勘違い1
「ノエル、飯食いに行くか?」
「ごめん、ちょっと用事があって………また今度!」
申し訳なさそうに眉を下げたノエルはパウリーの誘いを断ると、脱兎の如く1番ドックから出て行った。
流石はウォーターセブンで二番目に速い少女。
その姿はあっという間に見えなくなった。
「また用事かァ?」
「なんじゃろうな、用事って」
最近のノエルは何かと『用事がある』と言ってパウリーたちの誘いを断るようになった。
二、三ヶ月前から少しずつあったことだが、ここ数日は全ての誘いを断って仕事が終わると一直線に何処かに行ってしまう。
もちろん用事が何なのか気になるので尋ねてみたが、それとなく躱してしまうので分からないままだ。
「男か?」
ルルがぽつりと呟いた言葉に、一瞬でその場の空気が凍る。
「ないないないっ!それは絶対にないじゃろっ!!」
「はっ、あいつにそんなもんがいるわけねェだ………ゲホゲホッ!」
ぶんぶんと激しく首を横に振って帽子を飛ばすカクに、鼻で笑いながらも動揺が隠せず葉巻の煙に咽せるパウリー。
タイルストンはしばらく首を捻った後、
「男かぁっ!!??」
ワンテンポ遅れて叫んでいた。
あわあわとノエルの去っていった方向を見ながら、『ノエルに彼氏が出来たら、遊んでもらえん………!』や『俺たちより強くてアイスバーグさんより権力のある奴じゃなきゃ認めねェぞ!』と叫ぶパウリー達から視線を外し、小さく溜息をついた。
誰も彼も思春期の娘を持つ父親のような有り様である。
まあ、ルルは勘ぐり過ぎだとしても、ノエルの用事というのは何なのだろうか。
休日すら誰とも………少なくとも船大工たちと会っている様子もない。
カクやパウリーの話によると家にはいないらしいので、何処かに出掛けていることは間違いないのだが。
まあ、別にノエルが何処で何をしていようと興味はない。
どうせ彫刻の題材でも見つけて通いつめているか、サプライズでもしようと何か計画しているか。
どちらにしろ、自分には全く関係のないことだ。
……………そう思っていた。
酒場の帰りに通りかかった裏町で、ノエルが男に抱き着いている光景を見るまでは。
小さな一軒家の前で優しげな顔立ちの青年に抱き着くのは、見慣れた青い髪の少女。
玄関のドアは開いており、ノエルがその中から出て来たのだということが分かる。
青年の胸に甘えるように胸に頬を押しつけていたノエルは顔を上げ、上気して赤く染まった頬で青年に何事かを告げる。
ノエルに応えるように微笑んだ青年は、青くて柔らかな猫っ毛を優しく撫でた。
嬉しそうに目を細めて頭を撫でられることを享受するノエルの姿に………。
ルッチの中で何かの切れる音がした。
※※※※※※
「ルッチいないのかなぁ……?」
ルッチの自宅へ電話を掛けて十コールは越えたと思うのだが、電伝虫が応答することはない。
困り顔で受話器を置き、ノエルは頭を抱えた。
まさかルッチが留守にしているとは思っていなかった。
やはり先にルッチの家に行きたいということを伝えておくべきだったのかもしれない。
どうしようかと溜息をついたとき、玄関のドアがノックされた。
「はーい」
誰なのか確認もせずに、ノエルはドアを開けるために玄関へと向かう。
どうせ、訪問者はパウリーかカクだろう。
最近の用事とはいったい何なのだと詰問にでも来たか。
まあ、用事も昨日で終わったので、そろそろネタばらししてもいいだろう。
「え、ルッチ!?」
開けたドアの向こう側に立っていたのは、予想とは違ったがノエルの逢いたかった人物だった。
ルッチに会うときはいつもノエルが彼の家に行く形になるので、珍しい彼の訪問に目を丸くしながらもちょうどよかったと笑顔を見せた。
「どうしたの、ルッチがこっちに来るなんて珍しいな。あたしもルッチに会おうと思ってて………」
ルッチを家に招き入れて部屋の奥へと進むノエルの耳に、ガチャリと鍵のかかる音がした。
「へ?」
振り返ったノエルは、後ろ手にドアの鍵をかけたルッチを不思議そうに見つめる。
どうして、家の中に人がいるのにわざわざ鍵をかけなければいけないだろう?
誰か来てほしくない人でもいるというのか。
ルッチの行動が理解できずに首を傾げるノエルは、その時になって初めて彼の肩に慣れ親しんだ白いハトの姿がないことに気付いた。
一心同体といえるほどに彼の傍を離れないハットリの姿が見えない時。
それは…………彼が酷く荒れている時だ。
「あの、ルッチ………?」
ノエルはじりじりと後ろに下がり、ルッチから距離を取る。
黙ったままノエルを見つめる彼の眼は、よく見れば背筋がぞっとするほど冷たい光を宿している。
理由は全く分からない。
けれど、彼が何かに対してとてつもない怒りを覚えていることだけは分かった。
しかも、その『何か』がノエルに関係することだということも。
「テメェも大した役者だな」
ようやくルッチが口を開く。
けれど、彼の言っている言葉の意味が全く理解できない。
「やくしゃ……?えっと、何を言ってるか分かんないんだけど………」
ノエルから一切視線を外さないルッチに引き攣った笑みを返しながら、部屋の中を横目で見渡す。
ノエルの本能ががんがんと激しく警鐘を鳴らしている。
今のルッチはとにかくやばい。
何を誤解しているのかは分からないが、それよりも先にこの場から逃げなければ。
それでパウリーなりカクなりを連れてきて、冷静になったところでどうにか誤解を解けばいい。
どう逃げようかと策を巡らせ、ようやく彼が鍵を掛けた意味を理解した。
掛けられた鍵は訪問者を入れないためではない。
ノエルをこの部屋から逃がさないためだ。
「っ!!」
ルッチの本気を感じたノエルは、カクに鍛えられた俊敏力で踵を返して近場の窓へと走った。
相手が彼では窓を開けているなどと悠長なことはできない。
そのまま体当たりで叩き割って――――。
「…………え?」
何が起こったのか分からなかった。
本来ならばノエルは窓を叩き割って、外の通りへと転がり出ているはずだった。
だというのに、その背中には柔らかなマットの感触。
そして、無表情のルッチがノエルを見下ろしていた。
ルッチとはかなりの距離を取ったはずだ。
それなのにノエルは窓に体当たりする前にルッチに捕まって、そのうえ一瞬で寝室に連れてこられたのだ。
「どこへ逃げるつもりだ?」
まるで壊れ物を扱うように優しく頬を撫で、ノエルの耳に甘く囁く低い声。
彼の出す禍々しい雰囲気とはかけ離れた扱いにルッチの怒りが深いことを知り、ノエルは凍りついたように動くことが出来ない。
「ああ、あの男のところか。随分と仲が良さそうだったからな」
『あの男』というのが誰を指しているのか、恐怖に気圧されているノエルの頭ではなにも思いつかない。
何を答えればルッチの怒りが静まるのだろう。
そもそもルッチは何に対して怒っているのか―――。
「あ………」
そうか。
どうしてここまで怒っているのかは分からないが、きっと最近のノエルに対して怒っているのだ。
思い出してみれば、ここ二、三ヶ月は仕事以外でまともにルッチと顔を合わせることなどなかった。
もちろん時間を無駄にできないというのもあったが、それ以上に嘘が苦手な自分は何かを聞かれたら誤魔化しきれないと思ったからだ。
その態度がいけなかったのかもしれない。
「ルッチ、ごめん!」
ノエルは慌ててルッチに謝った。
ちゃんと謝れば、きっとルッチも許してくれるはずだと希望を込めて。
「ルッチって勘がいいから、会うとすぐにばれちゃうだろ。どうしても今回のことはばれたくないから避けちゃって―――」
ベットが揺れる。
ノエルはそれ以上の言葉を紡げなかった。
顔面すれすれに振り下ろされたルッチの拳がノエルから声を奪っていた。
「それで、あの男を選んだということか」
ククッと低い笑い声を零すルッチ。
ギラギラと肉食獣のように光る眼がノエルを捕えた。
そして、ノエルは己が出した答えが間違っていることを知った。
212/06/03