長編 | ナノ
償い8

「ノエルが本気で選んだ道なら、わしらだって諦める。じゃが、そんな顔したお前を放っておけるわけがないじゃろうが!!」

「放っておいてよ!!」

間髪入れずにノエルは言い返した。

うまく呼吸が出来ない。
頭がぐわんぐわんと痛む。
真剣にこちらを見つめるカクの目が煩わしくて、押し退けるようにカクの胸を突き飛ばした。

「何で構うんだよ!?オレは心配してなんて頼んでない!何で分かんないんだよ!」

これでは癇癪を起こした子供のようだ。
分かっていながらも、荒くなる声を押さえられない。
それは普段の自分からは考えられない激しさだった。
もともと許容範囲が広かったし、伯父の家に預けられた頃から我慢の連続だったせいか、怒りを覚えることがほとんどなかった。
怒るという行為自体があまり好きではないし、怒ったところで何かが解決するわけではないと分かっていたから。
それでも、今はなりふり構わずに怒鳴り散らしてしまう。

どうして、自分を放っておいてくれないのか。
どうして、彼らを無視することが出来ないのか。
どうして、自分は彼らの言葉にこんなに動揺してしまうのか。


どうして、どうして、どうして―――。

彼らは本当の自分を見つけてしまうのだろう。


「オレが償わなきゃだめなんだ!だって………そうじゃなきゃ、父ちゃんは罪人になっちゃうじゃないか!!」

何も感じないようにと被っていた仮面は剥がされてしまった。
それはノエルの心からの叫びだった。


父親が犯罪者として死に、伯父の家に預けられてから毎日のように言われた。
伯父の仕事がなくなったのも、伯父が裏町の片隅に追いやられたのも全ては父のせいだと。
父は兄を裏切ったから。だから、罪人なのだと。

いつも父の元に金の無心に来ていた伯父がノエルは好きではなかったが、父は彼を兄として慕っていた。
慕っていた兄に罪人と思われるのは、父にとって何よりも辛いだろうと思った。
だから、ノエルは伯父に逆らわなかった。
自分が頑張って、いつか伯父がノエルを認めてくれたのなら。
それだけを信じてノエルはどんな扱いをされても文句も抵抗もせずに従ってきた。
ノエルがいい子にしていれば、いつか伯父も父を許してくれるのではないかと思って。

全ては子供の……子供ゆえの純粋な願いだった。


「償いなら、とっくに済んでる」

割って入ったのは第三者の声。
けれど、よく知っている声だ。

大声で叫んだために肩で息をするノエルの前に現れたのは、社長であり後見人であり同居人であるアイスバーグだった。
ノエルの目が見開かれるが、それはパウリーたちも同じだ。
彼らの表情を見る限り、アイスバーグはここに来る予定ではなかったらしい。

「ンマー、色々と調べてたら遅くなった。悪かったな、ノエル」

驚くノエルにそう言って謝罪したアイスバーグは、手にしていた書類の束を伯父に向かって投げつけた。
突然のことに受け取ることも出来なかった書類は伯父の身体にあたり、バラバラと地面に散らばった。
飛んできたそれを拾い上げ、パウリーが書面を読み上げる。

「譲渡書か?ノエルの父親から、このおっさんに財産を譲渡したって………三十億ベリー!?」

『他にも土地や作った彫刻の権利を譲り渡すというものがある』

同じように書類を拾ったルッチの呟き。
彼らの言葉の意味は分かるが、話の内容がノエルには理解できなかった。

「おかしいと思った。仕事にも行ってねェのに、毎日ギャンブルに酒びたりの生活。その金はどこから出てんだ?ってな。書類の日付はリューグ・エストが海賊王の彫像作りを始めたと言われている頃だ。てめェ、エストが彫像を作ってることも、罪人になるってことも分かってたな」

「な、何を言ってるのか……」

「ンマー、今更言い訳が聞くと思ってんじゃねェよ。この金はエストの身内に対する償いだ。海賊王の彫像を彫ることで自分が罪人になるだろうと覚悟していたエストは、自分とノエルが暮らしていけるだけの金を残して全てをてめェに譲った」

初めて聞く真実にノエルは目を見開く。
確かに仕事にも行かない伯父がどうして生活できるのかを謎に思っていたこともある。
けれど、まさか父が財産を譲っていたとは思っても見なかった。
そんな話を伯父から聞いたことがなかったから。

「てめェは全て知っていて、エストの金を受け取った。まさか本当に罪人として死ぬことになるとは思わずにウォーターセブンに残ったのが誤算だったな。金は腐るほどあるから不自由はなかっただろうが。ンマー、その金もほぼ使い尽くしたみてェだがな」

アイスバーグの言うことは全て真実だろう。
幼い頃に感じた世界に名を馳せている父との不思議と質素な暮らし。
家から減っていた多くの彫像。
周りに散らばった父の署名が入った書類。
そして、顔を上げずに黙り込んでいる伯父がそれを示している。

「分かったか、ノエル。お前の親父は自分で償いを済ませてる。この男はお前の純粋さに漬け込んだだけだ」

固まるノエルにアイスバーグが言い聞かすように告げるが、ノエルにはアイスバーグの言葉の意味が分からない。
いや、意味は分かってるのだがうまく頭の中で整理ができない。
だって、それが真実ならば………どうして伯父は父のことを罪人扱いしていたのか。
混乱しているノエルは、目を瞬いて伯父とアイスバーグを交互に見つめることしか出来なかった。

「………ふふ、ふははははっ!!」

アイスバーグに証拠を突きつけられ、蒼褪めた顔で黙り込んでいた伯父が、不意に静寂を破るように胸を逸らして大声で笑い始めた。

「ああ、そうだ。俺は確かにエストから金を受け取った。………だから、なんなんだ !ノエルは―――このガキは俺の姪なんだよ。こいつを所有する権利は俺にあるんだ!」

開き直って笑う男を見つめ、ノエルは唇を噛んだ。
『所有』などと………ノエルを人間扱いさえしていなかった。血の繋がった伯父の言葉とは到底思えない。
引き取られたあの日から分かっていたことだ。
けれど………。

「ぎゃっ!!」

辛くなって俯いたノエルの耳に届いたのは、鈍い音と伯父の悲鳴。
何事かと顔を上げると、そこには頬を押さえて無様に地面にひっくり返る伯父の姿。
ノエルがびくりと怯えるほどの冷たく蔑んだ目で伯父を見下ろすアイスバーグに、彼が伯父を殴ったのだと悟る。
慌てて間に入ろうとしたノエルだが、次の言葉に足が止まった。

「ノエルを所有物扱いするんじゃねェ」

アイスバーグは拳を握ったまま伯父を睨みつける。
それこそ市長選候補や記者にかなり失礼なことを言われてものらりくらりと躱すのがアイスバーグで、彼が怒ったところをノエルは初めて見た。

「よ、よくも……!訴えてやる!例えあんたが市長だろうとノエルとの間には何の繋がりもない!出るところに出れば俺が勝つぞ!!」

「好きにしろ。だがな、俺に勝てると思うなよ。俺はこのウォータセブンの市長だ。てめェよりも知り合いは多いし、世論もこっちに傾くだろ」

冷めた声で吐き捨てるアイスバーグ。
それは暗に、裏で手を回すことを意味している。

「汚いぞ!!」

伯父の顔が怒りと興奮からか赤く染まる。
口角から泡を飛ばす勢いで怒鳴るが、アイスバーグは揺らぐことのない瞳で伯父を静かに見つめた。


「汚くて結構。不正だろうと何だろうと、てめェにうちの娘は渡さねェよ」


怒りが篭る声で吐き出された言葉に、ノエルの瞳に涙の膜が張る。

ウォータセブンの市長であり、ガレーラカンパニーの社長でもあるアイスバーグが一般市民を殴った。さらには犯罪者の娘を守るために不正を働こうとしている。
そんなことが表に出れば大変なスキャンダルだ。
アイスバーグに迷惑をかけたくないノエルにとってそれは本意ではない。
それでも………泣きたくなるほどに嬉しかった。

すっかり言い負かされた伯父は脱力して黙り込んだ。
この島の市長であり、ガレーラカンパニーの社長でもあるアイスバーグを敵に回しても勝てないことを悟ったのだろう。

「ノエル、帰るぞ」

温かい声でアイスバーグが名前を呼び、手を差し出した。
反射的にその手を取ろうと腕を伸ばし、触れる寸前で我に返って止めた。
ずっと心の奥底で望んでいた手のひら。
けれど、その手を取ることはどうしても出来ないのだ。

躊躇していると、背中を押された。
軽い力ではあったけれど、あまりに突然のことで無防備になっていたノエルは踏鞴を踏む。
転びそうになったところを、両手を差し出したアイスバーグに支えられた。

「大丈夫か?」

心配そうに尋ねるアイスバーグに答える言葉が出てこない。
だって、それは許されないことだから。
きゅっと唇を噛み締めてアイスバーグから視線を逸らし、ノエルは誰が押したのだろうかと振り返る。
そこには一度も口を挟むことなく事の成り行きを見ていたレシィが無表情で立っていた。

「レシィ?」

どうして突き飛ばされたのか分からず、ノエルは目を瞬いた。
迷った素振りを見せたからいけなかったのだろうか。
でも、ノエルはレシィから離れてガレーラカンパニーに戻るつもりはない。

ずっと彼の傍にいると約束したのだから。

「レシィ、オレはー――」

「もう、いらない」

自分はレシィの傍を離れるつもりがないことを言おうとしたノエルの言葉を遮り、彼が短く告げる。
レシィの言葉の意味が分からなくて首を傾げた。
何がいらないのだろうか。
尋ねようと口を開き掛けると、レシィがノエルに向かって笑った。
綺麗な綺麗な笑みだった。


「もう、ノエルはいらない」


告げられた言葉に、頭が真っ白になる。
耳の奥でどくどくと心臓が鳴る音が大きく響いた。
唾を飲み込もうとしたが、口の中はからからだった。

「え……?なに……なに言って……」

震える腕を押さえるように自分の手で掴みながら、掠れた声で聞き返す。

レシィは今、なんて言った?
ノエルのことをいらないと言った?
どうして彼がそんなことを言い出したのかが分からない。
だって、ノエルに傍にいて欲しいと望んだのは彼なのに。

「僕は知ってたよ。父さんがエストさんから金を受け取っていたこと」

「………え?」

「それを知らずに父さんや母さんに尽くす君が。どんなに僕に殴られても償おうと必死だった君が。………愚かで滑稽で見ていて楽しめたよ」

くすくすと笑いながら告げるレシィに『ふざけるな!』とカクたちが怒鳴りつけた。
レシィに殴りかかろうとするカクやタイルストンをルルやルッチが押し止める。
パウリーとアイスバーグは身動きせずに静かにノエルたちを見つめている。
ノエルは瞬きすら出来ないまま、呆然とレシィの言葉を聞くことしか出来なかった。

「でも、ばれちゃった。だから、ゲームはおしまい」

レシィがノエルに背を向ける。
ノエルは震える腕をぎゅうと握り締め、混乱してぐちゃぐちゃになっている頭を必死で整理した。


ゲーム?ゲームだったの?
どこから、どこまでが?

伯父や伯母に殴られ罵られるノエルを庇ってくれたことが?
だんだんと塞ぎ込んでノエルを殴るようになったことが?
傍にいてとノエルに縋りついたことが?
辛くて苦しくて声を押し殺して泣いていたノエルに、『ずっと一緒にいるよ』と言ってくれたことが?


「やだ………いやだ!行かないで!!」


離れていく背中に叫んだ。
彼の言葉が理解できない。受け入れられない。
だって、ノエルの傍にずっといてくれると言ったのは彼だ。


「オレを捨てないでよ!!」


叫んだそれは悲鳴だった。
目が燃えるように熱く、頬を何かが伝っている。
顎から滴り落ちるそれに、ようやく自分が泣いているのだと気付いた。
彼が壊れてしまってから、ずっと流すまいとしていた涙が止まることなく流れていた。

レシィが足を止める。
そして、振り返ると無表情でノエルを見つめた。

「捨てるなんて大げさなことを言わないでよ。昔から君は独りだったじゃないか」

「独りじゃなかった!だって、レシィがいてくれた!!」

あの家にいて、孤独だと感じたことはなかった。
優しかった人たちに石を投げられても。
伯父や伯母にどんなに蔑まれても。
………レシィに暴力を振るわれるようになっても。
いつだって、彼はノエルの傍にいてくれた。

「………君には彼らがいるだろう。汗臭くて乱暴者の船大工が君にはお似合いだよ」

ノエルの訴えにレシィは一度だけ困ったように綺麗な柳眉を寄せる。
そして、ふっと口元を綻ばせた。


「ばいばい、ノエル」


それは、大好きな従兄の優しい笑顔だった。

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10/05/05
改訂16/05/07



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