、周囲にいる人たちは誰もが認識する。目の前にいる来客は、名前の親にして彼女を捨てた奴なのだと。 「あら、そんな怖い顔をされないでください賈充様。私達は挨拶に着ただけです」 「挨拶だと?」 「ええ」 こんな化け物を好き好んで曹魏の城に招いてくれて、ありがとう。とね…… 穏やかな笑顔のはずなのに、二人が口を揃えて言った言葉に、この場にいる誰もが言葉を失った。今、目の前にいる人たちは何て言った? |