叶うならば
「うー……」
ガジガジ。
「あー……」
ガジガジガジガジ。
「あーもー……」
ガジガジガジガジガジガジ…………。
げっ歯類のように鉛筆の頭をかじりながら、低い声で延々と唸り続ける少女。
ちょっとしたホラー映像だ。
「………と言うよりは、ビーバーみたいじゃな」
「わっ!?」
思わず漏れた呟きに、机に向かっていた少女が悲鳴を上げて飛び上がる。
と、同時にバランスを崩して椅子から転げ落ちそうになって慌てて机にしがみついた。
上半身は机。下半身は傾いた椅子の上という端から見ていても不安定な姿勢。
必死の形相で机にへばりつく少女に近づくと、その華奢な身体を抱き上げて床の上に下ろす。
両足から床に下ろされた少女は、ふうっと安堵の息を吐き出してこちらを見上げた。
「びっくりしたぁ。驚かさないでよ、カク」
目を丸くして口を開くノエルに、顔には笑みが浮かぶ。
いつもそうだ。
この少女の顔を見るだけで暖かい気持ちになり、勝手に顔が笑ってしまう。
そうして同じように笑みを見せる少女に、触れずにはいられない。
「すまんかったのう」
ふわふわとした青髪を撫でながらノエルに謝った。
普段は運動神経も警戒心も人並み以上を誇るノエルだが、何故か芸術方面に思考が傾いている時だけは芸術以外の全ての能力が鈍くなる。
何もないところで転び、目の前にいても人の気配に気付かないなど。
どういうメカニズムなのかは本人も分かっていないようだが、見ている方としては心配になってくる。
今日も作業室で一人、集中していたようだが………あまり好調ではないらしい。
机の上の紙は真っ白。
転がっている鉛筆の頭には歯形がついていた。
「いいアイディアは浮かばんかったようじゃのう」
「あはっ……」
歯形のついた鉛筆を隠すように引き出しに放り込んで、誤魔化し笑いを浮かべるノエル。
アイディアに詰まったときのノエルの悪癖。
鉛筆を隠したのはパウリーに見つかるとみっともないと怒られるからだ。
しかし、その引き出しの中に同じような鉛筆が数本転がっていることを知っている。
「船首ならすんなりいくんだけど、どうにも装飾って苦手なんだよな…………」
ノエルは小さな溜息をついて白紙の紙を片付ける。
船首などの彫刻ならば何の設計もなくいきなり削り出すノエルだが、内装などの装飾に関してはそうもいかないようだ。
「で、どうかしたの?」
「もう休憩時間に入っとると言いに来たんじゃが、邪魔したくなくて声が掛けられんかった」
半分は本当で半分は嘘だ。
ただ彼女を見ていたかった。
目に焼き付くほどに彼女の姿を覚えていたかった。
もう、あまり時間がないことを知っていたから。
「なんで?カクが邪魔になるわけないよ」
そう言って不思議そうな顔をしてこちらを見上げるノエルに、つきりと胸に痛みが走った。
昔は単純に嬉しかった言葉が、今は痛みしか与えない。
「そう言えば、明日から本格的にガレオン船に取りかかるようじゃぞ」
さりげなく話題を変えると、ノエルの眉間に大量の皺が刻まれた。
仕方がない。
そうなると、内装の設計を急がなければいけなくなる。
「じゃあ、大カブト海賊団の修理は終わっちゃったのか。………修理費を払わないだろうけど」
「ついさっき完了したところじゃ。………おそらく中古船に回されるじゃろうが」
本音を言ってから、顔を見合わせてぷっと二人で噴き出した。
ほとんどの海賊団が修理費を踏み出そうとするが、あの海賊団はまず間違いなく金を払わないだろう。
それでも依頼を受けるのは、後々になって元手がタダで中古船を売ることが出来るからだ。
あれでいてアイスバーグという男は、確かに商売上手なのである。
「まったく海賊は嫌じゃのう。金は払わんわ、すぐに暴力で物事を解決しようとするわ……」
海賊は嫌いだ。
あんなもの『悪』以外の何物でもない。
人を傷つけ、物を破壊し、挙げ句の果てには強奪だ。
『悪』はこの世界にたくさん蔓延っているが、あれこそが代表と言っても間違いない。
「全部がそうじゃないよ」
小さな愚痴に、ノエルは苦笑いで答える。
大好きなノエルの一つだけ気に入らないところ。
それが彼女の『夢』だ。
『次代の海賊王の彫刻を作る』
実行に移して処刑された父親と同じ夢。
咎められることを分かった上で、ノエルは笑顔で夢を語る。
賢くて優しい彼女がどうして海賊なんかに憧れるのかが分からない。
あんなものはノエルに相応しくない。
「どうしてじゃ?」
「ん?」
「どうしてノエルは海賊なんかに憧れるんじゃ?」
ずっとずっと聞いてみたかった。
彼女の夢を知ってから。
けれど、きっとそれはノエルを傷つけると思い、聞くことが出来なかった。
だが、今なら聞ける気がした。
ここで過ごす時間が僅かだと知った今なら……。
「綺麗だから」
ノエルの答えは余りに短い。
そして、意味が分からなかった。
唖然としていることに気付いたのだろう。
困ったように頬を掻きながら、再び口を開いた。
「もちろん、海賊全員がってわけじゃないよ。目的を持って生き様を貫くその姿が、あたしの目には綺麗に映るんだ」
「そんなのは別に海賊じゃなくたって………」
目的を持って、生き様を貫く人間なんて大勢いる。
ガレーラカンパニーの船大工で目的なく仕事をしている人間なんていない。
命を懸けているという意味なら海軍だっていい。
海賊に限定する意味が分からない。
「カクは何で今の仕事に就いたの?」
今の仕事と言われ、ドキリと胸が鳴る。
ノエルが尋ねたのは船大工いう意味だろう。
それなのに頭に浮かんだのは自分の本当の姿。
『CP9』のことだ。
「手段も方法もいくらでもある。でも、その中からそれを選んだ。………はっきりとは分からないかもしれないけど、それじゃなきゃいけないって気持ちはあるだろ?」
悪を潰す方法はいくらでもあって、それでも自分はCP9になった。
幼い頃から強制されてきた道かもしれないが、仲間の中にはCP9ではなく海軍に入ったり、政府の中枢に行ったものもいる。
仲間からの批判を浴びながらも、全く関係のない道を歩んだものもいる。
それでも、自分はCP9に入ったのだ。
「あたしにとってはそれが海賊王だった」
まっすぐな瞳をこちらに向けながら、そっとポーチに触れるノエル。
彼女の幼い頃からの癖。
その中に彼女が愛した人の形見が入っているから。
「結局は夢に理由なんてないんだよ。なりたいからなる。やりたいからやる。それだけじゃないかな」
そう言って笑う彼女に、それ以上の言葉が出てこなかった。
愚かだと思う。
浅はかだと思う。
海賊王は『悪』だから、その彫刻を彫った彼女の父親は罰を受けたのだ。
それなのに同じことを繰り返そうとする彼女は救いようのない愚か者だ。
それでも、きっと彼女は最期まで胸を張っているのだろう。
自分のしたことに誇りを持って。
「まあ、今のところピンとくる海賊がいないって言うのが困りものなんだけどさ。このままじゃ、海賊王なんか永遠に見つけられないかも」
そう言って眉を寄せるノエルの頭を撫でる。
いつか見つかるかもしれんと慰めてあげたかったが、そんな日は来なくていい。
彼女の夢を否定は出来なくなってしまったが、同じように応援することもやはり出来なかった。
「彫刻を造ってどうするんじゃ?」
「え?………あー、造ることがメインでどうするかは考えてなかったな。父ちゃんは堂々と世界に向けて発表しちゃったけど、あたしは発表するほど有名じゃないからなぁ……」
どうしよっかと困ったように眉を寄せるノエル。
本当にただ造ることだけが目的で、その後のことを全く考えてなかったらしい。
「とりあえず、内輪で発表会でもする?あはっ、みんなからこんなもん造ってんじゃねェって怒られそう」
いつかの未来を想像したのか、ノエルは楽しそうだ。
「カクまで怒んないでね。小言はパウリーとカリファで十分なんだから。……あー、でもルッチは目で責めてきそう」
あはっと笑うノエルに釣られるように笑みが零れる。
けれど知っていた。
ノエルが想像する未来は訪れないことを。
もし訪れたとしても、その発表会には大人数が欠けているだろうことを。
一緒にいられる時間はあと僅かだ。
麦藁海賊団が………ニコ・ロビンがこの島に来たとき、五年間の任務は終わりを告げる。
このぬるま湯に浸かったような生活ともお別れだ。
永遠に来ない未来に思いを馳せるノエルを見つめる。
自分達がいなくなるなどとは微塵も疑っていない瞳がこちらに向けられ、ノエルは幸せそうに笑う。
衝動に任せるまま、何も知らないノエルに腕を伸ばした。
「どうしたの、カク?」
「少しだけ……こうしていたいんじゃ」
不思議そうに尋ねるノエルに小さな声で呟き、小柄で華奢な身体を抱き締める。
うん、と頷いて抵抗もせずに身体を預ける少女が愛おしい。
そして、何一つ自分達を疑わない少女が憎らしかった。
船大工の自分はいなくなり、本来の姿に……CP9に戻る日が近づいている。
戸惑いはない。後悔もない。
それでも、彼女の夢が叶う日を見つめていたいと思う自分がいた。
11/01/231周年記念リクエスト作品。
ゆうこ様とあや様に捧げます。
彫刻家の夢の話ということでしたが、こんな感じでよろしかったでしょうか!?
時間軸としては連載直前って所でしょうか。
カク視点って本当に書きやすいです。
リクエストありがとうございました。