長編 | ナノ
馴れ合い2

「おはよー!」

普段と変わらずに元気に朝の挨拶をしたつもりだった。
けれど、晴れやかな笑顔を浮かべるノエルとは対照的に、ノエルの姿を見た船大工たちは、心配そうな顔、あるいは引き攣った顔で声をなくす。
朝の賑やかな喧騒が、示し合わせたかのように一瞬で静まり返った。
船大工たちの反応に、ノエルは訳が分からずに目を丸くする。

「ノエルッ!!??」

「今日はまた一段と酷いな、オイ」

「………ノエル、大丈夫か?」

「うっわ……」

「ルッチも容赦ねェなァ」

沈黙が終わったかと思えば、一斉にノエルに詰め寄ってくる船大工たち。
タイルストンはすっかり青ざめ、ルルは深い溜息をついている。
そこでノエルはようやく自分の有り様を思い出した。

「あはっ、大丈夫だよ。カリファが心配性だからちょっと大袈裟なことになってるだけで、見た目ほど酷くはないからさ」

船大工たちに囲まれながら、ノエルは明るい声で彼らの心配を一蹴した。
しかし、ノエルの言葉を聞いても彼らの心配が晴れた様子はない。

「痛そうじゃ……」

カクなどはノエルを見つめて泣きそうな顔をしている。
やはり誤魔化せるような怪我ではなかったかと心の中で溜息をついた。

みんなの心配も無理はない。
船大工たちに囲まれて苦笑いを浮かべるノエル。
その姿は満身創痍の一言に尽きた。

頬には大きなガーゼが貼られ、擦りむけた鼻には絆創膏。
膝や肘には真っ白な包帯、手足には青あざに擦り傷、見えないけれど腰には湿布も貼っている。
仕事に支障が出るほどではないが、痛みがないというと嘘になってしまう。
傷の手当てをしながら蒼白になっていたカリファを思い出すと、ちょっと胸が痛い。


ノエルが海賊に襲われてから……。
そして、ルッチに稽古をつけてもらうようになってから二週間が経っている。

ちなみにどうして稽古をつけてくれるのがルッチだったかというと、彼が暇を持て余していたからだ。
これにはノエルも首を傾げた。
木びき・木釘職の職長に就任したばかりのルッチは、本来ならば引き継ぎや雑務などその他諸々でとても忙しいはずである。
1番ドックの最高責任者であるパウリーも同じことを思い、引き継ぎの時間を多めに取れるようにと木びき・木釘職の仕事を少なめに振り分けた。
だというのに、ルッチは山ほどある引き継ぎをたったの三日で終わらせてしまったのである。
これ以上ないほど完璧に。
けれど、今更になってきっちりと組んでしまったスケジュールを変更することもできず………。

結果、木びき・木釘職………その中でも職長であるルッチはパウリーに給料泥棒と罵られるほど暇になってしまったわけである。
そんな経緯があってパウリーが(嫌がらせも込みで)ルッチにノエルの指南役を命じたのだ。


で、この有り様だ。


拳の握り方すら知らなかったノエルに対しても、ルッチは容赦なかった。
殴られるわ、蹴られるわ、ぶっ飛ばされるわ………。
詳細を語るよりも、ノエルのズタボロ具合を見ればよく分かるだろう。

見兼ねたカクやルルが指南役を代わると言ってくれたがノエルは丁寧にお断りしていた。
船大工たちの多くはルッチのスパルタっぷりに対して不平不満があるようだが、ノエルはまったく気にしていなかった。
それこそ手加減してほしいなどとは思ったことがない。
確かに今はカリファが嘆くほどに傷だらけにはなっているが、それでも少しずつではあるが成果は出ているのだ。
ルッチの容赦ないが無駄もない稽古のおかげで、二週間という短期間で組手を出来る程度にはなってきた。
カク達に習っていては、こんなに早く実践的な稽古に移ることは無理だっただろう。
だから、ルッチにはとても感謝していた。

それに………。

(心配されるの、ちょっとだけ嬉しいなぁ)

ノエルの怪我を見てあーでもないこーでもないと騒ぐ船大工たちに囲まれ、ノエルはこっそりと微笑んだ。

優しかった父親が死んでからは、心配どころか誰かに気にかけてもらうことすらなくなっていた。
それに定期的に暴力を受けていたノエルにとっては、この程度の怪我は日常茶飯事で当たり前のことだと思っていた。
だから、こんな風に心配させていることを申し訳なく思いながらも、どこかくすぐったくて嬉しかった。

(………って、オレは何を考えてるんだよ)

緩んだ口元を慌てて引き締め、嬉しいという気持ちに蓋をする。
もっと強くならなければいけないときに、人に心配をかけて喜んでいる場合じゃない。
誰にも迷惑をかけないためにも、早く一人で戦えるようにならなければ。
一人で生きていくためにも………。

ぐっと唇を噛み締めて気合を入れていると、


「ノエル――――――っっッ!!!!」


「いだああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」


感極まったタイルストンに傷口ごと渾身の力で抱き締められ、ノエルは1番ドック中に響く悲鳴を上げた。


※※※※※※


「やぁっ!」

『振りがでかい』

大きく振りかぶって胴体を狙うノエルの蹴りを片腕一本で止める。
腕と接触したことで脛に痛みが走ったのかノエルは眉を顰め、それでも果敢に拳で攻めてくる。
体型故に重みはないが、なかなかに鋭い突き。
それすらも片手で防がれ、ノエルの顔が悔しさに歪んだ。
一度立て直そうと地面を蹴って後ろに下がるノエルを、ルッチも即座に地面を蹴って追った。

「っ!?」

一瞬で詰められた間合いに目を見開くノエル。
まだ態勢が整っていない無防備な脇腹に蹴りを叩き込んだ。

「うわぁっ!!」

ルッチの蹴りをまともに受けたノエルは、軽い体重のために吹き飛ばされて無様に地面を転がっていく。
何度も見ている光景だ。
しかし、だからこそノエルの成長が良く分かる。
彼は初めの頃のように、ただルッチの蹴りを喰らったわけではない。
ルッチの蹴りが脇腹に叩き込まれる寸前に僅かに身体の向きを変え、交差した腕で正面から蹴りを受け止めていた。
まあ、ウエイトが足りなさすぎて踏ん張ることはできなかったようだが、それでも最初の頃に比べれば驚くほどの速さで上達している。

『大丈夫か?』

いたた、と小さく呻いて地面から立ち上がるノエルに声をかける。

「うん、平気。何となくだけど、タイミングが掴めてきたような気がする」

ノエルは擦りむいて血の滲む腕をぺろりと舐めて答えた。
その目には諦めも恐怖もない。
並みの船大工でも逃げ出しかねないルッチの稽古を受けても、ノエルは一度も弱音を吐いたことも弱気になったこともなかった。
華奢な外見に反して根性は据わっているのだ。

『しかし、本当に動体視力がいいな』

「あはっ、だってオレの特技だもん。でも、反応はできても身体がなかなか動かないんだよな」

苦笑いを浮かべて頭を掻くノエル。
彼は不満なようだが、今の彼ならばたいていの海賊の攻撃を避けられるだろう。
攻撃力はさほどでもないが、持ち前の動体視力と観察力で攻撃を見切ることにかけてはかなり上達している。
ルッチの攻撃が避けられないのは、あまりにもノエルの反応が良くどこまで目で追えるのかを確かめるためについスピードを上げすぎたためだ。
すでにルッチの攻撃は船大工たちが相手をする海賊のスピードを遥かに超えているので、避けられなくても仕方ない。

『今のノエルなら実戦でも通用するッポー』

ルッチの言葉に喜ぶかと思ったノエルは、予想とは違い何の反応も見せずに沈黙してしまった。
地面を見つめて俯く彼を不審に思っていると、

「オレ………実際に海賊たちと戦うことになった時、人を殴れるのかな」

ぽつりと小さな声が聞こえてきた。
言葉の意味を読み取れずにノエルを見つめると、彼は顔を上げて困ったように眉を寄せた。

「殴られるのも蹴られるのも痛いだろ。オレが攻撃すれば痛いって分かってるのに………それでもオレは人を殴れるのかなぁ」

言いながら、ノエルは海賊に殴られたこめかみを押さえる。
流石に二週間も経っているので腫れは引いているが、まだ青紫の痣が模様のように浮き出ていた。
ルッチはノエルの言葉には答えず、ゆっくりと彼に近付く。
きょとんとした顔でルッチを見上げるノエルに、ルッチは何の前触れもなく拳を振り下ろした。


「――――――っ」


目を瞑って息を呑むノエルだが、ルッチは彼の顔に当たる寸前で拳を止めていた。
最初から当てる気などない。
ただ彼の反応を見たかっただけだ。

「え?な、なに?」

ノエルは固く瞑った目を恐る恐る開け、自分に拳が当たっていないことを確認すると訝しげにルッチを見上げた。

ルッチの拳は稽古の時とは比べ物にならない『遅さ』でノエルに振り下ろされた。
ノエルが簡単に避けられるようにとスピードを落としたが、ノエルはそんな拳すら避けられなかった。
ルッチの拳が自分に向かってくると知ると、硬直したように動きを止めた。
まるで先ほどまでの軽快な動きが嘘のように。

これで分かった。
やはりノエルは、あの時に海賊の拳を『避けられなかった』のではなく『避けなかった』のだ。

二週間前のあの日、海賊に襲われているノエルを一番初めに発見したのはルッチだった。
割れた窓ガラスの向こう側、立ち上がった海賊の気配に気付いたノエルは瞬時に振り返り、振り下ろされる拳を避けようと身構えていた。
相手は手負いの海賊で、彼の動体視力ならば安易に避けられる攻撃。
それなのに、彼は急に凍りついたように動きを止め………諦めたように目を閉じて振り下ろされる拳を受け入れた。

恐らくノエルは引き取られたという親戚の家で、日常的に暴力を受けていたのだろう。
抵抗もせずにそれを受け入れることが当たり前だったに違いない。
だから、稽古の時には避けることが出来ても、とっさの攻撃は受け入れてしまうのだ。
更に日常的に暴力を受けていたからこそ、痛みをよく知るノエルには『反撃』が出来ない。
身に染みついていた癖は簡単には治らない。
そして、ノエルの癖は致命的だ。

『…………向いてない』

「へ?」

『お前は戦いには向いてない。稽古は取りやめだ。パウリーと相談して休憩室を頑丈にすることを検討するッポー』

「はぁっ!?なんで急にそんな………っ!今、実戦でも大丈夫って言ったじゃないか!!」

『人を傷付ける覚悟もねェ奴には実戦は無理だ』

「覚悟って、そんな………大げさだよ。それに別に傷付けなくたって取り押さえればいいだろ」

『自分を殺そうとしている相手を無傷で取り押さえるには、相手の倍以上の実力がなけりゃ無理だッポー。今のお前にそれが出来るのか?』

「それは………」

反論できずに唇を噛み締めて黙り込むノエル。
甘いにもほどがある。
これ以上の稽古は無駄だと判断したルッチは、ノエルを置いて歩き出す。

「ルッチ、待っ―――」

「きゃあああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

ノエルの呼びかけと重なって聞こえた悲鳴に足を止める。
切羽詰まった甲高い悲鳴はただ事ではない。
『ガレーラカンパニーの船大工』として放って置くわけにはいかないし、何より監視対象のノエルの眼がある。
ルッチは心の中で溜息をつき、声の聞こえた方へと走った。

「ふなだいくろもをだひぇ!!」

辿り着いた先で騒ぎを起こしていたのは、二週間前にノエルを殴った海賊だ。
確か今日、海軍に身柄を渡す手筈になっていたのだが………逃げられたのだろう。
人質を取られて周囲でうろたえている海軍に、短銃を女性に突き付けている海賊を見れば明らかだ。
前歯のほとんどが折れてしまっているので何と言っているのか聞き取り難いが、おそらくは船大工どもを出せと言っているのだろう。
最後の抵抗でせめて船大工に一矢を報いたいというのか。
どうでもいいようなことで手間を掛けさせやがってと舌打ちすると、ルッチの隣から小さな影が飛び出した。

「はい、オレ!オレ、船大工です!!」

挙手をしながら海賊の元へ歩いて行くのは見間違うはずもない………ノエルだ。

(あの、バカヤロウ………っ!!)

最早引き止めるには距離が開きすぎたノエルを見つめ、ルッチは舌打ちをする。
周囲の海軍はずかずかと海賊の元へ歩いて行く少年に青ざめ、住民たちは小さな船大工の出現に目を丸くする。
海軍は必死で制止を掛けるがノエルが止まる様子はない。
自分に向かって突き進む子供に焦ったのか銃を突きつける海賊に、ノエルはようやく足を止めた。

「へめーはこのあひだの!!」

「そうだよ、これでも船大工。で、船大工が出てきたけどどうするの?」

両手を上げて武器は持っていないとアピールしながら、ノエルは堂々とした様子で海賊に尋ねる。
銃を突きつけられているというのにノエルに怯えた様子はなかった。
前にも思ったが、この少年の度胸強さは12歳の子供のものではない。
育ちというよりは生来のものだろう。

「オレを殺すの?人質にするの?どっちにしても、そのおねーさんは関係ないんだから早く放してあげてよ」

「うるひぇー!仲間はほうひた!?」

「??……………あ、仲間はどうしたって言ってるの?残念だけど、今は近くにいないよ」

「ひはひでふむか!!ひまふぐふれへこい!!」

「……………なんて?」

歯が抜けている上に興奮しているせいで海賊の言葉はほとんど聞き取れない。
しかも、この興奮具合ではいつ短銃を発砲しないとも限らない。
ノエルは一体どういうつもりで前に出て行ったのか。
海軍もルッチも動くに動けず、ノエルと海賊のやり取りを見守るしかなかった。
ノエルは困ったように首を傾げた後、何かに気付いたように顔を上げ、

「あっ、あそこに一人いた」

そう言ってルッチを指差した。
海賊も海軍も住民も、その場にいた人々の視線がルッチに集まる。
ノエルが動いたのはその瞬間だった。
地面を蹴ったかと思うと、一瞬で海賊まで間合いを詰めて短銃を持つ手を蹴り上げる。

「うおっ!?」

短銃が空高く舞い上がり、その隙を逃さずにノエルは人質になっていた女性を海賊から引き離す。
けれど、甘い。
手を蹴られただけで、さほどのダメージはない海賊の動きも速かった。
逃げようとしたノエルの青い髪を掴み、叩きつけるように地面へと引きずり倒す。

「いってぇ!!」

倒れる直前に突き飛ばすように女性の背中を押し、何とか海兵の元へと逃がすことに成功していたノエルだが、彼自身はまったくの無防備だ。

「このガキ………!!」

ノエルが体勢を立て直すより先に、海賊が足を振り下ろす。
しかし、海賊の攻撃がノエルに当たることはない。
駆け付けたルッチがノエルを抱え上げ、素早くその場から距離を取っていたからだ。

『ここにいろ』

「え、ちょ―――!?」

ノエルを離れた場所に下ろしたルッチは、海賊の元へと向かう。
さっさと片付けてこの場の騒ぎを収束したかった。

「おま、な、ぐへっ!?」

海賊の腹に素早く蹴りを叩き込み、その場から吹き飛ばす。
近場にあった積み上げられた空箱に頭から突っ込んでいった海賊。
ここまでしているのだから、あとは海軍が何とかするだろう。
そう思ってルッチが海賊に背を向けた時、

「殺ひてやるっ!!」

懐から出した短銃を構え、ルッチに向ける海賊。
ノエルが弾き飛ばした銃を拾った様子はなかった。
つまり海軍は間抜けなことに短銃を二丁も盗まれていたのだ。
避けることは簡単だ。
けれど、ルッチの背後には大勢の野次馬たちがいる。
ルッチ自身は危険な場から離れずに野次馬している人間など死のうがどうでもいいが、『ガレーラカンパニーの船大工』としてウォーターセブンの住民を犠牲にすることは許されない。

海賊の指が引き金を引くその瞬間―――。

弾が発射されることはなく、海賊は力尽きたように前のめりに倒れた。
その背後に立つのは息を切らして拳を握った一人の少年。

恐ろしいほどの沈黙の後、歓声が広場を支配した。


※※※※※※


住民や海軍たちの称賛や感謝からようやく解放されたルッチとノエルは、二人で並びながら通りを歩いていた。
海賊は今度こそ海軍に引き渡され、騒動はようやく収まった。
ルッチは隣を歩くノエルを見つめ、溜息交じりに尋ねた。

『なんであんな無茶をした?』

自分でも無茶をしたという自覚があるのだろう。
ルッチの質問にノエルはバツが悪そうに眉を下げた。

「人質にされてたおねーさんが泣いてたから、早く助けてあげなきゃって思って………」

そのために自分の危険は省みずに海賊の元に自ら進み出て行ったというのか。
それは正しい行為かもしれないが、己の力量が見えていなければただの馬鹿だ。
結局のところは相手を傷つけることが出来ずに、自分のピンチを招いたわけだが………。
いや、でも最後は。

『……………最後は海賊を殴ったな』

「あー………うん」

『覚悟は出来たのか?』

人を傷つけることをあれほど厭うていたノエルだが、最後は海賊を殴って止めていた。
彼なりに覚悟を決めたということだろうのだろう。
ノエルは唇を尖らせてルッチから視線を逸らすと、ぽつりと小さな声で呟いた。

「うーんと、覚悟は出来てなかったけど…………ルッチが怪我する方が、人を傷つけるよりも嫌だった」

そう言って、ノエルは縋るようにルッチの服の裾を掴んだ。
ノエルの発言に、ルッチは自分では気付かずに目を瞠っていた。
どうして自分の信念よりも己を選んだのかが理解できない。


「オレ、戦うよ。人を傷つける覚悟はやっぱりまだ出来ないけど………大切な人たちが傷つくの嫌だから」


ルッチの眼を見つめ、きっぱりとした口調で告げるノエル。
甘いとしか言えない考え方だが、それでも彼は言葉通りに戦うのだろう。

大切な人を守るという覚悟を決めて。

どうせルッチが何を言っても、華奢な見た目からは想像できないほどに頑固な少年が聞くことはないだろう。
ルッチは溜息を一つつき、ノエルのふわふわとした青い髪を撫でる。
ノエルはきょとんと眼を丸くした後、心地良さそうに目を細めた。

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12/06/10

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