「それで!?」
「そのまま帰った」
「はぁぁぁっ!?」

信じらんない!とテーブルを叩かれてカップが揺れる。若干中身がこぼれたが見なかったフリをした。

昨日力持ちさんとお茶をした、と報告した途端、「あんたちょっと詳しく説明しなさいよ」と強面で喫茶店に引っ張り込まれたのは10分前のことである。
長い付き合いになる友人だが、時折の彼女の勢いには戸惑う。一生勝てない相手だと思っていた。

「はぁ?…って…」
「だってそうじゃない!せっかくまた会えたのに、連絡先どころか本名すら聞かなかったの!?」
「え、うん…そういうの聞くものなの?」

お礼は言えたし、目的は果たしたものと思っていたのだが。

「当たり前よ!」

世の常識らしかった。
呆れた顔でだからあんたは男が出来ないのよ、と、説教だかアドバイスだか判断つきにくいことを延々並べ立てられる。
鼻息を荒くした友人は最後にこう締めくくった。

「つまりメールアドレスの一つや二つ聞きなさいってことよ!それで私に教えてくれたら良かったのよーっ!」

本音はそこか。
友人は、次に彼とお茶をするようなことがあったらすぐに私を誘いなさい、と力強く念を押して帰って行った。




しかし彼女のいう「次」はなかなかこなかった。
というのも、たまにあの栗色の頭を見かけるのだが、やはりというかなんというか彼はいつでも人助けをしていて、声を掛けるタイミングというものがなかったのである。

一度だけ、たった一度だけ、人ごみを隔てたアッチとコッチで、互いを認識した瞬間があった。
彼は私に気付くと照れたようにはにかんで、なにかをパクパクと呟き、去って行った。

――いま、カメ子ちゃんって言ったな。

もはや本名を名乗りあうことはないように思える。友人には悪いけども、それでいいと思っていた。
彼の背中が消えていった雑踏から目を離す。信号が赤になりそうだったので慌てて横断歩道を渡った。

力持ちさんは今日もどこかで人助けをしている。


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