「ねぇマオ、本当に二人だけで行くの?」

フランソワーズは心配していた。アホの子ふたりがあての無い観光旅行に出ると言うので。

「もぉ、フランは心配しすぎだよ!大丈夫だってば」
「……本当にジェットと二人で行くの?」

フランソワーズはジェットという部分を強調した。アホの片割れで、いまいち信頼し切れない程度には無計画な性格をしているからだ。当の本人は既に準備万端で、靴まで履いて「早くしろよォ」と玄関で待っている。
それをチラリと眺めてマオに向き直った。背中にリュック、右手にバッグ。こちらも同じく準備万端である。

「行き先も決まってないんでしょう?」
「そこがミソなの!行き当たりばったりで行きたいとこに行くんだよ」

非常に不安だ。だが二人がこの旅行のためにコツコツとお金を貯めていたことを知っている。「止めろ」なんて野暮なことは言えなかった。

可愛い子には旅をさせろっていうし…。
フランソワーズは仕方なしに、用意していた肩掛けバッグをマオへと手渡した。

「手提げバッグは駄目よ、盗られちゃうから。肩から掛けて身体から離さないようにね」

マオは大人しくバッグの中身を詰め替えた。肌身離さず持っていればひったくりや置き忘れの防止になるだろう。

「あと、防寒具は持った?手袋は?夜は寒いわよ」
「あ、手袋入れてない。でも私持ってないんだよね…。ちょっと誰かに借りてくる」

リビングに引き返したマオはまんまとアルベルトから手袋をせしめてきた。

さて、じゃあ行ってきます!と元気に駆けてゆく背中をハラハラと見送る。どうか妙な事件を起こしませんように。巻き込まれませんように、ではないあたりで、普段の二人の行いが知れるというものだった。





二人の最初の行き先はすんなりと決まった。駅でポスターを見掛けたからだ。

「きたぞ伊勢神宮!」
「広いな」

電車とバスを乗り継いで現地へ。
鳥居をくぐると砂利道に変わった。ふたりともよく考えずに、とりあえず流れに沿えばいいだろ、とそばにいたツアー客の後ろについた。添乗員の話をききかじったジェットは、へぇ、と感心してみせる。

「なんて言ってた?」
「ユーレイが一匹やら二匹やらって」
「?」

二礼二拍一礼を聞き間違えたのだった。

「次は?」
「南下しようよ!奈良とかどうかなぁ」
「鹿のいるとこ?」
「しおりを食べられるのが定番なんだよ」

再び鈍行で移動して奈良公園へ。
しおりは無かったが、代わりに駅でもらった観光パンフレットを齧られた。鹿と戯れているうちに太陽が落ち、その日は奈良で宿を探した。

とにかく目に付いた所に入ろうということで、宿という看板目指して暗くなった街道をぼちぼち歩く。
はぁと吐いた息が白くなっていることに気付いて、さむいねぇと手をこすった。
そこでマオは、フランソワーズに言われて荷物に追加した防寒具の存在を思い出す。

「ジェット!アルベルトから借りた手袋あるよ。片手ずつはめる?」
「おぅくれ」
「はーい」

いそいそとリュックから手袋を取り出す。
受け取ったジェットは、うわっと叫んでそれを取り落とした。

「なんだよ!」
「えっなに?」

転がった手袋をおそるおそる拾い上げて、街灯の下で広げてみる。

「あ」

柔らかいオレンジの光に照らされたそれは、アルベルトの人口皮膚手袋だった。
手相があり、指紋があり、やたらリアルだがペラペラ。あまり長く見続けたいものではない。

「なんでそんなの持ってきたんだよ!」
「あれぇ?」

荷物を詰めたときのことを思い出す。
ほらよと投げ渡された手袋を、受け取って、よく確認せぬまま突っ込んだ……ような気がした。

「お前借りる時なんて言った?」
「アルベルトがいつも使ってる手袋、貸してって」
「…………」
「…………」

手袋違いだ。

「は、はは。わぁ、まるでアルベルト連れてきてるみたい!ほーら」

場を和ませようとハンドタオルを手袋に詰めてやる。切断した手首みたいになった。

「……しまえよ…」
「うん……なんかごめん…」

そうこうしているうちに宿に辿りつき、二重の寒さを振り払うように飛び込んだ。





「今日はどーするよ?」
「大阪はどうかなぁ。食い倒れしたーい!」

大阪では目に付いたものを食べ歩きしたのち、通天閣に登って土産物を買った。
自分用に買ったミニチュアのキーホルダーを鼻に押し当て「ジェットの真似」と即席一発芸を披露してみせる。が、本人相手なのであまりウケなかった。

お腹もいっぱい。ネイルに照らされた大通りを歩きながら、次の目的地に想いを馳せる。

「次は神戸いきたい!港とか明石とかさー」
「おう。んなら明日はKOBEだな」
「神戸って食べ物はなにがあるんだろ……あっ、ごめんなさい」
「人が多いな」

ジェットは人にぶつかってよろけたマオの腕を掴んで引き寄せてやる。しばらく進んだあたりで、マオがあっと叫んだ。

「バッグが無い!」

落としたのだろうか。それとも…

ジェットはさっと状況を理解して今来た道を引き返した。さっきぶつかったのは男だったか。だが黒っぽい服だったことをかろうじて覚えているくらいで顔もわからない。

「どうしよう!」

地面を探すがバッグは見当たらない。盗られたにせよ、落としたにせよ、別の誰かが持ち歩いているのだ。

「どーしよう…フランソワーズがせっかく…」

手提げバッグは駄目よ、盗られちゃうから。

そう指摘されて肩掛けバッグを借りたにも関わらず、なくしてしまったのは、肩から提げていなかったからだ。
最初はちゃんとしてたのに。大阪に着いてからはずっと手で掴んでぶらぶらさせていたような気がする。

しおしおと項垂れるマオ。どうしたもんかと唸っていたジェットは、ふと、マオの言葉に引っ掛かりを感じた。

「あのバッグ、フランソワーズのか?」
「え?うん、借りたの」
「そーいやそうか。あのバッグ……確か……」

マオの腕を掴んで裏路地へ。
仲間内で使う脳波回線へ繋いでフランソワーズを呼び出した。

『ジェット、どうしたの?』
「おう、バッグを盗られたかも知ンねぇ。追跡してくれ」
「追跡?」

ぎょっとしたのはマオである。いくらフランソワーズでも、50q圏外の物体を探す能力は無いはずだ。一体なにを言い始めたのだろうか。
しかし話は問題なく進んでいるようで、ジェットはマオの腕を引いたまま、フランソワーズに導かれてすいすいと路地を移動して行く。

建物の隙間を縫って5分も走ったところで、黒っぽい服装の男の背中に追いついたのだった。

「おいコラ待て!」

びくりと振り返ったのは若い男だ。腕で覆い隠すようにして、フランソワーズのバッグを抱えている。

「バッグ!」
「ふ〜ん?警察に届けるにしちゃ、こそこそした運び方だな」

ジェットがにやにやと言葉で男を追いつめる。大通りから離れた薄暗い細道でこそこそしているからには親切な拾い主でない。だが男も往生際が悪かった。

「な、なんですか?これは彼女のバッグで…」
「その彼女はどこだよ」
「いま別行動してるんだ!」
「んなわけあるかよてめぇ!」

気の短いジェットが殴りかかろうとするので、マオがまぁまぁと押し留めた。そして堂々と胸を張って窃盗犯に一言。

「悪い事は言わないからバッグの中見たほうがいいよ。あなたが私達の罪を被ってくれるっていうなら、もう何も言わないけど」
「…は……?」

男は一度ぽかんとして、それから「ヤクか…?」などと呟きながら慎重にバッグを開ける。
大阪の夜空に悲鳴が響き渡った。





男が放り出していったバッグを拾い、汚れがないかを確認。地面に放り出されたせいで角が擦り切れてしまった。フランソワーズには後でめいっぱい謝らなくては。

「こっちに入れてたのかよ」

呆れたように呟きながら、ジェットが飛び散った中身を拾い集めてくれた。タオルを詰めて膨らんだままのアルベルトの人口皮膚手袋も一緒に。

「だって貴重品だもん」
「違いねぇや」

男をまんまと驚かした手袋は、薄暗い場所では余計に本物のように見えたことだろう。
親切に警察に届けられていなくて逆に助かった。面白手袋ですと言い張るには造りが精密すぎるのだ。

「ジェットこそどういうこと?なんでバッグの場所がわかるの」

マオはぷくりと頬を膨らます。隠すことでもないのでジェットは種明かしをしてやった。

「ありゃフランソワーズが私服で潜入操作するときに持ってくバッグだ。なんかあった時のために発信器が仕込んであンだよ」

どーりで見たことあると思ってたんだよな、とジェットはしたり顔。

「フランソワーズがな、神戸プリン食いたいんだと。それでチャラにしてやるって」
「フランソワーズぅぅ」

マオは感動のあまり、家の方向へ向かってありがとう!と手を合わせた。
プリンどころか神戸牛も買って帰ろう。そのあとで行った場所でもなにか買おう。

二人の観光巡りはまだまだはじまったばかりだった。


back