8月7日
それは11時59分を指していた針が、ぴったりと12を指した瞬間のことだった。
「カク〜〜〜っ!ハッピーバースデ〜〜〜っ!!」
敵の来襲かと思うほどの勢いで扉を開け―――弾き飛ばし、アイリスが部屋の中に飛び込んできた。
上部の蝶番が外れ、完全に傾いたドアを一瞥してからカクはアイリスに視線を戻す。
「とりあえず、帰れ」
冷たく言い捨てて、先日行った任務の報告書に向き直る。
ただでさえ、文章をまとめることが苦手なのに、女狐に邪魔されてはそれどころではない。
「ちょ、ひどっ!なによー、可愛い弟分の誕生日を祝いに来た心優しいお姉様にその態度はないんじゃないの!?」
「誰がお姉様じゃ。一歳年上なだけじゃろうが。」
「うわー、これだから男の子は。まるで一人で大人になったような顔をしちゃって。『アイリス、行っちゃいやじゃ』ってあたしの袖を掴んで涙ぐんでたカクはどこに行っちゃたのかしらねえ」
「勝手に過去を捏造するんじゃないわ。………つーか、酒臭っ!どんだけ飲んだんじゃ!?」
煙管を銜えていたアイリスは、煙と共に酒臭い息を吐き出す。
この酒臭さだと、夕食後からずっと飲んでいたと思われる。
よくよく見れば、アイリスの狐目は今や完全に据わっていた。
「もぉ、そんな憎まれ口を聞いて〜。お姉様を蔑ろにすると、後が怖いわよ。こちとら、あんたの初恋、給仕のリムちゃんから童貞を捨てた花街のエ――――」
「なんで知っとるんじゃ!?」
あまりにも聞き覚えのある名前&身に覚えのあることに、慌ててアイリスの口を塞いでそれ以上の暴露を止める。
エニエス・ロビーの給仕をしていた少女はともかく、どうして任務で行った島にある花街の娼婦の名前まで知っているというのか。
カクの手のひらを引き剥がしたアイリスは、
「んふふ。お姉様、これでも諜報機関の人間だから」
と、小憎たらしい笑みを浮かべた。
「………それで。酔っ払いのお姉様の用はなんじゃ」
弱味を知られているため逆らわない方がいいと判断したカクは、溜息混じりにアイリスに尋ねた。
カクの質問にアイリスはきょとんと目を丸くしてから、にっこりと微笑んだ。
「カクの誕生日を祝いに来たに決まってんじゃない」
んふふと得意げに笑うアイリスに邪気はない。
どうやら部屋に飛び込んで来た時の台詞は本気だったらしい。
アイリスはごそごそと袂を探り、中から箱を取り出した。
どうやって袂の中に入っていたのかと疑問になるような大きさである。
「なんじゃ、これ?」
「プレゼント」
受け取ると、早く開けろとジェスチャーで訴えてくるアイリス。
促されるままに開けると、中からは紫と緑と黄色の毒々しい色合いの何かが出てきた。
「……………なんじゃ?」
「やだもー、そんなにひねって考えないでよ!見ての通り、ケーキじゃない」
「………見て分からんから聞いたんじゃが」
確かにケーキのような形をしているが、まず色合いがおかしいし、どう贔屓目に見ても食べ物には見えない。
「製作日数14日。なかなかうまく作れたと自負してるわ」
「なんでこのケーキでそんな自信に溢れとるんじゃ………って、14日もかけて作ったのか!?」
「うん。任務の合間だったし、失敗しまくったし。途中で厨房に入室禁止になるし。でもまあ、最後は美味しそうに作れてよかった」
目の前にあるケーキはどう見ても失敗作にしか見えないのだが、これで成功らしい。
アイリスのいう失敗作とはいったいどんな物なのか。
想像するだけで恐ろしい。
「ってことで、アイリスちゃんはお疲れなので寝ます!」
「へっ?」
唐突な台詞にケーキ(自称)から視線を外して振り返ると、アイリスはすでにカクの部屋のソファーに仰向けに倒れて寝息を立てている。
嵐のような奴だと呆れながらアイリスを見下ろすと、その目の下には濃い隈。
そういえば、ケーキ(自称)を作っていたのは任務の合間だと言っていた。
食べられるかどうかと言うことはひとまず置いておき、アイリスの気持ちは嬉しかった。
一歩間違えば嫌がらせだが、アイリスは心からカクの誕生日を祝ってくれたのだ。
ただ………。
「一つ言い忘れとったが………わしの誕生日は明日じゃ」
カクはぼそりと小さな声で呟いて、くかーっと気持ち良さそうな寝息をたてているアイリスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
11/08/14