短編 | ナノ
飢餓

肉食の動物系である悪魔の実を食べたせいか、もともと持っていた性質なのかは分からない。
ただ時折、我慢できないほどの飢餓に襲われる。
即物的な餓えではない。

『血』に餓えるのだ。


※※※※※※


「あ、ルッチだ」

世の中、タイミングの悪い人間というものがいる。
ルッチの中では、その際たるものがノエルという少女だった。
いつも最悪のタイミングで、へらへらと笑いながら姿を見せる。

「遅くまで飲んでるなぁ」

今もそうだ。
血に餓えた獣を前に、無防備に笑いながら声を掛けてきた。

「何をしてる?」

明かりも持たずに路地に立つ少女に本当の声で話し掛ける。
ハットリはルッチの荒れた気配を察して姿を消しているし、ノエルは過去のある事件から自分の本当の声を知っているので腹話術を使う必要はなかった。

今、時刻は真夜中だ。
酒場で飲んでいたルッチはまだしも、ノエルが出歩くような時間帯ではない。

「散歩だよ。創作活動ってことで、パウリーたちには内緒な」

ノエルは悪戯っ子のように笑って、唇に人差し指を当てた。
ガレーラカンパニーを代表する彫刻職人の彼女は、やはりどこか芸術家肌でたまに突飛な行動をする。
この散歩というのもその一つで、真夜中にふらりと外に出て、あてもなく辺りを彷徨い歩くのだ。

「ルッチこそ、どうしたの?こんな時間まで飲んでるのは珍しいな」

いつの間にか隣を歩きながら、ノエルは不思議そうにルッチを見上げた。
ノエルが疑問を持つのは間違っていない。
五年も仲間ごっこを続けていれば、自ずと生活パターンも知られてきてしまうようだ。

ルッチが一人で飲む場合は、酒場の喧騒を嫌って家で飲むことが多い。
酒場で飲んだとしても早めに切り上げて家に帰る。
けれど、今日のように餓えを覚える日は酒場で浴びるように酒を飲み、家には寝に帰るだけにしていた。
人目のある方が飢餓を抑えられるからだ。

「ハットリもいないし……なんかあった?」

「いや」

否定の言葉だけを紡いで、ノエルの頭をあやすように叩く。
彼女は不服そうにしていたが、これ以上尋ねてもルッチが答えないことを悟ったのか口を閉じた。
タイミングは最悪な少女だが、空気は読めるので煩わしくない。
何も聞かない代わりに、ノエルはそのままルッチの後をついてきた。

「散歩はいいのか?」

「ルッチ、けっこう飲んでるだろ。家まで送るよ。職長が二人もゴミ捨て場で発見されたら、船大工の沽券に関わるからさ」

彼女が言う、もう一人の職長とはパウリーのことだ。
ギャンブルで大勝ちしたと祝杯をあげた挙句、酔っ払ってゴミ捨て場で一夜を過ごし死体と間違われたという事件が二週間前に起こったばかりだ。
けれど、ノエルが心配しているのはルッチが家に辿り着けないことではないだろう。
人の機微に聡い少女は、ルッチの異変を敏感に感じ取っているのだ。
それが、この少女の気に入っているところであり、ルッチを苛立たせるものでもあった。

「あのバカと一緒にするんじゃねェ。お前も早く帰れ」

「帰るよ。ルッチを送ったらな」

ノエルは言い出したら梃子でも動かない。
見た目よりも頑固な少女に溜息をつく。
家につけば大人しく帰るだろう。
仕方ないので、ルッチは無言のまま家路を歩いた。

いくら『血』に餓えているとはいえ、理性はある。
このまま家に帰れば何事もなく終わるのだ。
そして、この五年間演じてきた『船大工』のルッチに戻れる。
………ノエルが望む、ロブ・ルッチに。


「痛っ!」

隣を歩いていたノエルが、急に足を止めて悲鳴をあげる。
何事かと振り返った瞬間、ふわりと鼻腔をくすぐる香り。
求めていた血の臭いがノエルから漂ってきた。

「あちゃー……」

ノエルの隣には木箱が乱雑積まれていて、腕の辺りに位置する箱から釘が飛び出していた。
どうやら、それに気付かないで箱に寄り、釘で引っかいてしまったらしい。

「――うわ、けっこう血が出てる」

自分の腕を見て慌てるノエル。
月明かりに照らされた腕から、血が流れ出す。
ぽたぽたと滴る血に、どくりと心臓が跳ねた。

「ハンカチあったかな」

ノエルは腰につけたポーチを探ろうとしている。

目の前に餓えた獣がいることにも気付かずに。

ルッチは彼女の怪我をしている方の手首を無言で掴む。
そして、首を傾げるノエルの腕を引き寄せると流れ落ちる血に舌を這わせた。

「………っ!?」

懐かしい鉄錆の味が口の中に広がる。
ノエルは怯えたように肩を震わせて手を引っ込めようとするが、ルッチは掴んだ手を離さない。
華奢な手首を握る手に力を篭め、傷口を舌でなぞった。

「痛っ……!」

傷口を舌で抉られる痛みに眉を寄せるノエル。
その表情に背筋が粟立つ。


ああ、この表情だ。
ウォーターセブンに住むようになってから遠ざかっていた顔。
痛みと恐怖に怯える顔。


「ルッチ、離して!」

抵抗しようと振り上げた手を掴み、壁に押し付ける。

「なにすっ―――ぐっ!」

喚くノエルの首を死なない程度に絞めて黙らせた。
片手で絞め上げられる細い首。
親指で頚動脈をなぞると、とくとくと血が巡っているのが感じられる。
この喉を切り裂けば、生暖かい血が噴き出すのだろう。
想像するだけで、意識しなくても口の端が吊り上がる。


アイスバーグはプルトンの設計図を渡さない。
そう遠くない未来、アイスバーグを殺し……彼女を殺すことになるだろう。
いつか殺すのならば、それが今であっても困りはしない。
ルッチならば、証拠の一つも残さずにノエルを殺すことが出来る。


「……る…っち……」

ノエルの手が、首を絞めるルッチの腕を掴む。
命乞いか、罵倒か……。
戦慄く唇から漏れる言葉を待つ。

「……手、離してよ……喉…絞まってる……」

見上げる瞳。紡がれる言葉。
それは、タイルストンに加減なしに抱き締められていた時と変わらない態度。
カクに頭を撫でられすぎて、ぼさぼさになった時と変わらない表情。
そこには、怯えも哀しみもない。

この少女はどこまでも信頼しているのだ。
『仲間』を。

身体の中を渦巻いていた飢餓が、急速に冷めていく。
首から手を離すと、ノエルは壁に背をつけたまま激しく咳き込んだ。

「げほげほ……っ!」

咳き込みすぎて生理的な涙を浮かべた少女は、ぎゅっと左手で拳を握る。
大きな瞳でこちらを睨みつけると、ルッチの頬に手加減のない殴打を叩き込んだ。

避けようと思えば避けられたが、ルッチはあえて避けずに受けた。
華奢な外見に似合わず、なかなかの打撃である。
伊達に17歳という若さで1番ドックの職長を務めているわけではないのだ。

「死ぬかと思ったんだけど。なんなんだよ、あたしが何かしたか?してないし。っていうか、仮にしたとしても首を絞めることないだろうが!」

そう叫んで、ルッチに非難の目を向けてくる。

「これだから酔っ払いは嫌いなんだよ!!」

とどめとばかりに怒鳴りつけたノエルは、がしっとルッチの腕を掴む。
何をする気なのかと様子を眺めていると、苛立ちを隠そうともしない荒い足音を立てて歩き出すノエル。
彼女が向かっている先は、どうやらルッチの家らしい。
最初の言葉通り、ルッチを家まで送って行こうとしているのだろう。

さっきの首絞めは、酔った上での悪ふざけと思っているのか。
それとも、思い込もうとしているのか。
ノエルの態度はあくまでも普段通りだ。

「本気だとは思わなかったのか?」

「は?」

「俺が本気でお前を殺そうとしたとは思わねェのか?」

「酔いが冷めてないなら、もう一発殴ろうか?………思わないよ。ルッチに殺されなきゃならないようなことした覚えないし。それに、本気なら途中で止めないだろ」

そう言って、ノエルは強く圧迫したせいで赤みの残る首をさする。


悪ふざけだったわけではない。
途中までは確かにルッチは本気だった。
本能の命じるままに、あの細い喉を切り裂くはずだった。

彼女があんな目をしていなければ。


「飲み過ぎだよ、ルッチ。酒は飲んでも呑まれるな、だろ」

呆れたように溜息をついて、ノエルは前髪をかきあげる。
いつの間にか、彼女の腕の血は止まっていた。

「ああ……そうだな」

ルッチは素直に頷いた。


彼女が酔っ払っていると思うならば、それでいい。
殺しかけたことも誤魔化せる。

それに……。
ノエルの言う通り、酔っていたのかもしれない。

血の臭いに。


「俺が本気でお前を殺そうとするなら、お前はどうする?」

「はぁ?まだ酔ってるの?」

「………ああ、そうみてェだな」


いつか、ルッチはノエルを殺すことになる。
アイスバーグを父親のように慕う彼女は、彼の暗殺を知れば命を懸けてでも阻止しようとするだろう。
その瞬間、彼女はCP9のターゲットになる。
任務を邪魔するものには死を。
それがCP9だ。
ノエルを殺すことに戸惑いはない。
任務であれば、誰であろうと迷わずに殺せる。

ただ気になった。

敵がルッチたちだと知った時、ノエルはどんな顔をするのか。
仲間だと信じていた人間に殺される時、何を思うのか。
悲しむのか、憎むのか、笑うのか、怒るのか。


ノエルは酔っ払いを蔑むように、目を細めてルッチを見つめていたが溜息と共に呟いた。

「そんなもん知らないよ。『もしも』は『もしも』だ。起きてもないことに答えられるかよ。逃げるかもしれないし、返り討ちにするかもしれない。それか、誰かに助けを求めるかもな。………その時にならなきゃわかんないよ」

如何にもノエルらしい答えだった。
そして、正論でもある。
その時、その立場に立ってみなければ分からないものがある。

「お前は賢いな」

「どーも」

また一つ溜息をついて、ノエルはルッチの腕を引いた。


※※※※※※


ルッチの腕を引いて彼の家へと向かいながら、ノエルはこっそりと溜息をついた。
ルッチは腹話術でしか他人と話をしないという常に変な男だが、今日はいつも以上に変だった。
常に傍にいるハットリがいない上、彼にしては珍しく多量の酒を飲んでいるようだった。
そして、何故か首を絞められた。

ノエルの首を絞めていた時のルッチは、背筋がぞっとするような酷薄な笑みを浮かべていた。
餓えた獣みたいにぎらぎらと光る瞳は、知らない誰かのようで怖かった。

ノエルとてバカではない。
あれを酔っ払っていたなんてことだけで納得するつもりはない。
でも、何故だろう。
それに触れてはいけない気がした。
触れてしまうと、ルッチがルッチではなくなってしまう気がした。

だから、酔った上での悪ふざけだと思うことにした。
途中でやめてくれたのは確かだし、前に酔ったタイルストンに抱き着かれて絞め殺されそうになったこともあったからだ。
………死線を彷徨ったあの時に比べれば、被害は少ない。


「……っていうか、なんであたしが殺されなきゃいけないんだよ?」


思わず口の中で呟いた。
あの後の質問も意味不明だ。
本気ならばと聞くということは、さっき首を絞めたのはやはり本気ではなかった。
それはいいのだが、どうしてあのような質問するのだろうか。
まさか、機会があればノエルを殺害しようと思っているのか。
先ほども、酔って理性が利かなくて半分本気でノエルのことを殺そうとしていたのか。

なんだか恐ろしいことばかりが頭を過ぎり、ノエルは足を止めた。

「ルッチ!」

掴んでいた彼の腕を、更に強く握る。
足を止めて振り返るルッチを、唇をぐっと噛み締めて見上げる。


「実はあたしのこと嫌い?」


うじうじと悩むのは嫌いだから、単刀直入に聞いた。

あまり自分から人と関わりを持とうとしないルッチだが、ノエルたち職長とは良好な関係を築いている。
基本的に彼の家には出入りが自由だし、時には優しく頭を撫でてくれる時もある。
ノエルはルッチが大好きだし、彼もそれなりにノエルに好意を持っているのだと思っていた。
けれど、もしかすると全てノエルの勝手な思い込みだったのかもしれない。

ここで頷かれると、死ぬほど落ち込む。
恐らく、しばらくは笑えないだろう。
けれど、ノエルはルッチが好きなのだから好かれるように努力するまでだ。

流石に嫌いと言われてしまうと泣きそうなので、ルッチの顔を見ずに返事を待つ。

「いや」

ルッチの返事はわりと早かった。
そして、簡潔だった。

「ほんと?」

聞き返すノエルに頷くルッチ。
その答えにノエルは顔を輝かせた。
ルッチは嘘もお世辞も言わない。
だから、これは彼の本当の言葉だ。

嫌われていないのならば、殺される理由もない。
やっぱりあれは全部、酔っ払いの戯言なのだろう。 


「お前が思ってるよりも………俺は―――」

「え?」


呟いた言葉が聞こえずに聞き返すと、言葉の代わりに頭に何かが乗せられた。
ルッチのシルクハットだ。
大きくてぶかぶかのシルクハットはすっぽりとノエルの顔まで覆ってしまう。
視界を奪うシルクハットを上げている間に、ルッチはどんどん先に行ってしまった。

慌てて後を追いかけようとした時、不意に腕の傷が目に入る。
もう血は止まっている傷口を、ぺろっと舐めた。
美味しいとは言い難い鉄錆の味が口の中に広がる。

「まず……」

やはり美味しくなんかない。
それなのに、なんでルッチが傷を舐めたあの時………喰われるなどと思ったのだろう。

10/01/24

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