嫉妬2
「貴女のような華奢な方が船大工だなんて信じられませんよ」
「よく言われます。これでも力はある方なんですよ」
にこにこと微笑みながらも、意識を別に逸らそうと手にしたグラスを何度も傾ける。
酒はそれほど弱くはない方だ。
伊達にいつもパウリー達に付き合ってブルーノズ・バーにいるわけではない。
けれど、今回はペースが速すぎた。
しかも夜会が始まってから胃に何も入れていない状態なので、予想よりも酒の回りが速い。
頭がぼんやりとして、目も虚ろになってくる。
何より身体が熱かった。
「ノエルさん、大丈夫ですか?」
ノエルの様子がおかしいことに気付いたのか、青年が心配そうに声を掛ける。
「……大丈夫です、よ」
いけない。
ここで前後不覚になってしまうと、アイスバーグに多大な迷惑が掛かる。
霞が掛かる思考を必死で稼動させ、青年を安心させようと微笑んだ。
見ると、青年の顔もひどく赤い。
彼も酔ってしまったのだろうか。
不思議に思いながら青年を見つめていると、不意に人が近付いていることに気付いた。
何やら真剣に話し込みながらこちらに近付いてくる紳士二人は、どうやら進路上にノエルがいることに気付いていないようだ。
ぶつからないように避けようと身を引くと、足元がふらついた。
「あっ………」
「危ない!」
倒れそうになるノエルの肩を、青年が慌てて支える。
羽織っていたショールがずれて、ノエルの華奢な肩が露わになった。
「だ、大丈夫ですか?」
青年は真っ赤な顔をしながらも、ノエルの肩を掴んで支えている。
「申し訳ありません……」
早く自分でバランスをとらなければいけない。
ずれたショールを戻そうと思うのだが、うまく頭が働かない。
駄目だ。
こんなところで失態を犯すわけにはいかないのに……。
不意に、背後から身体を支えられた。
「ルッチ………?」
姿を見なくたって分かる。
首だけを背後に動かすと、ルッチがいつもの無表情で立っていた。
『飲みすぎだ、バカヤロウ』
「ごめん……」
安堵から、くたりと身体の力が抜ける。
いつの間にか青年の手は肩から離れていて、代わりにルッチの手がノエルの肩を支えていた。
『同僚がご迷惑をお掛けしました。後はこちらでどうにかするのでお気になさらず』
「え、あ……」
ルッチの言葉に戸惑う青年。
このままノエルを放っておくわけにもいかないと思っているのだろう。
ノエルはどうにか背筋を正すと、青年に向かって頭を下げた。
「心配をお掛けして申し訳ありませんでした。あたしは大丈夫なので、どうぞ夜会の続きを楽しんでください」
「分かりました……。それでは、失礼します」
何度か振り返りながら離れていく青年の姿を見送ってから、ノエルは再びルッチにもたれかかる。
『歩けるか?』
ルッチの質問に頷く。
とりあえず、この酔っ払い姿をこの場に晒しておくわけにはいかない。
どこか会場から離れた場所で酔いを醒ました方がいいだろう。
ふらつく身体をルッチに支えてもらいながら、会場を後にした。
※※※※※※
心地よい風が火照った頬を撫で、ノエルは息を吐き出した。
会場の外にある庭園には人気がなく、休むには最適の場所だった。
ベンチに座ったノエルは、ここに来てから一言も発していないルッチをそっと見上げる。
彼はノエルの前に立ってはいるが、ノエルに一度も視線を向けてはいない。
間違いなく呆れてる。
「ごめん」
短い謝罪の言葉を告げると、ようやくルッチの視線がこちらを向いた。
びくりと身を竦めるほどの冷たい視線だった。
「何に対しての謝罪だ」
二人の時にだけ聞ける腹話術ではない声は、ひどく低い。
呆れているのではない。
ルッチは怒っている。
そう言えば、ハットリの姿がない。
ルッチが荒れている気配を察すると、ハットリはいち早く姿を消してしまう。
ということは、これは相当深い怒りだ。
「お酒飲んで酔っ払ったから……」
今回のことに関しては全てノエルが悪いので、ルッチが怒るのも仕方ないことだ。
あそこでノエルが失態を犯せば、それは全てアイスバーグの失態に繋がってしまう。
ルッチがあの場に来てくれて助かった。
もしも、青年が騒ぎ立てていれば、それこそアイスバーグに顔向けできない事態になっていただろう。
「随分と酒が進んでたな」
その言葉に胃がちくりと痛んだ。
あれは正直に言って間違いなくヤケ酒だった。
ルッチが美女に囲まれていて、自分なんかよりも周囲の女性たちの方がルッチにはお似合いで……ちょっとだけ嫉妬したのだ。
「そりゃ、楽しいところにいるとお酒は進むだろ。ペース配分を間違えることだってあるよ」
自分が悪いのに、このひねくれた答えはないと思う。
でも、だって……嫉妬したなんてことをルッチに言えるはずがない。
ちっちゃいけれど、ノエルにだって矜持というものはある。
酔いも大分良くなったのでベンチから立ち上がり、会場に戻ろうとルッチに背を向ける。
次の瞬間、激痛が腕を襲った。
何事かと振り返り、ルッチに腕を掴まれているのだと理解した途端、背中を壁に叩きつけられた。
「っ――――!!」
痛みに息が詰まる。
何をするんだと文句を言おうと口を開くが、その口も塞がれた。
奪うような、貪るような接吻け。
こんなところで、いきなり何を……っ。
混乱する頭でルッチの胸を押して接吻けから逃れようとするが、逆に舌を捩じ込まれて接吻けは深くなるばかりだ。
ようやく唇が離れた頃には、酸欠と混乱で頭がくらくらとして壁に背中を預けてしまう。
けれど、ルッチの動きは止まらない。
ノエルのショールを剥ぐと、首筋に舌を這わせる。
「やだ!ルッチ、いい加減に………んうっ!」
大声を出して怒鳴りつけようとすると、黙れといわんばかりに口の中に指を押し込められた。
「……うう、んむ……ふっ……」
首筋から鎖骨へと滑る唇に、身体が熱くなる。
いつ人が来るとも知れない場所でこんなことをしていてはいけない。
人に見られた時点でアイスバーグどころか、ガレーラカンパニーのスキャンダルだ。
そう思うのに、酒と熱に支配された頭はまともな判断が出来ない。
それどころか、ルッチの指に舌を絡めて愛撫を強請る始末だ。
「ふぁ……っ!」
肩に歯を立てられ、痛みに身体を震わせる。
容赦のない力で咬まれた肩には血が滲んだ。
傷口を抉るように舌を這わせるルッチに、痛みと快楽からノエルの瞳が涙で潤む。
執拗に肩をいたぶられてから、今度は大きく開いた胸元に小さな痛み。
はふっと熱い息を吐き出したところで、頭の熱を冷ます言葉が降ってきた。
「せっかくドレスを着ても、他の男を誘えなくて残念だったな」
冷水を浴びせられたように、一瞬で思考がクリアになる。
ノエルは口の中に突っ込まれていたルッチの指に、手加減しないで歯を立てた。
「――っ!」
血の味が咥内に広がると同時に、ルッチの指が咥内から出ていく。
眉を顰めてこちらを見下ろすルッチを、ノエルは負けじと睨みつけた。
いつも酷い扱いを受けていても怒らないノエルだが、流石に今の台詞は許せなかった。
「他の男って誰だよ」
そんなものいないし、いらない。
誘うならばルッチだけでいい。
こんなにルッチが好きなのに、なんで他の男を誘わなければいけないのだ。
ルッチは分かってない。
全然ノエルの気持ちを分かってない。
こんな露出の高くて可愛らしいドレスなんて、出来ることなら着たくなかった。
着飾るのは自分のキャラじゃないし、性に合わない。
それでもこのドレスを着たのは、カリファに哀願されたというのもあるが……。
少しでもルッチと釣り合う姿でいたいという乙女心だ。
誰のために慣れない服や化粧に耐えているのか、理解しろというのだ。
「ルッチのために着たんだよ、バカ!」
本当にバカだ。
なんで自分はこんなバカが好きなんだろう。
怒鳴り散らしたノエルを、ルッチは無言で見下ろしている。
こんな時まで無言でいる気なのかと眉を寄せると、漸くルッチが口を開いた。
「悪かった」
短い謝罪だったが、憤慨していたノエルの心はすぐに落ち着いた。
ルッチはその場しのぎの謝罪はしない。
悪いと思ったからこそ、謝罪の言葉を口にしたのだ。
「分かればよし」
ふんぞり返って腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
それからすぐに破顔して、ルッチの腕を引っ張った。
「そろそろ会場に戻ろう。あんまり長く空けると、カクとかカリファが心配しちゃうよ」
ノエルの言葉にルッチが視線を逸らした。
どうしたのかと尋ねる前に、長い指が首筋から鎖骨へと滑る。
その動作だけで理解した。
「………会場に戻れなくなるほどの痕をつけてくれたわけですか………」
深い深い溜息をつく。
そう言えば肩にも歯形をつけられたのだった。
キスマークに歯形をつけて、何事もなかったように会場に戻れるわけもない。
ノエルの肌を隠すようにショールを巻いてから、何も言わずに会場へと戻るルッチ。
いったいどんな言い訳をアイスバーグにするつもりなのか。
「まあ……嫉妬してくれたってことでいいのかな」
青年が触れた肩。
そこに残された歯形にそっと触れ、ノエルは小さな笑みを零した。
10/10/27