長編 | ナノ
遺志

エニエス・ロビーに用事があり、たまたま立ち寄った水の都。
昔は船の修理で頻繁に立ち寄っていた島だが、大将に昇進して船を持たずに独自に行動するようになってからは久方振りだ。

「クザンさん、久しぶりですね」

「ああ、お前さんか」

懐かしい声を掛けられ、振り返った先には柔和な笑顔。
美しい顔立ちは前回に会った時から殆ど年を取っていない。
どう見ても、二十代前半。下手をすれば十代に見える。

「………久しぶりだよね?」

「そうですよ、五年振りだから」

「五年か……。お前さんは相変わらず童顔だねェ」

「止めてくださいよ。これでも、気にしてるんだから」

そう言って苦笑いを浮かべる青年……リューグ・エストは、クザンの記憶が確かならばすでに三十路を越えたはずだ。
最早、童顔で済ませられるような問題ではない気がする。

エストは軍船の整備などで何度かウォータセブンに来るうちに仲良くなった船大工の一人だ。
まあ、船大工といっても、彫刻家としての方が彼の名前は売れているのだが。

そんな彼の傍らでは、見たことのない生き物が大きな瞳でクザンを見上げていた。

「俺を興味津々で見つめる、でっかい目のお坊ちゃんはどちらさん?」

「僕と妻の愛の結晶です。お坊ちゃんじゃなくて、お嬢ちゃんなんだけど」

そう言って微笑を浮かべ、彼は傍らの子供を抱き上げた。
娘というよりは、年の離れた弟という方がしっくりくるが。
まだ三、四歳と言ったところだろう。
目が零れ落ちそうなほど大きな子供で、残念ながら端正な顔立ちの彼にはあまり似ていない。
柔らかそうな青い髪だけが彼に似たようだ。

「あららら、お嬢ちゃんだったのか。こりゃ、二十年後に期待だねェ」

「二十年後にはクザンさん好みのボインちゃんになってますよ。……ほら、ノエル。クザンさんに挨拶して」

ノエルと呼ばれた子供は大きな目でじいっとクザンを見つめてから、顔を綻ばせて笑った。

「こんちゃ!」

可愛らしい笑顔は、彼の奥方によく似ている。
相手を和ませる愛嬌のある笑顔だ。

「ああ、こんにちは。ノエルちゃんはいくつなのかな?」

「みっつ!!」

力強く答える少女が突き出す指は四本。
言動が合っていない。
首を傾げて父親に視線を移すと、彼は苦笑を浮かべて少女を地面に降ろした。

「指を三本だけ立てるのが難しいみたいで……」

「みっつ!!」

再び、自信満々に指を四本立てて三歳だと訴える少女。
こうして見ると、子供というのもなかなか面白い生き物だ。
抱き上げると驚くほど軽い。
初対面であり背の高いクザンに抱き上げられ、少女は怯えるどころかキラキラと瞳を輝かせて高い景色を楽しんでいる。

「奥方は?」

小柄ながらも存在感のある奥方は、今どうしているのだろうか。
疑問をそのまま投げかけると、彼はふわりと微笑んだ。

「ノエルを産んですぐに他界しました」

思ってもいなかったことに言葉を失う。
身体が丈夫ではないと知っていたが、まさか出産に耐えられないほどだとは知らなかった。
クザン好みの女性には遠かったが(主に体型)海軍将校を相手に裏拳で突っ込みを入れる肝の据わったところが気に入っていた。
あの明るい笑顔が二度と見られないのは寂しい。

「そうか……残念だな」

「覚悟はしていましたから」

無理して浮かべたわけではない優しい笑顔。
こんな時、この童顔の青年が見た目からは想像出来ない強さを持っているのだと実感する。


「くーちゃ、もっとたかいのー」


クザンの腕を小さな手のひらがぱむぱむと叩く。
今まで大人しく抱き上げられていた少女が、意思表示を始めたのだ。

「くーちゃ?」

「クザンさんって言いたいけど、舌が回らないんだと思います」

成程。確かにまだ舌が回らない子供には呼びにくい名前かもしれない。
しかし、もっと高いのとはどういう意味だろうか。
意味が分からずに少女の顔を見つめていると、少女はもぞもぞと動き出してクザンの身体をよじ登り始めた。

「ノエル、駄目だよ!降りてっ」

「まあまあまあ」

慌てて少女を降ろそうとするエストだが、背が足りないために少女の身体に手が届かない。
そんなエストを宥め、クザンは少女の好きなようにさせた。
少女は肩車の体勢になると、クザンの頭にしがみついて満足そうにあはっと笑い声を上げた。

「たかいねー」

「そう?」

「うん。とーちゃは、ちっちゃいの」

男性の平均身長に少し足りない青年は、愛娘の言葉に僅かに肩を落とす。

「きらきらで、きれーね」

太陽を反射する海を眺めて、ほぉっと幸せそうな息を吐き出す少女。

いつも眺めている海だ。
よほど澄んだ海域にでも出ない限り、見慣れたものを美しいなどと感じることはない。
少女とてウォーターセブンに生まれ落ちたのなら、海など見飽きているはずだ。
それでも少女は海を綺麗だと言う。

「お前さんによく似てるねェ」

「そうですか?」

奥方によく似ている少女が自分に似ていると言われることがあまりないのか、嬉しそうに微笑むエスト。
しかし、似ているのは外見ではない。
見飽きる自然からも美しさを感じるという、その感性は父親によく似ている。

「この子も将来は船大工か、彫刻家かな?」

「どうでしょうね。この子がなりたいものになればいいと思いますよ」

「………ノエルちゃんは大きくなったら、何になりたいの?」

「かいぞくーっ。ごーるどろじゃーはしんじゃったから、つぎのかいぞくおーのふねにのるの!」

弾むように元気な声で、海軍大将の前で海賊になるという宣言をする少女。
これには苦笑いを零すしかない。

「ノエルちゃん、海賊じゃなくて海軍に入らない?」

「やーなの」

ぶんぶんと首を振った少女は、登った時と同じようにするするとクザンの身体から降りる。
そして、あっかんべーをすると父親の背後に隠れてしまった。

「お前さんの影響だな」

「あはっ、困りましたね」

困ったなどと言っているが、その顔はまったく悪びれた様子がない。
3歳の子供が海賊であるゴールド・ロジャーに憧れるなど、父親の影響としか思えない。

「お前さんは影響力があるんだから、あんまり大手を振ってゴールド・ロジャーの名前を出さねェ方がいい」

ある船大工を師事していたエストは海賊に対しての思い入れが強い。
賢い彼はそれをあからさまに表に出すようなことはないが、それでも娘が影響されるほどには海賊王を尊敬している。

クザンの忠告にエストは目を細めて海を見つめる。
彼の娘が美しいといっていた、何の変哲もない海を。


「…………ねぇ、クザンさん。美しいものを美しいと言えない世界は正しいと思いますか?」

「あ?」

「僕はね、美しいと感じたものを胸を張って美しいと言える………そんな世界をノエルにあげたいんです」


海を見つめたまま優しく微笑むエスト。
穏やかで優しい笑顔にクザンは何も言えなかった。


それから七年後。
リューグ・エストは海賊王の彫像を造った罪で処刑された。


※※※※※※


「クザンさん、久しぶり」

「ああ、お前さんか」

懐かしい声を掛けられ、振り返った先には元気な笑顔。
子供と間違えそうなほどに小柄で華奢な少女が、首を大きく傾けてクザンを見上げている。

「相変わらずちんまいなァ」

「二年振りでその台詞はひどくない?」

ぷくっと頬を膨らませる少女は、やはり父親よりも母親似だ。
顔立ちは平凡だが、人を惹きつける愛嬌のある表情を見せる。

少女の名前はノエル。
リューグ・エストの忘れ形見だ。
エストが処刑されてからは親戚に預けられていたようだが、その間はウォーターセブンに訪れても会うことはなかった。
彼女がはっきりと言うことはないが、親戚の家ではほとんど軟禁状態にあったらしい。

二年前に造船所で彼女の姿を見つけた時は色々な意味で驚いた。
驚くほど痩せ細った身体に少年のように短くなった髪はもちろん、何をどうしてガレーラカンパニーの船大工なったのか。
しかも、社長であり、市長であるアイスバーグを後見人にして。
なんとも波乱万丈な人生を生きている少女だ。

「今日はどうしたの。また軍船の注文?」

「近くまで来たから、ノエルちゃんの顔を見に寄っただけだ。しっかし、なかなかおっきくならないねェ」

「先月15歳になったから、少しは大きくなったよ。『オレ』って言うのもやめたし……」

「そりゃ良かったね」

ノエルのふわふわの髪をぽんぽんとあやすように叩く。

初めて会った時は拙い口調だったのに、育つにつれて随分と口が悪くなった少女。
放任主義の父親はあまり気にしていなかったようだが……。
しかし、15歳という割にはやはり身長は小さい。
どう見ても、12、3歳ぐらいだ。

「俺好みのボインちゃんに育つってエストは言ってたんだけどねェ」

「………父ちゃん、割とあたしのことを贔屓目で見てたからなー」

「どう?揉んで大きくしてあげようか」

にやにやと笑って、苦笑を浮かべているノエルを見下ろす。
この少女というには色気に欠ける子供がどんな反応をするのかが気になって。
ノエルは自分の胸をじっと真剣な表情で見つめた後、小さく溜息をつく。
そして、遠い目になって告げた。

「揉むほどもない」

「そこまでだったか」

どうやら彼女の発育は思ったよりも深刻だったらしい。
うーんと眉間に皺を寄せながらぺたぺたと胸を触る彼女だが、手は完全に平行だった。

「そんなんじゃ海賊になれないよ」

「何でおっぱい大きいのと海賊が関係あるの?」

「そりゃ女海賊といえばボインちゃんと決まってるからね」

「ああ、確かに。そんなイメージあるよね。………っていうか、何であたしが海賊になるの?」

「覚えてない?昔のノエルちゃんは海賊になりたがってたんだよ」

「……いくつの時の話?」

「3歳」

「それはまた、随分と古い記憶を持ち出してきて…………覚えてないよね、普通」

そう言ってあはっと笑うノエル。
ということは、今の彼女は海賊になりたいというわけではないのだろう。
それは良かった。
彼女の意志の強さを知っているクザンからすれば、いつ海に出てしまわないかと冷や冷やしていたのだから。

「今は何になりたいの?」

「何になりたいっていうよりは………次の海賊王の彫像を造りたいかな」

聞かなければよかった。
迷いのない彼女の瞳を見れば本気だという事が分かる。
けれど、海軍の大将を前にして言う台詞ではない。
せめて適当な嘘で誤魔化して欲しかった。

「何で俺に言っちゃうかね」

「クザンさんが聞いたからだよ」

悪びれた様子もなくノエルは可愛らしく微笑んだ。

敵わないなァと深い溜息をついていると、船大工の一人と目が合った。
無表情のまま軽い会釈をする彼をクザンはよく知っている。
出来ることなら、ノエルの傍にはいて欲しくない種類の人間だ。

彼の……いや、彼らの狙いはクザンにはおぼろげにしか分からない。
けれど、そこに間違いなくノエルも巻き込まれるであろう事だけは分かっていた。

「ねえ、ノエルちゃん。あんた、海軍に来ない?」

「この間、ガープのじいちゃんにも誘われたけど海軍って人手不足なの?」

クザンの誘いにノエルはきょとんと首を傾げる。

そう言えば、この少女はガープのお気に入りでもあった。
単純明快なガープだ。
頭の回転も速く、身体能力にも優れているノエルを誘っていないわけがない。
それでもここにいるということは、ノエルの答えは………。

「ごめんね。誘ってもらえて嬉しいけど、海軍にはなれない」

「なんで?」

「あたしの夢がそこにはないから」

真っ直ぐとクザンを見つめて、きっぱりと言い切るノエル。

迷いのない真っ直ぐな瞳は、間違いなく父親にそっくりだ。
美しいと感じたものを胸を張って美しいと答えるエストに。

「親父さんに似てきたねェ」

「本当に?」

皮肉を言ったはずなのに、あまりにも彼女が誇らしげな笑顔を見せたから――。
それ以上は何も言わずに、青色の頭を宥めるように撫でた。


この少女も、いつか父親と同じ道を行く気がする。
そして、その時が来ても後悔もせず、誰かを憎むこともなく。
笑顔で処刑台に上るのだろう。

父親と同じように。


「…………長生きしろよ」

「まだ15歳なんだけど?」


※※※※※※


「そういえば、俺のお嫁さんになりたいとも言ってたねェ」

「それは嘘だろ」

「あ、ばれた?」

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10/01/03
改訂16/07/03

彫刻家の父親は船の修理経由で割と知り合いが多いです。

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