ジェットは十三番通りで空を見上げる。そこに知り合いが居るからだ。

「遅いじゃないの。私を待たせるなんて良い度胸だわ」

今にも崩れそうなボロボロ建物の3階から、緩い巻き毛の令嬢が顔を出していた。清楚だがちょっとキツい顔した美人。
ジェットは先ほど時計を確認したばかりだったので、まさかと笑う。

「時間通りだぜ?俺に会いたくて、感覚が狂っちまったんじゃねぇか?」
「減らず口。いいこと、今3時4分よ。遅刻だわ。3時と言ったら3時に来なさいな」

ジェットにしてみれば2時50分から3時10分あたりまでならおおよそ3時である。
相変わらず細けぇこって。約束した日に来ただけでも誉めてほしいものだ。

「なんか変わったことはあったか?」

そばにあった街灯に背中を預けて楽な姿勢を取る。令嬢は……マオは、その白い腕を枕にして窓枠にもたれかかった。

「なにも。相変わらずお父様は仕事ばかりよ」
「じゃあ今日も一人か。暇だなぁ」
「ほんと、貴方が来てくれなきゃ今頃暇で死んでるわ。あんまり暇だから私も何か仕事を持とうと思って、昨日提案したんだけど、お父様は『お前には無理だ』と怒るのよ」
「そりゃ…」

窓から投げ出された指。サイボーグであるジェットには爪の形までよく見える。力仕事も水仕事も知らずに育った金持ちの指だ。

マオはほんの3週間前までは正真正銘の金持ちの令嬢で、ジェットの知らない遠くの街で、子供離れ出来ない父親と二人暮らし、甘やかされて贅沢に過ごしていた。

しかし父親の経営する会社が突然の破綻。家も家具も、服すら、その時着用していた一着を残して差し押さえられた。
それでも拭い切れない赤。ならば娘を寄越せと言われて夜逃げした。

お馬鹿な人達。最初から私にしておけば良かったのよ。おつりが来るくらい、いっちばん価値ある宝石なんだから。

命からがら逃げた父親に対して、マオは大物というか、強気かつ呑気な性格をしている。
まんまと自分達に逃げられた借金取りの間抜けさをジェットに語り、カラカラと笑ってみせたものだった。

「ま、おめーは料理でも覚えるのが良いんじゃねーか?」
「そうね。でもちょっとくらいなら出来るわよ。卵を焼くくらい」
「焼くだけなんて料理とは言えねぇぜ」
「なら貴方は出来るの?」
「麺を茹でるとかならな」

マオは素直に「あらやるじゃない」と賛辞の言葉を落としてくれた。彼女にインスタント麺の存在を教えるのはもうしばらく先にしようと思う。

そうしていつものように他愛ない会話をして、じゃあまた今度という間際になって、マオはふと寂しそうな顔を見せた。

「お金が貯まったら、もっと遠い場所へ逃げるんですって。お父様はもうすぐだって言ってたわ」
「え…なんだ、そうなのか」

着の身着のままで転がりこんだのが今の家だ。逃げると同時、安定した生活を求めて移動していくのは当然のことだろう。

「せっかくあなたとお友達になれたのにね」

仕方ないさとジェットは笑った。

「これから先、そういうことばっかりだと思うぜ。そのうち慣れちまうさ」
「まるで自分がそうだったって言わんばかりの台詞ね。…でもね、あなた、私の初めてのお友達だもの。きっと、いちばん、寂しいわ」

マオの言葉はジェットの胸を静かに打った。
そりゃ、寂しい。慣れるなんて嘘だ。でもやっぱり仕方ないから、「またどっかで会えるさ」なんて言葉で気持ちを濁して別れるのだ。

「…寂しいわ」

二度繰り返したマオに、ジェットはようやく、俺もさ、と返事をした。


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