重要な鍵を握っているらしい女の子から情報を引き出すのが今回のジェットの役目だった。
少女が入院しているという病院を見上げて、さてどうやってお近づきになったもんかと思考を巡らせる。

季節は冬。
サイボーグといっても寒さは感じるもので、羽織ってきたコートの襟元をしっかりと閉じ合わせた。
今夜から明日にかけて雪が降るらしい。寒いのは嫌いだ。暑いのも嫌いだが。

……やっぱり部屋を間違えたフリすんのが一番自然か?

そんなことを考えながら病院窓のひとつひとつを眺めていると、通行人が「にいちゃん、」と声を掛けてきた。

「そこ、人間の病院やで」
「あ?」

振り返ると、マフラーで顔の半分を覆った中年男性がひとり。

「せやから、その建物、人間のや」
「…知ってるぜ?」
「動物病院さがしとるんちゃうん?」
「は?」

一体何を言い出すのだろう。
男が黒い手袋に覆われた指をポケットから出し、ジェットの足元を指さした。導かれるままにつま先を見る。

「……あ?」

猫が一匹まとわりついていた。

気付かなかったのも無理はない…気がした。間違えて潰してしまいそうなほどに小さな子猫が、鳴きもせずに大人しく座っている。
毛皮は泥で真っ黒。乾いてカピカピのボサボサ。寒いのか腹が減ったのか、ぷるぷる震える姿はなんとも情けない。

「なんだコイツ」
「兄ちゃんが拾った猫ちゃうんか?」
「ちげーよォ」

つまみあげるとやっと「ミィ」と小さく鳴いた。
まだ親猫からミルクを飲むようなサイズなのに、たった一匹でなにをしているのか。はぐれたか、捨てられたか。

「今日は冷えるらしいでなぁ。ほっとくと死んでまうかも知れんな。ウチはカミさんがアレルギーやで連れてけん。兄ちゃんどうにかしたりや」

言うだけ言って、男は去って行った。

冗談じゃない。猫なんかに構っている暇はない。
だがこの寒波。腹を触ると骨が浮いてガリガリで、いま見捨てれば男の言う通り、この子猫の明日の命はどうなるかわからない。

「どーしろってんだよォ」

今後頻繁に通う予定の病院前で、猫が一匹冷たくなって……そんな事態になれば目覚めが悪い。だからといって猫を拾ってどうしろというのか。
あの親父、俺に押しつけやがって。くそ。俺だって知らねーよ。ちくしょう。





結局のところ、ジェットは力ない子供や小動物といったものに弱かった。
助けを求めることもできず、ただ死んでいく運命のもの。そういったものを見ると、そんな馬鹿なことあるかと手を伸ばしてしまうのだ。

「お前の任務は捨て猫の保護だったか?知らなかったな」

開口一番に嫌味を言ったのはアルベルトだった。
ジェットの手の中に収まった汚れた毛玉を見て「風呂に入れてやるんだな」と一言だけ告げる。助言というよりは要請で、つまるところ「汚い動物を歩き回らせるな」という意味である。

「猫の入浴マナーなんて知らねぇぜ」
「俺も知らん。せいぜいリードしてやるんだな」

アルベルトは完全に「拾ったやつが面倒をみろ」という態度で、あとは無関心。猫に対して友好的なのはフランソワーズとジェロニモだけだった。
その他は興味がなかったり、触れ方がわからなかったり、鍋に入れようとしたりと様々である。

兎にも角にも連れ帰ってしまったからには世話をしなくてはならない。

フランソワーズが善意で猫用のミルクを買いに走ってくれた。その間にジェロニモの手を借りて猫を風呂に入れる。
シャワーで湯をかけても猫は大人しいままだった。

「白猫じゃん」

汚れを落としてみると存外、綺麗な猫だった。
タオルで水気を拭き取って低温に設定したドライヤーをかける。そうこうしているうちにフランソワーズが帰ってきて、猫にとっては待ちに待ったお食事タイムとなった。

平皿にミルクをあけて床に置いてやる。
それまで不安になるほど動かなかった猫は、ようやくぼそぼそと歩いて皿に近寄り、不器用に飲み始めた。

「これ普通の牛乳じゃ駄目なのか?」
「駄目よ、お腹壊しちゃう。まだ小さいし特に気を付けてあげないと……そうだ、鈴つけてあげる」
「鈴ゥ?」

自室に取って返したフランソワーズは赤い紐を通した鈴を持ってきた。それを宣言通りに猫の首にまわして取り付ける。猫は食事に夢中で気にする様子がない。

「こんなんつけて煩くねーの」
「嫌がるようなら外したほうがいいけど…。子猫だからどこにも潜りこんで行っちゃうわよ?鈴が鳴れば場所がわかるじゃない」
「そんなモンか」

ようやく腹を満たした猫はジェットを見上げ、最初より幾分か大きくミィと鳴いた。





チリン。
次の日、鈴の音がしたと思って目覚めたのに、猫がどこにもいなかった。
夜に布団へもぐりこんできたところまでは覚えている。もしや潰してしまったのかと慌ててシーツをめくるが、毛の一本すら落ちていない。

「どこ行っちまったんだよ!」

皆に聞いても行方を知る者はいない。
家中を探したがついぞ見つからなかった。

「揃って化かされたんじゃないのかね。美味しいミルクだけ頂戴してドロンさ」

グレートが冗談めかして言う。それに言い返さず、黙殺する程度には面白くなかった。
あんなにガリガリのよちよちだったくせに、と唇をとがらせる。

だが探し回ってやるほどの時間と労力はない。今のジェットも、もちろん他の皆にも、やらなければならない任務がある。

後ろ髪を引かれる思いでギルモア邸をあとにした。向かう先は猫を拾った病院である。

「……いるわけねーか」

昨日と同じ場所。病院の窓を見上げられる位置。
あたりを見回すが、猫どころか通行人すら居なかった。

そもそもこの場所はギルモア邸から遠すぎる。動物の足で移動できるわけがないのだ。ましてやあんな子猫に。

「仕事しねーとな…」

今日こそ目的の人物に近づかなくては。





部屋の場所はもう知っている。正面玄関を堂々と通ってエレベーターに乗り込んだ。
目的の階で降りて、自動販売機でコーヒーを購入。そばにあるソファーに腰を据えて、ただ待った。

タイミングの良い事に、30分ほど経ったところで少女が現れた。
ぺたぺたと入院用のスリッパを打ち鳴らしている。色白だが活発そうな顔つきをしていた。

「こんにちは」
「よう」

先に向こうから声を掛けられて、ジェットは内心「おや」と驚く。
少女は自動販売機に小銭を投入してココアを買うと、なんの戸惑いもなくジェットの隣に腰かけた。

「お兄さん、誰かのお見舞い?」
「ああ。友達の」
「怪我?病気?」
「怪我だ。そんな大したモンじゃないらしいけどな」

ジェットはここに来るまでに作った“友人”の設定を喋った。ふぅふぅと息をふきつけながらココアを飲む少女は、ふーん、と相槌を打つ。そして唐突に、

「私達どっかで会ったことある?」

と首を傾げた。

「いンや?初めてだぜ」

ジェットは事前の調べで写真を見たので顔を知っている。が、実際に会うのは本当にこれが初めてだ。
下手なナンパみたいだなぁと思っていると、少女は「うーん」とどんどん首を傾けていく。

「うん…?うーん。そっか、夢かな」
「夢?」
「夢の中でお兄さんと似た人に会った気がする」
「へぇ、そりゃいい夢だな」
「…うん、すごく、優しかったよ。そんで、あったかかった」

どこかで見た気がして声を掛けてきたのか。ラッキーだ。これで近づきやすくなるというもの。

少女はそれから、入院食についての不満や、隣の部屋の患者についてをジェットに聞かせてくれた。
相手の性格によっては演技をするつもりだったが、ほぼ素に近い態度で接することができた。
わいわいと盛り上がっているうちに時計が半周して、通りかかったナースに「そろそろお昼ごはんよ」と言われてやっと会話が打ち切られる。

「そろそろ行かなくちゃ。ありがとう!ここにはまた来るの?」
「そうだな。また話し相手になってくれよ」
「もちろん!」

暇つぶしに成功した少女は上機嫌で立ちあがった。

チリン。
その時、どこか聞き覚えのある音を奏でたのは少女のポケットだった。

ジェットはドキッとする。鈴の音だ。昨日の今日なだけに、その音には敏感だった。

「…鈴持ってんのか?」
「うん?あるよ」

彼女のポケットから取り出されたのは携帯電話だった。そのストラップの一つに小さな鈴が付いている。

「かわいーでしょ」

チリン。

「…そうだな」

――形が違う。
猫に取り付けた鈴と同じものが出てくるのではないかと、そんな馬鹿なことを期待していた自分に気付いて、ジェットは空笑いした。

「俺も行くわ。また今度な」
「うん、またね!」

少女の頭をくしゃりと撫でてその場をあとにする。これでもう顔は覚えてもらっただろう。2、3日後にまた来よう。

今度は逃げられないといいけどな。

ジェットは冷えた風から首を守るべく、コートの襟をしゃんと立てた。


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