長編 | ナノ
償い11

小さな従妹は、初めて出会った時から僕の可愛いお姫様だった。
欲望と虚栄心にまみれた両親に育てられた僕にとって、素直で真っ直ぐな従妹はいつも眩しかった。
この世界でただ一つだけの愛しい存在。
犯罪者として叔父が死んでしまった後も、変わらずに彼女を愛していた。
だから、彼女を傷つける全てのものから彼女を守りたかった。

彼女が僕の家に来て半年が経った頃。
仲間と一緒になって彼女を苛めていた少年が、罪悪感に耐えかねて彼女に謝っているのを目撃した。

彼女の父親を犯罪者などとは思えないけれど、彼女を庇って自分が仲間外れにされることが怖かった。
同じように苛めてしまったけれど、自分は彼女を嫌ってなどいない―――と。

反吐が出そうだった。
全ては醜い自分の罪を隠すための言い分け。
彼女を哀れに思ったわけではない。ただ、自分が罪の意識に呑まれたくない。
それだけのことだ。
本当に彼女を哀れに思うのならば、僕のように何があろうと彼女を守るべきだ。

だけど、僕の思いとは裏腹に彼女は少年に笑いかけた。
僕に笑いかけるのと同じ真っ直ぐな笑顔で。

彼を―――許したのだ。

この時だった。
彼女への純粋な愛情の中に濁ったものが混じり始めたのは。
僕以外の誰かに笑いかける彼女を、生まれて初めて憎いと思った。


※※※※※※


昼の騒動から数時間が経った。
ノエルはアイスバーグの元に戻り、全ては終結したように見えた。

けれど、ルッチはブルーステーションのホームで最後の後始末をするために待っていた。
最終の海列車がホームに到着する十分前。
ようやく待ち人が現れた。
夜の航海は怖いと言う理由から、最終海列車に乗る人間は少ない。
そのため、ホームにはルッチを覗けば男の姿しかなかった。
すっかり旅支度を整えた青年は、視線をこちらに向けると絵画のように整った顔に綺麗な笑顔を浮かべた。

「あなたは……ルッチさんですよね。僕に何か御用ですか?」

そう言って首を傾げるレシィを、ルッチは無言で見つめる。
傍には誰もいないようだ。
彼一人でウォーターセブンを出るつもりなのだろう。
探るような視線を向けるルッチに、レシィは荷物を地面に置きながら小さく笑い声を零した。

「お察しの通り、僕はこの島を出ます。心配しなくてもノエルの前には二度と現れませんよ」

やはり穏やかな外見に比べてかなり聡い。
ルッチの用件を一瞬で理解したようだ。

「父親はどうした?」

どうせ、ウォーターセブンから消える男だ。
本当の声を聞かれたところで任務には支障はない。
腹話術ではないルッチの声色に少し驚いた様子を見せながらも、レシィはすぐに答えを返した。

「さあ?」

答えにならない答えにルッチが眉を動かす。
真剣に答える気がないのなら吐かせるまでだ。
こきりと指を鳴らして攻撃体勢に入ろうとすると、溜息混じりにレシィが呟いた。

「ノエルが手に入らないなら、あんな屑は必要ありませんから。……今頃は酒場でくだでも巻いてるんじゃないですか」

その台詞は完全に父親を軽蔑しているものだ。
いや、軽蔑すらしていない。
その声音はただそこにある石ころを説明するかのように感情がなかった。

「まだ諦めてないのか」

「まさか。ウォーターセブンの最高権力者を敵に回すような度胸は、あの男にはありませんよ。もらった金や彫刻の権利を食い潰しながら生きていくでしょう」

レシィの言う通り、アイスバーグの啖呵を聞いた後では、あの臆病な男がノエルを狙うようなことは出来まい。
仮にアイスバーグのことがなくても、ノエルの父親が既に償っていたことが露見した今ではノエルの方が伯父を許さないはずだ。
いや、馬鹿が付くほどにお人好しな彼女ならば許してしまうかもしれない。
しかし、もう二度と伯父の元へは戻ることはないだろう。

ノエルを諦めるのならばそれで構わない。
何もしなければ、アイスバーグに妙な警戒心を抱かせることもないだろう。
余計な警戒心を抱かれて、万に一にもアイスバーグにルッチたちの正体に気付かれては困る。
任務に支障が出さえしなければ、彼らがどうなろうとどうでもいい。

ルッチは無言でレシィに背を向ける。
聞きたいことは聞いた。望む答えも出た。
それならば、この青年にこれ以上の用はない。

「どうして、僕の方に来たんですか?」

追いかけてきた声に、足を止めて振り返る。
質問の意図が分からなかった。

「あなた達にとって厄介なのは、あの男でしょう?それなのに、どうしてあの男ではなくて僕の方に来たんですか」

どうしてなのか。
それは簡単なことだ。
レシィがウォーターセブンを去るのを確認するためだ。
彼はノエルを捨てたが、それが詭弁ではなかったかを確認するためだ。
ノエルがいなくなれば、アイスバーグが彼女を捜すから。
アイスバーグに余計な仕事を増やされては監視が面倒になる。

………そうだろうか。

もしも、ノエルが着いて行ったのがこの従兄ならばアイスバーグは捜さない。
それはノエルの意志だからだ。
彼に着いて行くのは、伯父に従う時とは違って彼女も望んでいることだろう。
だから、レシィがノエルを捨てた時………あれほど泣くことを厭う彼女が泣き喚いて彼に縋ったのだ。

では、どうしてルッチは伯父ではなくレシィの元に来たのか。
おそらくは………あの時、ブルーステーションに集まった面子の中で、彼だけが何を考えて何を望んでいたのか分からなかったからだ。


「………どうしてノエルを手放した」


それが理解できなかった。

手足を丸めて眠る癖。暴力を受け入れようと閉じられる瞼。伸ばされない髪の毛。
アイスバーグの元に来て二年が経つというのに、ノエルからはいつも誰かの気配を感じていた。
爪の先から髪の毛に至るまでノエルを染め上げていたのは、目の前にいる青年で間違いない。
彼のノエルへの執着は、妄執とすら言える。

それなのに、彼はあっさりとノエルを突き放した。
『いらない』という言葉を投げつけて、雁字搦めになった過去からノエルを解放するために。

ルッチの言葉にレシィが笑う。
何度も浮かべていた神経を逆撫でする笑みではなく、答えに窮するような苦笑だった。

「あなたにそんなことを聞かれるとは思いませんでしたね……」

そう言って、レシィは遠くを見つめるように目を細める。
それはずっと笑みを浮かべていた彼の初めて見る別の表情だった。

「僕は、ノエルを愛しています。………そして、同じくらいノエルを憎んでいます」

その告白に驚きはしない。
1番ドックで誰にも触れさせまいと彼女を囲い、ルッチたちに決別を告げたノエルを昏い喜びに満ちた微笑みで見つめていた。
彼の言動には全てノエルに対する惜しみない愛情があり、同時に押し殺せぬほどの憎しみに満ちていた。

「あの子は『人』がとても好きなんです。だから、殆どのことは許してしまうし、受け入れられる。………父親を犯罪者と蔑む伯父も、仲間外れを怖れて苛めに加わる友人も、全て受け入れてしまうんです」

それは彼の誇張ではなく真実だろう。
実際に二年という年月、彼女の傍にいたルッチも同じことを感じていた。
船大工たちに受け入れられなかったり、海賊に殴られたりと彼女が傷つけられたことは何度もあった。
けれど、彼女が怒ったり、悲しんだりするところを見たことがない。
慕っていた兄弟子に裏切られた時でさえ、彼女は全てを受け入れるように微笑みを絶やさなかった。

「どんなに彼女を大切に思い守ろうとしても、彼女が僕に向ける笑顔はあいつらに向けるものと同じなんです。………そんな笑顔はいらなかった。どこかの誰かに向けられるのと同じ笑顔が僕に向けられる度、あの子への憎悪は募るばかりでした」

震える拳を握り締めていたレシィが、不意にルッチを見つめる。
そうして、今までの怖気が走るほどの綺麗な笑顔ではなく蕩けるように幸せそうに微笑んだ。

「あの子を本当の意味で傷つけることが出来るのは、あの子が心から愛している相手だけなんですよ」

幼い頃から彼女を知るレシィの言葉は正しいのだろう。
周囲を省みずに泣き叫ぶノエルを初めて見た。
一年ほど前、彼女が少年ではなく少女だと分かったときに、情緒不安定からパウリーに怒られて潤んだ瞳を見せたことがある。
他にはどんなに辛いことや酷い扱いを受けてもノエルが涙を見せるようなことは一度としてなかった。
それほどにノエルはレシィという青年を愛していたのだ。

「だから、僕はノエルを傷つけました。それでも、捨てられまいと僕に縋りついているノエルが愛おしかった。壊して穢して貶めて………永遠に繋ぎ止めたかった。そうして、あの子を僕だけのノエルにしたかった」

レシィという男はノエルを傷つけて縛りつけながら、自分がノエルにとって何物にも代えがたい心から愛した存在であることを確認していたのだ。
彼の言葉だけを聞けば、ノエルに抱くものが『愛』などとは思えない。
けれど、愛という感情を突き詰めるのならば………それは欲であり、エゴであり、執着なのだ。

「それなのに………あの子は憎んでもくれない」

ぽつりと呟いたレシィは自分の両の手を見つめる。
彫刻刀でいくつもの傷を作っているノエルの手とは違い、女性のように細くたおやかな手。

「手放したのは……あまりにもあの子が愚かだったから。………ノエルがあなた達を選べば決して手離したりはしなかったのに」

どんな目にあわされても。どんなに傷つけられても。
ノエルは自分の願いを捨ててまでレシィの傍にいることを選んだ。
自分を犠牲にしてもいいほどに彼のことを愛しているのだろう。
それなのに最後の最後でノエルを手放した男の気持ちが、ルッチには理解出来なかった。

海列車がホームへと入ってくる。
レシィは地面に置いてあった荷物を肩にかけて、海列車に乗り込もうと扉に手をかける。
そして、振り返ったレシィはノエルにだけ向けていた優しく綺麗な笑顔でルッチを見つめた。


「『あなた』なら、いつか僕の言葉を理解する日が来るでしょうね」


そう言ってルッチの手に何かを押し付ける。
押し付けられたものに目を移して顔を上げたときには、すでに扉が閉まっていた。
笛の音がホーム内に響き渡り、最終海列車はブルーステーションを出発する。


『あなたなら』
彼は何を指してそう言ったのか。

眉を寄せて考えていたルッチは近付いてくる人の気配に気付いて思考を中断した。
青い髪の小柄な少女がホームの中に飛び込んでくる。
息せき切って辺りを見渡すのはノエルだった。

「………ルッチ!?なんでここにいるの?」

『それはこっちの台詞だッポー』

腕を組んでノエルを見つめると、彼女は『パウリーが………』と消え入るように呟いて俯く。
そういえば、パウリーの言い付けで船大工たちがレシィを監視していた。
レシィがブルーステーションに入った時点でパウリーに報告するために姿を消していたので忘れていた。
ということは、パウリーはレシィがこの島を出ることをノエルに教えたらしい。
パウリーの性格ならばノエルには黙っているだろうと思っていたので、どんな心変わりがあったのか気になるところだ。

『海列車ならさっき出た』

「………そっか」

その海列車に従兄が乗っていたことに気付いたのだろう。
沈んだ声で呟いたノエルの手を取り、ルッチは小さな手のひらにレシィに渡されたものを置いた。

「? なにこ――」

怪訝そうに手のひらに乗せられたものを見たノエルは、そのまま声をなくした。
彼女の手のひらの上にあったのは、薄汚れたヤガラの木彫り。
不恰好な木彫りを見つめるノエルの目から涙が溢れる。
それがなんなのか、ルッチには分からない。
けれど、ノエルとレシィを繋ぐ思い出の品なのだろうと言うことだけは分かった。
そして、それを返すと言うことが二人の決別を表しているということも。

ヤガラの木彫りを大切そうに胸に抱き締めて、静かに涙を流すノエル。
よくも飽きずに泣けるものだと呆れたルッチだが、スパイ活動を優先する彼は船大工のロブ・ルッチとしての行動を取った。
ノエルの後頭部を片手で引き寄せ、胸に押し付ける。
彼女は抵抗もしなかったが、縋りついてくることもなかった。
声も上げずに泣く彼女の頭を撫でる。
柔らかくてふわふわしている綿菓子のような彼女の髪の感触は嫌いではない。

しかし、何故か今は彼女の全てに苛ついた。

伯父の企みが明らかになり、彼女の望み通りにアイスバーグや船大工たちの元に残ることも出来た。
それなのに従兄が島を去っただけで泣くノエルが理解できない。
あの男のために涙を流すことが気に入らない。

飽きることなくぐすぐずと泣き続けるノエルを引き離し、乱暴に顎を掴んで顔を上げさせた。
涙で潤んだノエルの瞳にルッチの姿が映る。


「泣くな」


強い口調で告げた言葉にノエルの瞳が見開かれた。
そのまま忙しなく瞬きをするので、溜まっていた涙は全て流れ落ちてしまう。
そして、涙の引いたノエルは赤いままの目で唖然とルッチを見上げた。

「あの、ルッチさん……こえ……声が………。腹話術じゃない………」

混乱のあまりルッチにさん付けをするノエル。
出会ってからずっと腹話術でしか喋ってこなかった男の地声を聞いて混乱しているのだろう。

『帰るぞ。アイスバーグさんが心配するッポー』

今度は腹話術で話しかけ、ノエルの手を引いて造船島へと向かう。
混乱しているノエルは『あれ?あれ?』と言いながら首を傾げている。
そんな彼女の様子にようやくルッチから苛立ちが消えた。


ノエルの腕を引きながら思う。
いつか全てが明らかになったとき、彼女はどうするのだろうかと。
アイスバーグを殺されて泣くのだろう。
そして、その時こそ自分たちに憎しみを覚えるのだろう。
自分を憎み、自分のしたことで涙を流すノエルを思うと背筋にざわりと歓喜が走る。


「ルッチ?」


不思議そうに自分を見上げてくるノエル。
警戒など少しもしていない表情。そこには親愛の情しか感じられない。
怪訝そうな彼女を安心させるように、その頭をいつものように撫でる。
それだけで安心したようにノエルは微笑んだ。


『あなたなら、いつか僕の言葉を理解する日が来るでしょうね』


何故か、レシィの言葉が脳裏に蘇った。

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10/05/17
改訂16/05/29


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