短編 | ナノ
ホワイトデー

3月13日はよほど急ぎの仕事が入っていない限り、午前中で仕事が終わる。
船大工の半数以上は晴れやかな顔で造船所を後にし、残りは暗い表情で帰って行く。
特に暗い顔をしている1番ドック職長の独身組は商店に寄って大量の袋を手に提げながら、いつの間にか独身組の溜まり場となっているルッチの自宅に帰還する。
1ヶ月前のツケが、この日に来るのである。


※※※※※※


造造船島の中心街からやや外れにあるルッチの借家から、賑やかな声が聞こえてくる。
八割方が怒鳴り声で構成されているそれは、ほぼご近所様に筒抜けである。
このような外れにある一軒家でなければ、確実に苦情が殺到しているだろう。


「粉は振るえって言っただろ、パウリー!カクは砂糖入れすぎ!そこの腹話術師、少しは動け!!」


がしゃがしゃとボウルの中で乱暴に卵を溶きながら、ノエルは男たちに向かって怒鳴りつける。
(似合わない)エプロン姿の男たちは粉まみれになって各々の作業に没頭していた。
パウリーはボウルに小麦粉をどさどさ入れてそこら中に粉塵を撒き散らし(粉まみれの原因)、カクは砂糖を計りながらも自分好みに量を足している。
ルッチはというと、ハットリについた粉を甲斐甲斐しく払っていた。

2月14日のバレンタインデーには毎年、大量にチョコレートをもらう船大工たち。
中でも職長(独身組)がもらう量は、積み上げられたチョコが雪崩を起こして怪我人が出るほどだ。
ちなみにノエルは女性ではあるが、男女問わずにチョコをもらうためにガレーラカンパニー内のランキング上位に食い込んでいる。
もちろんウォーターセブンの象徴でもあるガレーラカンパニーがチョコレートを貰いっぱなしという訳にはいかないので、前日はホワイトデーのお返しを確保するために半休となるのである。

しかし、ホワイトデーのお返しと侮るなかれ。
上位クラスが貰うチョコレートの量は軽く3ケタを超えるのである。
その上位クラス4人はお返しとなるクッキーを大量に作っているところなのだ。


「あ〜、粉がだまだまだ……」

「俺はちゃんと振ったぞ?」

『袋を上下にな』

ルッチの言葉に、ノエルは頭を抱えたくなった(手が粉まみれでさえなければ)。
それは『振るう』じゃなくて『振る』だ。
毎年のことなのだから、いい加減に覚えてほしい。
パウリーを卵係に任命しようにも、殻が大量投入されるので出来ない。
さっさと混ぜる過程に辿り着くしかない。
あれならば力仕事なのでパウリーでも役に立てるだろう。

「カクは砂糖を減らした?」

「わしは甘い方が好きじゃ」

「誰が、いつ、あんたの好みを聞いたんだよっ」

だんっと卵の入ったボウルを叩きつけるように置くノエルに、カクはびくりと肩を竦ませる。
それから、慌てて計りから砂糖を減らした。

「明日までにほぼ全市民にクッキーを渡さなきゃいけないのに……」

だと言うのに、まったく作業が進んでない。
市販では数が足りないからこそ、こうしてルッチの家に集まってクッキーを作っているのに、間に合わなければ意味がない。
そして、ガレーラカンパニーの名に賭けて下手なクッキーを配るわけにはいかないのだ。

「あたしはオーブン温めるから。パウリーはバターと砂糖を混ぜて。カクは卵を溶く。ルッチは小麦粉を振るって」

テキパキと三人に指示を与えて、ノエルはカクに卵の入ったボウルを渡す。
ルッチは小麦粉の入ったボウルに移動するが、パウリーは不服そうな顔でノエルを見つめている。

「小麦粉はさっき俺が振っただろうが」

「だから、『振る』んじゃなくて『振るう』んだって」

「なにが違うんだよ?」

首を傾げるパウリーに呆れるノエル。
むしろ、小麦粉を振ってお前は何をしたいんだと問い掛けたい。

『馬鹿は黙ってろ』

「ああ!?」

また始まった。
睨み合うルッチとパウリーに溜息をつく。
なんでこの二人はこうもすぐに衝突するのだろう。
一般の皆様に迷惑を掛ける公共の場ではないので放っておきたいところだが、食べ物だらけのこの部屋で暴れられるのは困る。

「二人ともそこまでに……」

「誰が馬鹿だと、てめェ!!」

『お前だ、バカヤロウ』

ノエルの静止を無視してルッチの胸倉を掴むパウリー。
熱くなって人の話しを聞いちゃいない二人に、ノエルのこめかみに青筋が浮かぶ。
こんなことで時間をとられている場合ではない。
何としてでも明日までに人数分のクッキーを作らなければならないのだ。

「パウリーもルッチもその辺で―――」

ノエルの苛立ちに気付いたカクも、二人を止めようとするが遅かった。
パウリーがルッチに殴りかかり、それを阻止しようとルッチは持っていた小麦粉の入ったボウルを手放す。
ボウルはきれいな弧を描き、宙を舞う。


―――ガシャン!!


激しい物音を立てて逆さまになったボウルが落ちたのは、ノエルの頭の上だった。

「げほげほっ!!」

「ノエル!?」

頭から真っ白になって咳き込むノエルに、慌てふためいて駆け寄るカク。
原因の二人はやっちまったとばかりに凍り付いている。

「うわ、粉まみれじゃ。風呂に入ったほうが……」

「そんな時間がどこにあるんだよ!」

ばんばんと纏わりつく粉を叩き落とし、真っ白な顔で怒鳴りつけるノエル。
滑稽な姿だが迫力はあった。

『怪我はなかっ……』

「ノエル、悪かっ……」

「さっさと自分の作業に戻れ!!」

ノエルは謝る二人の言葉を最後まで聞かず、新しい小麦粉の袋をルッチに、バターと砂糖の入ったボウルをパウリーに投げつける。
それを受け取った二人は慌てて作業に移る。
カクは真っ白なノエルにおろおろとしたが、粉まみれのままオーブンに向かうノエルに仕方なく自分の仕事に向かった。


※※※※※※


「出来たな……」

「毎年のこととは言え、骨が折れるわい」

何百と言う数のクッキーを焼き上げ、更に袋詰めまでした四人。
疲れ果ててぐったりと椅子に身を預けている。
大工仕事よりも遥かに精神力が必要な仕事である。

『ノエル、片付けはしておくから先に風呂に入ってろ』

そう言ってルッチが振り返ると、すでにノエルは机に突っ伏して寝息を立てていた。
手だけは洗っていたが、あとは粉まみれのままだ。

「熟睡じゃな」

「ノエル、起きろ」

流石にこの状態で寝かせておくわけにはいかない。
パウリーが肩を揺さぶると、ノエルの瞼をゆるゆると上がった。

「んー………もうあさぁ?」

「夜中の3時だ」

「じゃあ、まだねるぅ……」

「寝るなら風呂入ってからにしろ」

「……おふろいらにゃい……」

そのまま再び机の上に突っ伏しそうになるノエルを抱き止める。
今の勢いなら額を打ちつけてもおかしくなかった。
よほど眠いのだろう。
寝付きはいい代わりに寝起きが悪い。
無理やり起こすのも気が引けるが、それよりも粉まみれのまま寝かせておく方が可哀相なので仕方ない。

「うら、起きろ」

「いたたっ!」

ベちベちと頬を叩くと、さすがに目が覚めたらしい。
頬を押さえて飛び起きた。

「なにするんだよ、パウリー!?」

「粉まみれのまま怒っても迫力ねェぞ。さっさと風呂に入ってこい」

「誰のせいで粉まみれになったんだよ……」

頬を膨らましながらも、流石にそのまま寝るわけにはいかないと思ったのだろう。
のろのろと身体を動かして風呂場に向かうノエル。

「ノエルはいつもホワイトデーに全力投球じゃのう」

カクに笑いながら声を掛けられ、ノエルは足を止めて振り返る。

バレンタインデーは貰う側にいる彼女だが、ホワイトデーはいつも一生懸命になってお返しを作る。
それこそ、粉まみれの自分よりもお返しを優先するほどだ。

「当たり前だろ。ホワイトデーって『好き』のお礼なんだから」

「好きのお礼?」

三人は意味がわからず首を傾げるしかない。

「あたしにチョコくれた人ってあたしのこと好きだからくれたんだろ?それってすげー嬉しいことだよ。だから、ちゃんとお礼したいんだ」

そう言って、ノエルは幸せそうな笑顔を浮かべた。

父親を犯罪者として亡くしたノエルは、幼少期に憎しみと蔑みの感情ばかりを向けられていたので好意を向けられることに敏感だ。
ほとんどの船大工がバレンタインデーにチョコレートを受け取ることに辟易しているが、ノエルはいつも嬉しそうに貰っていた。
彼女は受けた好意にいつも真っ直ぐと向き合っていたのだ。
だからこそ、普段は怒らない彼女が声を荒げてまで真剣になってクッキーを作っていたのだ。

「………どしたの、カク?」

「癒されたわい」

背後からノエルに抱き着きながら、相好を崩すカク。
ノエルの素直さに、今日の重労働の疲れも吹っ飛んだようだ。
甘えるように頬ずりするカクに『粉がつくよ』とノエルは呆れている。

「あ、渡すの忘れてた」

不意に何かを思い出したらしいノエルはカクを引き剥がす。
そして、ソファーの上に投げ出してあったポーチから何かを取り出すと、三人に向かってそれを放った。
渡されたのは綺麗にラッピングされた小さな箱。

「いつもありがとな」

あは、と粉まみれのまま破顔するノエル。
三人が礼を言う暇もなく風呂場へと駆けて行った。

ノエルは何故か毎年ホワイトデーにアイスバーグやカリファ、職長たちにプレゼントを渡している。
てっきりバレンタインデーの代わりにホワイトデーに渡しているのかと思っていたが……。

「好きのお礼か……」

何ともノエルらしい理由に、三人は笑みを浮かべた。

10/03/017

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